■16話■新しい暮らし
マルネリッタは女官セリの説明をうけ、ようやく自分の与えられた部屋が何処にあるのかを把握した。地理的にではなく、意味的に。
前に滞在していた部屋は、西宮という王宮への来客者を泊める場所の一角にあったらしい。他国王族が宿泊することもある重要な場所だ。
マルネリッタがどんな待遇だったのかを女官セリも知っているようで、西宮について語る時、言葉の端に僅かに不満を滲ませる。
そんなセリにマルネリッタは何となく、ごめんなさい、とお尻の下がもぞもぞするような心地の悪さを感じてしまう。女官テアナ達が悪いとは思うのだが。
そわそわ落ち着かない気分でセリの話を聞いていると、徐々に指が震えてきて拳を握りしめていた。
今マルネリッタがいるのは、王宮でも奥の方にあたる中宮と呼ばれる場所。中宮は王族専用の宿泊場所で、ここに前国王夫妻や王弟殿下達が個別の居住棟を持っている。王宮へ泊る時の場所として。
ちなみに国王夫妻は奥宮という場所に住んでいるため、遭遇することは、ほぼないらしい。
そんな王族専用の中宮にあるオルディアク殿下用居住棟の中に、マルネリッタの部屋があるという。
マルネリッタは頭がクラクラする。
王族専用の場所にいるのだ。今。
そして、女官セリは地位が低いのではない。高いのだ、とても。王族を担当するくらいに。
ここは王族専用空間で。王宮の中でも厳重に警備された場所であり、一般人がうっかり紛れこんでいい場所ではない。
国王夫妻に遭遇することはほぼない場所。
ほぼ? 可能性があるというだけで恐ろしい。
それに、ここでは前国王夫妻に遭遇する可能性があるのだ。他の王弟殿下にも。
こんな場所に、暮らす?
ここなら安心して暮らせると殿下は言っていた。が、安心の意味に、ズレを感じる。
殿下は、本気で、妹のように扱おうとしていて……。だとしても、これは、やりすぎでは?
マルネリッタは混乱のあまり息を大きく吸い込み、唾を飲み込んだ。
殿下は勝手に連れてきたことを謝っていたけれど、あの時もっと追及しておけばよかった。どうして深く考えもせずに、ここで暮らすことに同意してしまったのか。
殿下には、王宮で暮らすにはマルネリッタの身分が低いということが、まだわかっていないのではないのか?
それが理由で女官達の態度が悪かったのだと知っているはずなのに。王宮で王族に交じって庶民が暮らすなんて、どう考えてもおかしすぎるのに。
「セリ、私は王族でも貴族でもないの。王族のお住まいの中に身分の低い私が暮らすことはできないわ。殿下が、オルディアク殿下が困るはずよ」
「オルディアク殿下が困るなどということはありませんので、ご安心ください」
「どうして? ここは王族専用なのでしょう? 私のようなものがウロウロしていい場所ではないわ」
「マルネリッタ様はオルディアク殿下の特別な女性ですので何の問題もございません。もちろん、殿下方は、未婚の女性とオルディアク殿下が一緒に住むのは好ましくないと思っておられるでしょうから、オルディアク殿下がこちらへお泊りになることはないでしょう」
「え? 私のせいで殿下はここに泊まれなくなってしまうの? それなら」
「ご心配なさる必要はございません。マルネリッタ様にはここにお住まいになる資格が十分ございます。安心して健やかにお暮らしください。精一杯、お世話させていただきます」
女官セリはマルネリッタの心配をことごとく否定し、マルネリッタがここに暮らすことは何の問題もないと丁寧に説いた。
マルネリッタはそうなのかと頷いたけれど。何となく上手く丸めこまれた感がしないではない。その点は、殿下よりも遥かにツワモノだった。
結局、殿下にここで暮らしてみると承諾したのだからと、マルネリッタは開き直ることにした。
そうして中宮での生活が始まった。
「マルネリッタ様。こちらのドレスは布が柔らかく膨らみやすいので裾さばきは楽かと思いますが、座る時に膨らませないようご注意ください」
「ええ、気をつけるわ」
中宮へ移ってから、マルネリッタは女官達から様々な事を細かく教えもらっていた。
上品な言葉の返し方や、礼をする時の姿勢、歩き方、座り方など。気付いたことは何でも丁寧に教えてくれる。
そうしたゆったりした時間を過ごして一日が過ぎて行く。
以前のようにオルディアク殿下に本宮へ呼ばれ、貴族の娘達との歓談に加わることはない。それはマルネリッタにとってはとても助かることだった。貴族娘達の中に入るのは、居場所がなくて疲れる。
そんなのんびりした一日でマルネリッタが緊張するのは、オルディアク殿下が部屋を訪れる時だ。
殿下は、日に一度は必ず部屋に顔を出した。
訪れの時間は不規則で、ほんの短い時間だけだったが。不自由はないかとか、食事はとれているか、よく眠れているかなどと尋ねる。
殿下の問いにマルネリッタが答えるだけで、あまり会話が弾むということはない。けれど、気にかけてもらえるとわかるので、会いに来てくれるのは嬉しかった。
だが、マルネリッタには自分の立場がまだ全然わからなくて、まだ歯痒い気持ちのままだった。
そうしたある日。
「マルネリッタ、僕に話があるそうだね? 何?」
「オルディアク殿下。申し訳ありません、お呼び立てしてしまって。そんなに重要なことではないのです」
昨晩、マルネリッタは毎日がのんびりすぎるので何かしたいと女官セリに愚痴をこぼしていた。
それを殿下が聞いて、マルネリッタを訪ねてくれたらしい。
いつもの立ち話のような短い時間ではないらしく、ソファへ向かって歩くと並んで腰を下ろした。
「構わない。何があった?」
「あの……私にも、何かできることはありませんか? 殿下はお忙しいのに、私は毎日遊んでばかりです。だから、何かお手伝いできることないかと」
「マルネリッタが楽しく過ごしてくれるのが僕の望みだ。遊んでばかりというが、ちっとも遊んでいるようには見えない。もう少し、何か楽しいことをしてはどうかな? 絵を描くとか、楽器を習うとか。何か楽器を取り寄せてみようか」
「いいえっ。そんなものは必要ありません! 働かずぼんやり過ごしているのですから、遊んでいるのと同じです。殿下に心当たりがなければ、仕事を探そうと思います。王都の仕事斡旋所に行きたいのですが、いいですか?」
「仕事斡旋所? マルネリッタが仕事をするのか? 駄目だ! そんな事はさせられない」
「何故ですか? セリだって、みんな働いています。私は小さいので女官や女中には雇って貰えないでしょうが、縫い物工場や加工工場なら」
「駄目だ。働く必要がどこにある? それに、そんな小さな手で働くなんて無理だろう」
「手が小さくても働けます。それに小さい方がいい場合もあるはずですっ。私には働けないとおっしゃるんですか?」
「そういうことではない。だが……、仕事斡旋所は駄目だ。仕事……仕事は……」
「だから、探してきます」
「駄目だと言っているだろう!」
「どうして駄目なんですか? 殿下は時々話を聞いてくださいませんよね?」
「危険だからだ。王宮内なら安全だが、王都には人が多い分、危険も多い。女の子が一人でふらふら歩いていれば、いつどこへ連れ去られるかわかったものではない」
王都はそんなに危険なのだろうか。マルネリッタは頭を捻る。
確かに、都会は危険な場所だと聞いてはいたけれど。大通りには、普通に人々が歩いていたし、多くの人が暮らして活気があった。殺伐とした様子などなく。
マルネリッタが部屋の端にいる女官セリに視線を向けてみると、すっと視線をそらされた。
その様子から、マルネリッタには殿下がわざと恐がらせるために王都を危険だと言っているように思えた。
「大袈裟です、殿下。それに、私は背が低いだけで子供じゃありません。働かないでいる方がおかしいのです」
「わかった、仕事は僕が探そう。だから、王都へ降りては駄目だ。いいね?」
「…………わかりました」
「マルネリッタの当面の仕事は……そうだな、ダンスを覚えてパーティに僕と一緒に出席できるようになる事だ」
「パーティに?」
「歩き方や挨拶は習っているのだろう? ダンスも覚えてくれ。仕事は、パーティで僕のパートナーになって隣を死守することだ」
「隣を死守……ですか……」
「そうだ。今までは避けていたのだが、マルネリッタが一緒に行ってくれるなら参加できる。パーティでは僕に他の女性が迫ってこないように、常に隣にいて欲しい。そうしてくれれば、助かる」
他の女性が迫ってこないように?
貴族の娘達との歓談では普通に対応していたと思ったけれど、あの時も殿下に積極性はみられなかった。
殿下は女性がとてもとても苦手なのかもしれない。
「……わかりました」
マルネリッタは全然仕事じゃないと思いながらも頷いた。何もないよりは役割がある方がいい、そう思って。