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霧の血路 1

「サンドフォート?」

「うん、この辺の治安や労役の管理をしているのはサンドフォート荘園にいる役人達だ。あそこのマナーハウスへ行けば理由がはっきりするよ」

 ウェルテの返答にガスコンは苦い顔をした。

「まさか、いきなり乗り込むつもりじゃねーだろうな? さっきも言ったが、役人が絡んでるとヤバイぞ」

「大丈夫。サンドフォートもサリエリの担当だったんだ。とりあえず、その後任として挨拶に来たことにするつもり」

 霧のなかで道を見失わないよう、二人はゆっくりとした足取りでサンドフォートへの歩みを進める。ウェルテやガスコンの帽子やクロークの生地にはいつのまにか小さな水滴が浮かびはじめた。ガスコンは懐から、自分で大雑把に書きなぐった霞の森の地図を取り出した。

「今は南のサンドフォートの荘園へ向かってるが、このまま右手にずっと進むとバルテルミ村になるな」

ウェルテは森の地図を思い出しながらうなずいた。

「そういえば、確かこの先にバルテルミへ向かう小径との十字路があるはずだよ」

「今日はそっちの村には行かなくていいのか?」

「本当はあそこの村人にも直接話聞きたいんだけどね…… ただ例の黒服の女や青騎士の事を考えると、今日行くのは危険かもしれない」

ウェルテの言葉に、ガスコンはそれが無難だろうと言った。

 砂利を敷いた細い道を左右に横切る土の道が見えてきたのはそれから十分ほど歩いた頃だった。

「右へ行くとバルテルミか……」

白い霧の中で十数歩先も見えない道を見つめながらウェルテはつぶやいた。

 ガスコンは周囲を見回した。次いで、バルテルミへと通じる小径の方へ向いてしゃがみ込んで地面を見つめる。掌ほどの大きさで地面がU字型にいくつもえぐれている。それは、いくつも規則的に後ろから前へと跡を残していた。ガスコンはそれを指先で触り、次に、そこから少し離れたところ落ちている小石大の泥団子のようなものをつついた。

「やだなぁ、馬糞なんか触って」

ウェルテは汚いものを見るような目でガスコンを見ながら笑った。

「まだ、やわらかいな……」

「まぁ、そりゃ馬糞だからね」

馬糞をいじりながらつぶやくガスコンにウェルテは当然だと言わんばかりに返す。それを聞いていないかのように、ガスコンは難しい顔をして立ちあがった。

――速さは駈足か速足。ざっと五、六騎か……

ガスコンは小径に残されたU字型の蹄鉄の足跡を見ながら思った。

「なぁウェルテ、今日ここまで来る間に猟師の角笛や猟犬の吠える声を聞いたか?」

ガスコンが何を言わんとするのかが判らず、ウェルテは顔をしかめた。

「へ? いいや、別に気づかなかったけど。もし狩りでも催してるならもっと賑やかだし、この天気で狩りなんかするかな……」

「ちょっと前に、バルテルミの方角へ馬をとばしていった奴等がいる」

鈍いウェルテもようやく事情を飲み込んだ。ウェルテの表情がさっと険しくなった。

「青騎士?」

「そこまではわからねぇが、用心しようぜ」

「よし、念の為に道を迂回していこう」

 白い霧を突き通して、角笛の低い響きが二人の耳に届いたのはその時だった。それはバルテルミ村の方角から発せられたものだった。

「やっぱり狩りか?」

さらに別の二つの方角から別の角笛の音が呼応するように聞こえてきた。

「何かを追いかけてる事だけは間違い無いな」

「誰であろうと、出くわしたくはないね」

「走るぞ!」

二人は小径から外れて、騒ぎの起きている方角から逃れるように駆けだした。

 わずか十余歩先までしか見えない閉ざされた視界のなかを、立木の間をジグザグに曲がりながら二人は走った。ガスコンの指示で、ウェルテは足跡を残さないようなるべく石や木の根を踏みながら友人の後に続いた。しばらく走ってからガスコンは足を止めて身を低くした。

「どうしたの?」

人差し指を口にあてウェルテの問いを制して、ガスコンはしばし黙った。無数の犬の猛る鳴き声と怒鳴る男達の声がウェルテの耳にも届いた。

「クソ、正面からだ」

ガスコンは舌打ちした。声は目的地だったサンドフォートに近い方角から聞こえてきた。

「ウェルテ、この近くに川かため池みたいな水場はあるか?」

ウェルテは地図を引っ張り出して、自分の正面の方角に合わせて傾けた。

「あっちに小川があるらしい」

「よし、いったんそこまで退くぞ」

――その小川を使ってなんとか犬どもの鼻を巻ければいいが

いくら百戦錬磨のガスコンとはいえ、野生の大鹿を倒すだけの力を持った猟犬達に喰らいつかれるのは御免だった。

 犬の鳴き声や角笛の音を背に受けながら、二人は足早に小川のある方へ急いだ。緊張と急な運動で息も絶え絶えになりながら、ウェルテは前歩くガスコンへ言った。

「さっきの話だけど、まさしく今こそ引き際だと思う。とにかく無事に森を出る事だけを考えよう」

「わかった。……お前は賢いよ」

――遅すぎてなきゃいいが……

ガスコンはうなずきながらそう思い巡らした。

 しばらく走ると真っ白な背景の向こうから小川のせせらぎが聞こえてきた。どうやら、地図に載っていた小さな川へとやって来たようだ。ウェルテの足でも五、六歩でまたぎ越せる小さな流れにブーツを浸しながら二人は耳をそばだてる。依然、後方の騒ぎは収まらない。ウェルテが革袋の水で喉を潤している間にガスコンは小川の対岸へ渡って周辺の地面に自分の靴底をこすりつけ、時々後ろ向きに歩いてデタラメな足跡を残してから戻って来た。

「馬鹿な猟犬どもだといいが…… もし後ろに犬を見かけたらもう走るな。すぐに剣を抜いて迎え討てよ」

二人はふたたび小川の真ん中を東の方向へ進み始めた。猟犬や追手の怒鳴り声は近づく一方だった。

――やつら、一体何を追っているんだ?

ウェルテは川底のコケだらけの石に脚を取られながらガスコンに続いた。

 バシャバシャと小川の真ん中を先導していたガスコンが急に立ち止まった。

「ゆっくり音を立てないように川から上がれ。砂利の上を踏みながらそっちの茂みに隠れるぞ」

ウェルテはガスコンの指し示す左岸の草むらの影にしゃがんだ。ブーツと靴下が水を吸って堪らなく不快だったが、それどころじゃないのでウェルテは周囲に意識を向けるよう自分に言い聞かせながらじっとしていた。聞き耳を立てていると、それまで微かだった馬が地面を蹴る音がしだいにはっきりと聞き取れるようになってきた。恐怖と緊張で歯がガチガチ鳴りだしたので、ウェルテは首に巻いていたスカーフを自分の口に押し込んだ。蹄の音は小川の対岸へと近づいてくる。隣にしゃがんでいたガスコンがわずかに頭を上げてからウェルテの肩を叩いた。帽子をとってウェルテが茂み越しに対岸を覗くと、霧に覆われた白い背景の奥から黒い影のように騎馬が数騎浮かび上がった。

「森のはずれで回り込め! 囲みを作って捕えるぞ!」

駈足の蹄の音とともに二人の眼前を五騎のシルエットが瞬く間に通り過ぎた。白く霞み、はっきりとは見えなかったが、羽飾り付きの三角帽と背中にたなびくマントからウェルテにはその正体がはっきりと判った。

――青騎士ども!

やはり用心して正解だったとウェルテは思った。連中が追っているのは鹿やキツネなどではなく、相手はまぎれもなく人間であるはずだ。

 背後の猟犬や追手はなおも近づきつつあった。ガスコンとウェルテは小川から離れ、さらに東へ向けて走り出した。森の外へ出る道へもう少しというところで、ウェルテは不穏な音を聞き取った。自分達と並行して藪をかき分ける音が右の方から聞こえる。地を蹴る足音、帯剣ベルトの金具のきしみ、弾かれた木々の葉が擦れ合う音…… ガスコンは一度立ち止まって耳をすませてから、再度走り出した。ウェルテは敵に聞こえるんじゃないかと心配になるくらい息を荒げながら夢中でガスコンの背中を追った。

「こっちへ逃げたぞ! 捕えろ!」

「絶対に逃がすな!」

「手足の一本や二本は構わん! 生かして捕えろ!」

姿は見えないが、すぐ背後やわきから怒号が聞こえた。道の目前でガスコンはウェルテを引っ張って雑草の茂みに飛び込んだ。腹這いになったまま必死になって息を整えるウェルテの口元を押さえながら、ガスコンはささやいた。

「囲まれちまった……」

草木越しに前方の様子をうかがうと、軽装の青騎士達が道の真ん中にたむろしている。一方背中の方からは角笛や猟犬の唸り声がさらに激しさを増してきた。ガスコンはため息をついた。

「ここの敵は多くねぇ。俺が打って出て奴等を引き付けるから、お前はその隙に一度北へ向かってから森を抜けろ。夕方までに、街道沿いにある材木小屋の後ろで落ち合おう」

「え? そんなのダメだよ……」

ウェルテがそう返事をする間もなくガスコンは茂みから飛び出していってしまった。

 ガスコンは落ち着いた素振りでゆっくりと道を歩き出した。青騎士どもはすぐにそれを見とがめ、ガスコンを取り囲む。

「貴様止まれ!」

ガスコンは驚いた風をよそおい、両手を上げた。

「おいおい、森中が騒がしいが、今日は一体どうしたってんだ?」

「貴様、どこの者だ?」

「ああ? どこって街に決まってんだろ。祭も始まるし、これから帰るんだよ」

青騎士達は目配せし合ってから、いきなりガスコンに掴みかかろうとした。

「怪しい奴だ、一緒に来てもらうぞ」

「おい、おい、冗談はよせよ」

腕に掴みかかった一人をガスコンが突きとばすと、青騎士どもの表情が一変した。

「抵抗するか、貴様!」

樫の警杖を持った一人が後ろから撃ち据えようと飛びかかったが、ガスコンは容易くそれをかわして相手を殴り倒す。

「お前ら、盗賊より酷いぞ……」

面食らったようにガスコンはつぶやく。青騎士どもは一斉に腰の剣を抜いた。

――こうなると思ってたぜ

ガスコンは相手から奪った警杖を振り回して相手と間合いをとりつつ後退した。

「構わん、やれ!」

号令とともにブロードソードを手にした青騎士達が踊りかかって来た。ガスコンは一人目を杖で突き倒すと腰のカットラスを抜いた。二人目の刃を弾き返し、三人目の剣を左手のソードブレイカーで受け止めた。青騎士達は相手が予想以上の手練だったことに驚いたのか、一歩下がってガスコンを取り囲んでから、一斉に斬りかかった。

 一方、ウェルテは草むらに寝そべったまま茫然とその様を見守っていた。ウェルテは恐かった。一瞬、そのまま遁走してしまおうという思いに駆られウェルテは腰を浮かせた。だが、そんな臆病風に吹かれたウェルテの脳裏に唐突に浮かんできたのは、なぜか嘆き崩れるロクサーヌと自分をなじる師のヴァンペルトの姿だった。青騎士に拷問されたり斬り殺されたりするのは何としても避けるつもりだったが、こんな未来も御免だ。

 そうこうするうち、断末魔の悲鳴とともに青騎士の一人がガスコンに斬られて地に伏した。だがすぐに三方から青騎士が剣の振りかぶって飛びかかる。ソードブレイカーとカットラスで攻撃を受け流すのが精一杯のようだ。この前の相手と違って、プロのマン・アット・アームズにはガスコンも楽勝とはいかない様子だった。こちらに背中を向けている青騎士の一人が負い紐でたすき掛けにしていた角笛を掴んで口元に寄せた。

 その刹那、ウェルテは跳ね起きた。草むらから飛び出すやレイピアを抜き放ち、その伝令の背中めがけて突進した。その青騎士の伝令が合図の角笛に息を吹き込むまえに、ウェルテの右腕から繰り出された会心のファンデブ(いわゆる「刺突」のこと)が背中から男を串刺しにした。レイピアの剣先は綺麗に伝令の心臓を貫き、応援を呼ぶはずだった角笛は宙を舞って地に落ちる。

 青騎士の一同は突然の乱入者に気を取られた。ガスコンにはその隙だけで十分だった。すぐに右隣の男の胸にカットラスを突き刺し、返す刃で左の兵士を右胴払いで一刀両断。隊員の群青色のマントが鮮血で真っ黒に染まった。相手が反撃に出る前に、三人目に襲いかかる。

 ウェルテは即死した伝令からレイピアを引き抜き、襲い来る青騎士の刃を剣のヒルトで防ぎながら相手の懐へタックルをかける。だが屈強な相手に跳ね返され、ウェルテは仰向けに転倒した。敵は再度剣を振り上げ、刃をウェルテの頭へ打ちおろそうとするが…… 視界の外から振り下ろされたカットラスの刃がその兵士の首の真ん中までめりこみ、血が噴き出した。

 肩で息をしながらウェルテはヨロヨロと立ちあがった。気付けば、周囲には血まみれの青騎士ども骸が転がっているだけだ。カットラスの刀身の血を拭いながらガスコンはウェルテに詰め寄った。

「馬鹿野郎! お前、なんで逃げ……」

「うるさい! 黙れ!」

そんなガスコンに言う間をあたえず、ウェルテは怒鳴った。

「少しは僕の立場も考えて行動してくれ! 今日こんなところでくたばられちゃこっちが困るんだよ!」

ものすごい剣幕で叫ぶウェルテを前に、ガスコンは呆気にとられて立ちつくす。どう考えてもウェルテの方が理不尽な事を言っているのだが、怒鳴るウェルテに気圧されてガスコンは二の句が継げなかった。

 再び二人の耳に追跡者たちの音が届いた。我に返ったウェルテとガスコンは慌てて周囲を見回す。

「や、ヤバイぞウェルテ!」

「走れ、とにかく逃げよう! こうなったら邪魔する奴は全部斬る!」

ウェルテは興奮気味にまくしたてて、走り出した。

「おい、そっちでいいのかよ!」

ガスコンもカットラスを鞘に戻す間もなくウェルテを追ってやぶの中へと飛び込んだ。だが、迫りくる追手の包囲は狭くなる一方だった。

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