マン・アット・アームズ
夕刻、ウェルテは縛り上げられたまま馬に乗せられてアグレッサへと帰ってきた。ツリガネソウの花のような形の鉄兜であるモリオンをかぶった青騎士隊の歩兵に引っ立てられ、ウェルテはまるで引き回し中の罪人のような有様で街の西門をくぐった。
街を暴力で牛耳る、泣く子も黙る青騎士隊の隊列を前に、アグレッサの市民達は無言で道を開ける。隊列を見送る人々のなかには哀れみの眼差しでウェルテを見送る人も多かった。ウェルテはもう二年もアグレッサで暮らしてきたので、青騎士隊の恐さや野蛮さはよく判っていた。なので、さっき森で黒服の一団に襲われた時以上に身の危険を感じていた。青騎士隊が、罪人の容疑がかかっている者もしくは意に沿わぬとみなした者をどう扱うか、火を見るより明らかだったからだ。
青騎士隊。騎士隊長であるクラレンス・ガイヤールに率いられ、アグレッサ領主フランツ・ド・ゾロッソによって雇われた武装集団である。彼等は、通称マン・アット・アームズと呼ばれる職業軍人層が集まって組織された傭兵団を前身とする軍事組織で、軍事力増強と領内の支配強化の為、領主フランツのよって雇われた軍事警察組織だった。マン・アット・アームズにはガスコンのような戦いを生業としても、特定の雇い主や所属先を持たない者達も含まれることもあったが、多くの場合、領主や傭兵団もしくは商人や富豪の私兵として俸給をもらい生活する者達を指してそう呼んでいた。
青騎士隊も領主お抱えの常備軍として雇われたマン・アット・アームズの集団であったがここしばらくの間、アグレッサの近隣では戦争は起こっておらず、青騎士隊は専ら、盗賊狩りをはじめとする領内の治安維持と防衛を主任務としていた。
特に領内の治安維持での悪名は猛威を振るっていた。アグレッサには古くから街に根付いた警吏隊が組織されていたが、青騎士隊が組織されてからはその権威のほとんど譲ってしまったような状態だった。青騎士隊は領主の手となり足となり、徹底した『力の支配』で領民を押さえつけた。
苛酷な税の取り立てに耐えかね、家令に直訴しに城を訪れたある村長は、青騎士隊に捕らえられ城内の尋問所にて溶けた鉄の靴を履かされ、溺れなければ赦免するという条件で街の北を流れるローラント川に放り込まれた。
また免許税を払わずに勝手にワインを醸造したと疑われたある酒屋は、凄惨な拷問の末に自供し、最後には三日間餌を抜かれた軍用犬の檻の中へ棄て置かれた。
もっとも酷かったのは、教主の逆鱗に触れ南部のグライトから逃げてきた『異端』と呼ばれる人々がアグレッサへと逃れてきた時だった。北部へと逃れようとする彼らを、教会より命を受けた領主フランツは青騎士隊を使い徹底的に弾圧した。ウェルテを始めとする街の市民には噂でしか伝わってこなかったが、西部の霞の森を逃れようとした人々は青騎士隊の包囲に遭い、そこでは、ありとあらゆる人間の悪が行われたという。夕刻、血まみれの剣や槍を手に、どす黒く染まったサーコートを身につけた青騎士隊の兵士達は、教会の宗教画に出てくる魔物の軍団そのものだった。
人込みの多い所へさしかかったので、ウェルテは大きく息を吸い込むと急に叫び出した。
「徴税吏のウェルテ・スタックハーストだぁぁぁ! 誰か、今すぐ徴税役場のぉ、ルイス・アカバス博士に知らせてくれぇ! 誰かぁ! 僕は徴税吏の……」
頼みの綱は上司のアカバスしかいなかったのだ。ウェルテは声が枯れんばかりに、何度も叫ぶ。幸運にも兵士にさるぐつわをはめられる前に、人込みを掻き分けて同僚の男が走ってきた。
「ウェルテ! 一体どうした!」
「判りません! とにかくこの事をアカバス先生に! うぐぐ……」
乱暴にさるぐつわを噛ませられそれまでだったが、その同僚は役場の方へ走りながら叫んだ。
「今すぐ行って来る。安心しろ!」
ウェルテを連れた一隊は、空堀にかけられた跳ね橋と落し格子で守られたアグレッサ城の大手門をくぐって城の敷地へと入った。城壁でかこまれた空間には青い芝が敷かれ、その中心には、城塞らしからぬ瀟洒な館が建っていた。それはもう城郭と呼べるものではなく、完全に住み心地を優先して建てられた白亜の屋敷であった。一方、屋敷の右奥には昔ながらの石積み城塞建築の丸い塔が立っていた。その頂上は城壁を越えて外をみまわせるくらい高い。アグレッサ城が戦の拠点だった時代の城の中心部である主塔だった。その主塔の下層が青騎士隊の詰め所だった。
あれから数時間。ウェルテは主塔地下にある地下牢脇の尋問所で、縛られたまま粗末な丸イスに座らされ、周囲を取り囲む兵士達に何度も今日一日の行動を説明した。薄暗くてじめじめしたその部屋は、天井から吊り下がった鎖や大きなノコギリ、拘束具の付いた磔台など、正視したくない気持ち悪い道具で一杯だった。
最初、ウェルテは極力、協力的に森であったことを説明した。悪臭漂うこの尋問室から一刻も早く出たかったし、その供述で青騎士隊があの憎き黒服の一団を成敗してくれればウェルテの腹の虫も少しは収まるというものだ。サリエリの死やエルベ荘園の粉屋に会った事、バルテルミ村へ行く途上で床屋のアンヘルムを見かけたこと、そこで猟犬を連れた黒服達に襲われ拘束されたいきさつまでを全て説明した。もっとも、腹は立っているものの一応は自分を助けてくれた村長のラムジーについては、顔なじみの情けで敢えて青騎士隊の前では名前を出さなかった。盗賊に協力している容疑で取り調べられる事になれば、凄惨な拷問にかけられことは目に見えていたからだ。
だが、兵士達は一向にウェルテを解放しようとはしなかった。兵士達はこれ以上何を聞き出したいのか、ウェルテを警戒するような目で見ながら黙っている。
「知っている事は全部話したんだから、早く帰してくれよ」
小隊長らしき三角帽の男は腕組んだまま、黙ってウェルテを見つめているだけだ。
――こいつら言葉通じてるのか?
何の感情の片鱗も感じさせない態度に、ウェルテはちょっとした薄気味悪さを感じた。
「お前、本当にそれだけの目的で森へと行ったのか? なにか別の目的もあったとも考えられるな? どうなんだ?」
ウェルテは眉間に皺を寄せて相手を睨んだ。
「別の目的って何だよ! 徴税吏なんだから担当の村を回るのは当然の事だろ? それじゃなくたって昨日、森で仲間が一人殺されているんだ。こっちを問い詰める前に、バルテルミ村にいた妙な奴らを捕まえるのが先だろう」
とうとう我慢しきれなくなりウェルテは怒鳴るが、相手は返事すらしなかった。ただ、周りの兵士達は何をするのか、急に手際よく準備をはじめた。部屋の隅にある炉に炭を入れて火を起こし、そこへ何本も焼きゴテを放り込む。ある者は、錆だらけの大きなハサミや包丁、ノコギリを並べ、磔台の革ベルトを解き始めた。
「お、お前ら正気か!」
ウェルテは自分の声が震えている事に気がついた。
尋問室の入口に騎士隊長のガイヤールが姿をあらわした。小隊長が小声でなにやら報告する間、ガイヤールは灰色の目でずっとウェルテを見つめていた。報告が終わるとガイヤールは無言でうなずいた。
「はじめるぞ!」
小隊長が命令し、兵士達は縛られたままのウェルテを引っ張り起こす。
「ふざけるな、この野郎! 全部話したって言ってるだろう!」
ウェルテは力の限り暴れて抵抗したが、容赦ない鉄拳が腹にめり込み、ウェルテは意識を失いかけた。
ショックで視界が白くちらつくなか、ようやく入口の方から聞き慣れた怒鳴り声が響いてきた。
「そこをどかないか、このでくのぼうめ!」
それはウェルテがここしばらく待っていた声だった。クロークを翻して靴音高く、兵士を押しのけて尋問室に押し入ってきたのは徴税代官のアカバスだった。アカバスはすっかりのびているウェルテの様子を、鼻めがねに手を当てて覗き込むと、そばに立っていたガイヤールへと詰め寄った。
「仮にも徴税役場に勤める者へのこのような暴行、よもや許されるとでも思っているのか?」
ガイヤールは壁によりかかったまま顎を突き出した。
「ルイス・アカバス博士。こと領内の秩序維持について、我々は御館様より特別の権利を頂いている。取調べの邪魔はしないで頂きたい」
アカバスは口を歪めた。
「言うな、ガイヤール…… よかろう、ならばこちらも御館様に伝えねばならんな。青騎士隊が徴税吏を不当に虐待したため、税の徴収に甚だ障害をきたしていると…… そのうえ集金途中の徴税吏が殺害されたというに、下手人の賊一人捕らえられんとは情けない」
アカバスの言葉に、ガイヤールは初めて感情的な、苦々しい表情を浮かべた。ガイヤールも、御館様こと領主フランツが税の徴収には人一倍の執着とこだわりをもっている事を知っていたので、徴税代官であるアカバスがフランツへ直訴するような事態は避けたかった。
「そいつを放してやれ」
ガイヤールは配下の兵士達へ命じた。ウェルテは乱暴に地面へ放り出されると、数時間ぶりに腕の拘束を解かれた。
「ガイヤール、今回だけは大見に見てやる。だが、次に部下に手を出したら、簡単には済まさんぞ」
アカバスはそう言うと、ふらついているウェルテを抱え上げた。ウェルテは兵士の手から自分の剣やクロークを奪い取った。そして、ガイヤールの殺意に満ちた視線を背に受けながら、アカバスと共に尋問室を後にした。
アカバスとウェルテの二人は主塔の廊下で、兵士達に引っ立てられてきた別の男とすれ違った。真っ暗な石壁の向こうから来た男の顔が、壁の松明に照らされてオレンジ色に映った。
「お前は……」
ウェルテは思わず声を発したが、その男は黙したままただじっと前を向いて、尋問室の方へと連行されていった。黒髪で蒼白の顔のその男は間違いなく、ウェルテが昼間森で見かけた床屋のアンヘルムだった。どうやらバルテルミ村から逃走に失敗し捕らえられたのだろう。
アンヘルムのその顔には全ての事を覚悟し、屈服を拒絶する強い決意の色を湛えているようにウェルテには感じられた。
ウェルテ達は寒くて重苦しい空気の主塔から中庭へと出てきた。もう完全に夜になっており、城壁に囲まれた空には月が出ている。ウェルテは寒さを感じ、クロークを羽織った。
「森へは行くなと言ったはずだ! この大馬鹿者!」
ウェルテへ振り返るなり、アカバスはいきなり怒鳴った。あまりにも急に、激しい調子で怒鳴られたので、ウェルテは呆気に取られた。
「私がいたからよかったものの、そうじゃなければ、どうなっていた!」
「す、すみません……」
ウェルテには返す言葉も見つからなかった。
「なんで森へなんぞへ行った! 悪くすれば今ごろあの野蛮人どもに八つ裂きにされているところだ! マン・アット・アームズだかなんだか知らんが、あのならず者どもめ! 腹が立ってならん」
もっぱら学者畑一本で生きてきたアカバスは普段から、青騎士隊に代表される粗暴な職業軍人階層の人間が嫌いだった。
「明日からは街の外へ出ることは許さん。しばらくは細々とした雑用のみをしてもらう。ところで……」
アカバスがそう言いかけたとき、背後の主塔からこの世のものとは思えないぞっとする悲鳴が聞こえてきた。それは間違いなく尋問室へと連行されたアンヘルムの叫び声だった。アカバスとウェルテは背後の主塔を振り返った。人間にとって最悪の悪徳の一つである拷問が始まったのだ。
「スタックハースト、とりあえず外へ出るぞ……」
「はい……」
顔を青くした二人は無言で城外へと歩き出した。絶望的なその悲鳴は二人が主塔から離れるまで断続的に響いてきた。
大手門の跳ね橋を渡ってから、ウェルテは今日一日に経験した出来事を簡潔にアカバスへと報告した。アカバスは真剣な表情で話を聞いていたが、バルテルミ村のラムジー老人が盗賊の仲間だったという話を聞いたときには特に驚いた顔をした。
「あの男は昔から知ってる。とても正直者の男なんだが……」
「僕も今日までそう思っていました…… サリエリの足取りが少しだけ判ったことだけは収穫でしたが」
アカバスは、そうだなと一言だけ言って、考え込むように唇を噛んだ。アカバスはカンテラに火を入れるとウェルテへと渡した。
「腹もすいているだろうが、今夜だけは寄り道をせずまっすぐ下宿へ帰れ。いいな?」
ウェルテはうなずいた。ものすごく空腹だったが、アンヘルムの悲鳴を聞き、食欲は完全に失せていた。考えたくはないが、一歩間違えば、自分が同じ目に遭うところだったのだ。それに夜の街は危険が多い。青騎士隊や警吏がいくら目を光らせても、都市の秩序維持は不完全だった。
ウェルテはアカバスに礼を言うと、真っ暗に静まり返った道をカンテラを手に足早に歩き出した。