2009年6月21日 診療録(経過情報)
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2012/04/04 誤植修正 Kr → Pt
カルテ(精神神経科)37頁目:経過情報
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記載日:2009年6月21日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
6/15~6/21 各診察全般
Ptからの訴えは特になし。
<ドイツ語の走り書き>
今週に入るとKrは先週までずっと訴えていたSを全く言わなくなった。
これは勿論快癒した訳ではなくもうそれを主張する気力もなくなっている、つまり以前の薬漬けにされていた頃のKrへと戻り始めていると思える。
いよいよ投薬治療の限界も迫っていると言う事だろう。
私の今までの努力が全て消え去ろうとしているのではないか、そんな不安も覚えるが今更後戻りは出来ない。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
6/15PM 18回目のリハビリ実施
6/17PM 19回目のリハビリ実施
6/19PM PMDSM-IV-TRに因る診察
<ドイツ語の走り書き>
今週の課題は店舗内での商品の購入で、Krは指定された店舗へと向かいそこで指示された商品を購入すると言うものだ。
本課題にも段階があり最初は簡単な商品の購入だが次第に店内にも他の客が増加して込み始めたり、指定された商品が品切れだったりする。
その他にも商品購入の際に所持金が不足している、店員から受け取ったつり銭が合っていない等のアクシデントも加わる。
これらの想定外の事態に対してKrはどう対応出来るのかも確認事項の一つに含まれている。
隣に指導者である川村が付き添っているので、Krが予期せぬ事態に陥ってもすぐに対処出来るのでそれほど心配は要らない筈だが何だか嫌な予感がする。
こんな時に持病の偏頭痛も痛み出してますます不吉な感じが増している。
大体過去の経験上この持病が起きる時はその前後で良くない事が起きている、非科学的なのだが結構当たっているので我ながら困ってしまう。
今回は只の杞憂であれば良いのだが。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
18回目のリハビリ状況分析
・店舗外での商品の購入
ほぼ問題なくこなした。
19回目のリハビリ状況分析
・空いている店舗内での店員と対話後に商品の購入
途中で意識を失い昏倒し中断。
20回目のリハビリ状況分析
・混雑した店舗内での店員と対話後に商品の購入
Ptの容態悪化に伴い実施を中止。
PMDSM-IV-TRに因る診察結果
PDに因るパニック発作であると診断。
<ドイツ語の走り書き>
18回目のリハビリは全国チェーン展開している一般的なコンビニエンスストアでの雑貨購入を行なった。
想定としては下校時の買物で時間帯は夕方であり、客層は各年齢層がそれぞれ少数ずつ存在している。
聖アンナでは数箇所ある売店も通常のコンビニの店舗が入っていて、この店舗は聖アンナにあるブランドと同じ店舗だった。
だが特別病棟には存在していないのもあり、恐らく唯一退院していた小学生時代も立ち寄った事はなくKrにとっては初めての入店になった様だ。
入院中なら誰かに依頼すればそれを持って来て貰える生活をし続けていたので、買うと言う概念も頭では判っているが実感が湧いていない様子で、そんな状態を見ているとやはり箱入りのお嬢様だったのだと改めて認識する。
しかしお嬢様であったが故にリハビリの難易度を上げてしまっていて、今のKrにとってはあまり好ましい状態ではなかったと言える。
とは言ってもやるべき事は極めて単純で幼児でも出来る内容であり、川村から財布を受け取ってから指定された商品を見つけて手に取るとそのままレジに並んで、レジで財布から品物代を支払うだけだ。
問題となりそうな要素としてはレジにいる店員や並んでいた客の中に若年層がいたものの、Krはあまり近づかない様にして何とか対処していた。
19回目のリハビリは書店での書籍の購入で、目的の書籍は書架に陳列されておらず店員へと在庫の有無を確認して注文すると言う内容だった。
しかしここで近くにいた店員がKrが最も苦手とする同世代の男の店員であったのが致命的だったらしく、近づいて会話に入った途端にRVSMの各種計測データが一気に低下してKrは意識を失って倒れた。
その後すぐにリハビリを中止してKrをマンション近辺の診療施設へと救急搬送しそこでひと通りの検査を行なった。
診断の結果としてはKrの身体的な影響は殆んどなく事なきを得たが、この後RVSMをチェックしていた聖アンナの各診療科からのクレームや非難に等しい問い合わせが殺到し、状況説明をすべく出頭命令が下った。
Krの様子を確認してからすぐに車で聖アンナへと向かい1時間程で到着して会議室へと出頭するとすぐに軍事法廷か魔女裁判の様な緊急会議が開始された。
ここぞとばかりに私を糾弾する為の緊急会議は夜から翌日の明け方まで続き、宛ら圧迫面接の様に各科が入れ替わり立ち代わりで私を問い詰め続けた。
恐らく大山や古賀の入れ知恵だろう、朝の6時くらいに川村から意識を取り戻したKrの対処要請をして来たのと、次世代医療研究開発センターの長谷川室長から今回の件がRVSMの機能の一つであるloceの誤作動の可能性があるとの報告も入ったのもあり、Krの治療を最優先してそこで一旦解放された。
この時ついでに今回のKr復活の為のキーマンとなる人間に対応依頼を残してから、車を飛ばして7時にKrのマンションへと戻ってきた。
私が戻った時にはKrは眠っていて、どうやら私を呼び戻す為にKrを一時的に起こしてRVSMのデータを動かした様だ。
これらの報告を企んだのは古賀だろう、実に上手くやってくれたものだ。
今後の聖人達への対応も検討しなければならないが、それよりもKrへの対応をどうするかを近々に決めなくてはならない。
まず手始めに6/18以降のKrに対する全てのスケジュールは一旦キャンセルとして精神的疾患に対する治療を行なう事に決定した。
これを告知した途端にまたも各科からの問い合わせが殺到したが、もうこれ以上は無駄話に付き合ってはいられないのでKrの治療を理由として全て放置した。
20回目のリハビリでは有名な低価格衣料品ブランド店舗での衣服購入であったが中止となった。
その代わりにPMDSM-IV-TRに因る診察を行った結果、今回Krが倒れた原因はPDに因るパニック発作であると診断した。
以前からその傾向はあったがとうとう抗不安薬で制御する許容範囲を超えてしまったのだろう。
こうなるとあの赤毛女に不可能を可能へと変える奇跡でも起こすプランを作成して貰うしかない……
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
6/19AM 科内会議(議事録確認のみ)
特になし。
6/21PM チームミーティング
・RVSMの稼働状況定期報告
体内センサーのメンテナンス実施。
電流感知センサー:調整完了
温度感知センサー:調整完了
音波感知センサー:調整完了
・リハビリ計画の状況報告と今後の方針検討
来週は全てのリハビリ実施予定を中止して症状緩和治療を実施を決定。
再び投薬の見直しをシャーリーンに依頼。
<ドイツ語の走り書き>
6/21のチームミーティングでは6/19に発生したKr昏倒でのリハビリ計画の見直しを検討した。
普段は強気な古賀も今回はさすがに継続とは言わなかった。
この事態をずっと警告し続けていた川村はKrの元に付き添っていて今回のミーティングは欠席していた。
本来であればミーティングへの欠席は許されないのだが川村がこの場で報告すべきKrの状況は把握出来ている事と、今回のミーティングでは過去の問題を協議するのではなく今後の治療をどうするかを検討する場なので、川村は自らが出席して感情的な発言で場を乱すのを避けたのもあったのだろう。
それを誰もが察していたので敢えてその点を追求しはしなかった。
まず大山と古賀からRVSM計測データ及び診察結果を報告し、今回の件で肉体的な容態悪化や再発等はなかったと告げてから、ただ精神的なショックが激しくそれに因る各種症状が発症しているのではとまとめた。
次に私からその推測が妥当である事と今後必要となるのがパニック発作の原因であるPDの発症緩和と精神的な耐性の強化であると語ってから、それをリスケで作った期間内で完了させると説明した。
それを聞いた大山からはこれから実施する事になるKrへの治療に充てられる期間の短さを指摘して、それほど短期間の治療であの状況が回復出来るのかとまだ具体的な内容を説明する前から懐疑的な表情をしていた。
それに対して古賀はもう打開策に対する可能性の向上手段に頭を切り替えていて、私の提示した対策の詳細の解説を求めていた。
この後担当Drの2人は互いの自論を交えての舌戦を繰り広げていた。
大山の考えは私の対策に確かな裏づけがあるのか、或いはこの危機的状況から復活が確実に望める勝算があるのかを徹底的に疑っているのであろう。
一方古賀はもうKrの状況を変えるのは自分の範疇を越えた分野だと割り切り、時間もないからとにかく早く次の手に取り掛かるべきだと考えている。
反論される度に徐々に感情を荒げる古賀に対して、暴言を浴びせられても全く態度を変えずに反論し続ける大山。
全くこの2人は本当に性格が真逆だとつくづく感じる。
そんな二人へとKrのPD緩和策として投薬の見直しに因る薬物療法と、認知行動療法に因るパニック発作発症のリスクを軽減させる為の精神療法の二つを並行で実施すると説明した。
薬物療法に関してはシャーリーンに投与後のデータを開示しKrにとって最も相性が良い薬品の選定を行なわせて、そのデータを元に今回は強い副作用も許容として投与する薬の選択肢を増やした上で投薬プランを再作成させる。
精神療法に関しては認知行動療法のひとつである暴露療法でKrが内在している問題を明らかにさせて、それに因る不安要素を軽減すべく私が主導でトレーニングには川村をサポートにつけて行なっていく。
古賀と大山にはこの1週間はKrにとってこちらの治療の試行錯誤によって安定しない状態が続くので、24時間体制での容態チェックとそれぞれの治療実施後の容態検証を依頼した。
この説明でこれからの1週間こそが今までで最も厳しい局面になるのを察した両Drは無言で私の説明を聞いた後に、暫くの間の後に了承の返答を返してミーティングは終了した。
この決定結果は川村にも伝えられ、その日のうちに川村からもミーティングの決定結果に従うと返答があった。
この日の夜にメールを確認するとシャーリーンから大量の文句しかない文面のメールが届いていたが、拒否を表す単語は見当たらなかった。
これで各メンバーの準備は整った。
後は覚悟を決めて来週を乗り切るだけだ。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
来週よりPDの症状緩和治療を実施。
RVSMのセンサー調整メンテナンスを実施予定。
<ドイツ語の走り書き>
6/18の夜中に霧嶋から無題の添付メールが届いていた。
取り敢えず添付ファイルを見ようとするとファイルにはパスワードが掛けられており、解答がパスワードになっているらしい一行だけの質問がメール本文に記載されていた。
文面はドイツ語で『Was ist der letzte Name des Restaurants?』とあり、これの答えが鍵と言う事らしい。
私はこの答えであるあの深海のバーの綴りを入力してファイルを開いた。
それにしてもあの女はドイツ語も理解しているのか、これはデータを盗み見られるのを防ぐ為にセキュリティを考慮して施した防衛措置なのか?
いやそれよりも、私にドイツ語の質問を書いて来るのは私自身の情報すら把握しているとのアピールか?
真意がどちらなのかは判らないうちに圧縮ファイルの展開が終わり、私は意識をそちらへと切り替えた。
圧縮ファイル内に格納されていたのは多数の画像ファイルと文書ファイルとテキストファイルで、文書は全て中文で読む事は出来なかった。
画像ファイルは何処かの病院施設を撮ったものらしく、古びた白い屋内に白衣姿の人間が映っているものばかりだ。
他には手術台に載っている患者や病室のベッドで寝ている入院患者が映されていて、その中には明らかに死亡しているであろうものも少なくはなかった。
文書ファイルを幾つか開いて少しは内容の判りそうなものはないかと漁ってみると、何かの公式文書らしきものの署名欄の上の記述が『中華人民大学医学院附属北京第三医院』と記載が読めた。
どうやらこれが外部研究機関の正体らしい。
前回の調査資料とは違い殆んどが何かの報告文書ばかりで内容が良く判らず、これがどれだけの確証となる資料なのかが私では判断出来ない。
まあたとえ内容が理解出来る形式だったとしても私自身がこちらの用件に関わる余裕はなく、始めから入手した資料は院長秘書室へと献上するつもりだった。
何語で書かれた情報だろうが西園寺なら必ず生かせる筈だ、あの女の性格は大嫌いだが伊達に院長秘書室長ではない様で高い処理能力については認めているし、これをそのまま渡しても少なくともこちらが不利になる事にはならない。
それにしても、たしか前もこんな病院の名前を見た気がするが、それは恐らく気の所為ではないだろう。
何故赤聖会は中華人民大学との繋がりを持ち続けるのだろう、やはり外科として切り刻む体が入手し易い地域を選択した結果が中国と言う事なのか。
まあいい、これでまた彼等も学ぶだろう、手を組むべき相手は良く吟味すべきだと。
<走り書き終わり>
◆備考:
特になし
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
先週依頼しておいた調査で今まで見落としていた資料らしき情報が発見出来たと、6/20に神経精神科の野津からメールでの報告があった。
メールに因るとKrが幼少期にホスピスに入っていた患者の中に『三崎 了』と言う人物が見つかったらしい。
この患者はその病棟の性質上本来なら生涯を終えるまでいた筈なのだが、最期を家族と共に自宅で過ごしたいと望んだ当人の希望に因り退院している。
この患者の苗字は友人である『三崎 水面』の名前と一致している。
前に確認した時は特別病棟に出入りした人間は全ての情報を確認していたが、まさか他の病棟の患者やそこに出入りした人間が関わる事は出来ないと考えていたので見落としていた。
以前受け取った院長秘書室からの資料でも友人の父親は既に病死している記載はあったがそれ以上の情報はなかった。
恐らく外部の調査機関に依頼した際にあくまで友人の個人情報を調査させたので、遠い昔に死去している父親の情報は不要と判断していたのかそれとも確認出来なかったのか。
どうやら当時は現在の様に特別病棟が完全に隔離されてはおらず、従業員専用の通路からは当時も特別病棟の下の階にあったホスピスの病棟へと出入り出来たようだ。
更に当時の屋上庭園も特別病棟患者専用ではなかったらしい事も野津のメールに記されていた。
Krは病院関係者用の通路や屋上庭園からホスピスへと抜け出していて、そこで父の面会へとやって来ていた三崎水面と遭遇した、これが真相で良いのだろうか。
あの大男の話では幼少期のKrは今の様な大人しい性格ではなかったようだし、とりあえずこの読みで正しそうではある。
もしそれが最初の出会いだったとすると、小学校で同じクラスとなったのも今回の様な要請をした結果なのか。
つまりKrの人生はこの友人との再会の為だけにあったかの様に思えてしまう。
幽閉された病院内で冒険をして見つけた掛け替えのない同年代の友達、それが父親の見舞いに連れて来られた三崎水面だった。
Krが開かずの宝箱として表していたのは、まさにKrにとってはそれこそが最も相応しい象徴であったと言う訳だ。
これは起死回生の手となる可能性が上がったのと同時に、これが失われた時のダメージは計り知れないと言うリスクも負う諸刃の剣であるのが明確になった。
この情報と友人自身に関しても慎重に扱っていく必要がありそうだ。
<走り書き終わり>
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