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月下の対峙

 白い月に照らされて、牧草地の丘陵の輪郭がぼんやりと闇に浮かび上がってきた。ときどき草原を吹き抜ける風と草の音以外はなにも聞こえない。

 そんなアイアン街道に面する小さな丘から男が二人、足音もたてずに駆け降りてきた。

「青騎士の動きがようやく収まったようです。武装した兵士の往来も見られなくなりました」

その報告を聞き、牧童から借り上げた粗末な休息小屋に身を潜めていた黒衣の女はほっとしたように小さく息を吐いた。やはり、森の外に新しい隠れ場所を求めたのは間違いではなかった。青騎士も今日は森の捜索だけで手一杯のはずだ。だが、それも今夜までだろう。明日にはここへも捜索の手が及ぶのは間違いない。

「わかったわ、でも警戒は怠らないで」

女はそう言うとカンテラの上蓋を開き、油を吸った芯の上で火打石を三度打った。オレンジ色の火花が咲き、小さな種火が灯る。カンテラの灯りが大きくなると、女は折りたたまれたパピルスに書かれた手紙を広げた。その手紙を一読すると、女はおもむろにキャバリアー・ハットを目深にかぶり直し、カンテラの火を吹き消した。月明かりがわずかに差し込む暗闇のなかで、女が鼻をすする音のみが小屋に響いた。周囲の男達は誰一人口を開かずに待った。少し静かになってから、女はようやくカンテラに火を入れた。

「命がけでこの子を連れてきてくれた村長には感謝しないといけないわ」

女は鼻声で言いながら赤く腫れた瞼にモノクルをのせ、足元にうずくまって寝ている鳩を軽くなでた。

「本国はなんと?」

女のそばに控えていた年かさの男が控えめな低い声でたずねた。

「わたし達の事をとても心配してる。すぐにでも連絡しないといけないのだけど…… でも、まだあの方にだけには知られたくない。あの時、鳩さえ失わなければ……」

手元に使える鳩は残っていなかった。女は無念のあまり思わず親指の爪にかじりついた。

「こんな場ですが、そのようなはしたない真似はお止めください。曲がりなりにも……」

「そうね判ったから小言は止めて。そうでなくても、一つ厄介な問題が残っているんだから……」

女は白い顔を険しく歪ませ、自分の左腕に巻かれた血のにじむ包帯を押さえた。


 この農機具小屋の中に身を潜めてからどれくらい時間が経ったろうか。安全だと判ったのか周囲で人々の動き出す気配がした。ガスコンはわきに座り込んでいるウェルテを肘で突いた。

「トンズラするなら今だ……」

ウェルテも無言うなずき、腰を浮かせた。そのすぐ隣にはラムジー老人が壁にもたれたままうたた寝をはじめていた。外は真っ暗である。ウェルテも、逃げるには良いチャンスだと思った。

 青騎士の包囲を破り、森を脱出してから、ガスコンとウェルテはラムジーについて辛くも追手の追撃を巻き、この牧草地の物置に逃げ込んだのは夕暮れ時のことだった。それからというもの、ラムジーや胡散臭い一団と共にじっと物置小屋に身を潜めていたのだった。

 ウェルテ達は月明かりを避けるようにそっと小屋から外へと踏み出した。

「そう急ぐこともなかろう」

男の声がして、ウェルテはギクリとして足を止めた。見回せば、二人は既に十人ばかりの武装した男達に囲まれていた。

――遅かったか!

ガスコンは咄嗟に剣の柄を掴む。一方、ウェルテは色を失いながらも一挙動でレイピアを抜き放つや、一番手近な一人に問答無用で斬りかかった。

「あ、よせ……」

ガスコンの諭す間もなく、腰の剣を抜こうとしていた相手の右腕がウェルテのレイピアに貫かれた。不運なその男は右手を抱えて悶絶する。

「次は誰だ!」

恐怖で裏が返ったウェルテの声が夜空に木霊する。

――馬鹿野郎…… 先に剣を抜く奴があるか!

なるべく穏便にこの場から脱出しようと考えていたガスコンだったが、状況が完全にこじれてしまったので仕方なくカットラスを抜いた。

「どういうつもりか知らねぇが、二人だけで死ぬ気はねぇ。ぶつ切りにされたい奴からかかってきやがれ!」

ガスコンは両手の剣を高く構え、周囲の男達を威圧する。

「そんな事が言える立場か?」

輪になった男達の後ろから、例の女がカンテラを手に姿を見せた。月光を反射して白くきらめくモノクルの奥から敵意みなぎる視線を二人に送り、灯りの入ったカンテラをまっすぐに掲げた。すると、その両脇に控えていた男二人が単弓に矢をつがえ、弦を引き絞った。弓がしなりキリキリと低く鳴った。

 ガスコンもウェルテも凍りついたように立ちすくんだ。

――クソッタレ! 射手は二人…… 一の矢をかわせば道はある…… 落ち着くんだ、その隙にサードブレイカーを投げて射手を倒し、側面の敵を斬れば……

これまでの戦場でも危機的な状況はいくらでもあった。ガスコンはとにかく冷静になるよう自分に言い聞かせながら、射手達を警戒しつつ、次の対策を必死で思い巡らしていた。だが、ウェルテの思考はより破滅的なものだった。

――最悪だ! 引き際を間違えた! もうおしまいだ! あああ、あのクソ女め! こうなったら一人で死んでたまるか! 大勢道連れにして死んでやるぞ!

ウェルテは怒りと恐怖と興奮によって、剣を持つ右手をぶるぶる震わせながら女を睨んだ。

 もはやこれまでと、ウェルテが無謀な踏みこみをかけようとするその刹那、ウェルテ達を庇うようにラムジー老人が割って入った。

「いけません! この方々と争ってはなりませんだ! どうかこの方達を自由にしてくだせぇませ」

一瞬、周囲の男達そして問題の女も動揺の色を見せた。そして幸運にも、ラムジーの割り込みによって出鼻をくじかれウェルテの自暴自棄な蛮勇は一瞬で萎んだ。

「どうかおやめくだせぇ、お嬢様。無益な殺生はだけはしちゃいけねぇ……」

ラムジーは草地に膝を付き、懇願するように言った。

「そこをおどきなさい、ラムジー! この者達はあのオストリッチの仲間、ここでみすみす逃がすわけにはいかないの」

黒衣の女は毅然と、だが少し感情的に言った。周囲の男達は判断に迷い、女へと視線が集まる。

 ガスコンはその隙を無駄にしなかった。素早く跳躍して草地を転がり、ウェルテによって腕を斬りつけられた男を羽交い締めにした。ウェルテもそれに呼応してその男の喉元にレイピアの剣先を押し付ける。

「腕の具合はどうだ? まだ痛むかクソ女。一度だけ言う。こっちは多くは望まない。ただ無事に解放してもらえば、こいつも放す」

女は怪我の痛みを思い出させられたのか、左腕を庇うようにクロークの中へ隠した。ラムジーは頭を抱えて訴える。

「スタックハースト様、乱暴はいけねぇ。このラムジーがなんとかしますから、乱暴だけはやめてくださせぇまし」

「よく言うよ! どっちが乱暴なんだかよく考えてから言ってくれ!」

ウェルテはラムジーに怒鳴り返す。進退窮まったのか、女の眉間に三重の皺が浮かび食いしばった白い歯が月光を反射した。年頃のレディーはあんな表情をするものじゃないなと、ウェルテは場違いながらも思った。

「僭越ながら、今は老人の言う通りにした方が良いでしょう」

 輪の外から声がして、よく手入れされた口髭をはやした、背の高い年配の男が女の後ろから姿を見せた。

――この男、きっとマン・アット・アームズだな……

背は高いが痩せており、頭髪にはかなり白いものが混じっているが、その立ち姿から発せられる緊張感や柄のメッキが剥がれた腰のショートソードを見て、ガスコンはその男が元職業軍人であると本能的に感じ取った。

「冗談を言わないで。この男達はあのオストリッチの手先なの。特にその大男の方には、あの夜仲間が何人もやられた。今ここでその償いをさせてやる!」

「襲ってきてよく言うぜ…… そもそもこの前の街中のチャンバラ騒ぎでは、おれ達だって巻き添え食ってギルドの雇ったチンピラとやり合う破目になったんだぜ」

ガスコンは人質の喉を締め上げながらつぶやいた。それを聞いた年かさの男は笑った。

「事情を知らないところを見るに、やはりただの三下用心棒とみて良いでしょう。それに、町で探らせたところによれば、ラムジーの言う通り徴税役場にウェルテ・スタックハーストなる男が存在するのは確かなようです」

「ならば、どうしろと言うの?」

女の問いに男は少し考えてから諭すように言った。

「安全を考えればこの場で亡き者としてしまうのが一番ですが、我が方にも新たな犠牲が出るのは避けられません。それも一人、二人じゃ済まんでしょう…… あの男達、特に大男の方は見たところかなりの腕前。一方の小さい男だってお嬢様に手傷を負わせ、青騎士すら斬って捨てたというではないですか。たかだか二人を始末するために夜中に騒ぎを起こせば、青騎士に気付かれないとも限りません。それに…… いくら安全の為とはいえ、無闇な殺生はきっと公は望まれないでしょう」

女は最後の言葉に顔をひきつらせた。

「だから、ただで帰せと……」

「そうは申しません。金で黙らせるなり脅すなり、手段を問わず敵に通じないようにせねばなりませんが、ここはラムジー老人を信頼するのが一番でしょう。これまであの男の言葉に間違いはありませんでした」

女はウェルテとガスコン、そしてその間をおろおろと行き来するラムジーを見据えた。ウェルテの剣先はすぐにも人質の頸動脈を切り裂けるように押し当てられていた。その剣先は一寸もぶれていない。

「……射ち方、さがりなさい」

しばらくの沈黙の後、女は射手達にそう命じ、ガスコンを見据える。

「彼を放せ。そうすれば安全を保証しよう」

「ならば、先にこの男達を退かせろ」

女が合図すると射手や周囲の武装した男達は包囲を解いてゆっくりと遠くへとさがっていった。

「帰りに待ち伏せは御免だ。一人人質になってもらいたい」

「それなら私が安全なところまでお送りいたします」

ガスコンの要求にラムジーが応じた。

「そら、さっさと腕の手当をしてもらえ」

ガスコンが人質にしていた男を突き飛ばすと、男は慌てて仲間の元へ逃げていった。

「まだ、気を抜くなよウェルテ」

ガスコンはウェルテにそう注意を与えると、ラムジーに身を寄せながらゆっくりとその場からあとずさる。もし遠くから射掛けられたらラムジー老人を盾にするつもりだ。

「一つだけ問うておこう。おまえ達が先日、この女性に無礼をはたらいた折りのことだ。その際、何か拾っていかなかったかね?」

年かさの男がウェルテ達へたずねる。ウェルテとガスコンは思わず顔を見合わせた。

「アリゲーター鋼でできた妙なスティレットのことか? もしかして、返してほしいのか?」

ウェルテが薄笑いを浮かべて言った。女の顔が再び険しく歪む。挑発しすぎてまた攻撃されてもつまらないので、ウェルテは一言付け足した。

「売って美味いぶどう酒に化けちゃったと言いたいところだが、残念ながらまだ手元にあるよ。無事に町まで帰れたら返してやらないこともない。そのかわり、一つだけはっきりさせておきたいことがある」

ウェルテは真面目な表情に戻った。

「前回、森で会った時も話したが、数日前に森で徴税吏が殺された。おまえ達がオストリッチの荷車を襲った日の昼間のことだ。下手人にはなんとしても裁きを受けさせたい。本当に貴様達の仕業じゃないのか?」

ウェルテの詰問に女は不愉快そうに首を振った。

「まだそんな事を言っているのか! 不愉快だし迷惑な話だ。我々の相手はオストリッチだ! そんな小役人に構っている暇はない!」

「僕だってそんな小役人の一人だから聞いている。本当だろうな、村長。その事、誓って言えるのか?」

ウェルテはラムジーへ向かって念を押す。

「重ねて言いますが、ほんとの事です。その方はお気の毒です。ですが、ここの方達はそんな真似はなさらねぇ。スタックハースト様の時はほんに間が悪かったんでごぜぇます」

ラムジーの必死の弁解をウェルテとガスコンは黙って聞いていた。

「どうすんだ? 納得できたか?」

ガスコンの問いにウェルテはため息をついて肩をすくめた。

「この場はそうするよりないでしょ…… とりあえず信じるよ村長。ただ、もしも偽りだったら絶対に許さないからな」

ありがとうごぜぇます、ありがとうごぜぇますと村長は何度もウェルテに頭を下げた。そんな老人の必死な様子にウェルテは少し気が咎めて顔をしかめた。

「合意に至ってなにより。これも何かのお導きかもしれんので重ねて聞くが、お前達があの日拾ったのは短剣ただひとつかね? もし別に何か拾っていれば相応の礼をしてもよいぞ」

年かさの男がまたたずねる。女は『相応の礼』という点に異論があったようで、小声でなにやら食ってかかっていたが、男はなんとかそれを説得して二人を見る。ウェルテとガスコンは顔を見合わせた。

「さぁ、どうだったか……」

ガスコンはそうはぐらかしてなんとか交渉の材料にしようと思ったが、ウェルテが大声で言い放った。

「ああ、あのクソ不味い鳩のことか……」

「ええっ」

――おい! 何言ってんだお前は!

ガスコンは口をあんぐり開けてウェルテを見た。一瞬だけその場の空気が緊張した。もし今が昼間であったならば、ウェルテとガスコンは女や周囲の者の顔に冷たい怒りと絶望の影が差したことに気づいただろう。ウェルテは聞こえるように舌打ちした。

「なんだよ、鳩一匹で…… わかったよ、無事に帰らせてくれれば市場でもっと太った美味そうなのを買って渡してやる。食べ物の恨みは恐ろしいからね」

女の顔が憤怒と憎悪でひきつっているのがウェルテにも見て取れた。ラムジーですらどう取りなして場を収めようか判らずに不安そうな顔をするばかりだ。

――あの鳩、やっぱり相当大事な物なんだな

ウェルテは思った。

「それには及ばない…… まだ持っている短剣だけ返してもらえれば結構だ」

年かさの男ですら、冷静な口調を保ちながらもかなり機嫌を損ねたらしく、その表情は硬かった。

「今持ってると思うか? 無事に家に帰ってからの話だ。明日の日中に部下を寄越せ。町中の賑やかなところで返そう。条件はラムジー村長がその場に立ち会うことだ。おたずね者になっている村長を街中へ引っ張り出して悪いが、お前達だけでは信頼ならないんでね」

そう言ってウェルテは同意を求めるようにガスコンへ顔を向ける。ガスコンもうなずいた。

「妥当だな」

「よし、話は決まった。じゃあ帰らせてもらおうか」

年かさの男も深くうなずいた。

「いいだろう。では、ラムジーあとは任せたぞ。この者達を速やかに追い払ってくれ」

「へい、かしかまりました。ささ、旦那方はこちらへ」

ラムジーにうながされて、ウェルテ達は周囲の者達の動きを見張りながらゆっくりと丘陵地帯の陰へと走り出した。

一度だけ女の方へ振り返ると、女は眉間に皺を寄せてウェルテをいつまでも見据えていた。

「本当に、無事に帰してよかったの?」

 三人のシルエットが闇に溶けて見えなくなってから、女は声を押し殺してそう言うと年かさの男は首を振った。

「密告者すら拷問台に乗せるのがクラレンス・ガイヤールのやり方です。あれほど青騎士と剣を交えた彼らが、その相手にたれ込むような愚かな真似はしないでしょうな」

「そう願うわ…… とにかく夜のうちに移動を始めましょ。きっと一番鳥が鳴くのと同時に青騎士も動き出すわ」

女は右目からモノクルをはずすと部下達にそう命じた。

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