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『ジギタリスの悲劇』

 サンドウィッチとオレンジを腹の中に片づけたウェルテは背後の鐘楼の時計を見上げた。約束の時間まで、まだ二時間近くあった。

「せっかくだから広場を見て廻ろうよ」

ウェルテは二人にそう言って立ち上がった。

 ガスコンは北方から届く新鮮なエールに、ナイジェルは新世界やハイカラな南方の都市から届く美術品や調度品に、ウェルテは西方の工業都市群から届く刀剣や武具に、それぞれ興味があったのだが、人と仮店舗でぎゅうぎゅう詰めになった広場では自由に身動きできず、とりあえずどんな物が売られているのかを簡単に見て廻る事にした。

「金がありゃ珍しいスパイスやソーセージでも買ってってやるところなんだがなぁ……」

ガスコンの呟きにナイジェルがここぞと噛みついた。

「私ならそんなケチなものでなく、宝石や香水を買って贈る所だがね。そもそも、今日は何故、麗しのロクサーヌがここにいないのだ?」

「ロクサーヌは宿屋の仕事が忙しいからね。宿は満室だし、お客の食事の準備もあるみたいだから」

ウェルテの言葉を聞き、ナイジェルは嫌な笑みを浮かべた。

「そうか、なんといたわしい…… 私が疑問なのは、ロクサーヌがそうまで忙しくしているというに、大の男が二人で昼間から祭を満喫しているというのは、何とも解せんな。そもそもパンタグリュエル、お前新しい仕事は見つかったのか?」

珍しくガスコンはたじろいだ。

「いや、そりゃ、その…… だってよぉ……」

「そもそも暇ならば、何故お前はロクサーヌの手伝いをしてやらんのだ? 食器洗いや洗濯くらいはお前のような無粋者にも勤まると思うが」

思わずウェルテもうなずいてしまった。

「確かにそうだね。ガスコン、なんで手伝いもせずにブラブラしてるんだ? さっさと酒宿のオヤジになれよ」

「お、お前まで何裏切ってんだよ!」

「待てよ、ロクサーヌのようなレディーがこんな甲斐性の無い男と一緒になるのはつまらん。今言った事は忘れてくれたまえ、パンタグリュエル」

 めいめい、好き勝手なことを言っている間にようやく三人は広場の南端まで歩いてきた。

「さぁさぁ、見てらっしゃい、見てらっしゃい。もうすぐはじまるよぉ~! 古くはかの三大悲劇にも並び称される、この世の無常、現世の悲哀を描いた最高傑作、ジギタリスの悲劇。まもなく開幕~!」

そう口上を叫びながら、呼び込みの男がしきりに芝居の宣伝をしている。それはきちんとした芝居小屋ではなく、木箱を積んだだけの演台とカーテンを付けた大きな額縁の中で行われる人形芝居の呼び込みだった。

「一人、二十ブロンか。どんな話か判んないけど、ちょっとだけ見て行かないか?」

「俺は構わないが、金はどうするんだ?」

ガスコンがそう言うと、ウェルテはナイジェルの方を向いた。ああそうかと言わんばかりにガスコンも無言でナイジェルを見つめた。

「これだから貧しい者はあさましくてならん…… よかろう、オレンジの借りもあるしな。三人分だ」

ナイジェルはそう言って革袋から銅貨をとりだした。

 粗末な長椅子は老若男女でもう満席で、あぶれた者は周囲に立って舞台を眺めている。三人はなんとか長椅子の後ろに立ち位置を決めて舞台を見る事にした。

『むかーし、むかし、そのむかしー。おとぎの国の物語~! ある所にジギタリスという、それはそれは豊かな国がありました~。豊かな土地と森の恵みを享受して、思いやりにあふれる国王と領民は助け合い、幸せに暮らしておりました~』

アコーディオンによる音楽と人形術士のセリフと共に、王冠を被った、太った温厚そうなマリオネット人形が王妃や領民の人形を従えて舞台に登場した。

『そんなある年の事~、豊かなジギタリス国を大きな干ばつが襲います。田畑は枯れ果て、小川は干上がり、国中誰もが腹ペコに~。優しき国王は知恵を絞って考えた~。誰もが飢え死にしないためには如何せん~』

マリオネット人形は器用に首を傾げそしてポンと体を起こす。

『そこで国王は思いつきました~。毎年少しずつ溜めていた麦の残りを配れば誰も飢え死にすることはありませぬ~。賢い国王は家来に命じて、蔵の穀物を領民に配ろうと考えました。そんな時です』

色鮮やかな衣服をまとった人形が顎をつきだして、尊大な雰囲気で舞台の袖から現れた。

『やってきたのは偉い偉い大神官。国王より偉い大神官様は言いました~。これより神官様達は悪魔と闘う支度をしなければならない。その為に、あるだけの食べ物を神様にお供えしなければならないと言うではありませんか。ジギタリスの国王は困ってしまいました。もう蔵にも台所にもそれだけの食べ物はないのですから~』

そこへ、王冠を被り鎧を着た人形と、太った顔色の悪い神官の人形が現れた。

『ジギタリスの王様、ジギタリスの王様! そう呼ぶ声がします。やってきたのは隣の国、アクネイト国の若き国王。アクネイト国の王様は言いました。ジギタリスの王様、神官様のお願いには私達も大層困っております。皆で大神官様を説得して、悪魔と闘うのを一年待ってもらいましょう。みんなで一生懸命お願いすれば、大神官様もきっとわかってくださいます。すると、大神官様にお仕えする家来の神官様もジギタリスの王様に言いました。私も一緒に大神官様を説得致します。だから皆でお願い致しましょう~』

それを聞いたジギタリスの国王は嬉しそうに両手を上げて王妃や領民の人形の元へと戻ってきた。

『国王は大喜びでその事を王妃や領民に話しました。これで皆飢え死にしないで済むのです。ただ一人、王妃様だけは心配でした。王様、王様、大神官様にそのような事を言って大丈夫でしょうか? 私は心配でなりませぬ~』

男の人形術士が妙な裏声で王妃のセリフを発するので、観衆はこぞって笑い声をあげた。ウェルテ達も思わずクスクスと笑いだす。

『王様は上機嫌で王妃の言葉を否定しました。みんなで力を合わせれば大神官様だって怖くない! ですが、ジギタリス国の王様は知らなかったのです。その頃、アクネイト国の王様と神官はこんな相談をしていたのです』

場面が変わって、弦楽器が緊迫した音楽を奏で、舞台にはあの鎧を着た若い王と下っ端の神官の人形だけが上がる。アクネイト王と神官は身を寄せ合って小声で話す素振りをした。

『しめしめ、神官様上手くゆきました。これでジギタリスの国王は大神官様の命に盾突くことになりましたぞ。大神官様はきっとさぞやお怒りになることでしょう。それに神官様は答えます。間違いなくお怒りになってあの国王に罰をお与えになるに違いない。二人はこぞって笑いだします。ああ~、なんと恐ろしいことに、ジギタリスの王様は卑劣な陰謀に巻き込まれてしまったのです。何も知らないジギタリスの王様の運命やいかに~!』

次の幕では偉そうな大神官とジギタリスの国王、そして舞台の両端には神官とアクネイト国の国王が控えていた。

『恐ろしい陰謀が待っているとも知らず、ジギタリスの王様は大神官様に、お供え物の献上を一年待ってもらうようお願いしました。大神官様、大神官様、今や田畑は荒れ果て、誰もがお腹をすかせています。悪魔との戦いは一年だけまってはくれますまいか。しかし、どうしたことでしょう~。仲間になってくれるはずの二人はなぜか黙して何も言いません。そして、大神官様はジギタリス王の懇願を聞き、真っ赤になって怒りだしました。するとどうしたことか、一緒に説得してくれるはずだった二人も口々に言いました。悪魔との戦いに反対する者は邪悪な者です。そんな恐ろしい者はこの場で成敗してしまいましょう!』

突然音楽が鳴り、鎧を着たアクネイト国王の人形は長い剣を手にしてジギタリス国王の人形へと詰め寄った。

『ジギタリス国の王様は大層驚いてしまいました。でも、もはやなす術はありません。悪魔め、覚悟ぉ! かわいそうなジギタリスの王様はアクネイト国の王様によって剣でグサリィィィ!』

あまりに酷い仕打ちに観客からもおおぉと嘆きの声が漏れた。

『哀れジギタリスの王様は一突きにされ死んでしまいました。その様を見て大神官様や神官様、そして悪いアクネイトの国王は大喜びです。これで豊かなジギタリスの国は全て自分達のものになるのですから』

 人形劇もそろそろクライマックというところへきて、外野から突然、耳障りなホイッスルの音が割り込んできた。不穏な音にざわつく客の背後からなだれ込んできたのは、十人ばかりの青騎士隊だった。

「不道徳な見世物を供する悪党め、覚悟しろ! かかれ!」

小隊長の号令と共に配下の隊員達が一斉に襲いかかった。舞台は蹴りとばされて斜めに倒れ、演技をしていたマリオネット人形達は糸が切れて硬い石畳に放り出される。音楽をかなでていた奏者や人形術士達は警杖で頭から殴り倒された。客は我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ出しはじめる。

「ズラかるぞ」

ガスコンがウェルテの腕を引っ張り、三人は混乱の乗じて広場から露地裏へと逃げ出した。


 混乱と喧騒をなんとか脱した三人は、町の南側から大通りを避けるように遠回りして帰路についていた。さっきのどさくさに紛れて、ウェルテを尾行していた青騎士隊員もなんとか振り切る事が出来たようだった。

「最後がどういうあらすじになってるのか知らないけど、なんだか救われない話だったね」

「後味の悪い話だったな」

ウェルテの感想にガスコンも同意した。

「それにしても、青騎士の奴等はあの芝居の何が気に入らなかったんだろうね? 教会を悪役にしたネタがやばかったのかな?」

 異端や不信心などの宗教がらみの取り締まりは教会直属の武装集団である教会騎士団が行うことが多かった。青騎士があそこまでムキになって取り締まるほど問題になりそうな人形劇には思えなかったのだ。そんなウェルテの疑問を聞いて、ナイジェルは笑った。

「いやいや、むしろ領主フランツ・ド・ゾロッソの膝元でこのような人形芝居を演じたあの者達の勇敢さに私は敬意を払うぞ。青騎士が潰しにかかるのは当然というべきだ……」

ウェルテとガスコンにはその訳が理解できず顔を見合わせた。

 そんな二人を前に、これだから無知な者は困る、という余計な前置きをしてナイジェルは話し出した。

「今から十数年前、今年のように飢饉で食料が不足していた年のこと、領民思いで聡明と謳われた先のカベルネ公ゲオルグ・ド・フアンナはグライトの教主へ救済税の猶予を願い出た。折り悪く、当時は教主が二回目の異教徒殲滅をかけた聖戦を準備していた頃で、各国の領主や王には多額の救済税取り立てのノルマが課せられていたという」

「思い出したぜ。まだガキだった頃、領主や教会騎士団が掻き集められるだけの兵力を集めて、大陸の中央へ侵攻した事があったな。結局、異教徒の新兵器にボロ負けして、出征した奴の十人に一人も帰ってこなかったって先生から聞いた覚えがある」

「ああ。異教徒を消し去り、その権威を拡大させる事に心血を注いているグライトにとって、仮に飢饉で農民や市民にある程度の犠牲がでようともそんなことは物の数ではないのであろう……」

「そんな教会に領主一人が抗議したって意味あるのかな……」

ウェルテが口を挟む。

「無論皆無だ。そんなことはカベルネ公にも判っていた筈だ。だから、当時はカベルネ公の愚行を笑う者が多かったが、しばらくしてある噂がささやかれるようになったそうだ。というのも、どうやらカベルネ公ゲオルグを焚き付けた狐がいるらしい、とな。カベルネ公は温厚で人望篤い人物だったと聞く。そこへある若い青年貴族が近づきこう言ったという。もしカベルネ公が代表して教主へ異を唱えれば、自分の懇意にしている貴族や領主たちもまとめて一斉に教主へ直訴すると。結束すれば教会も説得できると公は思ったに違いない」

そこまで聞いてウェルテは渋い顔をした。ウェルテにもなんとなく話が見えてきた。

「もしかしてその若い貴族っていうのはここの城にいる……」

「まさしく、若き日のアグレッサ領主のフランツだ。知ってのとおりフランツは野心旺盛で欲深い男だ。それに、三代前の覇権戦争時に姦計と陰謀を巡らしてこのアグレッサを攻め落として我がものとしたゾロッソ家には、カベルネ公ももっと警戒しても良かったのだが…… そこへもう一人、教会のとある聖職者もその貴族と共に、直訴を逡巡する公の背中を熱心に押したそうだ。当時はここの教区の最先任伝導官すぎなかったドミニク・ホルヘ祭務官だ」

「胸糞の悪い話だ……」

ガスコンはそう吐き捨てた。ウェルテもうなずく。

「それで現実のカベルネ公って人は結局どうなったの?」

「先の芝居と変わらん…… 教主は烈火の如く怒り、カベルネ公を即時破門と異端宣告し、それを煽るようにホルヘが強く公の処刑を主張した。頭に血の昇っていた教主はそれを許可し、哀れなゲオルグ・ド・フアンナはグライト大聖堂の『慈愛の間』でなすすべもなく殺されてしまった。公の胸を短剣で突き刺したのはそばに控えていた青騎士隊のガイヤールだと伝わっている。つまるところカベルネ公は最初から教会と二人に陥れられたのだ」

「あのクソ野郎……」

その名を聞き、私怨のあるウェルテは舌打ちした。

 その後のことはウェルテも断片的には知っていた。救済税の過酷な取り立てと飢饉により大陸東側一帯で多くの餓死者を出つつ行われた聖戦は大失敗に終わった。そして豊かなカベルネの町の支配権は一度教会の手に渡った後、教会の代官という形でアグレサ公フランツの腹違いの弟であるサイモン・ド・ゾロッソが新しいカベルネ公の称号を得て今に続いている。

「カベルネ公の奥さんや家族はどうなったの?」

「領地を取り上げられ、住まいを追われ、夫人は心労とショックで病に倒れ、間を開けずに亡くなった。子供達は懇意にしていたどこかの領主に引き取られたということだったが、詳しい事はちょっと忘れてしまったな」

 三人はしばらく無言で路地を歩いた。

「許せない話だね……」

そう真面目な顔で言うウェルテをナイジェルは馬鹿にしたように笑った。

「そう思うか? スタックハースト。確かに正義に反する出来事ではあるが…… あんな者達を信じたカベルネ公は浅慮だったとは思わないか? 彼は一国を預かる領主として少々甘かったという誹りは免れん」

ナイジェルの言葉に、珍しくガスコンも同意するように深くうなずいた。

「正義が勝つ騎士物語なんてものは、本の中でしかお目にかかれねぇもんだ」

「そんな……」

ウェルテには心中には釈然としないものが残った。納得できないのではない。それを納得したくない自分がいた。

「ウェルテ、そろそろだな……」

 大通りへ出る路地でガスコンがウェルテの耳元で言う。取引きの時間が近づいてきた。二人がナイジェルに別れを告げると、ナイジェルは優雅に手を振り例の派手なマスケラを顔に被せる。

「さらばだ友等よ。私はロクサーヌの顔でも拝みに行くとしよう」

「そりゃいい。アイツ今、滅法忙しくて人手を欲しがってるからな。よろしく頼んだぜ」

ガスコン達はそう言って笑うと小走りに走りだした。

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