■2話■王弟殿下
「マリネッタ・シオンズ嬢、間もなく王弟殿下、ランスオード卿がいらっしゃいますので、しばらくお待ちください」
そう言ってここまで案内してくれた女官は立ち去った。
マルネリッタは部屋にぽつんと一人残され、ぼんやりと辺りを見回す。
目に映る壁、柱、暖炉、椅子等など、全てが一級品であり、みな惚れ惚れするほど美しい。
部屋中に圧倒されてしまう。
それもそのはず、ここは王宮の中の一室なのだ。
部屋の中央にはテーブルと椅子が置かれていて、普通の家ならここは居間にあたるのだろうけれど、居間という言葉にはそぐわない気がする。
なぜならこの部屋へ来る途中、このような部屋は山ほど並んでいたからだ。
この部屋が王宮のどのあたりになるのか、この部屋が何なのかはマルネリッタにわからない。
この部屋に到着するまでマルネリッタは延々と歩かされた。
王宮は広くて、本当にとても広かった。
王宮内はどこもかしこも美しく、キョロキョロと見回すのに忙しかった。
廊下や回廊、部屋、騎士や揃いの服を着た官吏や女官達など。目に映る全てのものが物珍しく、あちらこちらに気をとられてしまい、自分がどこをどう歩いたのか覚えてはいない。
豪奢な建物の中を案内役の女官に言われるままに歩き、今に至る。
そして、もうすぐ王弟殿下が来る。
ここにきてようやくマルネリッタは自分を呼んだのがその王弟殿下だと知った。
使いの騎士達が言っていたやんごとなきお方とは王族の人という意味だったのだろう。それならそうとはっきり言えばいいのに、身分の高い人達は回りくどいのを好むので困る。
しかし、彼ら自身、大した情報は持ってなかったのかもしれない。マルネリッタを自分達と同等の部屋に泊めることや、彼女のために馬車内での食事を用意することに不満そうだったのだから。
彼らの態度は別として、マルネリッタはその自身の身分よりはるかに丁重に扱われていた。だから、わざわざ処罰を与えるために呼んだとは思えない。
領地に関する不備等の問題であれば、官吏が対応するのが普通だろう。そんな瑣末なことに王弟が関わる必要はないのではないだろうか。
だとしたら、一体、どんな理由なら王弟が片田舎の小領主の孫娘をわざわざ呼び寄せる必要があるというのだろう。
王弟を待つ間、マルネリッタは自分が呼ばれた理由を考えていた。
彼女の容姿が特別美しいとか、芸に秀でているとかいう評判でもあればよかったのだが。
残念ながらマルネリッタは十八歳にしては背の低い発育不良の小娘でしかない。
顔は悪くないと自分では思っていても、他人からそう言われることはなく。
つまり、その程度だ。
アンバランスな体型をカバーできるほど美しかったりはしない。
男性にモテるかと聞かれれば、否だ。そんなだから、王弟がどこかで彼女を見染めたなんて話は、ない。それが、一番お伽話的なのだが。
領地返還した祖父の家族へ特別恩賞が追加で与えられるとか。
もしや成長が止まってしまった娘に救いの手を差し伸べるプロジェクトが進んでいて、招かれたのでは。
などと自分に都合のよい理由にまで彼女の思考が行きついたころ。
ギィッと静かな室内に軋む音が響いた。
マルネリッタが音の方向へ目を向けると、豪華で重そうな扉がゆっくりと開き、王弟殿下と思われる男性が数人の騎士を従え、姿を現す。
中央に立つ王弟殿下は美しい金刺繍の濃赤の衣装に身を包んだスラリとした優美な姿の男性で、茶色い髪にくっきりした目や眉が目を引く。綺麗な顔立ちの男性だ。
特に目を引く茶色の髪は、この国の王族の血を引く証。
マルネリッタはしばし珍しいその髪色に見入った。
コツコツと一直線に自分に向かって近付いてくる足音に、マルネリッタは慌てて視線を下げ、腰を落す。どこからも叱責は飛んで来ないので、とりあえず間にあったらしい。
王弟殿下は優雅な動きで部屋の中央奥に置かれた椅子に座ると、騎士達に手で合図を送る。手の一振りで、騎士達は後方へと距離を置く。
マルネリッタの会った騎士達とは違い、彼らは本物だった。彼女が少しでも不審な行動をすれば、たちまち彼らが動く。
そんな雰囲気を漂わせている。
だが、そうして騎士達の視線は彼女に向けられていても、存在はとても静かだった。まるで王弟殿下と二人っきりでいるように思えるほど。
高貴な男性と二人……。
さすがのマルネリッタにも緊張がおそっていた。王族との直接対面なのだ。
それだけでなく、ちょっと年齢は上で立派すぎるけれど綺麗な男性を前にして、年頃の娘として当然の照れという緊張も加わっていた。
そんな緊張まっただ中のマルネリッタの頭には、殿下の視線が突き刺さる。殿下の視線は不躾なほど強くて遠慮がない。
殿下はじろじろと顔を見ているようだ。
不審なので探ろうというのではなく、ただただ見ている。見られている。
どうしたらいいのだろうと思いつつマルネリッタは姿勢をそのまま固定し、殿下の行動を待った。
「マルネリッタ」
自分の名を呼ばれ、ぴくっとスカートをつまむ指先が揺れる。
いよいよ。
マルネリッタは息を吸いこんだ。
「はい、殿下」
マルネリッタの喉から滑らかに声が出た。身体は緊張で固くなっていて音量は控え目だが、発音に問題はない。
柔軟に適応できていると冷静に自分を判断するマルネリッタに、殿下は言葉を続ける。
「何故ここに呼ばれたのか、わからないそうだな?」
問いかける口調は静かだった。それは穏やかというより、沈んだ暗さを感じさせた。
先の雲行きは怪しそうで、マルネリッタの頭に不安がよぎる。
慎重にマルネリッタは頷いた。
「はい」
「マルネリッタは、約束を……覚えていないのか?」
約束? 覚えて?
殿下は一体何の話をしているんだろう。
マルネリッタは緊張のあまり一瞬頭が真っ白になった。柔軟に適応できていると油断したのか、今まで蓄積されていた緊張が限界に達したのか。
マルネリッタの目には床にある綺麗な殿下の靴先が映っていた。