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2009年6月7日 診療録(経過情報)

カルテ(精神神経科)36頁目:経過情報

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記載日:2009年6月7日


◆主要症状・経過等:


[Subjective(主訴)]

6/1~6/7 各診察全般

       先月から引き続き倦怠感、食欲不振、不眠が続いている。

       更にリハビリに対する恐怖に近い不安を感じている。

<ドイツ語の走り書き>

Krは先月から続く慣れないリハビリから来る精神的な疲労がかなり蓄積し、様々な症状として顕在化している。

抗不安薬である程度抑止出来ている筈だが、新たな課題となると不安の方が上回ってしまうのだろう。

しかしだからと言って単純に投薬を増加する訳にも行かず、出来るだけKrには耐えて乗り切ってもらいたいのが本音だが、リハビリ継続を最優先とする為には増量も止むを得ない。

それを本人も判っているのか今週はあまり明確なSはなかった。

結果としてKrに我慢を強いている状況にも問題を感じるが今のところ打開策はない。

<走り書き終わり>


[Objective(所見)]

6/1PM 12回目のリハビリ実施

6/3PM 13回目のリハビリ実施

6/5PM 14回目のリハビリ実施

<ドイツ語の走り書き>

今月からのリハビリは一般社会環境への順応でKrには一般的な商店街での行動を行なわせた。

だが勿論本当の市街への外出は呼吸器内科他複数の科が認めていないので、Krのこのリハビリの為に用意された街へと向かった。

そこはKrの自宅マンションから車で1時間程の距離にある地方都市の郊外に当たる場所で、そこに小さいながらアーケードのある大通りに面する様に複数の様々な店舗が作られている。

これらは私達が纏めたリハビリ計画から必要な医療施設として用意された。

なのでKrにとって最も重要な滅菌処理がこの空間全体に対して行える様に内部の空調を管理出来るアーケードで覆われた形状をしている。

南北に存在する自動車進入禁止の出入り口を左右からのシャッターで閉ざす事に因って大気を遮蔽して内部の建物全てを滅菌処理する。

各店舗は映画のセットの様なものではなく実際に営業可能な建造物であり、店舗には大手チェーンのファストフード店やファストファッションの店舗もあって、言ってみればKrの為に商店街をひとつ作り上げた様なものだと言える。

ここに集められた店舗の店員達は本当に従業員としてその店舗で就業している人間で、Krのリハビリの為に買物客や通行人らは全て治療スケジュールに合わせて用意された人間だ。

彼等はここの建物と同様に何らかの病原菌の保菌者でない事を精密検査で確認して更に雑菌処理された衣服に着替えてここに滞在し、流石に台詞までは決められていないが一人一人に与えられている役をこの場所で演じる。

これらを僅か2ヶ月足らずで用意するのは聖アンナの力であっても流石に無理だろうから、リハビリ計画書が出される前からこの様な施設の建造計画が進んでいて我々がそれに乗っかった形だと思える。

まあこの辺りの真相についてはいずれ機会があれば暴いてみたい。

<走り書き終わり>


[Assessment(分析)]

12回目のリハビリ状況分析

  ・人通りも疎らな状態での市街地の移動

    想定時間で目的地まで移動完了。

13回目のリハビリ状況分析

  ・人通りの多い状態での市街地の移動

    若干遅延したものの目的地まで移動完了。

14回目のリハビリ状況分析

  ・混雑した状態での市街地の移動

    かなり遅延したものの目的地まで移動完了。

<ドイツ語の走り書き>

先月のリハビリでは単独の相手との対話を行なったが今回は不特定多数の他者の接近に対する対処が課題となる。

本工程ではKrの全く知らない他者との距離に関しての耐性の確認の意味も含まれている。

Krが要望した居住地区のデータを元に遭遇し得る世代ごとの密度を再現してある。

これにはKrの登下校をシミュレーションしているので単独での外出を許可されない夜間の想定は含まれていない。

大半の通行人はKrを意識する事無く一定の方向への移動を行なうだけだが、一部の人間にはKrに対して近づく行動を行うのもおり、意図しないタイミングで接触された場合の状態変化についても確認する。

12回目のリハビリは食事で就業者が増加する昼休みの時間帯を想定したもので、Krと他の通行人との距離は平均1.5mであり、通行人の主な年齢層は成人の就業者とした。

この時間帯は本来ならKrは学校にいる時間帯であるが、体調不良に因る遅刻や早退での移動を考慮したものだ。

実施結果は殆んど問題なく目的地まで移動出来た。

13回目のリハビリは登校中に当たる早朝の時間帯を想定したもので、Krと他の通行人との距離は平均1.0mであり、通行人の主な年齢層は学生とした。

実施結果は苦手としている同世代ばかりでかなり随行者にすがりながらの移動であり、不意に接近された時には随行者を盾にするような自己防衛行動も見られた。

ここに関しては多くの生徒が登校する時間をずらす事により多少の緩和は期待出来るとしてあの様な結果報告とした。

14回目のリハビリは夕方の学生の帰宅や主婦の買物時間帯を想定したもので、他の通行人との距離は平均0.5mであり、通行人の主な年齢層は下校時間帯の学生や外出中の主婦とした。

実施結果は目的地には辿り着いたものの常に随行者にしがみついた状態のままで殆んど周囲も見ていない状態だった。

恐らくこの時に川村が不意に消えてしまったとしたら、Krは身動きする事が出来ずにそのまま地面に崩れ落ちていただろう。

この回は正直先月の傾向からしてKrには最も厳しい条件なのは判っていたが、とりあえず目的地まで辿り着けたのであの様な結果報告とした。

だが現場でその時の状態を見れば、とてもではないがまともに移動出来ている様子ではないのが明白だ。

これはかなり今後の雲行きが怪しくなってきたと言える状況であり、不安が現実になってしまいそうだ。

<走り書き終わり>


[Plan(計画)]

6/5AM 科内会議(議事録確認のみ)

     特になし。

6/7PM チームミーティング

     ・RVSMの稼働状況定期報告

       翌週から体内センサーのメンテナンス実施を予定。

     ・リハビリ計画の状況報告と今後の方針検討

       Krの容態変化に注意しつつ予定通り継続を決定。

<ドイツ語の走り書き>

6/7のチームミーティングでは、リハビリ計画の新たな工程に入っての打ち合わせと言うのもあって、予想通りRVSMの計測データも診察結果も悪化していたし川村からは先月までのミーティング以上に可哀想と言う言葉を聞かされた。

それに対して別に私だってKrを苛めたくてこうしている訳ではないと、弁明する事のも子供地味ているかと思い明確な反論はしなかった。

先月も色々とあったが今月に入ってからの容態悪化は加速している感があり、リハビリの工程が進む度にこうして大きな変調とともに一気に悪化していると大山からも進言があった。

シャーリーンの立てた投薬プランは容態の変化に合わせて投薬増加も想定されていてまだその範疇ではあるのだが、それ以上の投薬増量は出来ないと告げられている。

今はとにかく出来るだけKrには耐えてもらい、出来るだけスケジュールをこなしてもらう以外に手はない。

なので私はいつも通りに川村の発言は却下して、引き続きスケジュール通りにリハビリを継続すると決定した。

この決定に川村はいつも通りに不満そうな表情であり、今回は大山も表情を曇らせていた。

川村はともかく慎重な大山までが継続を危惧し始めているのは、そろそろ本当に限界が来るかも知れない。

それと今月にRVSMのメンテナンスが予定されており、Krの体内にある各種センサーを調整する。

これは物理的な調整ではないので手術等はないのだが対象のセンサーが1週間の間使用出来なくなるので直接の診察が重要となる。

なのでこの日のミーティングでは今まで以上にKrの微妙な容態変化についても見逃さない様に周知して終了した。

<走り書き終わり>




◆処方・手術・処置等:


予定通りリハビリ計画を続行。

症状軽減の為の投薬を継続。

来週よりRVSMのセンサー調整メンテナンスを実施予定。

<ドイツ語の走り書き>

先月の全科定例会で呼吸器外科から提案のあった人口臓器に因る臓器代替術案についての対策を講じた。

フリードリヒ教授からのメッセージでの指示では計画の阻止を求めているのは明白だが、こちらとしてもまだ何も詳細が判っていないのもあり、まずは情報収集を行なうべきだろう。

そうなると現状でも多忙故にもう殆んど身動きの取れない私よりも適切な人材に依頼するしかない。

私はここのところ全く連絡を取っていなかった霧嶋に仕事の依頼をする事にした。

6/5に以前聞いていた連絡先へと掛けると留守電になっていたのでその旨を入れておいた。

その日の深夜に折り返しの連絡が入り、今週中で私の都合で会う日程を決めて欲しいとの話だったのでこちらからKrが就寝後の深夜しかないと伝えると、霧嶋は会合の場所として6/6に隣の駅の近くにあるショットバーを指定したのでそれで了承した。

翌日の夜に会合場所に指定された場所へと向かうと、そこは雑居ビルの地下で店の名には『深淵』と書かれた下に小さく筆記体で『abyss』と書いてあった。

打ち放しコンクリートの暗く狭い階段を下りて重々しい金属製のドアを開けるとそこは奥行きの長い細長い構造の店で、店内には長いカウンターと10台のテーブルがあって各テーブルとカウンターにはキャンドルが灯る小さなランタンの様な灯りが置かれている。

店内全体はその店名に相応しくかなり薄暗くて、床には深海を意識した様な真っ青な間接照明が照らされていた。

まず目を引いたのはカウンターになっている巨大な水槽と逆側のテーブル席側の壁面に埋め込まれた異様に長い水槽で、それらの水槽の中にはブラックライトで浮かび上がる無数のクラゲがゆらゆらと泳いでいる。

カウンターには4人の男のバーテンがいて、客はカウンターに3人とテーブル席に2組の計7人がいた。

多くの客は私が入っても全くこちらに意識を向ける事もなかったが、カウンターの一番奥に座っていた女だけが私の方をじっと見つめていたのですぐに私はそこへと向かった。

この日の霧嶋は店に合わせてバーテンダーでも意識しているのか黒いスリーピースのパンツスーツにネクタイ姿で、これはウィッグなのだろうストレートロングの黒髪に、銀縁のオーバル型のメガネを掛けていてこの暗さでも判る真っ赤なルージュのかなり濃いメイクをしていた。

カウンターの中にいても違和感はない格好をした霧嶋は、シャンパングラスを傾けながら私を見て薄笑いを浮かべていた。

私が間近に近づくと霧嶋は目の前に居た最も年嵩の薄い色のサングラスを掛けているバーテンに声を掛けてから席を立って、店内の奥にある潜水艦のハッチの様な重厚な作りの分厚い鉄の扉を開けて、その中に入っていくので私も後に続いた。

ドアの向こうは周囲の壁が全てクラゲの水槽になっている大きな丸いテーブルが中央に配置された小部屋だった。

霧嶋の話ではこの店の店長とは古い知り合いだそうで、この個室は常連でないと入れないと私へ説明しつつ席に着いた。

更に霧嶋はここは防音と防弾についても完璧だからゆっくり落ち着いて話が出来るのだと付け加えてから、さも可笑しそうに含み笑いをしていた。

この説明が単なる冗談ではないのはこの女の仕事柄からすれば明白で、そんな設備を持った場所を店にしている知り合いの店長も全うな人間ではなさそうだが、あらゆる意味で詮索すべきではないだろう。

私は単に霧嶋に仕事を依頼したい全うな社会に属する人間なのだから。

席に着いたところで先程の初老のバーテンが注文を取りにやってきて、ここで初めてこのバーテンは右眼が義眼であるのに気づいた。

私は注文しようとしてメニューを探したが見当たらずそれを尋ねようとすると霧嶋から声が掛かり、結局オーダーは霧嶋から勧められたのもあって同じシャンパンを頼んだ。

メニューもないので値段も判らないし、霧嶋が薦めるほどに気に入っていると言う事は決して安くはなさそうだが、まあどうにかなるだろう。

今日の霧嶋は今までで一番機嫌が良かったらしく常に微笑を絶やさずにいたが、それは単に酔っているだけではない様だがその理由までは判らない。

それも気になるがまずは肝心な用件を済ましてから考える事にしようと思い、私は新しく運ばれて来たシャンパングラスを手で弄びながらこちらを見つめる霧嶋へと本題を切り出した。

仕事の話を始めたら態度が変化するのかと思ったのだが、霧嶋の様子は全く変わらず頬杖をついた姿勢で私を見つめたままで、今回の依頼である呼吸器外科の臓器代替術案の要とも言える技術提供元であろう、外部研究機関の正体の確認と実態を探って欲しいと説明し終えても全く変わらなかった。

最後まで表情すら変えなかった霧嶋はそのままの姿勢で、グラスを持っていた手を離すと指を三本立ててこちらへと突き出してから一言、その依頼だったら報酬は前の時の三倍だと笑顔で言い放った。

前は新車が買える額だったが、今回は家が建てられそうな金額になっている訳だ。

霧嶋は最初にサービスでその外部研究機関は中国の医療機関だと明かしてから、この金額である理由として前回の一件で中国での活動のリスクは上がっていて、もし捕まった場合には命の保障がないからだと言ってから、さも可笑しそうに笑っていた。

今の説明では依頼を断る解説に聞こえるのだが、この女にとっては自分の命よりも金なのだろうか。

それにその説明でどうして笑えるのかも私には全く理解が出来ない。

何となく高い報酬を求めていると言うよりは危険な状況を楽しんでいるタイプにも見える。

霧嶋の要求額は確かに高額ではあるが、この女以上に確率で裏づけを取れる相手もいないのも事実であり、他に当てもないのが現実だ。

それに私が依頼する前の段階で既にある程度の情報は掴んでいるところも、性格はともかくその技量は信用に値する。

私は提示された額を了承して正式に霧嶋へと調査を依頼すると、霧嶋から無事契約成立を祝って乾杯を求められたので私はそれに応じて乾杯した。

シャンパンなのでグラスを寄せるだけであったが、その時霧嶋は妙に嬉しそうな顔をしているのを見てシャンパンを注文したのはこの為だったのかと理解した。

私は上機嫌でしたり顔の霧嶋を眺めながら途轍もなく高い金額となったシャンパンを口にした。

そのシャンパンの味は今まで飲んだ事がないほどに美味しいと同時に苦く感じた。

<走り書き終わり>


◆備考:


特になし


<ドイツ語の走り書き>


独り言……


先月のリハビリを終えた辺りから強く感じていたのだが、このままではKrの気力がもたずに本人の意思とは関係なくリハビリの限界を迎える気がする。

毎日の様に川村はリハビリ計画の見直しやもっと休日や休憩を挟んだスケジュールの調整を求めているが、それらはどれも二学期復学の為には認め難いものだ。

しかし現実としてKrが潰れてしまえばそれまでであり、そうなってしまってからでは全てが手遅れになるのも事実だ。

かと言って投薬増量で耐えさせるのもそういつまでも使える手ではなく、これもじきに使えなくなってしまうだろう。

リスケせずにKrのモチベーションを回復させるにはやはり、この無謀な計画の根源にあるものを用いるのが筋だろうか。

Krが求めるもの、それは復学する学校に在籍する小学生時代の友人なのは判っているが、ただ単に再会したいだけであれば復学の必要はないと思える。

つまりKrの真の目的はまだ判っていない状態であり、現状では何故あの友人に何故それほど固執しているのかが判っていない。

これはまだKrの過去に関して判っていないのが原因で、あの大男からも大した情報も得れず行き詰っている。

この点を解明しておけば、いざという時にKrに対して有力な発現が可能になると思える。

何とかしてそれを確認する術はないものだろうか……


<走り書き終わり>



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