怒れる騎士と一日の終わり
松明が音を立てて燃え、その炎に照らされて青騎士隊長クラレンス・ガイヤールの顔は真っ赤に染まっていた。その顔は憤怒のあまり口の端がひきつり、大きく見開かれた目は血走っていた。
「見た者はいないのか! 誰一人!」
サンドフォート荘園のマナーハウス門前で怒号が響く。荘園の農民から徴発した穀物用の荷車にのせられた青騎士隊員の遺骸を前に、配下のマン・アット・アームズ達は押し黙った。
「白昼、十三人もの男が無様に斬り殺され、それを誰も見ていないとはどうなっている! それも、全員腕に覚えのあるはずの剣士がだ」
恐縮して頭を垂れていた中隊長が悔しそうに言った。
「今日は朝から霧が濃く、視界が利かないところを奇襲されたようです。抜かりました…… やられたのは、応援要請を受けたマナーハウス詰めの者ばかり。急のことだったため、具足や装備をととのえていない平服の者ばかりです。賊はまさしくそこを突いて包囲を抜けたようです」
ガイヤールは荷車に近寄り、遺体を覆っているクロークをはねのけた。市中警備用のベストにクローク姿の屈強な隊員が、喉を一突きされた無惨な有様で横たわっていた。その隣の遺体は上腹部を真横にばっさりと切り裂かれて、衣類は血塗れだった。
「賊は少なくとも三人以上…… 弓矢でやられた者もおります」
配下の隊員が白木にグレーの羽がついた短い矢を差し出す。鏃が血に染まったその矢を手にしたガイヤールはさらに顔をしかめる。
「益々気に入らん! この矢、何回も弓につがえられた使い古しでもなければ、農夫や野盗がやっつけ仕事でこしらえたものでもない。どこかの町の武具商が大量に作る製品、それも新品だ……」
「恐れながら……」
そう前置きして中隊長は隊員達の亡骸を示した。
「自分も賊の仕業にしては不審に思った点があります。さきほど、荘園付きの床屋に検視をさせましたところ、やられた者の三名はレイピアかエストックで的確に急所を突かれ、いずれもそれが致命傷になったと申しております」
ガイヤールは急に熱が冷めたような顔で中隊長を見た。
「御存じのように、街中で起こるレイピアを使った喧嘩や決闘騒ぎでは、お互い刺せるところを手当たり次第に滅多刺しにして、その一部がたまたま致命傷になったという事例がほとんどです。ですが、今日やられた者達は誰も的確に即時生命に関わる部分を貫かれ、斬られて間もなく絶命しています。この遺体は下腹を下から上へ突かれていますが、レイピアを突き刺してから刃を強く左へねじり込んでいます。その他の傷や狙いどころを見るに、相手を確実に倒すための剣術を身につけた者の犯行です」
「下手人の中にエスパーディオがいたのでしょうか?」
聞いていた参謀の一人がふと疑問を口にした。
エスカルの南方の一部地域では、レイピアを護身用としてではなく攻撃武器として戦時の主装備に位置付けている独特な流派が盛んだった。その地域出身の剣士達は『エスパーディオ』と呼ばれ、彼らが繰り出す素早い、そしてきわめて致命傷になりやすい連続突きは多くのマン・アット・アームズ達に非常に恐れられていた。
「仮に相手が誰であろうと……」
しばし黙っていたガイヤールはゆっくりと言った。静かだが、そこには怒り以上の憎悪と敵意の念がこもった声だった。
「我々に刃向かった者には罰を与えねばならん。それも、誰もが我々に怖れを抱くようなやり方でな……」
「は! 心得ております!」
部下達は姿勢を正してそう応じた。
今回のような事は決して起こってはならない事だった。青騎士隊という武装集団を今日まで支えてきたのは容赦のない暴力と恐怖の力だった。ガイヤールにとって、そんな自分達に挑戦するような者は世に存在してはならない存在だった。グライトの教主が異教徒や異端を恐れるように、ガイヤールは自分達に盾突く反抗心を抱く賊を恐れた。もしそのような不届き者を取り逃がせば、青騎士隊の権威は地に落ち、自分達は存在価値を問われる事になる。それだけでなく、フランツ・ド・ゾロッソの治めるアグレッサの秩序自体が揺らいでしまう懸念もあった。
「街道沿いには武装した歩兵隊を配置し、騎馬兵は日の出前に草原にある集落をしらみつぶしにあたって賊の痕跡をさがせ」
ガイヤールはそう下命し、マナーハウスの方へ歩き出した。熱気で火照った顔に夜の冷たく湿った空気が当たり寒気がした。
ガイヤールはふと足を止めた。彼は、数日前に城で同席した町の警吏隊長の愚痴を思い出したのだ。ならず者同士の喧嘩で大勢の死人が出て、警吏隊は情けない事にその当事者のほとんどを取り逃がしたというものだった。唯一の目撃証言は殴り倒された警吏のもので、レイピアを持った二人連れの男が現場から逃げ去った事以外は見ておらず、詳しい経緯を知っているはずの施療院に運ばれた喧嘩の当事者達は誰も床屋が看る前にこと切れてしまったという。
――腕のいいレイピア使い、か……
ガイヤールは硬い表情のまま、再び館へと歩き出した。
「大丈夫だ。追ってくる奴はいねぇな。じぃさん、奴らによっぽど信頼があるんだな」
丘の草地に腹這いになって周囲をうかがっていたガスコンはそう言って身を起こした。月は高く昇り、三人の足元には影帽子ができるほどの明るさだ。
「村長にはお礼を言うべきかもしれないね」
ズボンやクロークについた芝をはらいながらウェルテが言った。
「この前といい今日といい、村長がいなかったら今頃あいつらに殺されていたよ」
「とんでもねぇ…… 私は当然の事をしたまででさぁ」
「なぁ爺さん、あんたみたいなまっとうな人が、なんであんな連中とつるんでんだ?」
ガスコンもラムジーに疑問をぶつける。ラムジーはうつむき加減にもじもじして言った。
「あの御方達はほんに悪い人達じゃねぇんです。私ら農民の事も良く考えてくれる、優しい御方達なんです。だから私はお力になろうと決めました。ただ、悪い荷車屋に騙され、とても疑り深くなってこんなことに……」
「結局、あいつらは何者なの? ガスコンは盗賊じゃないって言うし、商人とも教会関係者とも思えない」
「部下にマン・アット・アームズくずれもいるところを見ると、食い潰した地主階級かもしれねぇな……」
そう言うウェルテとガスコンを前に、ラムジー老人は大きく首を振った。
「こればっかりは死んでも言えねぇです。ほんに済みません。ただ、とても気の毒な方達なんです」
その後、何度問い質しても、ラムジーはあの女達の正体について口を割らなかった。
なるべく街道から距離を保ちつつ三人は無言で東に向かっていた。しばらく進むと小川のせせらぎが聞こえてきた。前方には小川の水面が月明かりを受けて白く光っている。
「ウェルテ、ここでちょっと一休みだ」
ガスコンはそう言うと、クロークを脱いでそれを川に浸しはじめた。
「お前もクロークや衣服をすすいだほうがいい。一応、顔も洗っとけ。昼間になって返り血が付いているのを見つけられたら厄介だ」
ウェルテもうなずき、急いで川の水で衣服をジャブジャブ洗いはじめた。二人が入念に上着や手袋の血を拭い、血脂に染まった剣を綺麗に掃除する様を、老人はカンテラを手に黙って見ていた。
草地に広げた洗濯物から水気がとぶのを待つ間、シャツとズボンだけの姿になったウェルテは疲れたようにラムジーの隣へ腰を下ろした。
「明日からは収穫祭だけど、バルテルミ村の人たちは祭へ来るのかな?」
ラムジーはかぶりを振った。
「今年はそんな余裕はねぇでしょう。それどころか、無事に冬を越せねぇ家が何軒出るか……」
「アグレッサ中、どこも酷いな……」
ウェルテは昼間訪れたローズウッドやスワインヴィルの様子を思い出した。
「もう一休みしたら出発しよう。幸い祭の前夜だから夜通し市門は開きっぱなしだ」
革のクロークを何度も払ってからガスコンがウェルテの横に座り込んだ。履きづぶれてズタボロになったガスコンのブーツのつま先がウェルテの視界に入った。
「今日は散々だったけど…… お互いケガがなくてよかった」
「そうだな、あれだけの斬り合いをやらかして無傷で済んだのは奇跡だ」
ガスコンは左手に巻いた包帯を見ながらうなずいた。
しばらくは流れの水音のみが耳に届いてきた。三人とも何も言わずにぼんやりとほのかに光る川面をみつめていた。
「生乾きだが、そろそろ行くか」
ガスコンが立ち上がり、革のクロークを何度もはたいて水玉をとばした。
「村長、もうこの辺でいいよ。ここからアグレッサまですぐだから」
追手も刺客も無さそうなのでウェルテはラムジーにそう言った。
「明日の取引はよろしく。呼び出しておいてなんだけど、村長は正体がバレてるから街中ではくれぐれも気をつけて」
「へぇ、スタックハースト様達もどうかお気をつけくだせぇ……」
ラムジーは深々とお辞儀をすると元来た草原へ戻って行った。
ラムジーの背中が闇に溶けると、ウェルテとガスコンは水を吸った衣服を身につけ、夜の寒さにふるえながら、アグレッサへ向けて歩きはじめた。
「ガスコン、さっきからいろいろと考えてたんだけど……」
しばらく歩いたところでウェルテが口を開いた。
「この件からは一端手を引こうかと思うんだ。仇討ちの相手も判らないままだけど、ちょっと手に負えない段階になってきたよ。今日は本当にもう死ぬかと思った……」
ガスコンは深くうなずいた。
「それでいい…… 人や物事には領分ってもんがある。おれ達二人とも、今日は明らかにヤバイ一線を越えちまってた。戻れるうちの戻らねぇと取り返しがつかねぇからな」
「うん……」
ウェルテはそう答えてうつむいた。
ウェルテは、サリエリや一昨日に出会ったガトウッド村のマリーの顔を思い出していた。サリエリは無力な自分をどう思うだろうか? マリーはこれまで判った事を説明しただけで納得してくれるだろうか? 自分の無力さと、残されたわずかな手掛かりが無言でウェルテの心を圧迫した。そもそも、男装の女やラムジーの一派の言うことが真実だったとして、サリエリの仇は一体誰なのか? 徴税役場のアカバスは一体何の目的でサリエリに秘密の調べ事などをさせていたのか? 何一つ判らないままだったが、現実の物事は自分が愛読してきた勧善懲悪の騎士道物語のようにはいかない事をウェルテは改めて痛感していた。
ガスコンはウェルテから顔を逸らして言った。
「そんな顔しなくていい。自分の敵討ちの為に友達が危ない目に遭うのを喜ぶ野郎なんかいやしない。少なくともお前は本来のやるべき仕事に戻るんだな。仮に役場の爺さんがちょっと胡散臭くてもだ。何かを探るのは落ち着いてからでも遅くはない」
ウェルテは深くうなずいた。
「それで考えたんだけど、例のスティレットだけじゃなくて、あの伝書鳩もラムジーの仲間にくれてやったほうがいいんじゃないかと思うんだ」
「おい、急にどうしたんだ?」
ウェルテのあまりに突飛な言葉にガスコンは思わず立ち止まる。
「もしラムジー村長の言うことが正しいなら、あのオトコ女の一味はサリエリとなんの関係もなってことだ。あの連中がオストリッチやギルドとの間でどんな問題を起こしているのかは知らないけど、僕らが関わるべき問題じゃない。ガスコンは一度、仕事中にぶつかってるから色々と思うところはあるだろうけど、臨時雇いの用心棒が深入りして何かの得になるとは思えないよ」
「まぁ…… そりゃそうだな」
ウェルテは続ける。
「だからあんな食えない鳩を抱えているよりも、連中との悪縁はこれを最後に切ってしまおう。それに、もっと身近な事に目を向けた方が利口だ。ところでガスコン、ロクサーヌにツケてる宿代は今どれくらいだ?」
「きゅ、急になんだよ」
「あと、そのブーツもそろそろ新調した方がいい。丁度収穫祭で大市も立つから、安くていいブーツを作ってくれる店もあるだろう」
ウェルテの言わんとするところを悟り、ガスコンは呆れて顔を手で覆った。
「お前、まさかあの鳩を連中に売りつけるつもりか?」
「別にふっかけるつもりはないよ。ただ、あいつらかなり伝書鳩を欲しがってたようだし、こっちは慰謝料くらいもらってもいい筋合いだ。今日の君への手間賃やらで三ゴルドぐらいなら問題ないだろう。きっと一つ返事で出してくれるよ。君のブーツ代とロクサーヌへの宿代。それに余った分はサリエリの墓石を買う足しにしてもらうために、彼の家族にでも渡すさ」
あっさりウェルテが言うので、ガスコンは逆に心配になってきた。
「そりゃいいが、徴税役場のじぃさんには何て説明するんだ?」
「油断した隙に飛んで逃げちゃったとでも言うさ。それに、アカバス先生すらも何を考えていたのか判らない以上、あの人にも用心しないと……」
しばらくガスコンは難しい顔をしたまま黙ってしまった。
「ガスコンはどうしたら一番良いと思う?」
「お前がそうしたいなら、おれに反対する理由はねぇよ。ただ、ロクサーヌに渡す宿代をこんな風に稼いでいいものか、ちょっと迷うがな……」
ガスコンが真面目に悩んだ様子でそう言うので、ウェルテは思わず笑いだしてしまった。
「まったく、そんな事お堅い事ばかり言ってるからろくな勤め口が見つからないんだよ……」
ウェルテはそう呆れながらも、今日一日の出来事を反芻してみた。酷く長い一日だった。ただ、そんな冒険ももう終わりだ。引き下がる事はとても悔しかったし、恥ずかしくもあった。だがもともに生きてゆくには、こんな非日常はしまいにしなければとウェルテは思った。
そんなとき、はるか前方の暗闇から一日の終わり告げる鐘の音が空に響いた。アグレッサ大聖堂の鐘楼の鐘の音だった。二人はその鐘の音が響く方角へ黙々と足を動かしつづけた。
後日、ウェルテ・スタックハーストはガスコン・パンタグリュエルにこう述懐した。無謀な復讐を諦めたこの日こそ、実はその後に待ち受うける大事件に関わる、もう引き返せない分かれ道を選んで進み始めてしまった時だったと。




