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2009年8月23日 診療録(経過情報)

カルテ(精神神経科)46頁目:経過情報

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記載日:2009年8月23日


◆主要症状・経過等:


[Subjective(主訴)]

8/17 朝食後診察

    先週から引き続き同様の症状を訴える。

    (頭痛・腹痛・不眠・動悸・食欲減退及び自己臭)

8/18~21 各診察全般

      問診に対する回答なし。

8/22~23 朝食後診察

      軽度の頭痛・腹痛及び自己臭。

<ドイツ語の走り書き>

Krの精神不安の改善を図るべく先週の土日を掛けて治療を行なったが劇的な改善はみられず、結果としては悪化を抑えられた程度の効果しか出なかった。

まあ状況を考えればたった2日間で快癒が望めないのは明白であり、想定の範疇なのだがこれでは残り5日間の夏期講習は持ちそうもない。

そうは危惧していたがまさか早々に恐れていた事態になるとは思わなかった。

<走り書き終わり>


[Objective(所見)]

8/17 35回目のリハビリ実施(夏期講習)

8/18~23 自宅療養

8/20PM 昼食後診察

     ・6回目のバウムテスト実施

<ドイツ語の走り書き>

Krは自分の限界が判っていたのかも知れない、だからこんな状況にも関わらず行動を起こしたのだろうか。

先週からの体調悪化も回復出来ないままながらKrに押し切られる形で今週の夏期講習へと臨んだ。

この日遂にKrは講義中に一度友人の席の方を振り向いたのだが、丁度その時に友人もKrを見ていたのでここで初めて二人の視線が合った。

この時RVSMの計測データは一瞬とは言え、今までに見た事がない値を表示して全てのアラームが鳴り響いた。

それを見てすぐに私が教室に突入する指示を出す寸前のところで、急上昇した各数値は緩やかに低下し始めて警告域を僅かに下回るところまで持ち直した。

その講習がこの日の最後の講義だったのでここで騒ぎを起こしては後々の計画に支障が出ると判断し、Krが校舎を出て来るところまでは自力で行かせて我々はすぐに校門近くまで急行して待機の後、30分後に姿を現わしたKrを回収した後に自宅へと緊急搬送となった。

翌日Kr当人は登校を強く希望していたが、昨日から各種測定データが安定しないのと幻臭への反応が過敏になっているのもあり、外出は困難且つ危険と判断し療養させる事を決めた。

これに因り7日目以降は自宅療養となり、以降の夏期講習は全て欠席とせざるを得なくなってしまった。

その後のKrは夏期講習中断のショックの所為で私が担当となった直後と似た様な意識薄弱な状態へと退行してしまい、殆んど口も聞かずこちらから語りかけても無言で微かに頷くか首を振るかするだけだった。

すっかり意気消沈してしまったKrに対して、前々から実施を検討していた心理テストのバウムテストを実施した。

この要求にもKrは無言で応じたのだが、淡々と無感情に描いたバウム画はまさに今のKrの失意を象徴するこれまでで最も寒々しい絵となった。

<走り書き終わり>


[Assessment(分析)]

35回目のリハビリ状況分析

  ・学校の最寄り駅まで送迎後に講習受講(6日目)

    友人と視線を合わせた直後大きく変調を来す。

    自力で校舎を出たところを回収し搬送。

36回目のリハビリ状況分析

  ・自宅の最寄り駅まで車で送迎後に講習受講(7~8日目)

    ※自宅療養で欠席の為未実施

37回目のリハビリ状況分析

  ・送迎なしで自宅から単独で登下校し講習受講(9~10日目)

    ※自宅療養で欠席の為未実施

8/21 臨床検査部より検査結果報告。

8/22 バウムテストの検証及び分析。

(1).バウム画の検証結果

全体の印象は雪に覆われた広い大地に白く細い枯れ木が1本だけあり、大きな影が背後から右上へと伸びている。

木の配置は中央若干下に小さく描かれている。

根の状態については描かれていない。

根元の状態については幹が途中で切断されているか下の部分が埋もれているかの様に唐突に終わっている。

幹の状態についてはか細く大枝と変わらない太さしかない。

枝の付け根の状態は中央と左右の三方向にのみ分岐している。

大枝の状態は三本とも先細りで細かく曲がっていて、左右の大枝は途中で折れて下に垂れ下がり中央の大枝は途中で切断されている。

どの大枝からも小枝は一切生えておらず三本の大枝だけで樹冠を構成している。

葉は一枚もなく花や実も一切ないので樹冠の縁と呼べるのは3本の大枝だけであり、中央の折れた枝先は荒れた切断面で左右の大枝の先は鋭利に尖っている。

木の影は白い木と異なり幹も大枝も上部に行くに従って太くなっていて、大枝は6本に分かれて放射状に伸びており末端の処理は木と同様。

描線のタイプはか細く繊細。

筆跡の乱れとしては木の幹の線は脆いものの切断面や折れ曲がった箇所と木の影だけが強調されている。

平面の処理は淡いながらも全般的に荒い。

一方木の影は全て黒く塗り潰されている。

(2).バウム画の分析結果

今回の絵には以前のバウム画に描かれていた過去の心的外傷を現わすものは描かれておらず、これはこれまでの治療の成果が現れてPtの中でも解消出来た証明と言える。

地面一帯をかなり高い位置にある地平線の彼方まで覆い尽くしている雪は、根や地面が象徴する過去や家庭に関する問題が意識下に潜在化したと判断する。

木の配置や大きさは初期のバウム画と同じかそれよりも小さく萎縮しており現状のPtの沈んだ感情を表現していて、下へと垂れ下がる左右の枝と途中から切断された中央の枝は未来の可能性が失われた喪失感の現われである。

それに対して右上へと伸びる木の影はかなり長く大きく描かれていて実際の白い木と形状も異なっているのは、影が未来の姿を現わしているからである。

総合的に判断すると多くの過去の問題を克服してきたものの現状は失意と挫折感にまみれているが、しかしその先の未来には大きな期待を抱いている。

具体的には挫折感は夏期講習の中断であり、失意とは友人との再会の機会を逸した事であり、未来とは復学を現わしている。

故に現在は失意を齎している挫折感を解消して、未来への期待を顕在化させるべく対処を行なうべきである。

<ドイツ語の走り書き>

6日目に起きた結果はある意味想定していた危惧が現実になっただけの、言わば起こるべくして起きた事態だと思っている。

いずれかの段階で必ずこうなるのであれば、二学期が開始された復学後ではなく今のうちに起こしておいた方が総合的には被害が少なく出来ると考えた面も多少はある。

しかし出来る事なら起きないでKrの精神不安を解消出来れば、それこそが理想であったが今更それを言っても始まらない。

とにかく今は状態の回復を最優先として対処しなければならないのもあって、7日目以降は全て夏期講習を欠席とした。

Krとしては何かしらの興味を持たれていたに違いない友人との接触で復縁を期待するのもあり強く登校を望んでいたが、過敏になっているKrが抱く過度の期待は友人の反応に因って更に大きな心的外傷を招きかねない。

なのでここであえて再会を抑止する事で次回の再会への期待も維持させつつ、強い緊張状態を緩和して適切な精神状態に調整を行なう事にした。

これが現状と今後を踏まえた上で最も有効な選択であると私は信じている。

21日に臨床検査部から届いたTMAUとピロルリアの検査結果は共に陰性で、これに因りKrの症状は自己臭恐怖症と断定しその治療手段である面談療法を開始した。

22日に実施したバウムテストの方は、例によって実際に私が感じた分析結果と公的な見解は大きく異なっている。

白い木の影として描かれている黒い影は大きさも然る事ながら、同一の木から生じた姿としては形状がかなり違っている。

公式見解ではそれを未来の姿として意味づけて復学の象徴と捉えていたが、白い木と比べて遥かに大きい黒い影は形状も白い木とはあまりに異なっている点からして、これは影ではなく別の何かを描いたものではないかと思える。

そう考えると白い木も幹と太さの変わらず小枝も葉もない3本の大枝の様子からすると、まるで磔にされた死体か項垂れた案山子の様にも見えてくる。

そんな白い案山子の背後に覆う様に広がるこの影は、宛ら掴みかかって来る鉤爪の生えた巨大な悪魔の手に見えなくもない。

もし案山子に見える小さな白い木がKrを現わしているとすれば大きな黒い影は何の象徴なのか。

今のKrの心境を察すると、これはKrの希望を摘み取り挫折を与えている私なのかも知れない。

<走り書き終わり>


[Plan(計画)]

8/17PM 緊急チームミーティング

     ・Ptの緊急対応と各科対応検討

8/21AM 科内会議(議事録確認のみ)

     各科からの大量の問い合わせに関する対応状況の報告。

8/23PM チームミーティング

     ・Ptの治療状況報告

<ドイツ語の走り書き>

17日の夜Krを搬送後に行なわれた緊急チームミーティングでは、今後のKrの治療体制についての決定と前に倒れた時と同様に起こるであろう各科からの追求対応策について協議した。

治療体制については当面古賀と大山を交代制で24時間容態監視を行う事として、Krの様子を監視する事で決定した。

Krの看護については最も信頼を得ている川村が出来るだけ行い、可能な限りKrへの精神的なフォローを行なう。

各科への対策については前回の後手に回って振り回された苦い教訓を生かして、私が主導で先手を打ち聖アンナ側からの攻勢を阻止する。

具体的には特別看護部からは状況報告を各科に通達するのみとして、問い合わせの窓口を神経精神科とする事でこちらが対応に追われるのを防ぐ。

本当は特別看護部部長の院長直轄である院長秘書室と言うか西園寺に対応させたかったのだが、それは業務多忙を理由に直ぐさま却下された。

野津にはこのミーティング終了後に状況説明して対応してもらう。

応対方法についてはマニュアル化した問答集を事前に提供しておいて、以降は逐一Krの状態を神経精神科へと送りそれで以って対応させる。

18日以降の夏期講習参加の可否は、状況からしてKrの願望は叶わない可能性が高いと思われるが容態を見て決定する。

これらを速やかに決定して解散した。

21日の科内会議の議事録は普段の数倍あり、それは全て私が押し付けた各診療科からの状況問い合わせの記録だった。

こちらに直接苦情や抗議が来なかった事こそが野津が上手く凌いでくれた証明だと信じて、議事録の詳細については確認しなかった。

毎日伊集院からの悲痛な訴えに見せかけたメールが送られて来たのだけは予想外だったが、全て迷惑メールとして処理しておいたので問題ない。

23日のチームミーティングでは今週の緊急対応の経過について報告を行なった。

Krの容態は6日間の静養でようやく不安定な状態から脱して安定し始めた。

当初は夏期講習の中断で失望し無気力な様子だったKrも、今の段階で回復出来なければ二学期からの復学自体が危うくなる事を理解してそれ以降は以前の様子へと戻った。

自己臭恐怖症に関しても自宅療養になってからはストレスを受ける状況から解放されたのもありそれほど訴えなくなりつつあるが、まだ完全ではないので今後も継続して対症療法及び面接療法を行なっていく。

そして最も重要な問題となる聖アンナへの報告だが、これに関しては夏期講習の参加自体をあくまでリハビリの一環と捉えてその達成目標を70%としていたので、10日間のうち6日間の出席ならば想定には届かないものの批判される程酷い結果でもないとも言える。

報告には6日目に発生した症状への対処を今月中に行い最終的な目的となる二学期からの復学の最終調整が出来た事と、Krの精神的な回復状況は今週のバウムテスト及び来週実施予定の箱庭療法で確認を行なう事も併せて通達し、今週実施したバウムの結果はこれらの措置が成功だったと判断出来る分析結果を提出した。

これでこちらが出来る自衛手段は全て講じた、後は攻撃のカードを引くだけだ。

<走り書き終わり>




◆処方・手術・処置等:


抗不安剤の投薬増加の継続。

自己臭恐怖症の治療として面接療法実施の継続。

<ドイツ語の走り書き>

霧嶋に仕事を依頼してから1週間が経過した。

先週のこちらからのオーダーには直接交渉もなく、翌朝に来たメールの返信であっさりと承諾していた。

それも成功報酬は何故か今までとは比べ物にならない程の格安でだ。

その点には疑問を感じない訳ではないが、今回はあの掴みどころのないコスプレ女の話し相手をせずに済むのは正直助かったと安堵した。

そして23日の夜半に霧嶋からのメールが届いた。

メールの本文は解凍時のパスワードを示す『最後に二人で見たものは?』と言う問い掛けだけが記されていた。

それを見た途端あの時の光景を思い出して、その答えとなる単語をいくつか入力し続けると『Mann zerdrueckt』で解凍出来た。

あのコスプレ女のこういったセンスは不快極まりないと感じつつ、添付ファイルを開くと画像データと音声データが圧縮されていた。

画像データは聖アンナに侵入した霧嶋が自分自身を写したデータで、その格好は一般病棟勤務の看護服姿だった。

今回は直接会わずに契約したからコスプレは無しだと思っていたがこういう形で披露してくるのか。

黒髪をシニヨンにして黒縁メガネを掛けた地味な看護師の霧嶋が、腫瘍内科の内部に侵入して盗撮や盗聴用の機器を仕掛けている様子がスライドショーの様に映っていた。

画像データはそれだけかと思ったらそうでもなく似てはいるが場面が切り替わったのでよく見ると、そこは総合心療内科でこちらでもあちこちに仕掛けをする霧嶋の姿が映されていた。

ここまで見ていて何かこの霧嶋の姿には今までにない違和感を感じるが、それが何なのかどうしても判らない。

それ以外には特に画像はなかったので次に音声ファイルを再生すると、それは何処かで聞き覚えのある二人の男の会話が録音されていた。

二人の会話の内容は、どうやら一方の男がもう一方の男にKrの新たな治療計画について打診している内容だった。

提案していた男は解説を終えた後に大きな問題があると語り、この提案の技術提供元である門埜製薬の懸案について語っていた。

これは私が危惧していた品質に関する問題の事で、彼は計画を成就させる為には最大の利点である研究開発の進行を妨げる事は出来ないと結論づけていた。

それを聞いたもう一方の男の返答は門埜製薬の過去の実績でも確認したのか、効果的な結果を出す為なら多少のリスクは付き物だと答えてそれに同意した。

ここまで聞いたところでこの二人は腫瘍内科副部長の高橋准教授と総合診療内科副部長の石橋准教授であり、これこそまさにPCD誘発治療案だと気づいた。

この音声の正体は門埜製薬のリスクを白聖会としても容認していた動かぬ証拠だった。

しかしこれほどこちらにとって都合のいい致命的な会話をこんな時期にするだろうかと疑問を感じて添付ファイルを確認すると、このファイルのタイムスタンプは今年ではなく2年前になっていた。

つまりこれは私が聖アンナに来るよりも前の出来事を記録したものだったのだ。

だから今よりも若い頃の霧嶋の姿を見て、微妙な違和感を感じたのだと判った。

流石に2年前の会話が残されているとは誰も思わないであろうから、これには対処のしようがあるまい。

この会話が抑えられてあれば後は西園寺に渡して任せておけば、ここから先は向こうで何処までも徹底的に証拠を調べ上げるだろう。

とりあえずこれで反撃のカードは手に入った。

今回霧嶋が要求した報酬が安かったのは事前に抑えてある情報からと言う訳だったのは理解出来たのだが、それにしてもあのコスプレ女はどれだけの機密情報を保持しているのか改めてその実力に恐怖を感じる。

私が最も危険視しなければならないのは、白聖会や赤聖会ではなくたったひとりの女なのではないだろうか……

<走り書き終わり>




◆備考:


霧嶋から提示された向精神薬リスト


 リスパダール・コンスタ 50mgアンプル20本

 セロクエル       200mg錠5箱(300錠)

 ロナセン        8mg錠3箱(300錠)

 ジプレキサ       10mgザイディス錠10箱(280錠)

 エビリファイ      15mg錠10箱(30錠)

 ウェルブトリン     300mg錠10箱(300錠)

 プロザック       20mgカプセル10箱(280カプセル)

 レクサプロ       20mg錠10箱(280錠)

 エフェクサー      75mg錠10箱(300錠)

 サーゾーン       200mg錠3箱(300錠)

 ノリトレン       25mg錠10ボトル(5000錠)


<ドイツ語の走り書き>


独り言……


リスパダール・コンスタ、セロクエル、ロナセン

         SDA(セロトニンドパミン拮抗薬)の一種

ジプレキサ

         MARTA(多元受容体標的化抗精神病薬)の一種

エビリファイ

         DSS(ドパミン系安定剤)の一種

ウェルブトリン

         NDRI(ノルエピネフリン・ドパミン再取り込み阻害薬)の一種

プロザック、レクサプロ

         SSRIの一種

エフェクサー、サーゾーン

         SNRIの一種

ノリトレン

         TCA(三環系抗うつ薬)の一種


このリストの薬剤は全て抗うつ薬として用いられるものであり、殆んどが日本ではまだ未承認の薬だ。

それも用量が最大のものばかりで且つ大量なのも気に掛かるものの、今時ネット販売で入手可能な薬剤ばかりなので価値も特別高くもない。

売りさばく為に要求しているのかとも考えたが高額な薬価のものはリスパダール・コンスタくらいしかなく、前回の霧嶋の報酬額からすると桁違いに安い価格にしかならない。

スマートドラッグとして用いられるものも含まれていない点からしてもやはり転売目的ではなさそうだ。

使用目的での要求ならこれらの薬剤を指定出来るだけの知識を有している時点で、医学部出身者か精神疾患の治療歴を持つ人間ではないだろうか。

もしかするとあのコスプレ女の異常性は薬物中毒症状から来ているものなのか。

色々と気になるがこれを当人に対して尋ねる事も出来ず、あの名前すら偽名であろうからこれまでで得た情報からでは手繰りようも無い。

だが霧嶋の正体についてはいつかはっきりさせなければならない、そんな気がしてならない。

その行為が私の人生や寿命に影響しない事を祈るばかりだ……


<走り書き終わり>



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