2008年10月18日 診療録(経過情報)
変更履歴
2011/05/22 レイアウト(改行数)修正
2011/06/18 記述修正 看護師 → RN(看護師)
2011/06/20 記述修正 看護師 → RN
2011/07/06 記述修正 Dr(医師) → Dr
2011/07/11 小題変更 10月14日 → 10月18日
2011/07/11 記述修正 記載日:2008年10月14日 → 記載日:2008年10月18日
2011/07/11 記述修正 先週末の → 今週末の
2011/08/13 Pt(患者) → Pt
2011/08/14 S(Subjective) → S
2011/08/25 記述修正 特になし → 特になし。
2011/11/17 罫線はみ出し修正
カルテ(精神神経科)3頁目:経過情報
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記載日:2008年10月18日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
先週と特に変わらない。
軽い、頭痛、胸痛、腹痛、動悸、眩暈、立ち眩み。
<ドイツ語の走り書き>
今回から服装を変えて、白衣の着用をやめてみた。
Krは私の姿に興味を持ったようだが、それを尋ねて来るまでには至らなかった。
だが、表情にもわずかではあるものの変化が生じている点から、効果は期待出来そうだ。
白のシャツに黒のパンツスーツと言うのはあまり良くない気がする。
もっとくだけた格好でも検討してみるべきか。
他愛のない雑談の話題を振ってみると、多少は興味を持って短いながら自分なりの意見を返してくる様になった。
それに前回では全く判らなかった感情の変化も表情に現れ始めており、この点からも投薬停止の効果が出始めたと思われる。
僅かずつではあるが着実に前進している。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
Ptの本治療に対する状況に明らかな改善が見られるまでは、結果が期待出来ない精神分析や状況を悪化させる可能性のある各種検査は極力控える。
<ドイツ語の走り書き>
治療方針の大幅な変更に対して、絶対に妨害して来ると予測していた宇野准教授は今のところ処置を見直す様な言動は言って来ていない。
これは逆に、私が気づいていない何かがあっての余裕なのかと思えて不気味だ。
何か裏がある気がするが、それが何なのか全く判らない。
今は何も対策の打ちようもないので、静観する。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
先週に確認依頼を行った器質的疾患については、各科から共に関連する疾患は見られず、発症要因は器質的疾患ではないと断定。
過去の診療録を元に今後の治療方針を検討。
<ドイツ語の走り書き>
ずいぶん遅かったが予想していた通りの回答が各科から戻って来た。
こんな最重要患者に対してあんな疾患を見逃しているとは思えなかったので、この結果は当然だろうと思える。
これで普通のKrなら後はこれで絞り込んだと言えるのだが、このKrではまだそうは言えない。
まあ可能性を順番に潰して行くしかないのだが、かなり苦戦しそうだ。
時間を作ってKrの過去のカルテを見直すと担当が田中教授と宮澤教授になっているが、これは本当なのかかなり疑わしいものだ。
RN(看護師)達にこの辺りの事を尋ねても、皆リアクションが不自然で何かを隠蔽しているのは明らかだ。
この辺りの真実についてはもう少し時間をかけて、信用出来る手駒を入手してから確認していく事にする。
RN達の態度から、どうやら担当医以外は改竄されていない様なので内容を確認してみたが、予想通りで落胆する。
カルテの記載上一応は矛盾のないP(Plan)ではあるが、SがほとんどDrの主観で記載されており、それも全て軽度な症状になっている。
そしてその軽度の症状は、次回の問診時には軽快とされているのだ、こんな事はありえない。
それ以外の記述では、発生した身体の症状を全て心身症と断定していて、その症状を緩和する為の投薬を行っているだけにしか見えない。
これらは他の診療科のカルテと照合しなければ何とも言えないが、内科や外科の治療で発生した都合の悪い症状を全てここで心身症にして片付けている様に見える。
Krが何も言わなければ判らないとでも思っているかの様な悪意を感じる、非常に不快だ。
たまにまともな精神的な疾患の診察記述があっても、それに対しても対症療法的な向精神薬の投与しか行っていない。
非常に珍しい薬の名が並んでいるのは、MNTSの治療薬との使用禁忌を避ける為か。
これも合わせて照合の必要がありそうだ。
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
向精神薬・鎮痛薬の投薬の見直しを行い、副作用によるPtの精神的・肉体的な負担を軽減し、主要症状の軽減を図る。
緊急性の高い投薬以外は各内科との投薬内容の再検証後に再開する事として一旦停止し、他の診療科の投薬状況確認後に再検証を予定。
<ドイツ語の走り書き>
今週末の科内会議でKrの神経精神科の責任者である宇野准教授から、治療状況や治療方針についてやたらと細かく突っ込まれて煩わしい。
月末にある月に一度のKrの全科定例会の場で、説明出来るだけの状況を報告資料として纏める為だと説明されており、これを無視する訳にもいかない。
私が出席出来ればどんな質問でも回答してやるのだが、宇野准教授は私を同席させるつもりはなく、更に私の記載したカルテを理解する気もないのだろう。
そんなものはカルテを見てお前自身が纏めろと言いたいが、さすがにそこまでの暴挙には出る訳にもいかず、致し方なく提出資料を作成している。
宇野准教授が否定して来ない代わりではないだろうが、投薬停止に関して責任者ではない片山准教授が何か言いたげな顔をしていたが、彼は結局発言してこなかった。
宇野准教授の前では大っぴらには動かないのだろうか、これはこれでこちらとしては気持ちが悪い、何かあるのならはっきり言えば良いだろうに、その為の会議の場ではないのか。
こんな不毛なミーティングを毎週行うのかと思うと、たまらなく嫌気が差して来るが仕方がない。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
先週から引き続きPtのDrに対する不信感の緩和を最優先としたカウンセリングの実施。
当診療科からの処方薬の投薬停止。
<ドイツ語の走り書き>
聖アンナの精神科の愚かなところは、薬物療法に依存した論理から脱却出来ない点にある。
そしてその依存体質に対して、何の危機感も問題意識も抱いていないところだ。
いや、投薬によって発生した問題を、平然と更なる投薬で補おうとしている事だと言うべきか。
その証拠に精神科のDrはKrを、薬ビンか何かと勘違いしているのかと思う程に、Krは尋常では無い投与量の薬漬けにされている。
だからまずはそこを改善する事にして、手始めにこの科から処方されている無駄な投薬や、むしろ悪影響を及ぼしていそうな投薬をほぼ全て止めた。
来週にはこれで色々と症状が出て来るはずで、それこそが本当のKrの苦痛となっている症状のはずだと確信している。
後はその苦痛の本心を私に話してくれるところまで、持っていけるかが現状での最大の課題となるだろう。
本当に聞きたいKrの声はなかなか聞けず、目標としていた2週間と言うのが難しそうな状況であるが、こればかりは粘り強くいくしかない。
<走り書き終わり>
◆備考:
特になし。
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
私の教育係として、伊集院助手がつく事になった。
彼はとにかくよく喋る男で、情報源としては理想的だが、しつこい男とうるさい男は苦手なので、これも仕事の一環として割り切って対処する事にする。
聖アンナ医科大出身である点は評価出来るが、積極的な向上心を感じない男で、存在価値をいまいち感じない。
今のところ私には人望もなく煙たがれる存在でしかない、手駒に関してはこれから時間をかけて集めていこうと考えている。
伊集院の無駄の多い談話から聖アンナの事が判ってきた。
聖アンナ大学附属病院は首都圏でも有数の大病院で、1400床の病床数を誇り、特定機能病院、救急指定病院の指定を受けている。
建物は巨大で特徴のある高層ビルで、巨大なビルの上の四隅に尖塔の様に四つのビルが建てられている、スツールをひっくり返した様な構造をしており、クアッドタワービルと呼ばれる。
南側の30階建ての病院棟は、聖アンナ医科大学附属病院。
東側の25階建ての大学棟は、聖アンナ医科大学。
西側の25階建ての研究棟は、聖アンナと提携している複数の外部研究機関が入っている。
北側の20階建ての寮棟は、聖アンナ医科大学職員、聖アンナ医科大学附属病院職員寮と、聖アンナ医科大学学生寮。
4棟のビルの下の地上から5階までの共通部は、広大な正方形のビルになっていて、地下は5階まで全て駐車場。
首都圏内の高層ビルの病院としては珍しく、自然のある空間を提供する様にと配慮されていて、ビルの敷地内に三つの庭園が作られている。
一つ目は大庭園と呼ばれる、共通部の6階屋上中央部にある大きな庭園。
二つ目は回廊庭園と呼ばれる、病院棟の20階から上の階のひと回り細くなった屋上部分で、建物の縁を囲む形状の庭園。
三つ目は屋上庭園と呼ばれる、病院棟の屋上の半分程の広さがある地上41階の高さにある庭園。
聖アンナの入院患者がいる病院棟は上の階に行く程に、より待遇の良い病室になっている。
1階と2階は、一般総合受付と治療施設のみ。
3階から12階までは6人部屋と4人部屋がある一般病棟。
13階から19階までが、2人部屋と一般向けの個室がある一般病棟。
20階は治療施設と食堂や売店があるのみで病室はない。
21階から23階までが、精神科解放病棟。
24階が精神科閉鎖病棟。
25階から26階までが、終末期医療病棟(ホスピス)。
27階から29階までが主に経営者向けの全室個室内に会議室等の複数部屋のある病棟。
30階が全室個室の特別病棟。
病院棟の屋上にある屋上庭園は、特別病棟患者以外には入れない場所になっている。
特別病棟は完全に独立した領域になっていて、この階だけであらゆる治療が可能な様に設備が揃えられている。
更に特別病棟のある最上階へは直通エレベーターでしか入る事も出来ず、そのエレベーターに乗れるのは専用のIDカードを持つ認証された人間だけ。
それには理由があって、この階に入る患者は全て政府要人、大企業経営者、皇族などに限られているからだ。
もちろんRN達もこの特別病棟の専属RNであり、担当患者毎に専任者が決められている。
私の受け持つ事になったKrは、最も設備が整っている一番奥の病室を専用の個室として、生まれてからずっと占有し続けているのだと言う話だ。
一時退院している時もミュンヘンに転院している期間も、この個室はKrの病室として確保され続けていた。
Krの個室には複数の部屋があり、その部屋にはICUの装置一式が入っていたり、無菌室の設備もある。
この病室以外では完全な対応が出来ないから、いつでも入る事が可能な様に、退院時であっても確保し続けられた理由らしい。
実際に見て抱いた感想は、ひとつの建造物としては見た事が無い程に高く巨大であり、何だか傲慢さを象徴している様に感じられ、あまり良い印象は持たなかった。
病院を目にしてふと脳裏を過ぎったのは、神話に出てくるバベルの塔だ。
この塔に住む人間達もあの神話と同じく言葉が通じなくされていて、もう既に互いに会話出来ていないのではないかと思わなくもない。
まあ、私自身に害が及ばなければどうなろうとも構いやしない、私は一日も早くミュンヘンに戻りたいと願うだけだ。
<走り書き終わり>
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