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■15話■謝罪

 マルネリッタがドレスを着替えると、改めて部屋にオルディアク殿下が訪ねてきた。


「すまなかった、マルネリッタ」

「えっ、殿下?」


 殿下は部屋に入るや否や、マルネリッタの前で片膝をついた。その姿勢で彼女の両手をとり、謝りはじめる。

 身分違いだとマルネリッタが何度も言ったことをまともに受け止めず、彼女を差別的扱いの中に放置して不愉快な思いをさせてしまった事。環境を改善するために部屋を勝手に移動させた事。眠っている彼女を抱き上げて部屋に運んだ事。


「本当にすまない。だが、ここなら安心して暮らせると思う。不安だろうが、試してみてはもらえないか?」


 殿下に膝をついた殿下を見下ろしている状況にマルネリッタは目を丸くしていた。

 え? え? え?

 殿下が切々と謝罪しているのが耳には届いているのだけれども、その言葉は理解には至らず耳を通り抜けていく。


「あの……殿下……その……」

「すまなかった」


 殿下の目はまっすぐにマルネリッタを見つめ返していた。

 戸惑い、うろたえるマルネリッタを急かすことなく、その瞳は真剣で、キラキラと綺麗だ。

 マルネリッタはその茶色い瞳を近くで見下ろすことが、とても不思議だった。

 女官達が騒いでいたように、てっきり殿下は木に登るような娘に呆れたのだと思っていたけれど。あれは女官達の噂する殿下であり、マルネリッタ自身が勝手に想像した殿下であって。

 本当の殿下の姿では、ない?

 少なくとも、自分は殿下が謝る姿など想像したこともなかったし、こんな風に許しを請うように訴えかけてくるとも考えなかった。そんなこと、身分の高い人がするなんて誰も考えはしないだろう。

 でも、この人は、する。


 殿下は、女官テアナ達のマルネリッタに対する態度は不適切なものだったと考えている。今の女官セリのような態度が、本来の女官のあるべき姿なのだ。

 殿下がどこまで把握してどう考えているかはわからないけれど、女官テアナ達は多少なりとお叱りを受けたと思われる。

 身分が低い客の担当となったことは気の毒だけど、女官達のツンツン尖った鼻が折れたかもと思うのには溜飲が下がった。

 あれが正しい王宮女官ではなく、今の女官が本物の王宮女官ということらしい。


 もしかしたら。

 嗤われて不快だと、だから王宮では暮らしたくないのだと、殿下に訴えていれば聞いてもらえた?

 それを伝えようとしなかったのは、殿下に対して自分が偏った見方をしていたせい?


 殿下の大きな手に包まれた手が、温かい。ここにいるのは、自分と同じように血の通う人なんだ。


「はい、殿下。私も、木に登って騒ぎを起こしてしまって申し訳ありませんでした」


 マルネリッタの口からは素直に謝罪の言葉が零れた。

 少しほっとしたような表情を浮かべ、殿下はゆっくりと立ち上がった。マルネリッタの手は捕まえたままで、腰を屈めて。


「ああ、あれには本当に驚いた。もう木に登らないでくれないか? 蛇が採りたいなら、庭師にそう告げれば代わりに取りに行く」


 確かに殿下が腰を屈めないと距離は遠いのだが、マルネリッタは顔をうつむけた。上から見下ろされるのは、やはり押されるように感じる。

 でも。


「……そんなこと、頼めません。自分で採ったことになりませんし」

「しかし……」

「王宮にいる間は木には登りません。また騒ぎを起こしたくはありませんから」

「王宮に限らず……木に登らないでくれないか? 落ちれば命がない。危険すぎる」

「……木に登らないとあの蛇だけでなく木の実も採れません。だから、それはお約束できません。それに、それほど危険ではないのです。普通ならこんな動きにくいドレスを着て登るわけではありませんから、もっと身軽ですし。高い木に登るときには、足を滑らせても大丈夫なようにロープをかけておくなどの対処をしますし」


 マルネリッタがそれほど危険ではないと言えば言うほど殿下の顔が曇っていく。しかし、木に登らないなどと守れない約束はできない。生活がかかっているのだから、迂闊なことは言えない。


「本当に大丈夫なんです」

「木には、登らないで欲しい」


 殿下は重々しい声で威圧してくる。

 こういうところが身分の高い人だ。自分が強く出れば、相手が引くと知っているからこその行動なのだ。

 マルネリッタは返事をしない代りに話を変えることにした。


「殿下が庭園で寝ている私をこの部屋まで運んでくださったのですよね」

「マルネリッタ」

「お手数をおかけいたしました」


 マルネリッタに無断で運んだことを思い出させ、強引に話の転換を図る。

 眠っているのを寝台に運んでくれたのは親切なことだと思うのだが、女官セリの言葉や殿下の謝罪からあまり適切でない対応だったらしいので。


「すまない。あの場合、マルネリッタを起こすべきだったが、あまりに気持ちよさそうに眠っていたので……」

「お気遣いくださって、ありがとうございました」

「だが、マルネリッタ。もう十八になるのだから、外でうたた寝などしてはいけない」

「はい、不注意でした。今後、気をつけます」

「これからは外に出る時には必ず女官を連れて行ってくれ。今回は、攫われず何もなくてよかったが、いつもとは限らない」

「……攫われって……ここ、王宮ですから、そんなことは」

「王宮内だからといって、若い娘がどこででも無防備に眠れるほど安全ではない」

「は、はい。気をつけます」


 確かに警戒心がなさすぎたとは思うけれど、あの時はとても眠くて、つい。普通ならあんなところで眠ったりしない。

 それに人の多い王宮なのだし、そんなに真剣な顔で力説しなくても、とは思ったが。

 マルネリッタはとりあえず頷いておく。


「十分に気をつけるように。年頃の娘なのだから、知らない男性には近付かないこと。いいね?」

「はい」

「女官を必ずそばに連れていてくれ。もし、そうしたくない場合があるなら言って欲しい」

「はい」

「木に登らないでくれ」

「……」

「マルネリッタ?」

「はい、王宮内では木に登りません」


 うっかり「はい」と答えるところだった。殿下は不満そうな顔だったが、それ以上は要求してこない。

 あれ? と思った。

 強く主張はするけれど強制はしない、らしい。


「わからないことや不自由なことがあれば、女官に言ってくれ。すぐに対処する」

「はい、殿下」


 そうして殿下は部屋を出て行った。

 殿下との会話は、それほど長いものではなかったはずだが。

 今まで殿下と会った中では一番会話が成り立っていたように思う。前ほど一方通行だとは感じなかった。時々、押しは強いけれど。

 最後に見せた殿下の不満そうな表情が、思い出すと少しおかしい。


 この部屋へ来てから、女官達が態度悪かったことを謝罪して。庭に寝転がっているところを保護したのに、謝って。木に登らないで欲しいと言って。

 終始、殿下は危ないことをしてくれるなと訴えていたような気がする。それはマルネリッタの身を案じてのことばかり。

 殿下は、本気で妹のようなものとして扱おうとしている、らしい。


 殿下に対してもっていた以前の固い印象は、随分と違う印象へ変化していた。

 絵に描かれた人物が、本物の人として感じられる。

 それはマルネリッタが殿下を何もわかっておらず、知ろうとしなかったことを鮮明にした。

 マルネリッタは、自分を、強引に連れて来られて滞在させられる被害者だと思っていたのだ。

 しかし、殿下は真剣に心配して、保護者になろうとしている。

 十年前の約束を守ろうとする殿下のことを、自分はよく考えてみただろうか。

 自分にとって忘れていた約束のことなど、軽い物でしかなかった。忘れてくれというのに、殿下が勝手に約束を守ろうとしているだけだとの認識だった。

 だから被害者だなんて思っている。殿下の考えを押し付けられているのだと感じていて。

 しかし、それは子供の頃の事ではあっても、過去の自分が約束したことなのだ。

 その約束を守ることは、殿下に得することなど何もないように思える。

 それなのに、十年も前の、我儘な子供と交わした約束をなお守ろうとする殿下。

 それは、約束は果たされるべきだという殿下の考えのせい? なぜそこまでして?

 殿下のいう妹として王宮に滞在することが約束を守ることになるのなら、試してみるみるべきでは?

 ここでなら暮らせるかもしれないのだから。


 マルネリッタは殿下を見送った後、女官セリに尋ねた。


「セリ、殿下に妹はいないのよね?」

「はい。王族は男子ばかりですから。マルネリッタ様。殿下ではなく、オルディアク殿下とお呼びになってくださいませんか? この中宮は、王族の方々専用の宮ですので、殿下と呼ばれる方々ばかり。ですから、女官達が迷ってしまうのです」

「えっ? 中宮? 王族専用?」


 王宮は広い。

 マルネリッタは自分がどこにいるのか、全く分かっていなかった。



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