黒衣の小男
その後、サリエリはどこへ向かったのだろう? ウェルテは森の道を歩きながら考えた。到着の時間から考えて、サリエリはアグレッサを出てまっすぐにエルベ荘園へやって来たに違いない。だが、その後サリエリがどこへ向かったのかは判らなかったので、サリエリへ寄るように頼んだ、森の南側にあるバルテルミ村へと向かうことにした。そこへ行けばサリエリが訪れたかどうかも判る上に、もし訪れた時間が判ればサリエリの足取りがもっとはっきりすると思ったからだ。もし遅い時間帯に村を訪れたのなら、サリエリはどこか森の別の場所に寄ったことになるし、そうではなく午後の早い時間帯だったら、エルベ荘園から直接村へ向かったのだと見当がつく。
ウェルテは街道を目指して、もやのかかる細い砂利道を南へと向かった。バルテルミ村はアイアン街道を挟んだ森の南側にある、林業とわずかばかりの開墾地からなる小さな村だ。
荷車が行き交うアイアン街道を渡り、ウェルテは森の南側へと向かう。街道沿いで真昼間に盗賊に襲われるとは考えにくかった。四方へ伸びる街道はアグレッサの大動脈である。そこを荒らしまわる者が出てはアグレッサの経済に大きな影を落とす事になるため、領主フランツ・ド・ゾロッソは強力な職業軍人集団を雇って青騎士隊を組織し、市街と街道の治安維持に当たらせていた。粗暴で威圧的な彼等の剣の矛先は盗賊だけではなく、時に領主に反抗的な領民にも向けられることが多かったので、領内での評判は悪かった。しかし、この強力な武装集団によってアグレッサの安定が保たれている事も事実だった。そんな青騎士隊がよく巡回する昼間に盗賊がこの近辺に姿を見せるとは考えにくかった。
森を三十分程歩いた頃だった。鳥の鳴き声に混じって、ウェルテは左の方角から砂利を踏みしめる足音を耳にした。ウェルテは足を止め、その方角へと目をこらす。白く霧のかかった木々の間から、男が歩いているのがうっすらと見えた。まだその男が危険人物かどうかは判らなかったが、ウェルテは木の幹に隠れて様子を伺った。
左の方から来た男は、ウェルテに気付かない様子で足早に歩いてゆく。ツバの短いチロリアンハットにゆったりとしたオーバーという姿で、大きな革の鞄を携えていた。痩せたロバのような面長の白い顔がはっきりと見え、ウェルテはその男を思い出した。
――あれは床屋のアンヘルム……
アグレッサの理髪店兼施療院で働く床屋だった。床屋がこんな森の中で何をやっているのだろうかとウェルテは訝しく思った。
街の住人を除き、施療院の床屋に治療や散髪を頼むにはかなりの金がかかる。それも、森の貧しい村に往診を頼めるほど豊かな者などいるのだろうか。ごく稀に、医者を兼ねる床屋が郊外に住む富農に呼ばれて往診に赴く事もあったが、これから向かうバルテルミ村にはそんな裕福な人間はいなかった。
それ以上にウェルテを怪しませたのは、その床屋の周囲を警戒するような素振りだった。ウェルテの存在にこそ気付かなかったものの、アンヘルムはやたら周囲をキョロキョロと見回しながら足早に歩いてゆく。ウェルテは相手に気取られないように、なるべく足音が立たないよう、固い木の根っこを踏みながら、アンヘルムの後を追って村へと向かった。
しばらく行くと、アンヘルムは村へ続く道ではなく、村のはずれへと繋がる小径へと入って行った。その方角には家屋はなく、村長が管理している共同の穀物倉が建っているだけだ。ウェルテは首を傾げながらも、もやで霞むアンヘルムの背中を静かに追いかけた。
やはりウェルテが思ったとおり、アンヘルムは村の穀物倉へとやってきた。その一角だけ木々が伐採されて開かれた真ん中に、葺き屋根、木造平屋の倉が建っていた。まるで見張り番のように倉のそばに立っていた男と挨拶を交わし、アンヘルムは促されるまま足早に倉の中へと入っていった。
ウェルテは遠くからそれを見届け、バルテルミの村落へ向かう事にした。バルテルミ村の集金はウェルテの担当であり、村長とも顔なじみだった。元々、その村長に、サリエリの事も尋ねるつもりだったので、倉に床屋なんかを呼んで一体何をしているのか尋ねればよいと思ったのだ。村長が村の穀物倉で何をやっているのか知らぬ筈がないし、尋ねればこの不可解な事の正体も簡単に判るだろう。そう合点し、ウェルテは音を立てないようにその場を離れようとした。
もやの向こうから、やかましい犬の吠える声が聞こえてきたのはその時だった。思いのほか近い。ウェルテはぎょっとして立ち止まった。こんなに執拗に吠えかかるのは、狼か猟犬くらいのものだ。ウェルテは鳴き声の方角から逃れるように森の奥へ後ずさったが、その声はまっすぐ向かってきた。さらに左の方からも別の犬の吠え立てる声が迫ってきた。白いもやの向こうから大きな犬と引き綱を手にした男がウェルテへと向かってくる。左からも同じ様に、犬に先導された男がまっすぐウェルテに迫ってきた。
――猟師達か?
狼か野犬の襲撃だと思い身構えたウェルテだったが、人に連れられた犬だと判り緊張を解く。だが予想に反し、その男達は突進してくる犬を制止しようともしない。頭の高さがウェルテの腹部に届くくらいの、大きな茶色い犬が真っ赤な舌と白い牙を剥き出しにウェルテに飛び掛った。ウェルテは思わず悲鳴を上げて後ろへたり込んだ。ウェルテの喉笛を狙った牙が宙を噛み、犬の生温かい唾液の粒がウェルテの頬に当たった。引き綱を手にした男がギリギリのところで、後ろから犬を引っ張っていた。もう一匹もウェルテの鼻先のところで猛烈に吠え立てている。
耳がだらりと垂れた茶色と黒の毛並みのその犬は、引き綱がなければ今にもウェルテを食い殺さんばかりに、絶え間なく吠え、牙を見せつけた。大きな雄鹿に止めを刺すよう訓練された猟犬、ブラッドハウンドだった。
「この狼藉、何のつもりだ!」
ウェルテは声を震わせながら男達に怒鳴った。領主お抱えの猟師達は態度が悪く、横柄な事で知られていたので、犬が勝手に走り出したか、それともウェルテに性質の悪いからかいをしかけたのかとも思われた。だが、ウェルテはそれが間違いである事に気付く。男達は手にした綱で犬を引っ張りながら、険しい顔でウェルテを見据えている。二人とも革の丈夫なチョッキを着て、腰には軍用の帯剣ベルトを締めている。腰や手に猟具はなく、弓矢も持っていない。猟をしていたわけではないようだ。そして二人の男達は、空いた手でおもむろに腰から短剣を引き抜いた。
ウェルテは余りの事に驚愕しつつも後ろへ飛び退き、左腰からカップ状の護拳がついた剣を引き抜いた。ウェルテのレイピアは、流行の軽くてよくしなるレイピアではなく、刀身がやや肉厚でほとんど剣先が揺れない剣だった。剣で解決すべき完全に手荒な事態へといきなり飛び込んでしまった事をウェルテははっきりと自覚した。
「やるつもりか!」
ウェルテはそう叫びながら。レイピアの剣先を近くのグレイハウンドの鼻先で振った。風切り音とともに犬はひるんで後ろへ飛び退く。すかさず二頭目の鼻先にファンデブ(突き)を繰り出すように踏み込み、鼻先で寸止めした。やかましい二頭の獣は一旦、萎縮したように退いたが、尚もウェルテに牙を剥いて吠えかかる。
ウェルテは中段に剣を構えたまま、広く間合いをとった。レイピアにとって大切なのは突きに適した間合いだった。男達はウェルテを斬りつけようと、短剣を構え左右から挟むように間合いを詰めてきた。多勢に無勢、人間二人ならなんとか対処できるが、犬が厄介だった。最初に犬を倒し、その後人間をやっつけるしかない。
ウェルテが剣を一振りしつつ、右腰のマンゴーシュへと手を伸ばした時、背後で土を蹴る音がした。ウェルテは気配を感じ、自分の隙を呪った…… 剣を後ろへ振りたかったが、もう間に合わない。背後からの重い衝撃が腎臓の辺りにぶつかり、体中に伝染するように痛みが走った。思わず前方へ突っ伏しそうになり、ウェルテは膝立ちになった。即座に金属の冷たい感触が右の首筋に当たる。黒い革手袋が視界に入るや、背後からウェルテの頭を上へと引っ張り上げた。かすかに果物のような香りがした。
「一人でノコノコといい度胸だ。貴様のような奴を寄越すとは、ギルドも焼きが回ったようだな!」
背後の敵がウェルテの耳元で叫んだ。
――や、やられた……
押さえつけられたウェルテは、寒気のするような絶望感に襲われた。
身動きが取れないので視線を巡らすと、自分の首筋には細い鋭利なダガーの剣先が突きつけられている。ウェルテの左手は右腰のベルトに吊った短剣の柄を掴んでいたが、今からそれを引き抜いても、背後の敵を突き刺す余裕はないだろう。
あまりに呆気ない結末に、ウェルテは恐怖よりも情けなさを感じていた。森に入る前、盗賊に出くわしたら斬ると豪語していた、つい数時間前の自分が酷く滑稽に思えてきた。盗賊を斬るどころか、もうすぐ自分もサリエリと同じ様に、この卑怯で野蛮な、動物じみた感性しか持ち合わせていないならず者に殺されてしまうのだろう。
――こんなことなら、ガスコンに一緒に来てもらうべきだった……
眼前の敵と自分の認識の甘さを呪いつつも、ウェルテはだんだん腹の虫が収まらなくなってきた。
「昨日、森で徴税吏を殺したのはお前達だな! こんな真似して、ただで済むと思うな盗賊ども!」
ウェルテは精一杯の怒鳴り声を張り上げる。黒い革手袋がウェルテの首を更に強く締め上げた。
「貴様、自分の立場が判っていないようだな! そんなに死にたいか!」
背中にいる敵も感情的になって怒鳴り返した。ウェルテの頚動脈の上をなぞっているダガーの剣先が強く押し当てられ皮がすりむけた。背中の敵は、まだ声変わりも迎えていないような澄んだ声音の人物だった。確かにウェルテの首や肩を押さえている敵の腕は、筋骨隆々とは言い難く、力こそあるがむしろ華奢なほうだ。そんな年端もいかない小僧に背中をとられ、これから不条理にも殺されると思うと、ウェルテは不安と悲しさ、悔しさでたまらなくなった。
――ヴァン先生、せっかく教わった剣術を使う間もありませんでした。やっぱり、人生は騎士道物語のようにはいかないようです……
ウェルテが覚悟を決めた時、後方から叫び声が聞こえた。
「お待ちくださいー! どうか、どうか剣をお納めください! お願い致します」
穀物倉の方からに初老の老人が走ってきた。継ぎ当てだらけの粗末な毛織物の衣服をまとったその老人はウェルテの眼前で跪くと、両手を出して訴えた。
「申し訳ねぇです、スタックハースト様。これはひどい手違いなんです。皆さんも、どうかこの方をお放ください」
白髪、無精ひげの小汚いこの老人は、ここバルテルミ村の村長を務めるポール・ラムジーで、ウェルテが徴税の為に村へ訪れる度に会っている顔なじみだった。
「お願いします。そのお役人様はここの当番の徴税吏様で、自分らが年貢のやりくりがつかない時には、いつも良くしてくれる優しいお方なんです。だからどうか、今回はお見逃しくださいませ」
老人はそう懇願した。犬を連れた男達は呆気に取られてお互い顔を見合わせる。
「何? 徴税吏だと? じゃあオストリッチの……クッ」
背後から悔しそうな声が聞こえたかと思うと、首の拘束と短剣が解かれ、ウェルテは背中を強く蹴飛ばされた。前のめりに倒れたウェルテを、老人が慌てて抱き起こす。
「本当に申し訳ねぇです。どうか堪忍してくだせぇ」
ウェルテは咳き込みながらも、剣を掴んだまま敵へと振り返った。ウェルテは、自分を締め上げて短剣を突きつけた者を憤怒の形相で睨みつけた。
やはりウェルテが思ったとおり、敵は自分よりも背の低い細身の男だった。声つきから判断するにまだガキに違いない。黒いシルクのクロークに黒いブーツ。口元に黒いネッカチーフを巻いて顔を隠しているが、ウェルテを睨むその右の目には、まだ若いくせに銀縁のモノクル(片眼鏡)が光っている。それ以上にウェルテの目を引いたのは、その男が目深に被る黒いファーフェルトのキャバリアー・ハットに映える、鮮やかな孔雀の羽飾りだった。教会の聖楽団でコーラスをやっていそうな声音やその裕福そうな風貌を見るに、とても盗賊には見えなかった。背丈や声から察するにまだかなり若いに違いない。
「この、クソガキめ!」
ウェルテは、頭のてっぺんから足元まで全身黒ずくめのその小男へ剣先を向けるが、ブラッドハウンドを連れた男の一人がウェルテの首に短剣を突きつけた。ラムジー老人が慌ててウェルテの腕を掴んだ。
「ああスタックハースト様、どうかお怒りをお鎮めください。すぐにご自由に致しますので、どうかご冷静に」
「これが冷静にしていられる状況か!」
敵のもう一人がウェルテへと手を伸ばす。
「武器を預かる」
首筋に剣を突きつけられているので、ウェルテはため息をついてレイピアを地面に置いた。男は素早くレイピアを拾い、ウェルテの右腰のマンゴーシュを鞘から抜き去った。
「あとできちんとお返しいたします。だから今しばらくお待ちくだせぇませ」
ラムジーは何度もウェルテに頭を下げると、黒服の小男を少し離れたところへ連れて行き、早口でなにやら説明しはじめた。老人がまくしたてている間に、黒服はモノクルのレンズ越しに、疑い深そうな視線でウェルテを見つめていた。
騒ぎを聞きつけたのか、穀物倉から出てきた数人の男達がウェルテの方を眺めている。その中には、先程ウェルテが後をつけていた床屋のアンヘルムがこの騒ぎをびっくりした様子で見つめていた。施療中だったらしくシャツの両腕をまくっている。よく見ると、周囲には腕や頭に包帯を巻いた者も見える。どうやら、けが人が多くいるようだ。
そんななか、もやのかかった道の奥から馬が土を蹴る音が聞こえてきた。栗毛の馬に乗った男が森からあらわれ、穀物倉の前で馬から飛び降りる。細い剣を腰に吊るした皮の鎧姿のその男は、馬の手綱をそばの仲間に委ねると、息を切らしてやってきた。
「申し上げます! アイアン街道東方にて青騎士隊が集結しつつありと……」
その男は、黒服の前に跪くと慌てて報告した。離れたウェルテが聞き取れたのは最初のそのフレーズだけだったが、報告を受けた黒服とそばにいたラムジーはにわかに慌て出した。
「荷物をまとめて、大急ぎで退去するぞ! まず歩けない者から馬車に。急げ!」
教会にいる聖歌隊の少年みたいな声で、黒服はそう叫んだ。
周囲にいた者はみな慌てつつも、急に動き出した。男の一人がホイッスルを三回鳴らした。穀物倉からは、数人のかなり重い傷を負っている者達が板に乗せられて運び出されてきた。穀物倉から出てきたその他大勢の男達は、倉から大きな木箱や布包みを抱えて外へと運び出している。中には長い剣やレイピア、弓を運び出してくる者もいる。バルテルミ村の集落に通じる道からは荷馬車が三台やってきた。床屋のアンヘルムが介抱する中、負傷者達を馬車に乗せると、次に男達はそれらの荷物を馬車に積み込みはじめた。
――一体、この慌てようは何だ?
ウェルテは地べたに座ったまま、この騒ぎを眺めていた。ただ、盗賊なら治安維持にあたる青騎士隊の接近に恐れをなすのは当然の事だ。ウェルテの今の状況を考えても、青騎士隊の接近は歓迎すべきことだった。
「ハトを忘れるな! その他の持ってゆけない物は全て燃やして」
黒服がそう命じた。穀物倉の横に、いつの間に建てたのか粗末な小さい鳩舎があった。そこから男達はいくつもの鳥篭を荷馬車にと乗せる。
――この村、いつからハトの飼育なんか始めたんだ?
その様子を見ながらウェルテは思った。ハトは貴族や聖職者、商人に人気のある高級食材だ。他所の町ではハトの肥育で成功し豊かになった村や商人もいる。ハトの飼育に成功すればこの村はもっと豊かになるに違いないとウェルテは思った。
八方へ指示を出していた黒服がウェルテのほうを向いた。
「その男を縛り上げろ」
「おい、どうするつもりだ!」
ウェルテが抗議の声を上げるが、命令一下すぐに子分の男がウェルテを後ろ手に縛り始めた。
「この者の始末はあたなに任せます。我々はすぐに出発する」
「ありがとうごぜぇます…… どうかお気をつけて」
ラムジーはそう言って黒服に深々と頭を下げた。
「迷惑をかけて申し訳ないけど、そっちも気をつけて」
そう言うと黒服はウェルテに険しい一瞥をくれてから、穀物倉へと足早に去っていった。
ラムジーはウェルテのレイピアと短剣を抱えると、縛り上げられているウェルテへまたも頭を下げた。
「スタックハースト様、ほんと何てお詫びしたらいいのか…… これから街道までお送りいたします」
そう言って、ウェルテは縛られたまま、村長に抱えられるようにバルテルミ村をあとにした。
不自由な格好でラムジーと歩いていると、ウェルテはだんだん腹の底から強い怒りが湧き起こってきた。どうやら殺される心配も無くなったので、恐怖や不安よりも、むかっ腹のほうが勝ってきたのだ。
「確かに、徴税吏だから好かれないのは判っている。でも、こんな酷い目に遭わされる理由は無い! 家令の遣いが収穫高の抜き打ち検査をしようとした時だって、アカバス先生と一緒に知恵を絞って力を貸したじゃないか!」
怒鳴るウェルテに、老人はなんとも辛そうな顔をして下を向いた。
「あん時のことは…… 村人一同ほんとに感謝してます。一時だって忘れねぇです。今回の事は悪魔の企んだひどい運命の悪戯みたいなもんです……」
信心深い農民の発する、坊主の説教みたいな返答はウェルテの怒の炎に油を注いだだけだった。
「何が悪魔だ! 一体あいつらは何だ? いつから盗賊団を村に抱え込んだ?」
村長は、盗賊団なんてとんでもないと慌てて首を振る。
「違ぇます、違ぇます! あのお方達はそんな悪人じゃありません。この私が天に誓って約束します」
ウェルテの堪忍袋の緒も限界だった。
「悪人じゃない奴等が、通行人を襲ってこんな事をするか? しないだろ! それに、盗賊団じゃないのに青騎士隊をあれほど恐がる理由があるか!」
「そ、それは…… い、今は言えねぇ理由があって……」
歯切れの悪い老人の言葉を遮るようにウェルテはさらに怒鳴る。
「昨日、僕の代わりに集金に訪れた役人がこの近くで殺されたんだ。サリエリって男がバルテルミ村にも来ただろう! それをお前達が殺したんだ!」
目に怒りの炎をたぎらせてウェルテは村長を睨みつけた。ウェルテの顔を見て村長は真っ青な顔でかぶりを振る。
「と、とんでもねぇ! そ、そんな恐ろしい事。そんなお方、知らねぇです! それに、昨日は誰もお出でじゃねぇ! もし来たとしても、そんな、殺すなんて…… 自分も、あのお方達も絶対にしねぇ。ほんとです!」
「村長がやらずとも、あの連中ならやりかねないだろ! 今回の辱め、決して忘れないからな!」
普段はとても温厚なウェルテが今にも食い掛かりそうな剣幕で睨むので、村長はとうとう絶句してしまった。
その後二人はしばらく、黙って森を歩きつづけた。ようやく、頭に上った血も下りてきたのか、ウェルテは少し冷静さを取り戻した。ラムジーの言葉を信じるならば、昨日サリエリはバルテルミ村へは来なかった事になる。そうなると、サリエリは、エルベ荘園からバルテルミ村へと至る道中のどこかで殺害されたのだろうか。
「あのぉ、スタックハースト様。そろそろ街道です。自分はここらで村に戻ることにしますが……」
村長が言うので、ウェルテは縛られた後ろ手を見せた。
「……早くこの手の綱を切ってくれ」
村長はウェルテの剣を地面に置き、なぜかロープを取り出した。
「あの、スタックハースト様。大変申し訳ねぇですが、お足も縛らせてもらいます」
そう言うなり、ラムジーは農夫特有の怪力でウェルテを突き飛ばした。そして、羊の毛を刈る下準備の要領で、暴れるウェルテの両足首をあっという間に縛り上げた。
「お前は、大嘘つきだ! はじめからこういう魂胆だったんだな!」
つつかれた芋虫のようにジタバタ暴れるウェルテへ、ラムジーは泣きそうな顔で詫びる。
「すんません、すんません! これが一番いい方法なんです。このお詫びはいつか必ず……」
ラムジーはそう何回も頭を下げると森の奥へと逃げていった。
ラムジー老人が去った後、両手両足を縛られたウェルテは、呆然と森の中に寝そべっていた。とりあえず命は助かったようだが、まったく身動きがとれない。近くのには抜き身のレイピアとマンゴーシュがあるので、縄を切るためそこまで転がってみたが、どうにも、うまく柄を掴む事ができない。
ここはもうアイアン街道のすぐ近くで、石畳を叩く馬の蹄の音や馬車の音も聞こえるが、何度叫んでも、誰かが助けに来てくれる様子は無かった。森の奥からは角笛の音が何度も聞こえる。一体何が起きているのだろう。
しばらくすると、多くの馬の歩く音が森から聞こえてきた。
「誰かー、助けてくださいー! 誰かー、助けて!」
寝転がったままウェルテが叫ぶと、馬の足音はどんどん近づいてくる。
数頭の馬の脚と、あぶみにのった拍車付きのブーツが視界に入った。
「よかった! 助けてく……」
身を捩ってなんとか上を見上げたウェルテは言葉を詰まらせた。
その馬上の男達は、鈍く輝く胸甲に青いクロークをまとい、腰には長剣、頭には青い羽飾りの三角帽を身に着けていた。悪名高いアグレッサ青騎士隊だった。
「た、助けてくれ! 盗賊にやられた! 盗賊め、バルテルミ村を乗っ取って根城にしているようだ。急いで捕まえてくれ」
普段は関わりたくない相手だが、今は一番頼りになりそうな連中だと思い、ウェルテは男達を見上げながら叫ぶ。
青騎士隊の騎兵達は不思議なものを見るような顔でウェルテを見ている。
「隊長、こちらへ! 怪しげな男を見つけました」
「待ってよ! 怪しくない。徴税役場のウェルテ・スタックハーストだ」
ウェルテの抗議をよそに、隊列の後ろから青いマントを羽織った男がやってきてウェルテを見下ろした。腰には時代遅れのごついロングソードを佩き、マントの下には同じく流行遅れなプレートアーマーを着込んでいる。右顎の深い裂傷の痕を口元のヒゲで隠したその顔は、ウェルテも何度か街中で見たことがあった。
──クラレンス・ガイヤール……
血も涙も無い冷血漢として知られる、青騎士隊の隊長だった。
「早く縄を解いてくれ。バルテルミ村に賊がいる」
ガイヤールは酷薄そうな灰色の目でウェルテを見下ろしながら、それには答えずに部下へと指示をとばした。
「二小隊をバルテルミ村へ回せ。怪しい者は全員捕らえろ」
すると、森の奥から早足で駆けて来る蹄の音が響いてきた。
「申し上げます! バルテルミ村の方面より大きな煙が立ち昇っています。火災が発生しているようです!」
「わかった。我々は南、東、北の三隊に分かれてバルテルミ村へ向かう。不審な者は全て捕らえろ。抵抗するならば即座に殺せ。伝令! ノックス砦から応援を出し、西方から森を探索させろ」
伝令は了解し馬の頭を回して早足で去ってゆく。ガイヤールの横にいた騎士が角笛を吹き、命令を伝え始めた。
再び、ガイヤールの灰色の目がウェルテへと向けられた。
「この男は城に連行し、厳しく取り調べろ」
「ちょっと、ふざけるな! こっちは被害者だぞ!」
先程と異なり、ウェルテの叫び声にはいくぶん恐怖の色が混じっていた。抗議も虚しくウェルテは、武装した歩兵二人に掴み上げられ、街道の方へと引きずられていった。




