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■8話■殿下の悩み

 

 本宮の一室で、王弟オルディアクは一仕事を終え、溜め息を吐いた。


「どうなさいました、オルディアク殿下? 何か不備でもございましたか?」


 殿下に処理された書類を部下に手渡したオルディアク付きの官吏が、振り返り声をかけた。

 処理した件に関して気にかかる事でもあったのかと思ったのだろう。


「いや、そうではない。……女の子は、難しいものだな」


 そう呟くオルディアクに官吏は苦笑する。


「ああ、西宮に留め置いている娘のことですね?」

「その後、彼女の様子はどうだ?」


 オルディアクは官吏に問いかけた。

 彼女のことは官吏からほぼ毎日のように状況を聞いているのだが、王宮へ着いてから彼女が馴染もうとする様子はないという。

 彼自身も毎日顔を合わせているが、彼女はいつも身構えた様子で和やかな会話は程遠い。

 最初は慣れないところで緊張しているのだろうと思っていたが、はや五日が経つ。それなのに、彼女の態度は慣れるどころか、ますます頑なになっていくように感じていた。


「変わりないようです。彼女には家を与えて王宮から出せばよろしいのではありませんか? 何も王宮で暮らさせずとも」

「家を与えてどうする。彼女に身内は誰もいないというのに、一人で暮らせというのか? それではここへ呼んだ意味がない。もう一人には、寂しい思いはさせたくはないんだ。そのために王宮へ呼んだのだから」

「しかし、彼女は少しも王宮の生活に馴染もうとしません。近頃は女官達を遠ざけ、近寄らせないようにしているようですし。殿下がご紹介した娘達とも打ち解けようとしない様子。孤立することを望んでいるとしか思えません」

「……そうか」


 オルディアクは官吏との話を切った。

 官吏は最初からマルネリッタを留めておくことに否定的だ。

 言外に彼女は身分の低い者だからという理由を含んでいることは十分にわかっていた。


 十年前に友人の友人に誘われて出かけた先で出会った小さな女の子。それがマルネリッタだった。

 幼くして両親を亡くし祖父と二人で暮らしている遠縁の者として紹介された彼女は物怖じしない女の子で、周囲の空気を読まず平気で話しかけてきた。

 そんな彼女の態度に祖父が真っ青になっていたが、小さな彼女には見えなかったらしい。

 なぜか彼女に気に入られ、自分を慕って纏わりついてきた。

 自分にだけ、抱き上げてと小さな手を伸ばしてくる姿は本当に愛らしく、言うことは何でもきいてやりたいような気にさせられた。

 彼女は毎日押しかけてきては、川へ行こうだの丘へ行こうと誘う。他の者から引き離そうとするのが見え見えで、それが何ともおかしかった。マルネリッタは独り占めしないと気が済まなかったらしい。

 そうして彼女に振り回されるのは面白い体験だった。彼女の誘いは、洞窟探検だの、川で釣り、草原での小動物の狩りなど。子供のすることなので大がかりな物ではなかったが、その地形を利用し、非力な女の子ならではの罠を凝らしていて実に興味深いものばかりだった。

 彼女に他の者達を誘えばもっと収穫できるよと提案すると、とたんに彼女の機嫌は悪くなる。他の人に喋ったら駄目、二人じゃないなら行かない、と言って不貞腐れるのだ。

 その拗ねた顔も可愛くて、時々わざと拗ねさせることもあった。うっかり拗ねさせてしまい泣きそうなるので、慌てて抱き上げて宥める羽目になるのだが。

 その姿を見ては、友人達はよく笑っていた。


 そんな彼女との楽しい時間も一カ月ほどで終わりを迎えることになる。

 その終わる前日の夜。

 滞在している屋敷に彼女が訪ねてきた。暗い夜道を決死の覚悟で歩いてきたのだろう。涙目で震えながら腕の中に飛び込んできた。

 小さな足で、暗い夜道を一人で歩いてきたらしい。彼女の住む館からは相当な距離があり、夜行性の肉食獣に襲われなかったのは運が良かった。

 そんな危険な夜道を、彼女は自分に会うためだけに歩いてきたのだ。とても恐ろしかっただろうに。

 抱き上げた腕の中で、帰らないで一緒にいて欲しいと泣いて訴える彼女を可哀想に思った。だが、帰らないと答えてやることはできなかった。

 今は無理だが大きくなったら必ず自分の元へ招待する、ネリィが望むだけ一緒にいようと約束した。

 可哀想な彼女のために、必ず約束を守ろうと思っていたのだが。


 彼女は、約束を覚えていなかった。

 再会した彼女はあれから成長しなかったのか?と思うほど小柄で、頭でっかちで、可愛らしい姿のままだった。が、あの頃の親しみ籠った笑顔はどこにもなく、再会を喜んでいる様子もない。

 もう十八歳になるのだから男性へ親し気に振る舞う方がおかしいのではあるが、あの笑顔に会えると期待していた分、落胆は大きかった。

 再会を喜んでくれると、もう一人じゃないと安心してくれるかと、思っていたのだ。

 しかし、そうではなかった。

 一緒にいようと約束したこととダックの名は辛うじて覚えているようだったが、顔にも姿にも見覚えもないらしい。彼女は怪訝な顔で、最初は目を合わせようともせず。

 彼女は十年前の事をほとんど覚えていないようだった。彼女は当時慕っていた相手が王族だと知らなかったらしい。そのため、突然、王宮に連れて来られて何事かと驚いていたのだ。

 彼女が戸惑っていることは感じていたが、自分がダックだと知れば軟化すると思った。だが、王族という身分のせいなのか、見覚えのない男が相手だからなのか、彼女の固い態度は変わらなかった。

 再会した時、彼女に妹として滞在するようにと告げたのは、完全にその場の思いつきだ。彼女を王宮へ留めるために理由が必要だとは思いもしなかったので、何も考えていなかったのだ。

 とっさに口から出た事だったが、彼女を妹のような存在とするのは保護する理由には丁度いい思いつきだった。王弟の妹のような存在となれば、彼女や官吏達が気にするような身分が低いことは問題にならないだろう。

 しかしその王宮滞在の申し出を彼女に拒否されたのは酷く傷ついた。

 あんなに懐いてくれていたのに、笑顔の一つも見せてはもらえない。もはや一緒にいようとはかけらも思っておらず、近寄ろうとすることを胡散臭いと思われているようでもある。

 かなり寂しい気持ちではあったが、マルネリッタには王宮へ滞在を承諾させた。強引だったのは否めない。

 だが、いずれわかってくれる、そう思ってのことだ。


 そして、彼女には友達を作らせようとした。自分よりも、彼女に歳の近い同性の友人の方がいいだろうと思ってのことだ。友人ができれば、環境の変化にも慣れるのが早いに違いない。

 優しいと評判の娘達を何人か官吏に選ばせ、王宮へ招待して引き合わせてみた。

 彼女たちなら王都のことも貴族の社交もよく知っており、気軽に相談できる相手となるにはいい相手だ。

 しかし、マルネリッタは招待した娘達の誰とも親しくなろうとしない。歓談の場でも会話に入る様子はない。

 お茶会や展示会に誘われても、いつも断ってばかりだ。彼女を会話の中に入れようとしてもいつも触れてくれるなという態度で、王宮の暮らしに慣れようとする様子もないらしい。

 子供の頃の彼女はもっと明るく積極的だったと思うのだが、今の彼女はいつも一人淡々としている。

 このままでは友達の一人もできず、いつまでも寂しいままだ。

 祖父を亡くしたばかりで、生活も急変し、彼女は戸惑っているのだと思いはするが。まるで慣れようとしない彼女に僅かな苛立ちを感じていた。

 手を差し伸べようとしているのに、なぜその手を払いのけようとするのか、と。

 彼女と話をして、少し前向きに考えるように諭してみよう。

 そう思っていた矢先。


「マルネリッタ・シオンズ嬢から、殿下に直接申し上げたいことがあるので時間が欲しいとの伝言がありました。どうなさいますか?」

「明日の娘達との歓談を中止し、マルネリッタとの時間に充てよう」

「承知いたしました。そのように変更いたします」

「頼む」


 彼女からの申し出は丁度いいタイミングだった。明日、彼女に話してみよう。

 彼女は戸惑っているだけだと思いつつも諭さなければならない現状をオルディアクは残念に思った。


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