■22話■焦り
毎日熱心な練習を繰り返すことでマルネリッタのダンスも動きも格段に上達してきた。
が、はじめよりは上がっているというだけで、まだまだ優雅には程遠い。
一度、殿下が練習に付き合ってくれたけれど、殿下は先生としては駄目駄目だった。
殿下は可愛いねと言ってとても満足そうに踊ってくれるのだが。ダンスの教師がおかしなところを指摘しようとすると、殿下が先生をチラッと見る。それだけで、教師は口をつぐんでしまうのだ。
しかも殿下には先生の言葉を遮っていると言う自覚はない。
殿下は視線を投げるだけで、教師が勝手に殿下の気を悪くさせてはいけないと判断して言葉を途切らせてしまうのだ。それは、殿下の意図したことではないのだろうけれど。
殿下がいる間、教師は褒める褒める。教師の口から出るのは気持ち悪いくらいに褒め言葉ばかりだった。
そして、殿下は殿下で、上手だ、可愛い、よくできた、としか言ってくれない。ので、向上するどころではない。
「すごく上手じゃないか。もうどこで踊っても大丈夫だ」
「殿下みたいに綺麗に踊れるようになりたいんですっ。ひょこひょこ踊るのではなくてっ!」
「可愛いのだから、いいじゃないか」
「駄目ですっ。全然だめですっ。殿下は、どうしたら殿下みたいに綺麗に踊れるようになると思いますか?」
「笑顔で上を向いて踊ってくれると、可愛いと思うよ」
これでは駄目だ!とマルネリッタが思っても当然だろう。
むうっと口をとがらせていると殿下がとても柔らかく微笑むものだから、マルネリッタもいつまでも膨れてはいられなかった。
そうして何だかんだと文句はあったけれど。
殿下との練習はとても楽しい。全く上達は見込めないのだけれど、時間があったらまた一緒に踊って欲しいと殿下に頼むくらいには、とても楽しい時間だった。
さすがに殿下もそうまとまった時間があるわけではないようで、次の機会はまだない。
次までには、うんと上達しておきたい。ダンスだけでなく仕草も。
しかし、マルネリッタは自分の体型を考えても殿下と同じような優雅さを求めても無理という結論に達した。殿下が言うように可愛いさにかけるしかないと自分なりの到着地点を模索しはじめていた。
「軽やかにというのがお似合いですね」
「そうですね、コミカルな感じが明るくてよろしいかと思います。大げさに動くのはちょっと……」
マルネリッタは部屋の女官達に挨拶の型や腕の動きなどを見てもらいながら感想を聞いた。
コミカル路線……微妙だなと思う。
「ありがとう、じゃあ、こっちの線で動きを完成させていくわ」
「そこまで拘らなくても、自然な動きでよろしいのではありませんか?」
自然な動きになると、王宮や社交場では粗雑な娘になるので女官セリの呟きには無言で返す。
マルネリッタは椅子に座るだけでもぼふっと乱暴に腰を下ろさないよう気を使い、立つ時もテーブルに足が当たっても平気!みたいな騒々しい動きにならないよう一呼吸置く。これでも些細な仕草に気を使っているのだ。女官達の振舞いを参考にして。
部屋にいるだけで自然な動きなどマルネリッタには無理なこと。意識せずにそんな風に動けたりはしない。
家では雑な動作で暮らしていたのだと思う。祖父は丁寧な立ち居振る舞いだったけれど、自分はそうした振舞いを教えられることも要求されることもなかった。家を継がないことはわかっていたため、普通の娘として暮らしていくには不要なことだったのだ。
そんな世界の違いに、時々、疲れたなと感じる。
そして王宮の暮らしに合わせようと振る舞う自分が、ひどく滑稽に思える時がある。ふと我に返るような感覚が自分を襲うのだ。
偽りの自分を作って、何をしてるのかと。気取ったって、所詮庶民なのに。
マルネリッタは胸の奥にあるモヤモヤしたものを振り払うように立ち上がった。
「今夜もオルディアク殿下のお供なのよね? どちらのお屋敷なの?」
「はい。本日はソルテーユ卿のお屋敷とうかがっております。貴族の家柄としては古く……」
女官セリは今夜の訪問先について教えてくれる。殿下達の会話に入ることはないだろうけど、ただ横に立っているだけでは駄目。ちゃんと話を聞いているかいないかは見ればわかってしまうのだから。
マルネリッタはソルテーユ卿夫妻や招待されているだろう人についてセリの説明に耳を傾けた。
どこか焦るように。
そして、夜。
ソルテーユ屋敷には、大勢の若い娘がいた。この前のバースター卿の屋敷とは比較にならないほど大勢の娘達が。大半が独身娘ではないだろうか。
広間に入るなり一斉に向けられた視線は、皆、ピタリと殿下に狙いを定めてくる。
「マルネリッタ……今夜は絶対、離れないでくれよ」
殿下の声が強張っていた。どうやら殿下から見ても娘の数が多いらしい。
「はい。任せてください」
殿下の腕に置いた手に力を入れ、この手は離しませんから、と向けられた視線に立ち向かう。
周囲の人々からは、殿下には熱い視線、マルネリッタには突き刺さるほど尖って冷たい視線が向けられた。どちらも集中していることに変わりなく。
マルネリッタとしては、気が抜けない夜になりそうだった。
ソルテーユ卿夫妻は、バースター夫人のように殿下をダンスに誘ったりしなかった。定型の挨拶を済ませると、待っていたかのようにマルネリッタ達を人々が取り囲む。
「お久しぶりでございます、ランスオード卿。アミリアナ・キャルフイルですわ。長くお会いできなくて、ずいぶん淋しい思いをしておりましたのよ? 今夜は慰めてくださいますよね?」
真っ先に殿下へ声をかけてきたのは、すばらしく美しい女性だった。
意味ありげな微笑みを浮かべて殿下に寄り添おうとし、他の娘達とは違うのだと見せつけるように振舞っている。
居並ぶ娘達の中では断トツで妖艶だ。すっと差し出す腕の動き、軽くまげられた指の先まで色気が滲んでいる。その美女ぶりは半端ない。
マルネリッタは気圧されながらも殿下の横にピタリと寄り添い、女性へ厳しい目を向けた。殿下の隣は絶対に譲らないから。
が、背の低いマルネリッタでは女性を見上げなければならず、彼女の視線は自分の上を素通りして殿下を見つめていた。
悔しい。視界に入らないなんて。
靴で高さを稼いだほうがいいかも、とマルネリッタは次回への対策を頭の中に描く。
「アミリアナ・キャルフイル嬢、失礼だが、どこかでお会いしただろうか? 僕には覚えがないのだが」
「一カ月前にここでお会いしたではありませんか?」
「ここへはここ数カ月来ていない。キャルフイル嬢は、どなたかとお間違えのようだ」
「そんな……嘘を、なぜ……」
「ソルテーユ卿夫妻に訊いてみればいい」
さっきまで女性に羨む目を向けていた周囲は、殿下の否定発言に、すぐ嘲りの目に切り替えた。そのあからさまな態度の変容にマルネリッタはいたたまれない。
チラリと殿下を見上げると、憮然した表情で女性を見返していた。
殿下の前で息を飲む女性が気の毒とは思ったが、殿下がはっきり告げなければ周囲は誤解してしまう。それはそれで混乱の元となる。
そうわかっても、息苦しい。
そんな陰鬱な空気の中に、明るい声が入り込んできた。
「この前、王宮へ招待してくださってありがとうございました。とても楽しい時間でしたわ、ランスオード卿」
殿下に声をかけたのは、以前王宮で歓談していた貴族娘の一人、ユリーシア・アルポッツ嬢だった。彼女はぐいぐいと前に出てきて、それと同時に周囲の人垣はアルミリア・キャルフイル嬢を押し流していく。
明るい口調で殿下に話しかけるお嬢様。他の娘も話に加わり、いつの間にか殿下を中心に和やかな談笑の場が作られていた。
殿下は問われた時だけ短く返すだけ。王宮のお喋りの時と変わりない。
マルネリッタはその様子を見ながら、殿下は楽しいのだろうかと思った。穏やかな表情ではあるけれど、まったくわからない。
「オルディアク殿下」
マルネリッタは殿下の腕を揺らして呼びかけた。
殿下が視線を落とす。一瞬、殿下は嬉しそうな表情だったような気がした。
マルネリッタに視線を向けたのは殿下だけでなく、周辺女性からは威嚇するような視線を向けられる。楽しいお喋りを邪魔したのだから、当然だ。
「何、マルネリッタ?」
「踊りませんか、殿下? 音楽がはじまっています」
「そうだね。では、皆、失礼するよ」
殿下は周囲の女性達に告げると、マルネリッタの手を引いて踊る人波に紛れた。




