■26話■殿下の甥の恋人
回り道をして庭園を抜け、セルテイン屋敷の一室に入ると、身長差のある男女二人が待っていた。
「アンスグァルド、もう来ていたのか。リリティナ・ワルガン嬢、また会えてうれしい」
「叔父上」
「ごきげんよう、ランスオード卿。そちらの方を紹介していただけるのかしら?」
第一王子の恋人という女性は、はっきりと物を言う女性だった。茶色の髪、茶色の瞳。マルネリッタと同じくらいの身長だろうか。くりっと丸い茶瞳がまっすぐにマルネリッタを見つめてきて、驚く。
その表情に蔑みの色は欠片もない。興味津々といった様子でマルネリッタをじろじろと見ている。
そんな彼女を、第一王子は困ったような目で見つめていた。困ったといいながら可愛くてしかたない、そんな様子だ。
これはどこをどう見ても恋人同士。社交場では初めて遭遇する。社交場には他にもこうした恋人達がいるのだろうけれど、殿下の周辺には寄ってこないので見かけることがなかったのだ。
「もちろん。マルネリッタ、こちらは甥のアンスグァルド、と、リリティナ・ワルガン嬢だ」
殿下に紹介されたマルネリッタは、礼儀正しく挨拶をして見せた。まるではじめて社交場に出た時のように緊張して。
「はじめまして。マルネリッタ・シオンズです」
腰を落として第一王子とリリティナ・ワルガン嬢に笑顔を向ける。
「よろしく、マルネリッタ・シオンズ嬢」
第一王子はわずかに頷き返しただけで、礼を返したりはしない。リリティナ・ワルガン嬢へ向ける表情とはずいぶんな差だ。冷たくて高飛車に見える。
これが王子の態度なんだとマルネリッタは緊張に身を引きそうになった。
「はじめまして、マルネリッタ・シオンズ嬢。私の事はリリティナと呼んでくださると嬉しいわ」
そんなマルネリッタを救ったのはリリティナ・ワルガン嬢の明るい声だった。
「ランスオード卿、マルネリッタ・シオンズ嬢と二人でお喋りしてきてもいいかしら? 貴方達二人は目立ち過ぎてとても邪魔だから。ね?」
リリティナは殿下二人を前にきっぱり邪魔だと告げた。まるで王女様のような振舞いに思える。彼女は親族だからこんな態度がとれるのだろう。
彼女の隣に立つ第一王子は渋い顔で彼女を見下ろした。
「ここで喋ればいいだろう?」
不服そうなアンスグァルド殿下の声にリリティナは全く反応しない。リリティナは平然とアンスグァルド殿下を無視して、オルディアク殿下に返事を催促するかのような視線を送っていた。
オルディアク殿下も苦笑を浮かべ、アンスグァルド殿下の顔を確認してからリリティナへ返事を返した。
「構わないよ、リリティナ・ワルガン嬢」
「あまり遠くに行くなよ、リリ」
「気をつけるわ。迷子にならないようにね。さ、行きましょ」
リリティナは後ろ手にアンスグァルド殿下へ合図を送ると、マルネリッタの腕をとり廊下へと向かう。マルネリッタはおろおろとオルディアク殿下の顔を見ると、行っておいで、と告げているようだったので、リリティナとともに部屋を出た。
「マルネリッタ・シオンズ嬢に一度会ってみたかったのよ。ランスオード卿が大事にしていると聞いていたの。会えてうれしいわ」
「マルネリッタでいいです。私は貴族ではありませんので」
「知っているわ。私も庶民だから、気軽に話しましょ? 私は、今は、血縁のナファバルアー家のお世話になっているのだけれど、実家は南のフォーレ地方で果実栽培をしているの。ただの農園の娘だから丁寧な言葉は必要ないわ」
「でも茶髪だから王族の血を引いているのでしょう? 農園の娘といっても……」
「あら、王族の血族は子沢山だもの。四人も五人も子供がいて貴族位を継げるのは一人だから、王族の血を引く者は貴族より庶民の方が多くなるわ。うちは、血を引いているといっても王族や貴族家からはとても遠いのよ」
「そう、なの?」
「ええ」
茶髪の人はみんな貴族や王族だとばかり思っていたので、マルネリッタには驚きの事実だった。
そして農園の娘であるリリティナが、殿下二人の前であの態度。驚くどころではない。ただの農園の娘ではないのでは? そうでなければ、あんな態度を殿下達に……。
「まぁ、そんなところで何をしているのかしら、おチビさん達。邪魔ね。ランスオード卿は何処にいらっしゃるの?」
驚いているマルネリッタに、横から冷たい声がかけられた。
セルテイン屋敷に招かれた客の女性らしいと視線を向けると、廊下を歩いてくるのはアミリアナ・キャルフイル嬢だった。その顔には見下した笑みを浮かべている。
こんなところで遭遇するなんて、とマルネリッタは表情を曇らせる。
「マルネリッタ、知っている人?」
リリティナは眉をよせ気に入らないという態度をあからさまに出してゆっくりと腕を組んだ。そして美女を斜めに見上げる。
マルネリッタに話しかけているけれど、態度はアミリアナ・キャルフイル嬢に見せるためにわざとして見せていた。
リリティナのその姿は様になっているけど、美女はせせら笑いながら上から見下ろしてくる。
そんな二人の睨みあいの横で、マルネリッタはリリティナに小声で返した。
「彼女はアミリアナ・キャルフイル嬢です。知ってはいますが」
「アミリアナ・キャルフイル?」
リリティナは怪訝そうな表情を浮かべて頭を傾げた。
しかし、驚いたせいだとはいえ、リリティナは貴族の娘を呼び捨てにしていた。それは社交場ではとても無礼なことのはずで。
マルネリッタは背筋が冷やりとする。
頭を捻るリリティナを、険しい形相で美女が見下ろしていた。
だが、リリティナはマルネリッタの様子にも美女の険悪な顔にも気づかないまま、一向に態度を改めない。
「なんて失礼なっ。よくも私の名を呼び捨てにしたわね! 名乗りなさいっ。貴女の家ごと後悔させてあげるわ」
憤った声で美女はリリティナに迫った。顎を上げ、リリティナを睨み降ろす。
ひやひやしながらマルネリッタが横を見ると、リリティナは顔に薄ら笑いを浮かべており、美女の剣幕などちっとも気にならないようだった。
リリティナは、なぜこんな態度でいられるのだろう。
貴族の女性を怒らせるなんて、それどころか、わざと煽っているとしか思えない態度で。
王族の血を引くから? 庶民ではないのでは? 本当にただの農園の娘なの?
マルネリッタはおろおろしながら睨み合う二人を見ているしかなかった。
「あぁら、ごめんなさい。呼び捨てにしたわけではなかったのよ。聞きおぼえがある名だと思って。ほら、覚えていないかしら? 私、貴女とはニューロース屋敷で会ったことがあるのよ」
「覚えてないわね……ニューロース屋敷?」
「貴女がランスオード卿に結婚を迫ろうとして全く別の男性に迫っていたでしょ。あの場で、貴女が男性を陥れようと謀ったことだと証言してあげたのが、わ・た・し」
「あの、時の……」
「私はリリティナ・ワルガンよ。紹介が遅れたわね。ランスオード卿とは別人と間違った結婚をせずにすんで、よかったでしょ、アミリアナ・キャルフイル嬢?」




