鳩と晩餐
「はーい、お待たせー。熱いから気をつけて」
ロクサーヌは抱えた大きな鍋をテーブルの真ん中へと置いた。
その夜、今日は早めに酒宿を閉め、ロクサーヌは自慢の腕をふるって豪華な晩餐をこしらえた。牛のブロック肉は直火でステーキにし、羊肉はぶつ切りにして鍋に放り込んで、野菜と一緒に煮込み、こげ茶色のとろけるシチューとなった。それに豆のスープと茹でたじゃが芋、柔らかい焼きたてのパン、それにチーズとバターの付け合わせが今夜のメニューである。
蝋燭とオイルランプの灯るなか、三人は席に着き、ぶどう酒の満たされた焼き物のコップを持って乾杯した。
「あたし達の親愛なる放蕩貴族様に!」
ロクサーヌの音頭で三人はコップを掲げる。ウェルテはニヤニヤ笑いながらブドウ酒を口にした。重い渋みとわずかな酸味が舌を潤す。
「どうせならナイジェルも誘ってやれば良かったのに」
ウェルテが言うと、ガスコンが苦笑いして首を振った。
「冗談じゃない、あいつは今頃もっといいもの食ってるだろうから、呼ぶだけ野暮だろ」
「そういえばガスコン、あんなに遅くなったわけまだ聞かせてもらってないけど、またろくでもない喧嘩してきたんでしょ?」
ロクサーヌが、別のテーブルに投げ出してある曲がったレイピアを見ながら詰問した。
「け、喧嘩じゃねーよ」
「本当に大変だったんだよ……」
ガスコンとウェルテはロクサーヌへ、昨日の出来事やさっき買い物後に起こった大立回りの顛末を話して聞かせた。
「何それ、まるで自分達から刃傷沙汰に飛び込んだようなもんじゃない! ほんと男って馬鹿ね…… 二人ともケガしなかっただけありがたいと思わないと」
ロクサーヌはパンをかじりながら、心底呆れたようにかぶりをふる。そう言われてみると、確かに素人の自分があまり関わるべき相手ではななかったとウェルテは思った。実際、昨日といい今日といい、危険な目に遭いっぱなしだ。
「その女が友達の仇かもしれないから、つい……」
「気持ちは判るけど、殺されちゃったら何にもならないでしょ? ガスコンもね、無茶だけはやめてよ」
ロクサーヌの説教を前に、ウェルテとガスコンはバツが悪そうにうなだれた。
「はい、つまらない話はここまで。さぁ冷めてしまう前にどんどん食べて」
ロクサーヌはガスコンのコップにエールを注ぎながら言い、三人は再びステーキやシチューに舌鼓打つ作業へと戻る。
「それにしても、世の中勇ましい女の人もいたもんね。男の恰好して剣を振り回すなんて考えたこともないわ」
「お前は美味い料理を作れるからそんな真似しなくていいんだ」
「そうそう、どうせろくな女じゃないから。まったく逃げられたのが悔しいなぁ…… それこそ青騎士隊に突き出してやろうと思ったのに。……ところで、肉ってこんなにやわらかくて甘かったんだね。こんな美味いものだったなんて忘れてたよ」
いつも干し肉をふやかしたものばかり食べてるウェルテは、脂ののった羊肉の塊を口にしながらしみじみと言った。
「そういえば、あの鳩はどうするつもり? 今日は料理しなかったけど……」
ロクサーヌの視線の先には、羽を縛られてじっとしている鳩がいた。
「明日、役場の上司に話してみようと思う。確かに昨日、バルテルミ村でもあいつらが鳩を集めていたのを思い出し……」
その時、ドアが二度ノックされ、内側へと開いた。突然のことなのでウェルテとガスコンは瞬時に剣へと手を伸ばす。長身の妙なシルエットの男が入ってきてドアを閉めた。
「ロクサーヌ。今日はもう店じまいかな?」
昨日と変わらず派手な衣装であらわれたナイジェル・サーペンタインだった。ウェルテとガスコンはすぐに剣を置いた。
「あら、丁度いいところへ、ナイジェル卿」
ロクサーヌが立ち上がり、あいてる椅子をテーブルの近くに引っ張ってきた。ナイジェルは匂いを嗅ぐかのように、その高い鼻をひくつかせた。
「良い匂いだ」
「お陰さまで、ご馳走になってますよ。ご一緒にどうですか?」
「夕食を済ませてしまった事だけが悔やまれる。だが、そなたの作ったものだ、是非一口頂こう」
ナイジェルはそう言って椅子に腰をおろし、ロクサーヌから皿とフォークを受け取った。
「相変わらず暇そうだが、面白い物ってのは見せてもらえたのか?」
エールのコップを傾けながら、ガスコンが探りを入れるようにたずねる。
「まぁ一品だけだが…… 残りの荷の到着が遅れているようだ」
そう言ってナイジェルは懐から一振りのマンゴーシュを取り出し、二人の前へと置いた。今朝、朝食の席でオストリッチより預かった物だ。
「聞くに、メタルの物だそうだ。アリゲーター・クラスの物らしい」
ウェルテは興味深々といった様子でそのマンゴーシュを手に取り、鞘を抜いてみる。
「トライデント・マンゴーシュ。振れば三又に分かれる」
「これはすごい!」
言われた通りにやってみたウェルテは驚きの声をあげた。ウェルテはそれをガスコンへ渡す。
「確かに良く出来ちゃいるが…… 戦場で荒っぽく使うにしちゃ、ちょっと華奢な感じがしないでもねぇな。街歩き用の短剣にはいいだろう」
ガスコンはそう言ってナイジェルへ短剣を返した。
「アリゲーター鋼か…… なかなか買えないなぁ。やっぱりそれもコレクションに?」
ウェルテは羨ましそうにナイジェルの短剣を眺めている。
「いや…… いかにしようか、考えているところだ。まだ私の物ではない」
ナイジェルはステーキとシチューを咀嚼しながら答える。
「そういやウェルテ、あの妙な短剣をこいつに自慢してやれよ」
ガスコンがからかうように言ったので、ウェルテはああそういえばと、買い物かごに入れっぱなしにしてあった、男装の女の持っていた細いマンゴーシュをナイジェルへと手渡す。
「こんな物を手に入れたんだ」
一心不乱に料理を口に運んでいた手を休め、ナイジェルはオイルランプを自分の近くへと引き寄せた。薄暗い中、まるで目利きの古物商のように刀身や柄の細工を丹念に眺めている。
「これは……確かに珍しい。刀身の断面は菱形、だが斬るよりも刺す事に適した造形。柄の握りには鹿の角が使われている」
「そんなにいい物なの? 刀身はくすんでるし、装飾も地味だけど」
「華美な剣かと問われれば、決してそうではない。だが……この柄のポンメルを見るがいい。小さいが、まるでノミのように平らな台がある。マンゴーシュとしては珍しいデザインだ」
剣には、柄の底にあたる部分に、ポンメルと呼ばれる滑り止め用の膨らみ金具が付けられる事が多い。その短剣には丸いプレート状のポンメルが付いていた。
「売ってくれと頼んでも、お前にゃ売らねーからな」
ナイジェルがいたく興味を持ったようだったので、ガスコンがゲラゲラ笑いながらおちょくった。
「とにかく、よくできた品だ。素材も一級品…… いったいどこで手に入れた?」
「まぁちょっと、ね……」
トラブルには裏にはオストリッチの名前が付きまとっているので、ウェルテはとりあえずはぐらかすことにした。
「男って、幾つになってもオモチャが好きなのね……」
先に食事を終えてお茶を飲んでいたロクサーヌが退屈そうに口をはさんだ。まるで、それに同意するように部屋の隅に置かれた鳩が低く鳴いた。
「鳩か……」
ナイジェルは立ち上がり、鳩へと顔を寄せた。
「鳩は食べごろが難しいのだ。太らせすぎれば脂っぽい。痩せていては食べるところが少ない。どれどれ……」
「食った事ないんだから知るかよ……」
ナイジェルがそっと両手で鳩を抱えて、その腹をのぞきこんだ。
「パンタグリュエル、もし食すつもりならやめておいた方がいい。あまり美味ではないと思うぞ。もし食べたいならもっと大きな七面鳥かガチョウと交換する事を勧めよう」
「あら、それは残念ね」
「どういうことだ?」
そういうロクサーヌ達へ、ナイジェルは鳩の腹面を見せた。
「この鳩、どこで手に入れた?」
「道で拾った……」
「そうか……」
ウェルテの、嘘ではないが答えにもなってない返答を聞き、ナイジェルはため息をつく。
「よかろう。これを見てみたまえ、パンタグリュエル。お前には判るだろう」
そう言われ、ガスコンだけでなくウェルテやロクサーヌも身を乗り出して鳩をのぞきこんだ。
ナイジェルが見せようとしたのは、腹ではなくリボンで縛られた脚だった。さっきはリボンに隠れて気付かなかったが、その細い右足には小さなバンドによって革細工の小袋がくくりつけられていた。
「まだ何も入っていないようだ」
ナイジェルは小袋を開いてみせた。ガスコンだけは驚いたようにうなずいてナイジェルと目を見合わせた。
「こいつは確かにマズそうな鳩だぜ……」
「これが、何さ?」
ロクサーヌとウェルテには全く事情が飲み込めず顔をしかめた。
「二人に説明してあげろ、パンタグリュエル」
ナイジェルに促され、ガスコンは話し始めた。
「ナイジェルの言うように、こいつは食うための鳩じゃねぇ。これは伝書鳩ってやつだ。二人は聞いたことないか? 貴族や金持ちがたまに鳩を使ってレースをやったことがあるだろ」
ウェルテとロクサーヌは納得したようにうなずいた。
「俺が見たことあんのは、むしろ戦場でだ。巣のある本拠地から遠征に連れ出し、戦いの勝敗、状況、援軍や補給の要請なんかの手紙を鳩に託して放すと、巣のある本拠地へ飛んで帰ってくれるって寸法だ。脚の小袋は手紙を仕込むためのもの。つまりこいつは通信用の鳩ってことだ」
思わずウェルテは声をあげた。
「そうか! だからあの女、森であんなにたくさんの鳩を持ってたんだ!」
「おい!」
思わず口をすべらしたウェルテをガスコンが慌てて諌めるが、もう手遅れだった。
「ほう、女とな? スタックハーストから女性の話とは珍しいが、なるほどこの鳩の持ち主は女性だったか…… 気にするな、詮索するつもりはない」
ナイジェルは薄笑いを浮かべながら鳩の首筋を優しくなでた。
大聖堂から深夜の到来を告げる鐘の音が響いてきた。
「おや、だいぶ長居をしてしまったようだ。ロクサーヌ、明日返しに来るのでカンテラを一つ貸してはくれまいか?」
お安いご用とばかりにロクサーヌは壁に掛けてあった予備のカンテラに火を入れた。ナイジェルはクロークと派手なツバ広帽子を頭にのせた。
「そういえば、今日の夕方、西の路地でならず者同士で騒ぎがあったようだ。なんでも死人や瀕死の男ばかり六人が倒れていたという。アグレッサもなにかと物騒になったものだ」
「そ、それは……怖いな…… 確かに、き、気をつけないと」
ウェルテがひきつった愛想笑いを浮かべる。笑い出したいのをこらえているロクサーヌからカンテラを受け取るとナイジェルは、ああそれからパンタグリュエルと思い出したようにつづけた。
「折れたレイピアや血で汚れたクロークなんぞを放り出しておくものではないな。では御機嫌よう、友らよ……」
ナイジェルは白い歯を見せてニヤっと笑うと優雅な仕草で酒宿から出て行った。後には、とうとう我慢できなくなって笑い出すロクサーヌと、呆けた顔を見合わせるウェルテとガスコンが残された。