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■18話■けんか

 

 西宮の庭園を訪れた夕刻、殿下に夕食を一緒にと誘われたが、マルネリッタはまた断ってもらった。

 女官セリ達のいる場所なのだから、一緒に食事をしても殿下が嗤うような事態にはならないと思いはするが。

 西宮で女官達に会ったことが、マルネリッタに影を落としていた。


「マルネリッタ」


 食事の後、殿下がマルネリッタを訪ねてきた。

 殿下のやや曇った表情に昼間の事だろうと察し、マルネリッタは大人しくソファへ案内した。

 さりげなさを装い殿下から離れ、隣ではなく向かいの席へと腰を下ろす。


「向かいあって座るのは、はじめてだな。どうして?」


 殿下が静かな口調で尋ねてきた。その声は静かだけれど、不機嫌さが滲んでいるように聞こえる。

 座る位置の違いは些細なことのように思っていたが、殿下にはかなり気に入らない事だったらしい。

 殿下の目が明らかに怒りを含んでいた。木に登った時に心配して怒った様子とは、違う。

 マルネリッタは殿下から視線を外した。苛々しているマルネリッタは、殿下の態度に一層反発してしまう。


「普通は、こう座るものなのでしょう?」


 貴族の娘達と歓談していた時は、こうして座っていたはず。それのどこがいけないの。

 そんな気持ちで、投げやりに返した。


「僕とマルネリッタは隣に座るのが普通だった。昨日までは。突然、僕を避ける理由が知りたい」


 決めつけられた事でカッとなり、避けているわけではないと言いそうになったマルネリッタだったけれど。

 口を噛みしめ、テーブルの上に視線を落した。

 何か理由をつけて、殿下から離れたいと思ったのは間違いないからだ。

 避けようとしているのを言い当てられたきまずさと、追い込もうとしているかのような殿下に対する反発もあり。マルネリッタは黙り込んだ。

 重苦しい沈黙が流れた。


「マルネリッタ」

「ご用件は何でしょう、殿下? 何の用もなくいらっしゃったわけではないのでしょう?」


 マルネリッタは視線を落したまま、殿下に問いかけた。早く帰れと態度にも声にも出して訴える。

 自分でも馬鹿な事をしていると思うが、マルネリッタは止めるつもりはなかった。

 昼間の事なんて思い出したくないし、考えたくもないのに。殿下はそのことについて話そうとしている。

 女官達を思い出せば腹が立ち、殿下にも苛立つ。こんな状況にいなければならないことに、苛立ちは増すばかりで息苦しい。

 隣に座るのを避けたくらいで怒る殿下のことも、だいたい貴方がいけないのだとぶつけてしまいたくなる。そんな事は、したくないのに。

 だから、早く出て行って欲しい。どんな風に思われようが構わない。放っておいて欲しい。


「マルネリッタ」

「何でしょうか?」

「すまなかった」

「何が、ですか?」

「西宮の女官達の事だ。セリや騎士達から報告を受けた」

「そうですか」

「……マルネリッタは、どうして僕を避けようとしている?」

「隣に座りたくなかったからです」

「顔も見たくないし、話もしたくない、と?」

「……ええ、今は」

「なぜ?」

「……」

「昨日までは、こんな風に避けてはいなかっただろう? いきなりそうするには、理由があるはずだ。違うか?」

「いきなりでは……そうしたく、なったのです。たまたま、今日から」

「マルネリッタ、言いたい事があるなら言って欲しい。黙っていてはわからない」

「……言いたくないです。言ったってわかってもらえないのに、言ってどうなるんですか」

「マルネリッタ……わかるように努力する」

「嫌です」

「マルネリッタ」


 マルネリッタは短くキツイ口調で答えているのに、殿下は辛抱強く待っている。

 腹立たしさは募るばかりで、マルネリッタはとうとう口を開いた。


「じゃあ、言いますけどっ。どうして私は王宮で暮らさないといけないんですか? 身分が違うって言いました! だから女官達だってあんなことをするんです。世間ではあれが普通なんですっ。何度言っても、殿下はちっとも聞いてくれないじゃないですかっ」

「……マルネリッタ……」

「王宮で暮らせる身分じゃないのにっ、約束なんて忘れてって言ったのにっ! 殿下が私を王宮に暮らさせるからこんなことになるのにっ。どうしてっ!」

「……」

「私は王宮では暮らせないって言ったわ。暮らしたくないって言ったっ。殿下が私を王宮で暮らさせるから女官達は私に意地悪するし、嗤うしっ。身分が違うのよ。私はここで暮らせるような身分じゃない。私がここにいなければこんなことにはならなかったのにっ。それなのに殿下がっ。殿下のせいなのにっ、全部、殿下のせいなのにっ!」

「ごめん。ごめんよ、マルネリッタ」

「大嫌いよ、殿下なんかっ! 私の言葉なんか聞いてるふりしてるだけで、ちっとも聞いてくれないんじゃないっ」

「ごめん」


 マルネリッタは大声を張り上げて泣き叫んだ。もう思いつくまま喚き散らす。

 殿下が悪い、殿下がいけないんだ、全部殿下のせいなのだ、と。

 興奮したマルネリッタは、もうどうなってもいい、そんな気分で喚いた。

 

「殿下なんか、殿下なんかっ」

「ごめん、ごめんよ」


 大声で喚いた後、泣きながら愚図りながら悪態をつくマルネリッタだったが。

 いつの間にか殿下に抱きかかえられるようにしてソファに座っていた。

 殿下はマルネリッタの身体を抱え、背中を撫で、ごめんよと言っては頭にキスを落してくる。

 マルネリッタは鼻をすすりながら、目の前の温かい胸に頬をすりつけて。バンバンと殿下を手で叩いていて。

 だんだん昂ぶっていた気分が落ちついてくると、あれ?、と思うようになった。

 どうして、こんな状況?

 自分が喚いたからなのだけれども。

 あれ? 

 殿下、何してるの?

 自分は何をしているのだろう。


「落ちついたかい?」


 殿下の問いかけに、マルネリッタはコクンと頷いた。彼女の頬を殿下の手がすべり、涙を拭う。


「ごめんよ、マルネリッタ。ずいぶん、我慢させていたんだな」


 マルネリッタはそうだとも違うとも答えられず、無言のまま。だが、それを気にした様子もなく、殿下は言葉を続けた。


「王宮で暮らさせるのは、マルネリッタを一人にしないためだ。家も家族もないマルネリッタを、一人にはできない。昔、約束したからというのもあるが、心配なんだ。僕の手の届くところで、暮らしてくれないか?」


 これまでの殿下の答えとあまり変わりはなかったけれど。マルネリッタの耳に届くその響きは大きく異なっていた。

 

「身分が違うのに」

「僕の考慮が足りなかった。マルネリッタに意地悪するような人がいたら言ってくれ。すぐ首にする」

「そんな、王弟の地位をふりかざすの? 酷いわ」

「可愛いマルネリッタを虐めるやつを懲らしめられるなら、地位は存分に使うよ。僕は聖人じゃない」

「……いいの、かな?」

「何が?」

「私、王宮にいても、いいの? 本当にいいの?」

「ごめん。一人で知らないところで、不安だったんだな。ごめん、気付かなくて」

「不安だったわ。誰も相手をしてくれないんだもの。殿下も、素っ気ないし。相手にしてもらえない感じだった。私のこと、言葉のわからない子供みたいに扱って」

「……そんなつもりはなかった……マルネリッタは女の子だから、その、距離がよくわからなくて……戸惑っていた」

「私、十八だから大人よ。普通に接してくれればいいのに」

「大人でも子供でも……女の子には違いない。その普通にというのがわかれば、苦労はしないよ」

「本当に困ってるのね」

「僕が男兄弟ばかりだから、だろう」

「いいわ。殿下の手の届くところで暮らしてあげる。でも、嫌なことは嫌だと言うから、ちゃんと聞いてください」

「わかった、気をつける」

「それなら……次は食事を一緒にとってもいいわ」

「一度も食事に同席させてくれなかったのは、何か理由があるのかい?」

「私の食べ方、おかしいみたいだから……殿下に笑われたくなかっただけ」

「あの女官達か……くそっ××××××」


 マルネリッタは頭をギュッと大きな手に掴まれて殿下の悪態を耳にしてふっと笑ってしまった。


「何?」

「殿下でも、そんな言葉、使うんだと思って」

「女性の前で口にすることじゃなかったな。ごめん。まあ、汚い言葉を吐くこともあるさ。で、マルネリッタ。一緒に食事するのを許してくれるなら、隣にも座ってくれるだろうね?」

「はい。ごめんなさい、嫌いなんて言って。殿下が悪いんだと思いつめちゃってて。だから、本当に、ごめんなさい」

「これからは、できるだけ言葉にしてくれると嬉しい。伝わってないと思えば、叩いても殴ってもいいから」

「そんなこと……しないわ」


 マルネリッタの声は小さい。喚く自分を殿下が捕まえようとしたので、腕を振り回して暴れ逃れようとしていた。殿下を拳で打っていたし、乱暴に手を振り回して叩いていたのを覚えている。

 我ながら子供みたいなことをしてしまったと肩を縮める。


「ごめんなさい、叩いたりして。……痛かった?」

「痛くはないよ。ただ、マルネリッタがあまりに可愛いすぎて、死にそうにはなっていたな」

「何、それ?」


 殿下が笑ってくれる、それはあの女官達の浮かべるものとは全く異なるもの。

 マルネリッタは胸のつっかえがとれたようだった。好き放題泣いて喚いたからだろう。

 こんな風に喚いたのは、子供のころ以来だ。

 殿下の前で自分の醜態を晒してしまったことは恥ずかしいけれど、すっきりした。

 きっと明日からの生活は変わる。そんな気がした。

 

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