■29話■失われた約束
王宮のオルディアクのもとに女官セリから報告が入った。
マルネリッタは昨日知りあったリリティナ嬢のことをとても気に入ったようで、さっそく手紙を出したらしい。
先方でも、マルネリッタのことを歓迎しており、ぜひお茶しに来ないかとの返事をもらった。その事をマルネリッタはオルディアクに直接話したいのだが、時間の都合がつかないかとの事だった。
女官セリにはリリティナの誘いなら受けてもよいと返し、午後には時間が取れるのでマルネリッタに迎えを送ると伝えた。
甥からマルネリッタにリリティナを社交場に誘いだして欲しいとの手紙が届いている。招待された後にはこちらも招待するのが礼儀だ。その招待についてマルネリッタに提案をしてみよう。
オルディアクは明るくはしゃいだ姿のマルネリッタに会えるのを待ち遠しく思った。
だが。
こうした日々が長くは続かないこともオルディアクにはわかっていた。
マルネリッタは約束を覚えてはいない。全く覚えていないわけではないが、覚えているのはごくわずかだ。一緒にいようと約束した、彼女はそう覚えている。それが、あの頃の彼女には一番重要なことだったのだろう。
王宮で再会した時、彼女が覚えていないことに落胆したが、あの時は、それならそれでいいと思っていた。
十年前、彼女を見守ろうと決めたのは自分だ。それを彼女が知る必要はない。
保護者としての立場の方が、彼女を見守るには都合がよいとさえ考えた。彼女が社交場での作法を身につければ、いずれ社交場で貴族娘のように良い相手と出会って結婚すればいい。その相手が自分であればとは全く考えなかったと言えば嘘になるのだが。本当の妹のように大事にしよう、彼女が寂しい思いをせずに暮らせるなら、それで構わないのだと思っていた。
年頃の彼女が、いつか自分の元を去っていくのを見送る。それができると思っていたことを、今になって後悔している。
昔のように彼女の手が無邪気に伸ばされることはない。だが、向けられる笑顔に、寄りそう手に、その温かい存在に、いつまでも側にあって欲しいと願うようになっていた。昔とは似ているようで、違う想いで。
いつから変わってしまったのか。
泣いている彼女を腕の中に抱きしめた時なのか、眠る彼女を抱き上げた時なのか。それより前のことなのか。それはわからない。
いずれにせよ、以前と同じには戻れないことを自覚した。
彼女を手放さず、ここにずっと留めておくことができないわけではない。
昔の約束の話を彼女に告げれば、あるいは、王弟の立場があれば、彼女にそれを強いることができるだろう。
おそらく、そんなことは、自分にできはしないのだが。
マルネリッタは、おそらくもう約束を思い出すことはない。彼女の人生の半分以上も前のことなのだから。思い出して欲しいとは思うが、思い出したとしてマルネリッタを戸惑わせるくらいなら忘れていた方がいいのだろうとも思う。
思い出さないということは、彼女にとって全てなかったことと同じ意味であり、約束は形を無くす。
それでも自分は、約束を忘れることはなく。彼女との約束を一生守ることになるのだろう。側から離れていったとしても。何度も後悔することになるのだろうとわかっていても。
オルディアクは、今が少しでも長く続くことを願った。
その午後、マルネリッタの部屋にオルディアク殿下からの迎えがやってきた。
「これ、おかしくないわよね?」
「もちろんです。よくお似合いですよ」
「じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ」
本宮の一室でオルディアク殿下がマルネリッタの話を聞いてくれるということで、久々に本宮へと向かうことになった。
お嬢様達を紹介されるときに何度も訪れた部屋で殿下が待っている。
マルネリッタは少しでも自分らしい雰囲気が出るようにと今まではアップにしていた髪を下ろすことにしたのだ。
貴族娘の真似ごとをするのではなく、リリティナのように自分らしくあるように。貴族のお嬢様達の仕草も取り入れつつ、真似ではない偽りではない本当の自分をオルディアク殿下に見てもらいたい。
そう思ったのだ。
髪を垂らした髪型は子供っぽく見えてしまうけれど、十八だからと無理に背伸びした奇異さよりずっといいはず。
自分にはこの方が似合っている。大人の女性は髪を結いあげるのが普通だけれど、そう決まっているわけではない。
女官セリに相談しても、問題はないと言ってもらえた。
あとは……。
殿下はどう思うかな。
マルネリッタはドキドキしながら弾む足取りで部屋の戸口の前に立った。
その室内には殿下だけでなく、お嬢様が一人。フォアリー・ジュークイット嬢だ。殿下だけだと思っていたのに。
マルネリッタのドキドキが急速に冷えていく。
殿下は戸口のマルネリッタに気づいてゆらりと立ちあがった。ついで、お嬢様も後を追い、殿下の前を遮る。
と、お嬢様は殿下の首に腕を巻き付け、顔を寄せた。
マルネリッタの目の前で。
二人はキスをしている。
殿下とお嬢様のキスシーンは、とても美しくマルネリッタの目には映った。
呆然と立ち尽くしていると。
「マルネリッタ」
殿下は首に巻き付いた女性の腕を掴んで引き離し、マルネリッタの名前を呼んだ。
だが。
マルネリッタは目をそらし小さな言葉で呟いた。
「……お邪魔して、申し訳ありません」
「本当に、気の利かない人ね」
「マルネリッタ!」
マルネリッタは逃げ出した。その場から一刻も早く立ち去りたくて。




