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異世界で魔犬な生活  作者: fumia
第一章
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プロローグ

 第一の世界、201X年、日本国某所。


 あるアパートの一室に、一人の青年がいた。

 夕闇の色が濃くなり、部屋の中がとても薄暗くなっているのにも関わらず、彼はぼんやりとただ一点、これから自分の命に終止符を打つであろう、天井に打ち付けた鉄製の鈎に結い付け、輪を作るように反対の端を結んだ一本の太いロープの黒い影を見つめていた。


 コミュ障、内気、根暗、チビ……。顔面偏差値こそ並以上の物があったが、その他に関しては、その青年はおよそ社会生活に支障をきたす程負の要素で満ちていた。

 加えてこの未曾有の経済危機である。それまでは大学生という肩書きがあったが、いまや就活浪人3年目、収入も社会的な居場所もほぼ完全に無くなり、彼は自分の人生を悲観どころかとことん絶望していた。

 彼以上に紆余曲折を経てきた年長者なら、やる気と根性さえあれば案外やり直しも利くと云う事を経験上心得ているから、この程度で自殺なんて、と呆れたり非難したりするかもしれない。が、生憎彼はそこまでの経験も視野の広さも無かった。紛いなりにも敷かれたレールの上を走って行かざるを得なかった若者にとって、一度でも脱落すると高確率でリベンジする事が出来ない現在社会の仕組みの中で堕ちていく事は、絶望に他ならなかったのである。


 青年は静かに立ち上がると、踏み台代わりにした積まれた百科事典の上に足を乗せた。

 ロープに首を掛けると、建て付けの悪い窓の隙間から、階下の畦道を散歩しているらしい飼い主の女性の、

「ほら、チャッピー!おいで!」

と呼ぶ声とキャンキャンと鳴く小型犬か子犬の泣き声が漏れ聞こえてきた。


 犬か……。犬っていいなあ。

 喉仏で粗くザラザラとした安物の紐を触りつつ、青年は無意識に考えた。人間と違って、大人になっても家族の一員としていつまでも置いて貰える。警察犬や介助犬、タレント犬等の例外はあるものの、大概の犬は愛玩用として一生を終え、お金を稼ぐ為に働きに出る必要もない。野良になったら野垂れ死ぬまでだろうが、それは人間だって同じ事だ。違いがあるとすれば、野良犬は人に拾って貰える可能性が無くもないが、住所不定の浮浪者が社会に受け入れられて社会復帰する事は、その手の支援組織の伝手が無ければ一生叶わないと云う程度の物である。


 いいなあ、犬。犬、いいなあ。

 そう思いながら、青年は足元の百科事典を蹴り飛ばし、宙へ舞い上がった。


 何処でもいい、もしも生まれ変われるなら犬に成りたいなあ……。


 ロープが首に食い込む。ただでさえ粗いロープの表面が皮膚に食い込み、息苦しさと共に首まで千切れるかと思う程の強烈な痛覚が青年を襲った。


『そんなに犬になりたいか?』


 意識が飛んで目の前が真っ暗な闇に包まれていく最中、彼の頭の中にこんな声が流れ込んできた。脳の中へ直接語り掛けてくるような、不思議と神々しい感じがする低い男の声だった。


 犬に……なり……たい。

『そうか、宜しい。では汝の願いを叶えてやろう。』


 青年の首が力尽きるように項垂れ、四肢がだらりと垂れ下がる。彼の体の真下には、漏れ出した尿が板張りの床の上に丸い水溜まりを形成していた。

 そうして青年は、誰にも気付かれる事もなく息を引き取った。


>>犬

 真っ暗だ。何も見えない。だけれども暖かい。安心出来る温もりがここにはある。

 それもその筈だ。ここは母さんの胎内なのだから……。


 突然、締め付けられるような衝撃が俺を襲った。そして訳が分からぬまま、俺は頭から胎盤の外へ無理やり押し出された。

 誰かが何かを叫んでいるが、その喧騒さえ意識する余裕が無くなる程体が締め上げられていく。


 狭い所に無理やり押し込まれたと思ったら、突然とても広い空間に押し出された。未だに目の前は暗いままだが、鼻や口から空気が入って来るのがわかる。突然肺が空気でいっぱいになって胸が苦しい。俺は思わず息を吐き出した。


 キャン!キャン!キャン!


「おお、生まれた!3匹目が生まれたぞ!」

そう叫ぶ人間の男の声が聞こえる。目は見えないが、臭いでそれが人間だと分かった。

 俺は、先に生まれた兄貴達の声と母さんの臭いを頼りに、暗中模索で母さんの姿を探した。


 何とか母さんを見つけて次兄の左隣、向かって母さんの頭が向いている方に並び、母さんの腹の下に潜り込むと、俺はホッと一息を吐いた。

 これが、俺が犬として初めて体験した事だった。


 生まれたばかりの子犬の一日というのは、思っている以上に至極退屈なものだ。

 目が見える訳でもないから彼方此方へ動き回れない。必然的に母さんのいる寝床のボール箱で大人しく食っちゃ寝しなければいけない事になる。

 ただし、寝る時はいいが俺は5犬兄弟の真ん中なので、母さんのおっぱいを吸う時は兄貴達にも弟共にも毎回気を遣う羽目になる。五つ子なのだから乳を吸う順番とかどうでもいいではないか、と内心思うものの、口に出したら長兄や次兄から蹴りを食らうのが目に見えるので黙りを決めるのが常態になっていた。お陰で空気を読む事だけは秀でる事が出来るようになったと思う。


 生まれて一月ばかし経った頃だろうか、ある日俺達が飼われていた家に、沢山の客人が訪れたような雑音が、遙か遠くの居間らしき方から聞こえてきた。

 どうやら客人達は会話の様子から3組の家族のようであり、

「ねえ、イチローオジサン、ヨシコオバサン。ワンちゃん早く見せて!見せて!」

「まあまあ、落ち着きなさい、ミク。居間見せて上げるからね。さあ、こっちに来てご覧。」

という、どんどん近付いて来る足音と共に聞こえてくる、飼い主と客人の一人である小さな少女らしき声の主との会話から、どうやら客人達は皆飼い主夫婦と親しい間柄の人間達のようだった。


 扉がバタンと開かれる音が部屋中に響く。そしてそれを合図するかのようにパタパタと軽やかに跳ねるような慌ただしい足音が聞こえ、それがやんだ途端、頭の上からさっきの女の子の声が真上から反響した。

「わあ!可愛い!」


 不意に、俺は誰かに両側から腹を抱かえ込まれた。

 その手はそのまま母さんや兄弟達から俺を引き離さんとでもするかのように俺の体を天高く持ち上げていく。

「わあ、お母さん!お母さん!怖いよ。助けて!」

 無駄な抵抗だと頭では解っていても、俺は母さんに助けを求め、誰かも判らぬ人の胸の中でジタバタと四肢を振って精一杯の抵抗をした。だが初めから母さんも承知の上だったのだろう。母さんは黙ったまま俺の方を見上げているようだった。


 抱き抱えられた俺の頭上から女の子の声が聞こえる。

「オジサン。この子、貰っても良い?」

「おっ!ミクはこの子にするのかい?いいとも、持って行きなさい。大切にするんだよ。」

「うん!」


 女の子は、俺を胸にしっかりと抱き締めたままトテトテと走りだしたようだった。体の揺れがダイレクトに伝わり、母さんと兄貴と弟達の鳴き声が、臭いが、温もりが、遠ざかって行く。

 寂しさに耐え切れず、俺は思わずクゥーンと泣き声を上げた。

 突如、女の子が俺の背中をそっと撫で始めた。その感触は毛皮越しでも解る位温もりと優しさに溢れていた。

 それがあまりにも気持ちが良かったから、何だかんだ言って俺もまだ餓鬼だったから、いつしか俺は眠りに落ちてしまった。


>>カイト

 第二の世界、2030年4月中旬、日本国国立中央魔法学園高等部生寮第1号棟、瀬川 美久の部屋。


「カイト!もう朝よ、起きなさい!」

 朝っぱらから部屋中に響き渡る美久の五月蝿い怒鳴り声で叩き起こされた所為で、俺は寝床に敷かれた毛布から飛び上がった。

「五月蝿いな、起きたよ!」

 開口一番文句を言うと、我がマスターは顰め面をした。

「カイト、あなたね。わたしの使い魔として大分経っているんだから、もう少しそれらしい自覚を持って頂戴!」

「ハイハイ……。」

 生返事を返しつつ、いつの間にか彼女に引き取られてから5年以上経っている事に思い当たった。当時は10歳、生まれたばかりだった美久と俺も、今や15歳の高校生と5歳の子犬である。おっと、今俺がいるこの世界での魔犬は10歳で成犬とされている。だから5歳の子犬と云う表現は誤記ではないぜ。悪しからず。

「ほら、さっさと御飯食べて!わたしが遅刻しちゃうわ!」

「ほーい!」

 投げつけられるようにマスターから渡されたドックフードを盛られた円形の青い器を受け取ると、俺は茶色いドッグフードの山に顔を突っ込んで一気に平らげた。

 食事を終えると、俺は美久によって魔術調教用の首輪を付けられる。さあこれで準備は万端だ。

「行けるよ!美久」

「じゃあ、出掛けるわよ!」

「よしきた!」


 さあ、今日も一日頑張ろう。

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