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神のものと剣のもの

 ウェルテの眼前を通り過ぎた黒塗りの馬車は街の中心部にある領主館〈アグレッサ城〉の城門を越えて、芝の生い茂った大きな館のエントランスに止まった。すぐに館の使用人達が整列し、馬車のドアを開ける。馬車の中から、フォルス教会の赤いゆったりした法衣に身を包んだ姿勢の悪い色白の小男がサイドステップに降り立つ。館からは、鮮やかな金糸に彩られた上着に半ズボンとタイツを着た背の高いがっしりした中年の男が歩み出て、笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。

 出向えを受けた法衣の男、宗教的権威をもってこの大陸を支配するフォルス教会の幹部聖職者であるドミニク・ホルヘ祭務官は両手で印を結んでその場にいた者らを祝福した。

「ようこそ祭務官様、遠路はるばるこのアグレッサまで、よくおいでくださいました」

出迎えた男、アグレッサ公フランツ・ド・ゾロッソは祭務官の手を引き、館の中へと招き入れた。

 アグレッサの領主であるフランツ・ド・ゾロッソの居館であるアグレッサ城の応接室は、館の二階南東の角にある。壁は漆喰と化粧板におおわれ、天井からは高価なシャンデリアが吊るされた、開放感と清潔感のある広い部屋だった。室内には安楽椅子や高価な諸外国の調度品が並び、アグレッサの豊かさを誇示している。

 白い漆喰の塗られた壁には、大きな布製の地図が掛かっていた。アグレッサを中心に、この大陸の東側を描いた物で、周囲に多くの都市国家諸国の場所と地名、それに街道が記されている。地図の右端、すなわち日の昇る東側は大洋を示す青で塗られている。海と陸地の境界にひときわ大きく名前が書いてある街が大港湾都市であるポート・フォリオである。ポート・フォリオから西の内陸平野部へは大きな街道が一本伸びている。その道はいくつかの関所を越えてアグレッサに繋がっている。さらに道はアグレッサから南北と西へ伸びている。内陸の国や街がポート・フォリオへアクセスするには必ず、アグレッサを経由することになっていた。

 一方、アグレッサから南へ伸びた街道は幾つかの関や砦、都市国家を経由してフォルス教の教主が住まう宗教都市グライトへと繋がっていた。反対に、北方に伸びた街道は幾つかの都市国家を経由して枝分かれし、北部の大穀倉地帯を治める国々へと伸びていた。

 アグレッサ公フランツは、グライトの街から訪れた教会の実力者であるホルヘ祭務官をこの応接室へと連れてきた。二人は向かい合わせに安楽椅子に座ると、給仕係の者がすぐにガラス製の高価なグラスとデキャンターに入ったぶどう酒をもってきた。酒が注がれ、もてなしの軽食がサイドテーブルに置かれると、館の主は召使い達に退室を命じた。

 ぶどう酒を一飲みし、ホルヘは安楽椅子へとふんぞり返った。

「フランツ、教主様は汝の毎年変わらぬ救済税の納付に大変感銘を受け、喜んでおられる。近頃の領主どもときたら、飢饉だ干ばつだと言い訳を並べ、聖なる救済の為の出資を渋っておる。呆れ果てて二の句もつげん」

フランツは狡猾な笑みを浮かべてうなずいた。

「御意。まったく神を恐れぬ所業、この私めには理解できかねます」

猫背の祭務官は椅子に深く腰掛け横柄に足を組むと、グラスに満たされた高価なぶどう酒をグビグビと飲み干した。

「特に、教主様はまだこの大地で異端者や異教徒が、我々同様に息をして日々を過ごしている事に、大層お心を痛めておられる。近々、再度の異端討伐のための宗教令を発布されるお心積もりだが…… そのためには諸国領主しいては信徒全員の一層の助力が不可欠だ。判るな? フランツ」

「はい、私も同じ考えで御座います」

フランツは祭務官の杯にぶどう酒を注ぎたしながら同意した。

「さらに教主様は、信徒達の死後の魂の救済をより確かなものとする為、グライトの大聖堂の拡張工事をお考えだ」

「なんと素晴らしい。建設開始の暁にはアグレッサからも選りすぐりの大工達を派遣致します」

 フォルス教の教典には本来、大聖堂の規模と魂の救済に因果関係があると記した箇所は存在しなかった。これまでに、この事実を一部聖職者や神学生が公の場で指摘してきたが、彼等は全て教主より異端者の宣告を受け、火刑台の灰と消えていった。

「ところで、祭務官様…… 異端者の討伐にあたり、例の件に関して、教主様はいかがお考えでしょうか?」

 フランツは声のトーンを落として、囁くように尋ねた。祭務官はワインを満たしたグラスを揺らしながら壁に掛けられた大きな地図へと目をやる。

「判っておる…… 教主様は、善きに計らえと仰せだ。事が万事済んだ後、教主様は汝の行動を正当と宣言され、追認なさるそうだ」

祭務官はそう言って、地図の上部に位置するある都市国家の地名を見つめた。それは広い穀倉地帯と北部の山地を領土として有する都市国家で、良質な小麦の産地として有名なグレープスの街だった。

「グレープス公め…… 凶作の為とうそぶき、今年は救済税を教会規定の半分しかグライトへ送ってよこさなかった。それだけでも許されないというに、あの領主は北部に逃れた異端どもを討伐するよう命令を下しても、従うどころか異端者に居住権を与え保護しているというではないか。この事には教主様も大層お怒りだ」

酒のせいか、ホルヘはだいぶ饒舌になってきた。

「フランツ、準備の方はどうなっておる? もしも失敗すればお前だけではなく、この私まで窮地に立たされる事になる」

アグレッサ公は男爵ひげをひきつらせて、笑った。

「ご心配には及びません。手筈は整っております。グレープスは間もなく収穫の時期を迎え、祭りの準備が始まっています。我々はある旅芸人の一座を雇いました。我が精鋭の兵士や騎士達をその芸人の一座に紛れ込ませてグレープスの市中へ送り込みます。祭りの間は、市民だけではなく警備の騎士達も浮かれ騒ぎ、防備は手薄になります。その隙に我が兵士達が城門や市門を押さえ、街の付近に潜ませていた本隊を城内に引き入れてグレープス公を倒す計画です。その直後、私が直々にグレープスへ赴き、神の名においての天誅をなした事を宣言いたします」

フランツの説明に、祭務官はうなずいた。

「あの街の軍は決して強力ではないが、グレープスは非常に豊かな街だ。それに騎士達の結束は固いと聞く。油断してかかるでないぞ」

「ご心配には及びません。商人にアーロンの街から最新の武器を取り寄せさせました。準備は最終段階に入っております」

フランツは地図を指さしながら言った。

「グレープスを攻略した暁にはホルヘ様を通して、教会へ今の三倍の救済税をお納め致します。さすれば教会の次期祭務長の座もホルヘ様の手に……」

フランツの言葉を祭務官は咳をして打ち消した。

「フランツ、声が大きいぞ」

「これは失礼を致しました」

 その時、オークでできたドアがコツコツと音を立てた。フランツが入室を命じると、背の高い痩せた男、アグレッサ城で領内の事務・管理を一手に担う家令のジョバンニ・ペレスが入ってきた。

「旦那様、ガイヤール騎士隊長が至急ご報告したい事があると、参っております」

「わかった、すぐ行く。祭務官様に新しいぶどう酒をお持ちしろ」

フランツは家令にそう命じて席を立った。

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