煙を見る隊士
木戸を打ち壊す音が聞こえたと思うと、「御用改めである」というお決まりの文句が聞こえた。
新堂弥兵衛は「ああ、表はおっぱじめたのだな」と気づき。かじかんだ手に息をかけると、握った刀を強く握り直した。大寒にあたるこの時期、京より南とは言え大阪もひどく冷える。そんな中を大阪くんだりまで出向くことになったのは、しめ飾りも取れぬ一月十日のことであった。
新選組のなかで唯一の出張所である大阪屯所から急報がもたらされた。浜田辰弥(のちの田中光顕を中心とする土佐勤王党が第一次長州討伐の間隙を突いて大阪城を占拠する計画を立てているというのである。前年の禁門の変以降、勤王派は急速に力を失いつつあり、彼らは窮余の一策を謀ったのである。しかし、それはあまりにも粗雑な計画だったためすぐに大阪屯所の谷万太郎の知るところになり、土佐勤王党の一派が潜む南瓦町のぜんざい屋を急襲した。とはいえ、谷の襲撃も綿密さを欠いていた。襲撃時、屋敷には家主である石蔵屋政右衛門と大利鼎吉しかおらず。そのうちの一人である石蔵屋にまで遁走されるという失態を演じる。そのため、ほかの多くの土佐勤王党は市中や大和の方面に散っていったのである。
この報を受けた、新選組副長である土方歳三は「谷のあら投網」と言って、その粗略さに激怒した。しかし、局長である近藤勇は「しかたあるめぇ」と窘めた。
なにが仕方ないのか分からないが、近藤にそう言われてしまえば土方としても食い下がるしかなく、監察の山崎烝らを呼び出して急ぎ大阪へ向かわせた。大阪に到着した山崎らがまず最初に驚いたのが石蔵屋政右衛門方から出てきた鉄砲の多さである。旧式の火縄銃なかに新式のミニエー銃が三十丁ほど混ざっていたことが問題となったのである。
このぜんざい屋事件から二年後、坂本龍馬ら海援隊が運行するいろは丸が紀州藩の明光丸と衝突、沈没する事故が起こる。このとき坂本は紀州藩に対して積荷であったミニエー銃四百丁を含む金銭約八万両の賠償を求めている。今回見つかったミニエー銃も土佐勤王党に関わりがある坂本らが用意したと考えられている。
とはいえ、山崎にはこの裏の事情までは分からなかったにせよ。銃火器の量が尋常でないことは明らかだったのである。この報告を受けた土方は二番隊、五番隊、六番隊を大阪へ向けて送り出した。各隊はほぼ十人で構成されており、今回の大阪行きは三十名だった。そして、その中に新堂がいたのである。
新堂は江戸の出である。父は南町奉行所の同心であり、上には兄がいる。そのため、稼業である同心は兄が引き継いでおり、新堂は気楽な次男坊として十代を過ごす。その間、北辰一刀流や田宮流と言った諸流派を渡り歩いた。そんななか、江戸へ隊士募集に訪れていた藤堂平助に出会う。藤堂自身は、旧知の伊東甲子太郎一派を勧誘に来ただけであったのだが道場の片隅で無聊を潰しているくらいならと軽い気持ちで声をかけた。
「どうだ。こんなところで燻ってるくらいなら京で一旗あげようじゃないか?」
「はぁ」
新堂が、気の抜けた返事をしてしまったことにはワケがある。
元来、新堂には政治的な思考はない。勤王だ。佐幕だ。なんて言われても困惑してしまうだけなのである。強いて言うなら自分たち一族に禄を与えてくれた徳川幕府に肩入れする気持ちがわずかにあるくらいである。北辰一刀流では、水戸藩士の門下生が多く水戸学かぶれの勤王派がことあるごとに議論をふってくる。そんな議論が面倒で新堂も適当に「私は勤王派ですよ」と言ってのらりくらりと話をはぐらかせてきたのである。そのため、藤堂も新堂は勤王派と言ってるのだから伊東さんと同じに違いないと合点しても仕方ないのだった。
とはいえ、江戸にいてもさしてやるべきこともなく、やる事はといえば剣術と食べ歩きくらいである。まぁ、京の都とやらを一度は見てみるか、という気持ちで参加することにしたのである。時期とは不思議なもので、加盟が伊東甲子太郎らと被ったがために新堂も伊東一派として見られ比較的高待遇で迎えられたのである。おかげで、給金として月に三両が懐に入ってくるようになったのである。
土佐勤王党を取り押さえるために新藤たちが大阪入りしたのは二十五日であった。この頃になると大阪町奉行や監察方の尽力もあり、市内に潜伏した土佐勤王党がどこにいるか目星が付き始めていた。いくつかある候補の中でも有力視されたのが堂島中の天満屋半兵衛のもつ借家である。そして、二日後の今日になって討ち入りが決まったのである。
亥の刻になって借家の表と後ろから急襲することになったのである。新堂の属する六番隊は借家の裏口を固める五番隊の補佐と決まり、腕に覚えのある隊士はこれをひどく悔しがった。隊長の井上は四十代とは思えぬ老け顔で、補佐と決まったときも「仕事だな」と短く行っただけで喜色もなにも表には出さなかった。
裏口を固める五番隊隊長の武田観柳斎は、甲州流軍学を学んだ新選組には変わり種であった。刀の方も神道無念流を修めたとされる。しかし、このところは伊東という俊才の前に影が薄なっている。それを気にしているのか、今夜の討ち入りへの気合は並々ならぬものがあった。
配下の隊士に、
「屋内で剣を振るう際は何につけても背を壁に向けることだ。そうすれば乱戦になっても背後から襲われることはない」
と、言って薬にもならぬ教えをくどくどと話している。
新堂としてはこの武田がどうしようと関係ないのであるが、隊中では新堂は伊東派と思われているため妙に絡まれる。
「新堂君、君は北辰一刀流をやるそうだがあれはいかん。あの流儀は屋内での戦いを想定していないから何かと大上段に構える嫌いがある。そこを覚えとかぬと命に関わるぞ」
屋内で上段に構えれば、刀が鴨居に当たることくらい加入したての新堂でも知っている。しかし、伊東よりも上に立ちたい武田としては言わずにおられぬのだろう。
「武田先生、これはかたじけない教えを受けました。気をつけることといたします。ただ、私は五番隊の補佐ですので今日は仕事はございますまい」
そう言って新堂は武田をかわすと井上のもとへ逃げた。武技では井上に勝る武田ではあるが、副長や局長への信頼となると彼らと同門である井上には及ばない。そのため、井上の近くに居れば武田はよってこないのである。
「わし、お前さんの傘じゃないぞ」
「申し訳ございません。どうにもあの御仁が苦手でして」
珍しく井上が話しかけてきたので、新堂は驚いた。いつもは逃げ込んでも「そろそろかい」と小さく呟くような人なのである。
「まぁ、わしもあの手の御仁は苦手だ。あんたもついてないな。あんなのに目をつけられるとは」
「全くです」
そう言うと、井上はにやりと微笑んだ。この男の配下に入って四ヶ月ほどになるがこのような顔は初めてだった。いつもむっつりと押し黙っているものだから口の少ない愛想のない人かと思っていたが、存外人見知りなだけやも知れぬな、と新堂は井上の印象を改めた。
程なくして、刻限が近くなったためそれぞれの隊は定められた持ち場についた。表を抑える永倉新八率いる二番隊が最初に突入し、続いて五番隊が裏口から突入する。残った六番隊は借家の塀を乗り越えて出てくる不逞浪人を捕縛あるいは切伏せることである。いわば遊撃隊と言った位置になる。その外を大阪町奉行配下の同心連中が囲うのである。
「何人いると思いますか?」
新堂は刀の目釘を確認している井上に話しかけた。
「多くて十人といったところか。わしも少しはこういう仕事をやっているから分かってきたが、土佐の連中はどうにも鼻の良い。連中は危ないと見ればばっと逃げちまうんだ。大阪は危ないと踏んだなら大和辺りに引っ込んでおるだろう。危ないと分かりながら大阪に逗まるなんて正気の沙汰ではない、とな」
「そうですか……」
新堂はどうにも腑に落ちない、と言った声を出した。
「なんでぇ、なにか気になってるのかい?」
「いえ、今日討ち入りがあると決まってから、私はずっとここの屋根を見ていたんですよ。そうすると見えるんです」
「見えるってこれかい?」
そう言って井上は両の手を胸の前でだらりとして、うらめしや、と言った。
「いえ、幽霊ではなく。飯炊きの煙です。私は随分長く江戸で道場の飯炊き当番をしてたのでわかるのですが炊く飯の量によって出る煙の量が変わるのです。その感じで言うと三十人程は中にいるんじゃないかと思うのです」
「そいつぁ、マズイな」
井上がそういった時、表で木戸を打ち破る音がした。それに呼応するように裏口でも木戸を破る音が響く。そして、怒号にも近い声で「ご用改めである!」といういつもの文句が出るが、借家内でまともにそれを聞いている人間はいないだろう。
「永倉さんのとこも武田さんのとこも十人しかいねぇ。まともに数で押されたらまずいことになるぞ」
そう言うと井上は自分の隊を半分に分けた。塀を乗り越えて逃亡する連中は大阪町奉行の同心連中に任せて、表と裏に隊士を五名ずつ振り分けたのである。特に示し合わせたわけではなかったが新堂は井上と同じ裏へとかけた。
「大丈夫か!」
そう言って裏口にたどり着くと、裏口を押さえていた五番隊の隊士一人がすでに地に伏していた。辺りには隊士を切ったと思われる四名ほどの浪人が血刀を握っていた。
「やろう」
歳に見合わず軽やかさで、井上が駆ける。巧緻さはないが力強い一撃であった。抜き打ちで面に振り下ろした一太刀で浪人は額を割られて崩れ落ちた。即死だと思われる。いきなりの井上の乱入によってたじろいた浪人めがけて、新堂も切り込む。小手を撃って、返す手で面を撃つ。道場剣術では定石にも等しい動きであるが、実際に斬り合いとなればなかなか当たらない。
新堂の振るった太刀は、ことごとく浪人の持つ剣で左右にいなされる。そこに別の浪人が打ち込んでくるものだから今度は新堂の方が不利となった。
そんな新堂を見かねたのか、井上が大きな声で相手を牽制する。
局長を含め新選組の上層部には天然理心流と呼ばれる多摩の剣術を学んだ者が多い。この剣術では何よりも気組を至上とする。相手の気を自身の気で制する、というものであるが北辰一刀流では気組は重要視されない。それよりも小手や面と言った部分にいかにうまく打撃を入れるか、という点が重視される。
井上の気合に気圧されたのか浪人の動きが一瞬止まった。新堂はその隙を見逃さず剣を振るった。また一人、浪人が倒れる。敵が残り二人になったところで、こちらの隊士が駆けつけたので一気に押し包んで捕縛した。
「先程は助かりました」
「なぁに、わしはあんたみたいな技量がないから、気で押し込むまでさ。まぁ、芸さ」
井上はこともなげに言う。少なくとも北辰一刀流にはできぬことである。新堂は目録留まりであるが、伊東や藤堂と言った連中は皆伝にまで達している。それでもあのような真似は習っていないに違いない。
「中は大丈夫でしょうか?」
「そうだなぁ、新八のほうは大丈夫だろうよ。ほれ」
近所の子供が遊んでいるのを見るような声で井上が言うと怒号にも近い永倉の声が聞こえた。だが、まだ余裕があるのか、ときより隊士への命令も出ている。これなら二番隊は大丈夫に違いない。新堂はさすがは隊中でも手練を集めた二番隊だと感心した。
「杞憂に終わりそうですね」
「まったく、そう」
次の言葉を紡ごうとした瞬間、裏木戸から大きな男が飛び出してきた。浪人かと思い剣を向けると、五番隊隊長の武田であった。ひどく慌てて出てきたので何事があったのかと思い近づくと
「裏口から離れろ!」と武田が叫んだ。新堂と井上が飛び下がると爆音と一緒に彼らが先ほどまで立っていた辺りを何かがすご勢いで飛んでいった。
「ミニエー銃だ!」
武田はそう叫ぶと裏口からジリジリと後方に下がる。そして、ばっと走り出した。
「あんたは下がれ、わしが一気に切り込む。もし撃ち漏らす様なことになっても次弾を込めるまでの間ができる。そこを斬れ」
井上は白刃をかざして裏口へ突っ込む素振りを見せる。新堂は袖を掴んでそれを押しとどめると言った。
「私がやります。ただ、ひとりではうまくいかぬでしょうから。また先ほどの芸をお願いしたいのです」
「なんだあんた何か策があるのかい?」
「策と言えるようなものではありませんがね」
そう言って新堂は刀を鞘に納めると腰を落とした。
「ほう……居合か。分かったやってみよう」
それぞれ別の方に分かれると新堂は裏口のすぐそばに隠れた。井上は裏口が見える茂みに隠れると大きく息を吸い込んだ。
いつまでも新堂たちが切り込んでこないことを訝しんだのかミニエー銃を構えた浪士が裏口から顔を出す。まだ、新堂の姿は見えていない。浪士が銃口を左右に揺らしながら辺りを確認していると、先の茂みからわぁと井上が叫んだ。
いきなりの声に浪士は銃を茂みに向ける。その瞬間である。裏口のそばに隠れていた新堂が浪士の間近まで駆け出す。両者の間隔が三尺もないほどに近づくと新堂の剣が光った。鞘から放たれた刃は吸い込まれるように浪士の胸を切り裂いた。即死であった。
「えらいもんだな。北辰一刀流よりそっちが本歌かい?」
「どうにもこっちのほうが性に合うらしいみたいで」
新堂は照れくさそうに笑った。北辰一刀流では目録でも、田宮流となれば皆伝まで達している。そうなのだが、居合はあまり好まれない。乱戦を想定しなければならない時代に一刀必殺という居合は不適なのである。
新選組は堂島中の借家を襲い大阪城を占拠を目論んだ不逞浪人二十三人を捕縛し、七名を惨殺した。元治二年一月二十七日のことである。
勢いで書いてしまった。
歴史は初めて書いたのでこういう形でいいのか。