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ダミ声の主は頭と首筋に厚く包帯を巻いた長髪の小汚い男だった。
「そういうあんたも元気そうじゃねねぇか? ケガはもういいのか?」
わざとらしく愛想笑いを浮かべたガスコンはダミ声の男へそう返した。二日前の夜、襲撃を受けて負傷したこの不愉快な男をなんとか馬車へ引き上げて施療院へ担ぎ込んだのは他でもないガスコンだった。
「兄ちゃんらには感謝してるぜ。まだ、傷がつっぱってならねえが、襲ってきた奴に復讐できるうえに金も稼げると聞いちゃあ、おとなしく寝てなんかいられねぇ。悪いことは言わねぇ、その小娘こっちへよこしな」
ダミ声は下品に笑いながら両手に短剣を手にした。
「へぇ、この女金になるのか? そいつはおもしれぇ。俺も興味出てきたぜ」
ガスコンはそう驚いた風を装いながら女を見た。黒服の女は左腕の傷を押さえながら、憎しみに満ちた目で周囲の者達を睨んでいる。
「おい。どこの誰だか知らねぇが、いらん首突っ込むとやけどするぞ」
じれったくなってきたのか、別の男が剣の柄に手をかけながらガスコンに凄んだ。別の何人かも落ち着きなく体をゆすりながら、剣をいじりはじめた。
「ガスコン…… どうする?」
女に剣を向けながらウェルテが不安そうに聞くがガスコンは答えない。
「よし判った。この女の首なんぞはどうでもいい。くれてやる。そのかわり、この女に聞きたい事があるから数分話をさせろ、その後はあんたらが好きに料理したらいい」
ガスコンはチンピラどもにそう言うとウェルテへ顔を向け、どうだこれで?と尋ねた。
「問題ない」
ウェルテも厄介事はご免だった。とにかくサリエリの事だけでも聞き出し、この場を去った方が良さそうだ。
ウェルテは剣を向けたまま女の前にしゃがみこんだ。
「一度しか聞かない。お前達は二日前、森で徴税吏を……」
ウェルテがそう言いかけた時だ。一番後ろからチンピラ達の陰に隠れるように様子をうかがっていた男が突然叫んだ。
「今すぐ三人とも殺せ! その分、金ははずむぞ!」
「お、おい! ちょっと……」
これにはガスコンも慌てた。よく見れば、その男は荷車ギルドの仲介人の男だった。早くもウェルテ達を囲んでいる無頼漢達は薄笑いを浮かべて剣を抜く。
「ど、どうするんだよ!」
ウェルテが悲鳴のような声を出す。
「残念だが、兄ちゃん。金のためだ」
「この野郎……」
両手の剣を構えるダミ声の言葉にガスコンは面食らった。ガスコンはクロークの紐をほどきながら半歩下がる。男達はじりじりと包囲を狭めてくる。
「ウェルテ、お前は自分の身さえ守っていればいい」
「最悪だ…… ほんと最悪だ」
顔面真っ青になってウェルテも立ちあがり、女から無頼漢達へと剣先を向ける。
「言っとくが手加減なんて考えなくていいからな」
「……元よりそんな余裕は無い」
ウェルテはそううなずき、レイピアとマンゴーシュを構えて腰を落とした。
曲がったレイピアを構えるガスコンへ、ダミ声が気色悪い笑みを浮かべて言った。
「なぁ? その傷、自分でつけたんだろ?」
――とりあえず、こいつだけは殺そう……
ガスコンはため息をついた。と同時に一斉に敵は襲いかかってきた。ガスコンはすかさず自分から二番目に近い男へ折れたレイピアを放り投げるや、クロークの紐をほどき、最初に向かってきた男の前へと広げる。素早く右手にソードブレイカーを持ち替えると、クロークの後ろに隠れるように突進した。クロークごとソードブレイカーの剣先に貫かれた男は悲鳴を上げる。だが、ガスコンはその悲鳴が聞こえなくなるまで何度もソードブレイカーを突き刺し続けた。
ウェルテへ最初に向かってきたチンピラは右手から突っ込んできた。万全に準備していたウェルテは自分の剣で敵のレイピアの剣先を逸らす。もし剣筋が正しければ、レイピア同士の対決は一瞬で勝負がつく。敵の剣がウェルテの顔の横を通過すると同時に、ウェルテの剣は相手の右胸にズブズブと沈んでゆく。その男はすぐにもレイピアを落とし、胸を押さえてひざまずく。ウェルテはすぐにレイピアを引き、今度は左胸を勢いよく突いた。男はうめきながら丸太のように転がった。すぐに二人目がブロードソードを手に上段から斬りかかってきたので、ウェルテはマンゴーシュで間合いはかりながらこれを迎え撃った。
ガスコンはクローク越しに相手の体から力が抜けるのを感じてソードブレイカーを引き抜き、穴だらけになったクロークを左腕に巻きつける。レイピアを投げつけられ怯んだチンピラがショートソードでサイドから斬りつけようとするその刀身を、クロークを巻いた左腕でブロックし、ガスコンは男の腕をソードブレイカーの刃で一閃。手首の動脈を断たれ鮮血が飛び散るのも構わずガスコンは男の手からショートソードをもぎとり、腕を切られ叫ぶ男の腹を一文字に叩き斬る。ガスコンはクロークを振り回してその他の敵と距離をとった。ようやくまともな武器を手にしたガスコンがクロークを投げ捨て両手の剣を持ち替えると、例のダミ声が猿のようにジャンプして飛びかかってきた。短剣の刃がガスコンの鼻先をかすめる。ガスコンは分捕ったショートソードで短剣をやり過ごすと、まるでおとぎ話の挿絵に出てくるゴブリンのようなダミ声の顔を睨みつけた。
「おっさん、後悔するぜ……」
「ズタズタにしてやるぁぁぁ!」
両手のダガーをまるでクワガタのはさみのように構えたダミ声は、目に狂気の色を湛えて叫ぶ。ガスコンとダミ声は同時に敵へ向かって踏み込んだ。
一方、二人目の男と剣を交えていたウェルテの横では、問題の若い女が中腰になって様子をうかがっていた。すぐにも女に目を付けた一人がレイピアを持って襲いかかる。女の動きは素早かった。近くに落ちていた自分のレイピアをつかむと中腰で突進し、相手が攻撃を繰り出す前にそのみぞおちへとレイピアの刃を叩き込む。すぐに横から襲いかかる別の男を、左手に持った帽子で牽制しながら目にもとまらぬ速さでその脛に剣を突き刺し、敵が怯んだ隙に北東へ向かう十字路へと走り出した。
――あ、逃げた!
取っ組み合いの最中であるウェルテもそれに気付いたが、とても追いかける余裕は無い。
「女が逃げたぞ! 追え! 追うんだ!」
仲介人の男が通路を指差して怒鳴る。手すきのチンピラ達が仲介人と共にそれを追って走ってゆく。
ガスコンはダミ声の狂乱的に振り回されるダガーをかわしながらサイドステップを踏んでソードブレイカーをひねるように繰り出した。衝撃とともに刀身の刻まれた切り込みにダミ声の右ダガーが挟まった。ガスコンはダガーごと相手の右手を捩じりこむように伸ばし、一拍の気勢と共にブロードソードを振り下ろした。ダガーを握ったままの手首が急に重みを増してどさりと砂利道に落ちる。ダミ声はまだ痛みを感じていないに違いない。驚いた顔をしたまま左手で反撃を試みるがもう無駄なあがきだった。ガスコンは返す刃で下からダミ声の胴を斜めに切り上げた。深い一撃、血が噴き出した。ダミ声は信じられない様子で歯の抜けた口を半開きにしながら背中から倒れた。ガスコンは一息深呼吸して、奪ったブロードソードを放り捨てた。
ウェルテは、敵のブロードソードが振り下ろされる前に近くに組み付いて斬撃を防ぐが、力比べでは全く不利だった。敵の間合いに押し戻される隙を狙ってウェルテは相手の左脛にレイピアの刃を擦りつけた。致命的ではないが深い裂傷を負った男は苦痛に顔を歪める。そのままウェルテはレイピアで敵の剣を弾き、マンゴーシュを相手の喉へと突き刺す。ぞっとする手ごたえを感じたので、そのマンゴーシュを勢いよく真横に引ききると、血しぶきがあがった。敵は痙攣しながら真っ青な顔で道路をのたうちまわる。
ウェルテは緊張していたあまりゼイゼイ息を吐きながらガスコンを見た。
「怪我はないか?」
「なんとか……」
ウェルテはうなずき、周囲を見回す。砂利に大きな血の染みを作って倒れている男が六人ばかり、まともに立っているのはウェルテとガスコンの二人だけだった。何人かはすでに全く動かなくなっているし、もがいたり痙攣している残りの者もそう長くないようだ。
「痛てぇよぉ…… 痛てぇよぉ……」
例のダミ声が虚空を見つめながらうわ言のようにつぶやいている。
「だから言ったろ。後悔するって」
ガスコンはそう吐き捨てながら、落ちていたダガーでダミ声の喉笛を切り裂いた。
ウェルテは死んだ男のクロークで自分の剣を拭いながら、ほっとしたように緊張を解いた。
「ここ数日こんなことばっかり。一体どうなってるんだよ? そもそもこいつらは一体何なんだ?」
ガスコンは自分のクロークと折れたレイピアを拾った。
「あーあ、こりゃもう駄目だな…… とりあえず話は後だ。騒ぎになっちまったから、早く逃げた方がいい」
ウェルテはうなずいて立ち上がった。ガスコンはレンガの壁に突き刺さっていた、逃げた女の細いマンゴーシュを引き抜いた。
「あまり見ない代物だな」
二人が一息つく間もなく、砂地を蹴る足音が聞こえ、南東の路地から木の警杖を手にした男が走ってきた。街の警吏だった。
「おいコラ! 貴様たちそこを動く……」
警吏がそう言い終わらない前に、ガスコンは躊躇無くの相手の顔面に右拳を叩き込んだ。警吏は顔をいびつに歪ませたまま人形のように昏倒する。
「逃げるぞ!」
ウェルテは慌てて買い物用の籐籠を持ち上げ、周囲に転がった玉ねぎやジャガイモを掴めるだけ拾い上げる。
「おいウェルテ! 早くしろ!」
「ちょっと待ってよ。あ! ガスコン、それを!」
ウェルテが指差す先には、先ほどあの女が抱えていた青い布包みが落ちていた。急いでガスコンはその布包みを拾ってきた。全部とはいかないまでも、散らばった野菜をできるだけ拾い集めたウェルテとガスコンはご馳走の詰まった籠を抱えて一目散に走り出した。
乱暴に木戸を押し開け、ウェルテとガスコンがロクサーヌの酒宿に戻ってきたのは辺りが暗くなり始めてからの頃だった。二人は酒宿に飛び込むや息を荒げてへたり込んだ。
「おーいロクサーヌ。亭主とダチが戻ったぞ!」
エールを飲んでいた常連客の一人が冷やかすようにロクサーヌを呼んだ。エプロンで手を拭いながらロクサーヌが厨房からやってくる。
「おかえり。ずいぶん遅かったのねえ? どこまで行ってたの?」
「とりあえず…… 水だ…… 水」
二人はロクサーヌの問いに答えるのも難儀そうに息を吐いた。あの十字路から全速力で逃げだしてからというもの、追手につけられないように街の反対側へとわざと遠回りして逃げてきたのだ。息も絶え絶えの二人にコップで水を手渡しながら、ロクサーヌはウェルテの抱えてきた籠をのぞきこむ。
「あら、野菜がちょっと少ないんじゃない?」
「いろいろ…… あってね……」
ウェルテは肩で息をしながらやっとの事で答える。ロクサーヌはガスコンの足元に落ちている青い布包みを指差した。
「そっちは何?」
「さぁな……」
これまで、とても確かめる余裕は無かったのだが、男装の女が抱えていた布包みは軽くて軟らかく、ほんのりと温かかった。
「やだ、それなんか動いてるわ」
見ると、布包みが微かにもこもこと動きグルグルと鳴いた。ガスコンがゆっくりと包みを解くと、灰色の見慣れた鳥が羽と脚をリボンで縛られた状態でしゃがんでいた。その鳥は不思議そうに瞬きしてガスコンやウェルテを見ている。
「鳩なんか買ってきたの? 確かに美味しいらしいけど食べるとこ少ないのよ、これ。どうせ同じお金なら七面鳥の方が良かったのに」
ウェルテとガスコンはお互いに疲れた顔を見合わせた。
その時、なにか覚えのある匂いがウェルテの鼻腔をくすぐった。ウェルテは鼻をひくつかせて、ふと鳩を包んでいた青い布に軽く鼻を押し当てた。微かに柑橘系のフルーツのような良い匂いがした。
――そういえば、あの時も……
それは昨日、森で背後から黒服に襲われた時に感じた匂いと同じものだった。布を鼻に押し付けて一人うなずくウェルテを見ながら、鳩は首を傾げてグルッグーと鳴いた。
※リポスト (riposte) 相手の攻撃をやりすごしてから敵を攻撃することを指すフェンシング用語。