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エルベ荘園

 ウェルテはアグレッサの西門をくぐり、石敷のアイアン街道を西へと急いでいた。アグレッサの街は平野部の真ん中にあり、町の周囲は草原となっている。遠くには羊の群れを追い立てる牧童や、収穫直前の麦畑を見て廻る農夫の姿が見えた。アイアン街道はその平原の真ん中をまっすぐ西へ向かって伸びていた。

 サリエリは昨日、ほとんど同じ時間にここを通って森へと向かったはずだった。歩みを進めながら、ウェルテはサリエリと初めて会った時の事を思い出した。

 読み書きとソロバンができたウェルテがアグレッサの徴税役場で見習い兼下働きの仕事を得たのは二年前の事だ。

「よう! プラムベリーから来たんだって? あそこはアグレッサより暖かくていい所なんだってな?」

そう人好きのする笑顔で気さくに話し掛けてきたのがサリエリだった。もう住む場所は決まっているのか?と問うサリエリにウェルテは町の北側にある下宿屋にしようかと思っていると応えた。

「やめとけ、やめとけ。盛り場に近すぎる。酒を飲みに行くには近くていいけど、あの辺は夜中も騒がしいし。ならず者も多い。それに、あの界隈はネズミやシラミが多い地区だ。下手な部屋に入ったら大変だぞ」

それを聞いたウェルテはさぞ青い顔をしていたのだろう。サリエリは大きく笑いながら言った。

「心配すんなって。もっといい、きれいな部屋を紹介してやるよ」

そしてサリエリは、街の西側にある住宅街にある、こじんまりとはしているが瀟洒な下宿を紹介してくれた。実際そこは、清潔で日当たりも悪くない、手ごろな宿賃で生活できる部屋だった。以来、ウェルテはそこにから役場へと通っている。

 その後もサリエリは、ウェルテになにかと世話を焼き、ウェルテはアグレッサでの生活にすぐに慣れることができた。仕事の外回り先で一緒にサボって昼寝をしたり、時には酒を飲み、酔っ払って下手くそな詩を吟じて酒場の笑いものになったり、調子にのってハマった賭けすごろくで危うく破産寸前になったりと、くだらないが非常に楽しかった思い出がウェルテの脳裏に蘇ってくる。

 ウェルテから見て、そんなサリエリに恨みを抱く人物がいたようには思えなかった。顔に似合わず農村の娘に良くもてていたのは、ウェルテも知っていたが、そのせいで恨みを抱かれたりトラブルになったという話も聞いたことが無い。むしろ、その手の愚にもつかないトラブルはナイジェルが一、二度もちこんできたことがあったが……

 一方で、もし怨恨ではなく、通りすがりの場当たり盗賊にやられたのだとすれば、それはそれでやりきれない事だ。確かに盗賊はアグレッサに限らずどこにでもはびこっている。事実、ガスコンも同じ日に霞の森で襲撃を受けたくらいだ。森の中には複数の盗賊団が潜んでいるとも言われていた。サリエリは不運にも、その凶悪な盗賊に出くわしてしまったのだろうか。そこまで想像し、ウェルテは急に怒りが吹き上がってくるのを感じていた。

 ウェルテは、昨日からサリエリの足跡を辿る事にしようと決めていた。そうすれば、今はまだ全く判らない事件の一端が自分にも理解できるかもしれないと思ったからだ。その為に、今日は日の昇る前に起き出し、レイピアとマンゴーシュの刃を入念に研ぎ、油を引いておいた。ウェルテは決して粗暴でも、好戦的な性格でもなかったが、その腕に覚えが無いわけではないし、以前に友人の持ち込んだトラブルに巻き込まれ、止む無く剣で物事を解決した事もある。もし途中で盗賊が向かってこようものなら、今回ばかりはサリエリの仇とばかりに容赦無く斬り倒すつもりだった。

 ウェルテは馬の鳴らす蹄の音で我に返った。さっきから何度も、荷台を膨らませた多くの荷馬車が、ウェルテを追い越したり、すれ違ったりした。この街道はアグレッサを支える大動脈の一つであり、使われている馬車や馬などの運搬手段は全てアグレッサ荷車ギルドに加盟しているか、もしくはギルドと提携した領外の商人のものだった。

 街を出て一時間半ばかり歩くと、街道は鬱蒼とした森の入口に差し掛かる。アグレッサ領の西に広がる霞の森の入口だった。街道は森を切り払ってまっすぐ西のノックス砦へと繋がっている。今日の空は曇り。霞の森には薄いもやが掛かっていた。舗装された街道をしばらく進むと、木々を伐採してつくった、馬車が二台並んで通れるくらいの幅の砂利道が右手にあらわれる。

 ウェルテは街道を離れ、森の奥へと繋がるその枝道へと進んでいった。街道から逸れた途端、人の往来はほとんど無くなった。この先、道は何度か枝分かれして、領主直轄農地であるエルベ荘園へとつながっている。帽子やクロークがもやに晒されて湿ってゆく。じめじめとして涼しい森だ。耳に届くのは小鳥の声と砂利を踏みしめる足音だけだ。ウェルテが足を進めると、道の右側に丸太でつくられた人の背丈ほどの塀があらわれた。塀はまるで砦の柵のように森の奥からこの枝道の横を走り、また森の奥のほうへと続いている。塀の奥は領主専用の狩猟用鳥獣保護区になっており、許可の無い者の立ち入りは硬く禁じられていた。その塀は、保護区内の鹿や猪、狐など、狩りの獲物が外へ逃げてしまうこと防ぐ為のもので、森の恵の枯渇を防ぎその独占を保証するためのものだった。

 塀が見えなくなり、さらに歩きつづけると森が広く切り開かれた耕作地に出る。簡単な木の柵を越え、ウェルテはエルベ荘園へとやってきた。開けた視界には耕作地が広がり、そのまん中にこじんまりとした集落がある。ウェルテは畑のあぜ道をつたって集落へと向かった。そこでは農夫達が、藁をふいた家のひさしの下にしゃがみ、硬そうなパンをかじっている。ちょうど昼食の時間だったようだ。

「こんにちはー」

ウェルテが挨拶すると、農夫達は顔を上げた。

「毎度どーも、お役人様」

「あんれ、今日もおいでですか? たすか昨日も、よく肥えた方がロバに乗って、来なすったけども?」

――やはりサリエリはここへは来ていたんだ。

「今日はちょっと別件で。そういえば、そいつ昨日はいつ頃ここ通ったか判りますか?」

「丁度、昼飯の一時半ほど前だったかね?」

ウェルテは愛想良く笑ってうなずいた。

「そっか、ありがとう。お邪魔しました」

 ウェルテは足早に集落を通り抜けると、ウェルテは先程よりも厳しい表情になった。今、アグレッサは収穫期を迎え、最も食料が豊富な時期だった。この時期は貧しい小作農ですら、それなりの贅沢が許される季節だった。だが、今見た農民達は二人一組で一つのパンを分けて食べていた。それ以上にウェルテが驚いたのは、昼食がその半切れのパンだけだったことだ。数週間前に来た時は、彼らも野菜や煮込み料理などのおかずも食べていた。今年の穀物の収穫数は危機的に少ないのではと感じ、ウェルテは強い不安を感じ始めた。食糧不足は農村だけでなくその地域一帯の安全を脅かすからだ。

 そのまま、ウェルテは村はずれにある粉挽き小屋へと向かった。粉挽き小屋は荘園に流れる小川の辺に建てられていて、小屋の横には動力の源である水車が回っていた。そして、小川の向うには三階建ての頑丈な石造りの館が建っている。それは、マナーハウスと呼ばれる領主の別宅と代官所を兼ねた建物で、荘園の農民達を監督する役人達が詰めている。

 もっとも、ウェルテがいつも仕事で訪れるのはマナーハウスではなく、その手前の粉挽き小屋の方だった。この村は領主の荘園にあるので、そこの地代はすべて荘園付きの代官に直接納められる。だが、直接農業に従事していない粉挽き業者だけはウェルテのような徴税吏を通して領主に税を納めていた。

 ウェルテの背丈の二倍半はあるかという大きな下射式水車が水音を立てながらゆっくりと回っている。木造の粉挽き小屋の開け放たれたドアから中を覗くと、粉屋のヒッグスが昼飯を貪っていた。小屋の作業場では木でできた歯車が組み合わされ、大きな石臼が回っている。

「また来たのか! 支払いは昨日済んだはずだぞ」

ウェルテを見るなり、太っちょのヒッグスは小屋の騒音に負けないように怒鳴る。

「ということは、昨日、僕の代理が来たんだな?」

「何訳の判らないこと言ってやがる。おたくが風邪引いたからつって、ロバに乗ったでかい奴を寄越しただろう? こっちは二十シルバも分捕られて涙もでねぇよ!」

ウェルテはうなずいた。サリエリはここでウェルテの替わりに、きちんとヒッグスから税を徴収していったのだ。

「ならいい、別に徴収に来たわけじゃない」

そう言うと、粉屋は少し落ち着いた様子で昼食を再開した。粗末な小さいテーブルの上には硬いパンと肉団子の入ったスープにオレンジ、それにエールまである。

 どこの村でも粉屋は儲かる商売だった。というのも、農民が領主へ地代を納める場合、主要作物である麦を粉にした上で換金してから納めなければならなかった。だから、農民は水車小屋と大きな臼を持つ粉挽き屋に依頼して粉にした上で現金に換えてもらっていた。その際、必ず粉屋から加工賃と手数料をとられるのはいうまでもない。だったら、農民は自分で麦を粉にすればいいでのはということになるが、この大陸の東側では、各地の領主が石臼と粉挽きの権益を完全に押さえていた。一般市民や農民による石臼の所有は厳しく制限され、粉挽き業は完全な免許制がとられていた。

 ことアグレッサでは、もぐりの粉挽き行為は重罪であり、見つかった者は青騎士隊によって容赦無く両手首を切り落とされた。もし粉屋を始めようと思う者は最初に、領主へ莫大な免許料を支払って石臼や水車小屋を設置する権限をもらい、毎月特別税を払いつづける必要があった。だがそれらの負担を差し引いても、粉屋は実入り多い商売だった。

「で、何しに来たんだよ?」

 ヒッグスはスープをズルズルとすすりながら訝しげな目でウェルテを見た。ウェルテは腕を組んで壁に寄りかかり、回っている石臼を見ながら言った。

「ここへ来た僕の代理…… 昨日、森で殺された。犯人を探してる」

ヒッグスがむせて顔を上げた。

「おい、冗談だろ?」

ウェルテの真面目な顔を見てヒッグスは表情を硬くした。

「どこでやられたんだ?」

「街道沿いのわき道で森の入口に近いところとだけ聞いている。彼が来て、何か変わったことは無かった?」

ヒッグスは首を振った。

「知らん、知らん。俺は言われるまま今月の水車税と臼税を払って…… いいか俺は確かにちゃんと二十シルバ払ったんだぞ?」

「それはわかったから、それで彼はどうしたんだ?」

「ロバに乗って来た道の方へ帰ったよ。なんか、まだ回るところがあるとか言ってたな」

ウェルテはため息をついてうなずいた。

 小川の向うに見えるマナーハウスの入口では、数人の男達が長剣を研いでいる姿が小さく見えた。

「ずいぶんと賑やかだな、領主はまた狩猟会でも開くのか?」

平時に大きな剣を差しているのは騎士や兵士を除けば、猟師くらいのものだ。

「かもな…… 俺達には関係ねぇよ。ただ、なんか狩人みたいなやつらが大勢来ていて、ちょっと騒がしいんだ。あ、そういや……」

ヒッグスは食卓から顔を上げてマナーハウスの方を見た。

「昨日は丁度、ギルドの荷馬車が何台か来ていて、食い物をやたらあの館へ運び込んでいた。おたくのその気の毒な奴が、宴でも開かれるのかって聞くから、わからねぇって答えたけど、なんか興味深々って感じで見てたぜ」

ヒッグスの話を聞きながら、ウェルテはマナーハウスを見つめていた。三角帽を被った代官所の役人らしき男達が、ウェルテのいる水車小屋を警戒するように見つめていた。

「そうか、ありがとう。食事中にお邪魔様」

ウェルテはそう言って水車小屋を後に、元来た道を引き返しはじめた。敢えてマナーハウスの方を見ないように歩いてきたが、村はずれで一度振り返ってみると、三角帽の男達は依然、ウェルテをじっと見張っていた。

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