宿屋で一夜の出会い。
天界にいる女性に顔立ちが整ってない者も、老けている者も存在しない。
代表する所で言えば、数多の女神。それに加えて天使達は大体女性且つ美人だし、時折天界にやってくるセイレーンやサキュバスなんて悪魔だって事除けば即嫁入り確定なくらいの美貌を持っている。
女神が可愛いくて若々しいのは容姿を自ら操作出来るからで、天使が美しいのも神達が理想の女性像を映しだした者として創造するから、セイレーンやサキュバスは美貌で人間の精気を奪いとらないと生きていけないから、と様々理由はあるんだけど。
だから地上に降りてきて出会った、人間の感覚で言えば可愛いに分類される美貌を持った女性を目の当たりにしても特に何も感じなかったし、むしろ普通だと思ってた。
なのに、なのに、なのに――。
「そ、そんなにジロジロ見ないでよ。恥ずかしいじゃない」
超絶可愛い!!!
思わず本人を目の前に叫ぶところだったが、口を抑えて言葉を飲み込んだ。
幾度となく美少女を見てきた俺でさえも、さすがにこれは可愛いと認めていいと思ってる。
長く青い髪は艶やかに腰の少し上くらいまで伸びて、顔立ちは女神と言われても驚かない程に整い、スタイルも過不足なくとてもバランスが良い。
服はなにやらふわふわした物を着てるけど、これは多分寝巻きだと思う。
「俺は……あー、クロードって言うんだ。よろしく」
「わ、私の名前はエミリ、年齢は16歳よ。明日の朝までだけど、よろしくね」
「にしたって、なんで相部屋なんて申し出たんだ? これだけ広いってことは節約したかったって程貧乏ではなさそうだし」
まあさすがに神だから目の前に美少女がいたところで赤面するほどではない。
普通に会話くらいは出来るよ。
バレたらまずいから本名……いや、偽名を使わずに偽名を使ったんだけど、このままだと無数に偽名が増えていきそうだな。
「え? だって部屋が空いてないってことは誰か困ってるってことじゃない?」
「そりゃそうだけど、自分の不利益にしかならないだろ?」
「も、もしかして私なんかが相部屋するのは迷惑だったの? 一人でも助かればって、思ったんだけど」
「そういうわけじゃなくて……」
多分言葉が通じてないって事もないだろうし、聞いた所本当に生まれ持っての親切心がそうさせたってことだろうか。
俺、騙されてるわけじゃないよな。
エミリの戸惑いっぷりを見るに騙されていてはないらしいけど、その様子は余りに見るに耐えない。
「俺は助かったよ、ありがとうな」
そう言って笑うと、あたふたしていたエミリは胸を撫で下ろして椅子に座った。
説明してなかったけど、部屋の間取りは思っていたより単純で、今俺がいるこの部屋にベッドからキッチンまで揃えられていて、一つだけある扉の中にはトイレがある感じだ。
その中心に置いてある机に備えつけられた椅子二脚のうち、一脚にエミリは腰を下ろしている。
いきなり向き合って座る訳にはいかないから、取り敢えず二段ベッドの上に登って寝っ転がった。
「実は俺も16歳なんだよね。同い年って事は明日入園試験受けるの?」
「ま、まあ受けるわよ? でも受かるかどうかは……」
「そんなん受ける前から考えるべきじゃないって。もしかして国立学園だったりする?」
他人の魔法を見ていないので俺も多少不安ではあるけど、さっきから落ち着かないエミリの方が倍は緊張してそうだ。
「そのもしかしてだけれど」
「本当に!? 一緒に受けてくれる人がいなくなっちゃったから困ってたんだよね」
「そ、それは一緒に受けるって意味なの? ペアで受ける試験があるとは聞いてないけれど」
「勘だよ、勘。それに三人集まれば文殊の知恵って言うしさ」
無論俺もそんな話は聞いたことないんだけど、さすがに一人で行くというのは心細い。
「もんじゅ? ちえ? 良くわからないわ」
「まあ味方を作って試験を受けた方が何となく有利っぽいじゃん」
「確かにそうね。なら明日の試験は一緒に受けましょ」
俺は密かに右手でガッツポーズを作る。
これはエミリと行ける事に喜んでる訳じゃないぞ。エミリの不安が少しでも安らぐの嬉しいって意味だ。
いや、それも聞き方によっては……。
取り敢えず神である俺が地上の女に一目惚れをするなんてことはないから、安心して欲しい。
「そうと決まったらもう寝るってのはどう?」
「え!? まだ日も全然沈んでないし、何よりまだ眠くないでしょ?」
「いつも私はこの時間には熟睡してるわよ。今日はあなたにあわせてあげてるだけです」
俺に向かって純粋無垢な笑顔を放つと、そのまま俺の下のベッドに倒れこんだ。
目を逸らしたのは恥ずかしかったとかじゃなくて、壁から殺気を感じたからというかなんというか。
「エミリは何のために国立学園に入るんだ?」
暗くなってしまった客室、ベッドに寝転んだまま闇に向かって問い掛ける。
しかし返答はない。
恐る恐る下のベッドを覗きこんでみると、何とも嬉しそうな笑顔を浮かべながら眠りについていた。
「本当に熟睡しちゃったよ。んじゃ、俺も寝るとするかな」
俺にまだ生理的な眠気はないので、自らに睡眠魔法を掛けて強制的に意識をおとした。
「また……明日……ね」
エミリが寝言を言った気がするけど、薄れゆく意識の中ではうまく聞き取れなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……ぇ! クロードさん、早く起きないと試験に間に合わないよ?」
頭に女性の焦るような声が響き渡る。
目を閉じているせいか視界は真っ暗だけど、体が徐々に激しさを増して揺らされていく。
「んぁ、誰? もしかしてサキュバスだったりしないよな?」
一応目の前にサキュバスの顔が現れた時に驚かないよう、自分に言いきかるようにゆっくり瞼を開く。
いつもは瞼が重くて三時間は起きられないんだけど、今日は眠気がまるでない。
「良かった、サキュバスじゃなくって……って、ぶあああああ!?」
目の前にあった顔は幸いにもサキュバスではなかったが、代わりに目の前にいる青い髪を下げた女性の顔に驚いてベッドの端まで後ずさる。
「サキュバスがどうとか、何か悪い夢でも見たの? まさか私の顔に見覚えがないなんて言わないよね」
そういやそうだった。
もうかれこれ十日くらい経ってるんだけど、未だに地上に降りてきたって感じがしない。
天界と同じように食って呆けて寝ての繰り返しだからな、そりゃ地上人だって実感が沸くはずもないって事か。
「ちょっと悪夢見ちゃってさ。さすがに顔を忘れるなんてないってば」
「そう。ぐっすり寝てたからてっきり快眠かと思っていたら、違ったのね」
「明日ちゃんと寝て体力を回復することにするよ」
実際はばっちり快眠だったし、体の疲れも天界の比じゃないほど回復していて、むしろ地上に降りてきた時よりも元気になった気がする。
多分それは、人種が寝ている間に大気中の魔を吸収して魔力を回復させるからなんだろうけど。
「というか、悠長に会話してる場合じゃないのよ」
エミリが焦りながらも時計を指差してる。
生憎俺は試験の時間を知らないけど、この様子からするに試験に遅れそうなんだろうな。
「ごめんごめん、すぐ支度するから先に行っててくれない?」
「そういう訳にも行かないの! ほら、立って。衣装魔法のセットはしておいたから」
半ば強引に、急かすように俺の体を持ち上げる。
因みに衣装魔法ってのは、例えば毎日同じ服を着る仕事の人が重宝する魔法で、事前に設定しておいた衣装を魔法一つで組み立てて対象に着せることができる。
結構設定が面倒くさいんだけど、エミリはいつ起きたんだ?
立ち上がった俺の胸に手を当てると、衣装魔法を詠唱する。
すると地面に浮かび上がった魔法陣が俺を包み、その光が無くなるとともに俺はフードのついた黒いローブと、少なくとも安物ではなさそうな靴を身につけていた。
「わざわざ扉を通ってる程時間に余裕はないの。窓から出るわよ」
「え? ちょっと待って試験って何時から始まるんだよ」
「朝の十時から試験開始なの!」
時計を見ると時刻は午前9時55分。
俺は躊躇すること無く窓を割って外に出た。
それからはただ国立学園の方に走り続けるだけだ。
エミリの用意してくれた靴には多分加速魔法の加護がかけてあるんだろう、普通に走ってるつもりだが周りの風景はすごい勢いで俺の横を通り過ぎる。正確には通り過ぎてるのは俺だけどね。
これだけ時間が差し迫ってるなら魔法を使って強引に間に合わせることは出来るが、さすがに試験前に目立つのはまずい。
目立つなら学園に入ってからがいいからな。
エミリの靴にもやっぱり加速魔法はかかってるらしくて、その美貌に道を行く男どもが口説いたり目を奪われている最中、風を切るように進んだ。
道に立てられた時計を見ると、時刻は9時58分。
後はこの道を直進して坂を登るだけなんだけど――間に合わない。
エミリもそう思ったんだろう。
前を走るエミリの目から流れたであろう涙が、俺の顔に向かって豪速で飛んでくる。
なんで学園に入りたいか、俺はしっかり理由を聞けてないんだけど、それでもそれだけの理由があるんだと思う。
こうなったのも全部俺のせいだと言って過言じゃないと思う。
エミリは混雑する宿屋で一人でも助けようと相部屋を申し出た上、俺を置いてくことなくわざわざ起こしてから一緒に出発したんだ。
俺さえいなければもっと早く寝ただろうし、誰も待つこと無くすぐに試験会場に着いてただろう。
神の俺がこうであってはいけないだろう。
「……ごめんなさい、私がもっと早く起こしていれば……」
「いいから、何も気にしないで早く試験会場に走って!」
「でもこれじゃ間に合わな――」
「諦めないで! じゃないと俺のせいみたいになって、胸糞悪いだろ」
とことん他人への情が厚い人だ。
あくまで自分のせいにしようとするエミリを走らせ、試験会場へと到着した。
「お、遅れてすみませんっ!」
「おー! ギリギリセーフだな! お嬢さんとお兄さん!」
驚いたように顔を向き合わせて時計をみると、その時刻は9時59分。
時間を止めた事は秘密にしておくか。
喜色満面のエミリとハイタッチしたとき、そう思った。