2008年11月1日 診療録(経過情報)
変更履歴
2011/05/07 誤記修正 各科定例会 → 全科定例会
2011/05/24 レイアウト(改行数)修正
2011/06/21 記述修正 看護師 → RN
2011/07/10 レイアウト(改行数)修正
2011/07/11 小題変更 10月27日 → 11月1日
2011/07/11 記述修正 記載日:2008年10月27日 → 記載日:2008年11月1日
2011/07/11 記述修正 来月になれば → 今月は
2011/07/11 記述修正 来月には → 今月から
2011/07/11 記述修正 来月 → 今月
2011/07/31 記述修正 医師 → Dr
2011/08/15 IC(インフォームド・コンセント) → IC
2011/08/27 記述修正 特になし → 特になし。
2011/12/01 罫線はみ出し修正
カルテ(精神神経科)5頁目:経過情報
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記載日:2008年11月1日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
先週に引き続き各症状は悪化して来ている。
ただし頭痛とだるさだけは変わっていない。
<ドイツ語の走り書き>
Krの主張はSには反映していないが、より明確に不満として私に伝えてくるように変わっている。
やっと混濁気味の意識と共に麻痺していた痛覚が正常になって来た結果だろう。
表情も会話の内容に応じて変化を見せる様になり、やっと人間らしくなって来たと感じる。
そして治療開始当初からの一つの課題だったKrからの会話が、治療開始から1ヶ月してやっと叶った。
内容は私の格好について、白衣を着ないのは何故かと言う質問だった。
私はKrに白衣を着ているのと着ていないのでどちらが良いかを聞きたかったからだと答えると、Krは少し考えてから今の方が良いと答えた。
この会話をするのにひと月かかるとは正直思わなかった。
会話の内容は全く他愛の無いものではあるが、こちらから要求した内容以外を自発的に口にした事と、本人の感情を表現させたと言う意味ではとても重要なものだ。
こんな当たり前なやりとりすら全く出来なかった事を考えると、どれだけ異常な状況の中で生きて来たのかが良く判る。
今月は更に多くの苦痛を訴えてくる事になるはずだが、それが患者としての正しい姿だと私は信じている。
また苦痛の症状を通してDrやRNなどの、他者との意思の疎通を果す事にも重要な意味がある。
やっと治療のスタート地点に立たせる事が出来そうだ。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
器質性疾患の確認の後に処置及び対処を検討中の為、特になし。
<ドイツ語の走り書き>
Krの精神状態がこのまま回復していけば、今月から精神分析に入っても良いかと考えている。
私の好む分析手法は、箱庭療法と絵画療法だ。
この理由としては、思春期の年代を対象とした場合、成人であれば理性的に割り切れるところが割り切れず、子供であれば純粋に感情を伝えるところが素直にはなれないと言った様な、思春期特有の感情で対話ベースでの分析手法は使いづらいと言うのがある。
その点これらの療法であれば、向かい合うのはDrである私ではなくて、画用紙であり箱庭であるので、こちらからの要求にも応じやすい。
だが思春期の年代では子供扱いされたくないと言うプライドもあるので、単に好きな様に表現させるのではなくある程度の目標や方向性を与える事にしている。
こうして作成させた作品を分析しつつ、その作品について対話を行いながら精神分析を行う。
KrはDrやRNに対して反抗的な感情を持っている点からしても、こうした手法が好ましいと思える。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
先週に確認依頼を行った器質的疾患について循環器内科、消化器・肝臓内科共に症状発生の可能性ありと回答。
<ドイツ語の走り書き>
先週に依頼した器質性疾患の確認結果がやっと戻って来たが、レスポンスがあまりにも遅過ぎる。
別に過去五年間の傾向を確認している訳ではないのだから、もっと早くに返答出来ないのかと苛つく。
だがこれも、意図的な回答の遅延なのではないかと感じていて、あえてここに咬みつかせるのが目的なのではとも勘ぐっている。
だからこの点に関しては特に何も仕掛けるの事はしないでおく。
両診療科からの回答が科内会議当日の直前だった為に回答に対する対応策を検討する余裕がなく、そのまま科内会議にて回答結果をベースにしての討議となってしまった。
私の予定していたシナリオではもっと早くに回答が戻ってきて、その回答に合わせた治療プランを検討しておくつもりだったのだが、完全に失敗だ。
もっともこれは片山准教授からすれば計画通りだった様で、何故か事前に回答内容を把握していたかの様な提案を用意していた辺りも、全ては仕組まれていたと思える。
今後はもっと警戒しておかなくてはいけないと反省する。
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
循環器内科、消化器・肝臓内科共に現状の治療計画を踏まえて検討した結果、最善策と思われるPtのSの症状緩和を優先した治療実施を示唆。
抜本的な治療の実施を要求するが治療計画に影響を及ぼすとして、症状緩和の投薬治療を再度打診。
この回答を元に科内会議にて検討の結果、状況を説明した上でPtからの症状緩和治療の要請を受けてからの実施とする。
Ptへの治療方針と投薬による対症療法の副作用についてのIC(インフォームド・コンセント)の実施検討を提案。
<ドイツ語の走り書き>
両診療科からの回答を踏まえて、科内会議にて治療計画の検討を行った。
循環器内科も消化器・肝臓内科も、器質性疾患の可能性を認めてきたがどちらもその対処はこちらでやれと言ってきた。
つまり自分達はもっと重篤な病状の対処で手が回らないから精神科の範疇で対処しろと言う訳だ。
尖兵の片山准教授からの伝達では指示に従わなかったから、今度は本隊である両診療科から正式回答と言う形で指示を突きつけられた。
これが今までKrに対して対症療法しか行わなかった理由の一つなのかと理解した。
要は内科や外科の尻拭いをすべくKrの訴えを揉み消す為の投薬治療なのだ。
これではKrを癒す為に治療しているのではなく、Krを都合の良い様に生かしておく事を優先している様にしか見えず、まさに体のいい人体実験と変わらないのではないか。
院長の娘を自分達の担当する臓器で問題を出したくないとと言う隠蔽体質から来る考えなのだろう、これは医者として失格だ。
だがこれを上へと伝えたところで意味はない事は判っている、そんなに簡単な相手ではないだろう。
しかし、私のKrである限り他の医者の操り人形にさせる気はない、それだけは必ず阻止するつもりだ。
だからICについては、片山准教授は何とかして保留にしようとしていたが、それは突っぱねた。
Krは未成年であるから親である院長の治療同意書が必要だとか、精神病患者の場合は当人に説明すべきではないとか、片山准教授は色々と理由を言っていた。
それに対しては、ICは原則治療を受ける当事者に対して行うべきものであるし、Krは現在正常に思考や判断が出来る状態にあると反論して、真っ向からぶつかった。
宇野准教授はまたも何も言ってこなかったから、ICは治療計画として成立したが、ここでも恐らく派閥間の軋轢が反映されているのだろう、そう思うと非常に不快極まりない。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
Ptへの治療方針と投薬による対症療法の副作用についてのICの実施を特に問題がなければ次回の問診時に予定。
<ドイツ語の走り書き>
片山准教授からの圧力もあった所からして、彼が内科と繋がっているのはもう間違いない。
きっと外科側からなら宇野准教授が介入してくるのだろう。
だが今どきICを無視して治療を進めるなど在り得ない事だ。
ICの対策として投薬で意識薄弱にして、面倒ごとを起こさない様にして来たのは良く判った。
だからまずはKrの本音を吐き出させるようにしてやり、この状況を打開する。
そうなったら治療が出来ないと言うのなら、そんな泣き言をほざく腕の無い医者など要らないだろう。
それこそ良い間引きが出来ると言うものだ。
と、吠えたいところだが、現実はそこまではいかないだろう、だがKrの本心は表に出してみせる。
精神科医としてそれだけは必ず実行する、私はそう決めた。
<走り書き終わり>
◆備考:
特になし。
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
この1ヶ月で聖アンナの神経精神科の実情と検討すべき課題が見えてきた。
怠慢とも見えた治療状況の真相は、派閥闘争の動向に応じた対応の為だった。
神経精神科内でいくら声を荒げても黒幕はその上にいて全く届かない。
そこに働きかけるには、全科定例会に出席しなければならないだろう。
どうにかして治療の主導権を掌握出来ないものだろうか、その為には邪魔な存在を失脚させる必要があるがどうしたものか。
Krに関しては、当初は薬漬けでろくに会話も出来ない程の意識障害かと見紛う状況だったが、大分感情を表現する様になった。
今後は反抗期から来るものかどうかは判断がついていないが、反抗的な態度を取ってきそうな気配がある、Krの扱いには手を焼く事になりそうだ。
Krの周囲の環境についてももう少し改善を図る予知がまだあるのではないか。
手始めにKrに直接関わっている人間を確認してみよう。
そこからも私の白衣の件と同様に、何かしらの改善箇所が見出せるかも知れない。
それにしてもKrのどうしようもなく不幸な境遇には言葉がない。
こんな不治の病に冒されて終わりのない治療が延々と続けられていたのでは、Krの精神が疲弊してしまうのも頷ける。
これが一般のKrであればもっと別の状況だったのだろうと思うと、病院の総力を上げた治療によって生存確率が上がった事を喜ぶのか、様々な診療科から体をいじられ続ける苦痛と屈辱を嘆くのか、Krの心情としては果たしてどちらだろう。
まだ本心や感情が完全に表面に出てはいないので断定は出来ないが、Krからは生きている事の喜びや生存への執着が希薄だと感じている。
言ってしまえば、何となく生きている様に見える。
これこそが本当に私の治療すべき症状であり、早くそれが実行出来る環境と状況を構築しなければならない。
今月からは精神分析も開始して精神的疾患の発現する経過についても記録して行く事にする。
これが私の実績と将来を約束する臨床データに化けてくれる事を期待している。
このKrの治療を通じて何か論文の一つも纏めておきたいところだが、その暇を聖人達が与えてくれるかが怪しい。
出来れば私が自由に動かせる研究室でも欲しいが、どうにかして手に入れられないか検討しておこう。
後はフリードリヒ教授からのメッセージで、妙な事を言われなければ良いのだが。
教授は慈善事業をする様な善良な老人ではない、何か目的があって私はここに差し向けられている。
それのヒントはあのメッセージだけだ。
今月もまた新たなメッセージが来るのだろうか、かなり不安だ。
何だかやる事や考えなければいけない事が山積している様に感じて、少々憂鬱だ。
タスク管理でもすべきだろうか、そんな事をすれば更に作業が増えるだけか、実に頭が痛い。
こんな事で悩んで精神科医が精神疾患を患う様な事になれば、笑うに笑えない話になってしまう。
とにかく自分がKrにならないようにせいぜい気をつけよう。
<走り書き終わり>
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