■32話■ナファバルアー家にて
翌日、マルネリッタはリリティナの招待を受け、女官メイズと一緒にナファバルアー屋敷へと出発した。
「いい天気で、よろしゅうございましたね」
「本当ね」
女官メイズが言うように、晴天で清々しい。
しかし、その天気とは裏腹に、マルネリッタはもやもやしている。
昨晩のオルディアク殿下とのことだ。
凄く間近で顔を寄せ合い、キスをしたというのに。
あの後、殿下はすぐに「明日はリリティナ嬢の招待を受けるのだろう。早くお休み」と言うと、全て解決したとばかりに部屋を立ち去ってしまったのだ。
夜も更けてしまっているのだから王宮に泊まればいいのに、殿下は慌ただしく王都の自邸へと戻った。
心配をかけてしまって、夜遅くに部屋を訪ねてもらっただけでも十分な迷惑をかけているのはわかっていたけれど。もう少し、いて欲しかったのに。
マルネリッタは複雑な顔で窓の外を眺める。
この街のどこかに殿下の屋敷があって、殿下は自分の知らない生活をしている。
毎日のように殿下に会っているのに、顔を会わせる時間は短くて。それだけでは、すごく不満。
殿下があんな風に部屋を出て行ったのは、家族へのキスだと、恋人へのキスではないと誤解させないためだったのかも、と思う。
殿下の隣に座れる特別は、家族として? それだけ? それ以上には?
「見えてまいりましたよ。あれが、王都のナファバルアー屋敷です」
女官メイズの声にマルネリッタが顔を上げると、窓の外には緑の奥に立つ大きな建物が迫っていた。
このゴチャゴチャと建物が林立する王都の中にあって、その建物の大きさはひときわ目立っている。今までマルネリッタが殿下と出かけた屋敷でもこれほどの規模のものはなかった。
それは国内における地位の高さをあらわしていて、マルネリッタは思わず尻込みしてしまう。今日は、殿下もおらず、マルネリッタ一人なのだ。
ごくりと唾を飲み込むマルネリッタを乗せた馬車は屋敷の門の中へと入っていった。
「ようこそ、マルネリッタ! 今日は天気がいいから庭でおしゃべりしましょう」
馬車が到着すると、玄関まで迎えに出てきてくれたリリティナがさっそく庭へと案内してくれる。
女官メイズとともにマルネリッタは奥へと足を進めた。
「アンスグァルド様が第一王子だって教えてくれてありがとう」
歩きながらにこにこと笑顔で礼をいうリリィナに、マルネリッタはちょっと困ってしまう。
リリティナが別れると言い放った後を第一王子が追いかけていき、あの後どうなったのだろう。
彼女が笑顔だという事は、別れていないということなのか。それとも別れてすっきりしたということなのか。どちらもありそうで、マルネリッタには判断できない。
「ごめんなさい。なんだか、余計な事をいってしまったんじゃないかと」
「よかったのよ、マルネリッタが教えてくれて。何かおかしいとは思っていたのよね。ランスオード卿の別邸を自分のもののように使っているし、催しにはランスオード卿の身内だと名乗って自分の名を出さないし。ランスオード卿も教えてくれなかったんだから共犯だわ」
「でもっ! 殿下は甥のアンスグァルド殿下が可哀想だと思ってらしたの。甥思いのいい方よ。共犯っていう言い方は、酷いわ」
「あら、ごめんなさい。マルネリッタはランスオード卿の恋人だものね。悪く言ってごめんなさい。きっとあの我儘殿下が卿に無理に頼んでいるに違いないわ」
我儘殿下とはアンスグァルド殿下のことなのだろう。苦々しい表情で我儘殿下と口にしているところを見ると、喧嘩したままなのかなと思う。あの後どうしたのか、訊いていいのか悪いのか。でも、はじめて親しくなれそうな女性なのに、ここで気を悪くするような話題は危険なような。
結局、マルネリッタは話題を転換することを選んだ。
「リリティナに訊きたいことがあるのだけれど、いい?」
「なあに?」
「私は、背が低くてアンバランスな体型で、医者には成長不良だから長く生きられない、子供も産めないだろうと言われたの。貴女も、私とよく似た体型をしているわよ、ね?」
「ええっ! 何、それ! いやだわ。私達はこれで立派な成人女性で、ちっとも成長不良なんかじゃないわよ。マルネリッタもたぶん私と同じね。王族の血を引く女性はこういう体型が多いの。本当に、こう背が極端に低いと職業選択の幅が狭くて困るのよね」
「リリティナ……私は、王族の血筋ではないわ」
「調べれば、たぶん血を引いてると思うわよ。身体的特徴がよく似ているもの。王族の血筋には茶髪茶目が多いけど、全員ではないし。マルネリッタも胸とか腰とか身体は女らしく成長しているんだし、どう見ても成人女性でしょ。一般の人には、その区別がつきにくいとは聞くわね。それにしても、その医者、おかしいんじゃないの?」
「そう? そうなのかしら?」
「心配なら、医者に診てもらえば? 王都の医者でその間違いはまずしないと思うから」
「よかった……私、成長不良の病気を治すために医者を探そうと思っていたの」
「うーん、酷い医者にあたったものね。国内では多産の象徴と言われるこの体型を、知らない医者がいるなんて驚きだわ。よく知られている事なのよ」
「そうなの?」
「だから、絶対に跡継ぎが欲しい家からはこの体格の女性に嫁に来ないかコールがひっきりなし。引く手あまただから、王都での未婚者は少ないって話よ。私も王都へ出てきてから知った事だけど」
「そんなことはじめて知ったわ。私の住んでいた街では、成長不良だから結婚適齢期の娘とは見てもらえなかったの」
「王都ではモテるわよ」
「リリティナはもてるかもしれないけど、私は……違うわ」
「ランスオード卿があれだけガードしていれば、普通の男性は近付けないわね。マルネリッタの恋人はいいわねぇ、優しそうで」
「……あの……私、殿下の恋人じゃ、ないの。社交場では殿下に寄ってくる女の人を払うために恋人みたいに隣にいるだけなの」
「ええぇぇぇっ……それ、全然違うと思うわよ?」
「どこが?」
「ランスオード卿はマルネリッタに男性を近づけさせないでしょ。グァルド様にも、威嚇して近寄らせなかったじゃない」
「そんなことは……」
「ランスオード卿に限らないわ。特別な存在には、ほんっとうに嫌になるくらい過保護なのよ、王族の血を引く男性達は。私の父や兄弟達、従兄弟達も大概そうだから」
「アンスグァルド様も? 過保護なの?」
「あれは過保護というより何かが壊れているわ」
リリティナは眉をしかめてアンスグァルド殿下の過保護っぷりを延々と喋りはじめた。
誰かに愚痴りたかったらしい。
馬車に乗る時、降りる時、階段を上がる時、降りる時。いちいち抱き上げようとするので逃げるのが大変で。うっかり躓いたりするとしばらく離してもらえなくなり、走れば転ぶと心配され捕獲されるという。
そんなことを訴えるリリティナの話を聞きながら、マルネリッタは笑うしかない。
完全に子供扱い……二人は恋人だったわよね?
「笑えるでしょう? 何考えてるのかしら、あの我儘殿下! 別れて大正解」
やっぱり恋人として付き合っていて、別れたのか。マルネリッタの表情は笑い半分、戸惑い半分となっていた。
「その点、ランスオード卿は優しそうだから、そんなことないわよね? 羨ましいわ」
マルネリッタはリリティナから王都の知らない情報をいろいろ聞いているうちに、時間はあっという間に過ぎて行った。




