2008年10月25日 診療録(経過情報)
変更履歴
2011/05/13 誤記修正 2年半前に → 1年半前に
2011/05/13 誤記修正 5年間助手止まり → 4年間助手止まり
2011/05/23 レイアウト(改行数)修正
2011/06/19 記述修正 RN(看護師) → RN
2011/07/07 記述修正 Dr(医師) → Dr
2011/07/11 小題変更 10月20日 → 10月25日
2011/07/11 記述修正 記載日:2008年10月20日 → 記載日:2008年10月25日
2011/07/11 記述修正 先週の科内会議では → 今週の科内会議では
2011/07/30 記述修正 医師 → Dr
2011/08/06 記述修正 kr → Kr
2011/08/26 記述修正 特になし → 特になし。
2011/11/20 罫線はみ出し修正
カルテ(精神神経科)4頁目:経過情報
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記載日:2008年10月25日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
頭痛やだるさは少し良くなって来た気がする。
だけど不眠は二日に一日くらいの頻度に上がっている。
胸痛は呼吸した時に痛くなる気がする。
胸が痛む時、少し息苦しくなる気がする。
腹痛は胃の部分で鈍い痛みが増してきている気がする。
たまに吐き気を感じる事もある。
眩暈も酷くなっている。
よく立ちくらみがする様になった。
<ドイツ語の走り書き>
問診時の服装について色々と試してみた結果、白衣に対する嫌悪感以外はそれほど差異はないのが判り、これからはスーツで問診を行う事にする。
今までは曖昧だった意識が鮮明になって、ぼやけていた感情が表面化し始めたのだろう、Krは私の服装が毎回変わるのにとても興味を持っていたのが判り、明らかに投薬停止の効果も現れて来た。
その様な意識の明晰化と同時に問診時の対話では、嫌悪感や反抗的な態度も度々見受けられる様になってきた。
鎮痛薬が抜けてきたらしくかなりの痛みの症状を発生しているせいもあるが、DrやRNに対して不信感を抱いているように見える。
こちらについては精神分析の実施後に対処方法を検討する予定。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
OD(起立性調節障害)の確認としてシェロンテスト(起立試験)の実施。
器質性疾患に因る発症の可能性の確認。
動悸と胸痛に関して循環器内科へ症状の原因確認依頼。
吐き気と腹痛に関しては消化器・肝臓内科へ症状の原因確認依頼。
<ドイツ語の走り書き>
KrのSから該当する症状が仮面うつ病や自律神経失調症とも重なっている為、まずは年齢的に確率が高く検査が容易なものから実施した。
これらは類似した症状が出るので通常のKrでも誤診する可能性がある。
それがこのKrでは更に幾つもの慢性疾患を抱えているから、それらとの兼ね合いもあり判断は非常に難しい。
とは言っても調べていかなければいつまで経っても何も判明しないのだから、一つずつでも試していくしかないだろう。
これに比べれば両内科へと依頼した確認は簡単なはずだ、自分達の担当する臓器を確認しさえすれば良いのだから。
今回は前の時の様な曖昧な症状ではないので、あんな適当な返答は許されない。
しっかりと診断して頂き、せいぜいこちらに有益な回答をくれる事を期待する。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
問診の結果、投薬を停止した状態では鎮痛剤に因る症状緩和が低下して各種症状が悪化しているものの、精神状態自体は以前より良好であるのを確認。
シェロンテストの結果は陽性。
<ドイツ語の走り書き>
シェロンテストの結果では陽性なのだが、他の診療科の治療で発生した副作用や影響の可能性との切り分けがつかない。
こればかりは該当する診療科へと問い合わせるしかないのだが、だがそれは容易くはなさそうな気配だ。
この辺りでそろそろ露骨な妨害が入ってきそうな気がする。
それと今後の治療計画を考える上でも避けては通れないMNTSについて、腫瘍内科のカルテを確認した。
これを見た私の印象としては、結核菌に似た感染経路を持つ極めてたちの悪い難治性の悪性腫瘍だった。
特徴としては以下の通り。
MNTS病原体に因る感染症の一種で、MNTS病原体保菌者からの飛沫に因る空気感染により伝染する。
保菌者は通常では潜伏感染のまま生涯発症しない、Krは発症する極めて稀な体質。
主な細胞内感染先は血液細胞で、宿主細胞は機能低下を引き起こす。
潜伏期の身体症状は慢性的な貧血症状で、悪化した場合には臓器や器官の機能不全が発生する。
発症要因は免疫低下や病原体に対する何らかの外的刺激(放射線・音波・磁場等)。
活動期の主な症状は、FT(致死性腫瘍)と呼ばれる悪性腫瘍の形成、腫瘍内部での病原体の増殖、腫瘍の転移。
活動期に入ると、一般的な癌腫と同様に周囲の組織や器官に浸潤しながら肥大化する。
腫瘍内で病原体を増殖し腫瘍内に取り込んだ循環器系を通じて遠隔転移する。
腫瘍の肥大化が一定期間進行すると、自壊と共に腫瘍の産生物質が内分泌される。
内分泌される物質の中に壊死毒素を含んでいて、この毒素が循環器系に混入して経路上の組織や器官を破壊し重篤な症状を引き起こす。
よくこんな難病で14年間生かして来れたものだと、ある意味この聖アンナの内科や外科の医療技術を見直した。
潜伏期には病原体の検出すら出来ず、かつてはひたすら発症後の腫瘍に対する外科的処置しか治療方法がなく、毎月の様に手術を行っていた様だ。
やがてミュンヘンで活動期に移行するのを抑制する発症抑制治療の研究が成功し、その治療を実施する為にミュンヘンに転院していた。
MNTSの現段階は寛解状態であり、寛解後療法として内科主導で活動期移行抑止の為の薬物投与に因る治療を継続している。
だがこれも抑制しているだけで快癒する訳ではないし、その効果も完璧ではなくて抗がん剤と同様で段々と効果は薄れている様だ。
これを調べている時に、ミュンヘンでKrの外科治療を担当していたチームがEOD(爆弾処理班)と呼ばれていたのを思い出した。
外科チームはFTの事をBombと呼んでいて、それで自分達の事をEODと呼んでいたのが今になって判った。
これではたしかに爆弾処理と大して変わらないかも知れない。
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
シェロンテストの結果と器質性疾患の確認依頼の回答を踏まえて判断の必要あり。
前回停止した症状緩和の投薬についてはPtと協議の上で対応を検討予定。
<ドイツ語の走り書き>
今週の科内会議では片山准教授が、両内科への打診についてもう一度対応を検討すべきではないかと意見してきた。
これは片山准教授自身の意思ではなく、内科の小間使いとしての私に対する警告なのだろうと理解した。
こちらの診断結果だけでは判断出来ないのは明白なのだが、それなのに確認をさせたがらないとは一体何を考えているのか。
Krに対して正当な診療と治療を与えるつもりがないとしか思えない発言だ。
それともKrのSよりも重要なものがそこにあるのか。
これは是非確認しておかねばならないだろう、きっと今後もつきまとう障壁の一つであろうから。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
器質的疾患について循環器内科、消化器・肝臓内科への確認依頼。
<ドイツ語の走り書き>
宇野准教授が反論しなかった事もあって私の要求が通り、両内科へと症状についての確認依頼を行った。
この後の宇野准教授と片山准教授の態度は、勝者と敗者かの様に正反対だった。
この投薬停止によって生じた症状の問い合わせは内科側の失点に繋がるらしく、片山准教授はかなり不満そうな顔をしていた。
それとは対照的に外科側には内科の失策が有利に働くのか宇野准教授はニヤついていた。
この今回の結果は私にとって都合よく働いたものの、この状況については全く納得していない。
彼らにとってのKrとは治療して治癒させる為の存在ではなく、Krの状況を利用した権力闘争のゲームでもしているかの様にしか見えず、自分達に有利に状況を進めるべくKrを制御しようとしているのが明白で、そのあり方がとても気に食わない。
<走り書き終わり>
◆備考:
特になし。
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
伊集院の饒舌な無駄話のおかげで、聖アンナの内部事情についても幾つかの常識が判って来た。
聖アンナにも他の医科大学なら何処にでもある、大学病院から附属病院や関連病院までを繋ぐ派閥の大学医局がある。
これは通常各学科ごとの教授を頂点とする縦の繋がりで構成されているのだが、聖アンナはこの上にもう一つの大医局と言う集合単位が存在する。
それが総合診療内科を頂点とした内科医局を統括する白聖会と、消化器・一般外科を頂点とした外科医局を統括する赤聖会だ。
この他には、聖アンナ医科大学附属病院の顧問弁護士会を黒聖会と言うらしいが、こちらは関わる事はない筈だろう。
なのでDr達の派閥としては、赤聖会か白聖会かのどちらかと言う事になる。
内科と外科以外の診療科も、このいずれかの傘下に入る形になっていて、通常はその科の部長である教授がどちら側の人間かで決まるらしい。
だが中には中立と言うか孤立している教授もいて、その場合はどちらの傘下にも入っていない状態であり、こうなると大医局の支援は受けられず発言力も影響力も弱まってしまう。
当診療科の現部長である宮澤教授は、前任の赤聖会寄りだった田中元教授の左遷で押し出されて教授になった人間で、この老人は中立だった為に部長就任以降この科は孤立した。
これが今の神経精神科の状況で、それを田中元教授の腹心だった宇野准教授は赤聖会側へと寄せようとし、内科側にコネクションを持つ片山准教授は白聖会側へと寄せようと画策している、今はこういう状況らしい。
一つ非常に馬鹿らしい情報としては、カルテの担当医の記載順は、各科の序列を表しているらしい。
だから内科と外科の元締めが最も上に記載され、その下が外科と内科で分かれて並んでいて、更にその下にその他の診療科が記載されているのか。
今のところは、赤聖会が優位である事を表していて、状況が変わればこの記載順も変動すると言うのだ、実に下らないところに拘るものだと呆れてものが言えない。
聖アンナの職員の8割は聖アンナ医科大出身者だが、別の大学出身者もいる。
残りは関東で頂点の大学である帝都大と、関西方面では頂点である通称四都大と呼ばれる四つの大学、この五校が大半を占める。
四都大とは、西都医科大学、東都理科大学、北都工科大学、南都薬科大学の四つの系列大学の俗称だ。
帝都大と四都大とは昔から確執があるので、四都大と帝都大を加えて五都大とひと括りにされるのを、帝都大の人間も四都大の人間もとても嫌がる。
私は帝都大医学部出身だが、所属組織への帰属意識が低かったのもあり、ほとんど気にした事はない。
大学のレベルとしては帝都大や四都大の方が聖アンナよりも上位なのは間違いない。
医学部単体のレベルでは、私としてはどこの出身かと言う事よりも個人の質の問題であろうからどこも大して変わらないと思うのだが、この地においては聖アンナ以外は不当により低く扱われる。
聖アンナでは聖アンナ出身者でなければ要職への昇進は望めず、診療科内では主任医長止まり、大学の役職では、講師止まりだと言う。
外部出身者でそれ以上の役職を持つのは、私の様な客員として入っている人間だけになる。
この辺りに手駒を増やす要素がありそうだが、その為にはこの科の人事権に影響出来る状態を作り出す必要があるだろう。
その機会はゆっくりと窺うとして、まずは手駒の候補者をピックアップしておく事にする。
職員名簿を確認すると現在神経精神科には外部出身者はおらず、1年半前に一人だけいた帝都大出身の助手が系列の市中病院の心療内科勤務医として出向させられているのが判った。
それは野津と言う男で、この名前に聞き覚えがあると思い経歴を確認すると、大学時代の研究室で後輩だった男だと判った。
私より二歳若いこの男は、私が大学院を卒業すると同時期に大学医学部を卒業し、聖アンナへと入った様だ。
どうしてわざわざこんな色々と厳しい勤務先を選択したのかは判らないが、それから4年間助手止まりと言う低い地位で過ごし、そして栄転と言う形で市中病院の医長として飛ばされたらしい。
昔の記憶でも、目立った長所も思い出せないがそれほど悪い印象もない。
精神科医としてはそれが最上だと私は思っている、患者の精神に方向性を与える人間自身が、突出した方向性を持っている事は好ましくない、常に中立であるべきだと私は考えている。
この男にはこちらから連絡をして、手駒として使えるかどうかを確認しておく事にした。
名簿を開いたついでに、田中元教授についても確認してみた。
田中元教授はKrのミュンヘンでの治療の際に担当だった当時の部長で、今年の3月に地方の関連総合病院に出向になっている。
そして翌月の4月に宮澤准教授が教授になり部長へと昇進している点からして、やはりミュンヘンでの一件がこの人事の原因の様だ。
Krがミュンヘンに入院していた時に行われた聖アンナの医師団との合同ミーティングの場で、私がミュンヘン側の主張として彼の診療結果も治療方針も全て論破した事があった。
私からしてみれば誤った治療をKrの為に正しただけの話であり、当時の私の指摘内容はフリードリヒ教授も後押ししてくれた正当なものだった。
この後論破された田中元教授は左遷され、私がKrの専属医としてミュンヘンから出向している事からも、その指摘が正しかったのは明らかだろう。
宇野准教授は面識もない最初の挨拶の段階で、妙に私に攻撃的だったのを思い出して彼の経歴も確認すると、案の定田中元教授と同じ研究室出身だった。
つまりあれは同族であり恩師であった田中元教授の敵討ちのつもりなのかも知れない、もしそうだとしたら何と愚かしい人間なのかと呆れてしまう。
能力や才能の無いDrが消えるのは仕方のない事であり、そうした能力に因る淘汰は患者の為でもあるのだから肯定すべきだと私は考えている。
それに対してつまらない感情論や慣習などで浄化を疎外する方がよっぽど不健全だが、この地では不浄が横行しているのだろう、患者が不憫でならない。
ここでは聖アンナ出身のDr達を、『聖人』と表現し、外部出身者を『俗人』と表現する隠語があるらしい。
フリードリヒ教授のメッセージの『聖人』は、ここから引用したのかも知れない。
聖人達の住まう土地だから聖アンナが『聖地』と言うのも、かなりの当てずっぽうだったが正しかった様だ。
ここでは聖地出身の聖人でなければ人並みの評価も期待出来ない、聖地と言ってもそれは聖人達の聖地であって、我々俗人にはまるで不毛の地だ。
そんな場所に私は楔を打ち込まなければならない、自分がここで生き残る為に、そして無事にミュンヘンへと帰る為に。
<走り書き終わり>
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