鋼の国のマスターピース
アグレッサ城に面する西側にはこの街の富裕層や豪商が居を構える住宅街が広がっている。そのなかでも一際立派な屋敷が、アイアン街道の直ぐ北側に建っていた。五階建て総石造りの立派な屋敷の扉の上には、アンバランスに足の長い怪鳥の紋章のレリーフが飾られている。そこはアグレッサ荷車ギルドの組合長であるアドリアーノ・オストリッチの邸宅であった。
ロの字型の大きな建物の真ん中につくられた石畳の中庭で、ナイジェル・サーペンタインは遅めの朝食をとっていた。昨夜は日付が変わるまで、町の北にある歓楽街で踊り子相手に酒を飲んでいて、逗留場所であるこの屋敷へとやってきたのは空がうっすらと明るくなった頃だった。
部屋着である白いリネンのシャツ姿でアンティークの高価な寝椅子に寝そべったまま、ナイジェルは器に盛られたチーズや果物をつまんでいた。昨日と打って変わり、今日は非常に良い天気だった。
「おはようございます、ナイジェル卿」
でっぷりと太った背の低い男が中庭へとやって来て恭しく礼をした。上物のガウンにシルクのシャツ。禿げかかった頭髪はきちんと香油で固められ、口ひげは手をかけて整えられている。ごつい両手には東西のあらゆる宝石をちりばめた指輪がいくつもはめられている。この屋敷の主であるアドリアーノ・オストリッチだった。
「朝早くに迷惑を掛けたな。町娘が酒場からなかなか帰してくれなかったのだ」
ナイジェルはあくびをしながら言った。オストリッチは愛想のよい笑みを浮かべて、もう一つの寝椅子へと寝そべった。すぐに女中がオストリッチの分である軽食を乗せた盆を持ってきた。
どういうわけか最近、富豪たちの間では古代文明の習慣にならって寝ながら食事をするスタイルが流行りだした。どこかの街の年老いた成金は、そうやって食べ物を喉に詰まらせて死んでしまったという笑い話まで伝わってきている。
「ナイジェル卿、南部の街は如何でしたか?」
「何もかも垢抜けていて実に結構だ。食べ物も豊かで、流行の服もすぐ手に入る。領地に引き篭もっていてはとてもできんことだ。このままウィングレットへ帰らず、またグライトやエスカルへ戻りたい気持ちだ。ところでオストリッチ…… そんな私をわざわざエスカルから呼び出したのだから、さぞや良い品が手に入ったのであろう?」
ナイジェルはぶどう酒の杯を掴みながら言った。
「もちろんですともナイジェル卿。まずは届いたばかりの品をお見せいたします」
オストリッチが手をパンパンと叩くと。すぐに女中が盆に短剣を乗せてやってきた。オストリッチはそれをナイジェルへ見せるよう命じる。
「どれどれ……」
ナイジェルは椅子の上へ身を起こすと短剣を取り、じっくりとあらためた。柄も鞘も良く磨かれて、確かに手はかかっているし造りはしっかりしているが、特に飾りが豪華なわけでもない普通の短剣に見えた。ナイジェルが鞘から剣を抜くと、曇り一点も無く研磨された刃が姿をあらわした。ただ、肝心の刀身に二つ切れ込みが走っている。
「強く外側へと振っていただければ判ります」
オストリッチは怪訝な顔をしたナイジェルへと言った。言われたとおり剣を強く振ると、遠心力で切れ込みから刀身が分かれ、根元のヒルトを基点に刃が三又に分かれた。
「おお、これは……」
「クロコダイル鋼でつくりましたトライデント・マンゴーシュ。一昨日、西方のメタルの街から届きました今年の新作でございます」
「クロコダイル鋼…… なるほど」
ナイジェルは短剣を左手に持って、敵の剣を払うように振り回してみた。
「重さのつりあいも素晴らしい……」
デルブレー山脈を越えた西方には、良質の鉄鉱石と石炭を産出し金属加工産業で栄えている、その名の通りメタルと名付けられた工業都市がある。そこで作られた、ある優れた等級の鋼は、硬い皮を持つオオトカゲにあやかりアリゲーター鋼と名付けられていた。アグレッサや他の街の鍛冶屋達もこぞってメタルの冶金技術の真似をして、より良質の鉄製品を作ろうとしてきたが、アリゲーター鋼より品質の落ちるケイマン鋼やリザード鋼と呼ばれるレベルの鉄しか作ることができないでいた。
「ナイジェル卿は以前からマンゴーシュやパリーイングダガーの収集に熱心であられると伺っておりましたので、今回特別に取り寄せさせた次第でございます」
刃を日にかざしたり、柄の細工の刃のきめ細かさを覗き込んでから、ナイジェルは軽くうなずいた。
「確かに悪くはないようだ。しばらく借りておくとしよう。しばし身に付け気に入ったら引き取ろう」
「その剣は観賞用としてだけでなく、実際に敵と刃を交える時にも使い手を後悔させない物と思います。とある貴婦人をかけて決闘をなさった際の貴方様の武勇伝は私どもの耳にも届いておりますよ」
オストリッチの言葉に、ナイジェルは小さくため息をついて三又短剣の刃を折りたたんだ。
「いや、それは違うぞ。そもそも、問題になったのは貴婦人ではないただの酒場の女だ。それに決闘で相手を切り倒したのは私ではなく、代役になってくれた友人達だ」
「なんと……」
ナイジェルは思い出したように笑った。
「私は剣の師にはまったく恵まれなかった…… 師は私によく言ったものだ…… お前は剣術など学ばなくていい、替わりに決闘ゴッコで負けない方法を伝授してやろうと、な。スモールソードをいかに優雅に抜き、より美しく剣をさばき、相手の体をちょっと傷つける術さえ学べばそれでいいとのたもうた」
そう言ってナイジェルは笑ったので、オストリッチも釣られて笑い出した。
「今日か明日には更に貴重な品が西方より届く予定です。特に……」
「失礼致します、旦那様」
不意にオストリッチ商会の執事であるアロンゾがやって来て、主人に紙切れを渡した。オストリッチの顔色が一瞬だけ変わった。
「大変申し訳ありません、ナイジェル様。急に仕事の雑事が舞い込んできてしまいました。どうかごゆるりとおくつろぎください。もしお出かけになる場合には家の者へ。すぐに馬を用意させますので」
「ああ、構わん」
早足に母屋のほうへと去っていく主人と執事を見送り、ナイジェルはマンゴーシュをテーブルに置いた。たとえ武器とはいえ飾り気に乏しいその短剣は決してナイジェルの趣味に合う物ではなかったのだが、あとでウェルテやガスコンに見せびらかすには丁度良かった。
胃が満たされると急に眠くなってきた。陽光が暖かかったのでナイジェルは寝椅子へと横になりゆっくりと目を閉じた。




