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プロローグ

 フクロウの鳴き声が聞こえた。闇夜の森の中で目に見えるのは、カンテラに照らされた馬の尻と前方の泥道、そして先頭を走る荷馬車の灯りだけだった。

「お前ぇは今までに何人殺した?」

 そんなダミ声が荷馬車の後ろから聞こえてきたのは、ちょうどデルブレー山脈の針葉樹林帯から、アグレッサ領内の広葉樹に覆われた〈霞の森〉に入った頃だった。

「俺は今までに八人殺ったことがある。おい若ぇの、鶏一匹締めたことねぇようなツラしてんな?」

ダミ声がゲラゲラと笑った。

「そ、そんなことねぇえよ! 俺だって四、五人殺してたんまり稼いだことがあるぜ」

別の若い声が慌てて否定する。

 荷馬車の前席で御者に並んで座っていた筋骨たくましい大男は背中越しにそんなやりとりを聞き、うんざりして頭を掻いた。男の名前はガスコン・パンタグリュエル。ついこの前まで〈誇り高き戦争屋〉と呼ばれていた若き傭兵であったが、昨今の近隣の平和状態すっかり仕事にあぶれ、今ではケチな商人お抱えの用心棒をやっていた。今夜のように商人の密輸品の護衛をしたり、財宝を納めた蔵の見張りをして、わずかばかりの給金を貰い食いつなぐ毎日だ。当然、こんな仕事にはヤクザ者やクズ野郎が多く集まってくる。そんな者達と一緒に仕事をしなければならない今の状況に、ガスコンは小さくため息をついた。

「おい、兄ちゃん。お前はどうなんだ?」

ダミ声が今度はガスコン背中を叩いた。前席で進行方向へカンテラを向けていたガスコンは面倒臭そうに振り返り小声で言った。

「さあな、忘れちまったよ」

話はそれまでだとばかりにガスコンが前に向き直ろうとするその肩を、ダミ声がぐいと後ろへ引っ張った。

「へぇ、言うじゃねぇか。なら、どうやって殺った? この俺に話して聞かせろ」

どうやら応対の仕方を間違ったらしいとガスコンは思った。本来、周囲に注意しながら通らねばならない森の抜け道でこんな無駄話にふけっていては、とても密輸品を狙う盗賊の奇襲には太刀打ちできない。

 ダミ声の中年の男は、黒い不潔な長髪をふりみだし、前歯の抜けた悪臭の放つ口で、ガスコンに言った。

「その顔の傷も、粋がって自分でつけたわけじゃねぇよな?」

男はゲラゲラ笑い出す。ガスコンの左頬から鼻にかけては、まるで地割れのような傷跡が走っていた。以前戦争に従軍した際に敵の騎士によって斬られた傷だった。向う傷ということもあり傭兵にとっては勲章のようなものだ。本来、場所が場所ならこんな侮辱を言う者は只では済まさないところだが、今は喧嘩ができるような状況ではないので、ガスコンは首を振った。

「ちげーよ。ほっといてくれ……」

 ガスコンは再び前を向き、カンテラの光を進行方向へ向けた。森は深くなってゆき、道は泥もしくは荒い砂利に覆われた地帯にさしかかる。本来、街道を通って西の山地からアグレッサの街に入るには、山のふもとにあるノックス砦を通過しなければならないのだが、砦を通過し石畳で舗装された街道を通るには、馬車や積荷にかかる多額の税を領主に支払う必要があった。特にアグレッサは、内陸部の諸都市と港湾都市ポート・フォリオを結ぶ街道の中継点に位置し、そこを通過する多くの人や物にかけられた多額の通行料と関税によって潤っていた。

 当然、商人たちのなかには、領主による課税を免れようと考える者も多く、知られていない抜け道や獣道を使って交易を試みる者もいる。ただ、人目につかない深い森や山道には、その交易品を狙って盗賊たちがはびこり、道中は危険だった。その為に、商人たちはガスコンのような用心棒を密輸品の護衛に雇っていた。

 今回の彼らの雇い主はアグレッサの経済を手中に収めている、ギルドと呼ばれる商業組合だった。それも、様々な業種のギルドの中で最も力を持つ、アグレッサ領内で物資の運搬の中核を担う、馬車や荷車業を掌握しているギルドだった。これら運送業を支配する大商人達は荷車ギルドもしくは物流ギルドと呼ばれていた。

 今回の仕事はアグレッサの物流ギルドからの依頼だった。やたらと重い大小の木箱計四十箱余りを五両の荷馬車に分けて載せ、アグレッサの西にあるデルブレー山脈を越えた商業自由都市アーロンからアグレッサの街まで、森の抜け道を通って護衛するのが今回の仕事だった。

 霞の森に入ってしばらくして、その名のとおり、あたりは徐々に霧がたちこめてきた。涼しいが湿度が高いこの森は、霧がでることが多かった。ガスコンは舌打ちした。さっきまではっきり見えた先頭の荷馬車のカンテラの灯りが、ぼんやりとしてオレンジ色の鬼火のように見える。ガスコンと御者は後ろの馬車へ振り返る。背後には三両の荷馬車の灯りが、同じくぼんやりと見えた。

「嫌な陽気だな。もっと速くとばせないのか?」

御者は首を振った。

「ここらは道が悪い。下手にとばすと、馬車がひっくり返るからな」

御者の言うとおり石ころ道に入り、先程から馬車自体がガタガタ振動している。

――俺が盗賊ならここで待ち伏せする…… 頼むから何も起こるんじゃねーぞ

ガスコンはそう思いながら、腰の剣帯に繋いだカットラスの柄に手を置いた。

 後ろでは先のダミ声がしきりに、犯罪じみたこれまでの『武勲』を自慢し始めた。ガスコンにはこの男の剣の腕など知る由もなかったが、大抵こういうタイプのヤクザ者で本当に剣の腕がいい者は少ない。恐らくもう一人の若者のほうも見たところ、修羅場の経験したことなど無さそうだった。

 この荷馬車にはもう一人、護衛に雇われた無口な男がいた。こういう仕事には慣れている様子で、その落ち着いた様子や使い込まれた腰のブロードソードを見るに、はじめは頼りになりそうだとガスコンは期待したのだが、結局はこの男も頼りにできないと思うようになった。というのも、その男からは絶えず酒の臭いがしていたのだ……

 無駄話といい、周囲への注意不足といい、ガスコンは同じ護衛仲間達のあまりの警戒心の無さにうんざりしていた。それは雇い主側にも言えることだった。その証拠に、運搬に使う馬車は弓矢の攻撃を防ぐ盾どころか布の幌さえついていない。何回も密輸の場数を踏んでいるはずの御者もその事を不安がる様子は無かった。仕方なくガスコンは途中の村で廃材だった木の薄い板をもらい、いざという時の盾にするために足元に置いておいた。

「あんた心配性だな。盗賊なんて護衛の頭数さえ多けりゃ、大抵尻尾巻いて逃げてくもんだ」

村から板きれを抱えてきたガスコンを見て御者はそう笑った。

「クソみたいな仕事だが、命懸かってるんでね……」

そう言って御者の言葉を受け流したものの、ガスコンはまだ不安だった。目視が利きにくい夜だからこれでいいようなものの、もしクロスボウの直射を受ければ、こんな板切れでは到底防ぎきれないだろう。

 それはちょうど隊列が緩やかな左カーブに差し掛かった時だった。霧の中で前方の荷車の灯りが大きく揺れた。そして、悲鳴と共に前の馬車から誰かが転げ落ちた。何か異変が起きたのは明らかだった。次に、ガスコンの耳は近くで風切り音が鳴るのを捉えた。聞き覚えのある音だ。ガスコンはすぐに身を低くして怒鳴った。

「襲撃だ! 気をつけろ!」

馬車の床から板きれを引っ張り上げないうちに、右隣に座っていた御者の肩を矢が貫いていた。馬車から落ちそうになった御者を座席にひっぱりあげて馬の手綱を御者のベルトに縛った。

「おい、しっかりしろ。手綱から手を離すなよ! 絶対に止まるな」

「敵襲! 敵襲!」

前後の馬車からも叫び声があがる。前の馬車も後ろの馬車も弓矢による攻撃を受けていた。馬車の左側の車体に矢が二本、音を立てて突き刺さった。攻撃は左手の森の中からだった。前後の馬車の用心棒達は一斉に剣やダガーを抜いて馬車から飛び降りたが、どこからともなく射掛けられる矢によって次々と串刺しになって倒れてゆく。

 先程、四、五人殺した事があると話していた若者は、怯えたような奇声を上げながら腰に差したショートソードを抜いた。

「おい、よせ!」

ガスコンの制止の声も聞かず馬車から飛び降りようとした若者は、あっけなく胸のど真ん中に矢を受けて積荷の木箱の上へと倒れ伏し、ぴくりとも動かなくなった。

「慌てるな! 敵の場所を確かめろ」

ガスコンは足元に置いてあった数本の松明を掴み、カンテラの中に突っ込んで火を灯すと、次々と森へ放り投げた。暗黒の森にオレンジ色の視野がぼんやりと広がる。弓矢の攻撃が弱まり、叫び声とともに木陰から大勢の者がこちらへ突進してくるのが見えた。抜刀した敵の刃が松明のオレンジの炎を反射して光っていた。

 ガスコンは荷馬車から飛び降り、真鍮でできた柄を握り、飾り気のない黒い鞘に納められた細身のカットラスを抜くと、敵へと走り出した。同じ馬車にいたダミ声と無口な男もそれぞれの得物を抜いて敵を迎え撃った。薄闇の中、たちまち金属同士がぶつかる音とともに混乱した白兵戦がはじまった。

 襲撃者は全員、黒い頭巾に黒いクロークを身に着けていた。向かってきた一人がガスコンへ細身のブロードソードを振りおろす。その一撃目をカットラスで弾き、すぐに左手で腰の短剣を抜いた。刀身に櫛のようなの切れ込みの入った、肉厚で頑丈な装飾のない短剣ソードブレイカーである。敵が横ざまに振りぬく剣をソードブレイカーで受けると、目の前で大きな火花が散った。ソードブレイカーで敵の刃を封じたまま、ガスコンは大きく踏み込んで敵の胴を上から下へカットラスで切りつけた。敵の男は悲鳴をあげて仰向けに倒れる。踏み込みが足らず決定打ではなかったので、ガスコンは止めを刺すべくカットラスを構えるが、視界の左隅に刃の反射を捉え、闇雲に左手のソードブレイカーを振った。

 剣に強い衝撃がぶつかる手ごたえと共に、鋭いレイピアの剣先が自分の短剣とぶつかっていた。左拳に鋭い痛みが走る。レイピアの剣先が一度ひっこむと、すぐに次の素早い刺突が繰り出されてきた。ガスコンは間合いを広くとり、敵の突きをかわしながら相手を見た。黒い頭巾で顔を覆い、黒いクロークを羽織った非常に小柄な男だった。右手には金の柄と護拳がついたスウェプトヒルト・レイピアを持ち、左手には刀身が異様に細い刺突用マンゴーシュを防御用短剣として構えている。まるで左手の短剣で弓を引くような姿勢で半身をこちらに向け、両の剣を突き出しすように構えている。

――チビのくせに腕が立つな……

ガスコンはソードブレイカーを前へ突き出し、カットラスを背負うように構えて相手を牽制するが、すぐに横から新手の敵に斬りかかられ両手の剣でその刃を受ける。そのまま敵の腹へひざ蹴りを見舞って、怯んだ隙にカットラスで敵の胸を突き刺す。敵は悲鳴を上げて倒れるが、止めの一撃を加える前にまたもレイピアの小男に側面から襲われた。

 多勢に無勢の上に、敵は集団戦に持ち込んできた。このままでは明らかに負けると考え、ガスコンは間合いをとり、敵へ打ち込む振りして脱兎の如く逃げ出した。馬車の近くまで後退すると、そこでは先の無口な男が敵三人を相手に斬り結んでいた。ガスコンはそのうちの一人を背中から一刀両断して、首筋と胸を何回も突き刺して止めを刺し、二人目の敵の左胴を払う。残りもう一人は負傷した仲間を抱え、森の闇へと逃れた。

「す、すまんね…… 敵も山賊にしては腕が立つ……」

男は酔っ払っているのか、ふらふらと足元がおぼつかない様子でよろけながら、礼の言葉を述べた。

「馬車が止まっちまった。ここは頼むぞ」

「お、おう……」

 ガスコンは荷馬車の御者へ下から声をかけた。

「おい、止まるな! 急いで逃げろ」

さっき矢を受けた御者は血まみれになりながら手綱を握り、道を塞いでいる先頭の馬車を指さした。

「前の馬車が…… 御者が、やられた」

苦痛をこらえた表情で御者は言う。先頭の馬車を見ると、松明のかすかな灯りのなかで、数本の矢を受けた御者が馬車の下に転がっていた。

 ガスコンは周囲を見回した。同じ馬車にいたダミ声の男が、転がった松明の近くで敵四人を相手にし、まるで狂人のように両手の短剣を振り回している。斬りかかった一人の腹を短剣で突き刺し、助けに入った隣の敵の腕を切って深手を負わせたが、残り二人に斬りつけられて木の根元に倒れるのが見えた。無口な酔っ払い男が加勢せんとばかりにそこへ走っていった。

「このままじゃ皆殺しだ。俺が前の馬車を動かす。一気に突っ走るぞ」

ガスコンはそう言って細い道を塞いでいる先頭の荷馬車へと走り出した。一両目の馬車の護衛達は全滅し、敵の一人が荷馬車の手綱を手にしたところへ、背後からガスコンが襲い掛かった。ガスコンは一人を馬車から蹴り落とし、手綱を握っていたもう一人の頭をカットラスで叩き割ると、馬の手綱を取った。馬車馬の扱いなど判らなかったが、とにかく馬の尻を何度も手綱ではたくと馬はゆっくり歩き出し、しだいに走り始めた。すると森からホイッスルの音が聞こえ、それまで斬り合いを繰り広げていた黒衣の襲撃者達は、負傷した仲間を連れて森の奥の方へと退却をはじめた。

――た、助かったか?

 ガスコン達はその隙に負傷した仲間達を荷馬車に担ぎ上げると、なんとか安全な場所まで馬車を走らせ、危機を脱する事ができた。

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