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2009年5月10日 診療録(経過情報)

変更履歴

2012/01/06 最下行罫線追加

2012/07/27 記述追加 Krの服装に関する記載を追加


カルテ(精神神経科)32頁目:経過情報

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記載日:2009年5月10日


◆主要症状・経過等:


[Subjective(主訴)]

5/4~5/10 各診察全般

       頭痛・胸痛・腹痛を感じる。

<ドイツ語の走り書き>

実施前から想像は出来ていたがKrはリハビリのトレーニングを実施する度に体調の悪化を起こし、それは回を重ねる毎に重症化していく。

最も悪化したのは5/8のリハビリ終了時点で、その後は翌日の聖アンナでの通院も危ぶまれる程だった。

5/10時点では容態も回復に向かったからまだ良かったが、これほどの容体悪化を起こす様では対策を講じなければ継続は難しいだろう。

<走り書き終わり>


[Objective(所見)]

5/4PM 1回目のリハビリ実施

5/6PM 2回目のリハビリ実施

5/8PM 3回目のリハビリ実施

<ドイツ語の走り書き>

今週より開始したリハビリでは、まず最初にKr自身の服装の変更から着手した。

これからのリハビリ実施中は全て編入予定の高校の制服を着用させた。

これの意味は実際に対外的な接触をする際の状況を考えると、最も頻度が高いのが制服着用時であるからで、その格好でこれからのリハビリを行って慣れていく方がより現実に近いシチュエーションとなる点も考慮した結果だった。

制服の着こなしに関しては学校の現状を踏まえつつ編入生として問題のないバランスを川村とも検討したのだが、Krはいくつかのプランの中でも最も硬い、ほぼシャツも第一ボタンまで留めてスカート丈も全く詰めない形で着用するのを選択した。

本人曰く出来るだけ肌を出したくないからとの理由ではあったが、少しでもはだけていると体の傷痕が見えてしまうのではと過敏に恐れているのが感じられた。

まあ今のKrなら学業面のレベルなら上位なので周囲からは浮きそうだが、勉強の出来る真面目な生徒と言うイメージであれば違和感はないと判断してKrの要望通りにする事にした。

編入後の二学期からはジャケット着用なので問題ないが、夏期講習期間は夏服でシャツだけでは腕の痣が透けると心配していたので、シャツの上にカーディガンを着用させた。

Krへと実施したトレーニングの内容は実に簡単なもので、2m離れた位置で向かい合う様に椅子に座って、Krの見知らぬ一般的な年相応の格好をした各年齢層の人間1人ずつと会話させただけだ。

この為に必要な年齢層の人間を募集し、参加志願者には事前の健康診断での健康状態のチェックを行い感染症保菌者を検査して、更に合格者も一週間前から抗生物質等を服用させて、更にKr宅内のスタッフルームで滅菌処理も行なっている。

それと同様にこちらで用意した滅菌処理済みの服へと着替えてKrへと対面させた。

服装についてはその年代ごとの着用率で選択を行い、20代から50代男性ならスーツ、学生が多い10代なら制服と言う様に、一般社会的に遭遇率の高い物からピックアップして選択した。

まずはこれでKrのコミュニケーション能力にどの程度問題があり、どの様な傾向があるのかを併せて確認してみたのだが、その結果は少々意外だった。

実施後のKrはどの日も目に見えて心身ともに疲労していて、それは日を追う毎に増して行った。

特に5/8はKrが動揺してしまって治まらず暫くRVSMのアラームが止まらなくなってしまう程だったが、川村が何とかKrを落ち着かせて平常な状態にまで回復させた。

翌日の5/9PMの聖アンナでの通院治療では、予約していた全ての科から状況についての説明を求められるはそれ以外の時間も当日診療予定のなかった科のDr達に追い回され続けて、全く気が休まらない時を過ごす羽目になった。

これはこれから先も相当に困難そうだと改めて感じる。

<走り書き終わり>


[Assessment(分析)]

1回目のリハビリ状況分析

  ・80代、70代、60代の男女各5名と相手主導で3分間の会話

    80代:ほぼ問題なく応対

    70代:ほぼ問題なく応対

    60代:ほぼ問題なく応対

2回目のリハビリ状況分析

  ・50代、40代、30代の男女各5名と相手主導で3分間の会話

    50代:ほぼ問題なく応対

    40代:10人中1人応対出来ず

    30代:10人中2人応対出来ず

3回目のリハビリ状況分析

  ・20代、10代、10歳以下の男女各5名と相手主導で3分間の会話

    20代:10人中4人応対出来ず

    10代:10人中10人応対出来ず(途中で中断)

    10歳以下:10人中7人応対出来ず

<ドイツ語の走り書き>

実施前の私の推測ではKrは思春期にありがちな成人への反発心もあり、20代以上の成人に対しての結果が悪いものだと思っていた。

だが実際に確認してみると、確かに成人への態度には何か感情が希薄な様子が見られるものの一応概ね対応出来たのに対して、年代的に近い20代以下の方が支障を来す結果となった。

特にKrと同年代との接触時の動揺が最も酷く、会話以前に平常心を保てずに緊張から来る発汗・振戦・吃音・緘黙が発生し、同時に動悸・眩暈・過呼吸も併発した。

結果としてKrは重度のHVS(過換気症候群)を発症してしまい、その時点で中断せざるを得なかった。

原因としてはSAD(社交不安障害)やPD(パニック障害)辺りが該当するが根本的な要因については分析が必要だ。

それにしてもKrは大人ばかりしかいない聖アンナの特別病棟で居心地が良くないのだろうと思っていたのに、寧ろ大人しかいない方が都合が良かったとはこれは予想外であった。

しかし同年代だけなら判らなくもないのだが、年下である幼年期に対しても反応を示すとはどういう事なのか。

これはKrの幼少時代にでも何かトラウマの様なものがあるのかも知れない。

同年代以下に対する強烈な拒絶反応も然る事ながら、成人のグループ内に加えておいたスーツ姿や白衣姿の人間への対応にも気になった。

まさに我々に接するのと同様に無難に対処しているのだが、他の姿の成人らの場合と比べると違和感がある様に思える。

スーツ姿の教職員と制服姿の同学年との会話がまともに出来ないようでは、とてもではないが復学は不可能だろう。

これには抜本的な治療が必要そうだ。

<走り書き終わり>


[Plan(計画)]

5/8AM 科内会議(議事録確認のみ)

     特になし。

5/10PM チームミーティング

     ・RVSMの稼働状況定期報告

       特に問題なし。

     ・リハビリ計画の状況報告と今後の方針検討

       抗不安薬併用での症状緩和しながらのリハビリ再開を決定。

<ドイツ語の走り書き>

5/10のチームミーティングでの議題は当然の事ながらKrのリハビリ計画に対する今後の方針が問題となった。

続行に対して強く抗議したのは川村で、訴えてきたのは極めて医療従事者らしからぬ意見でKrが可哀想で見ていられないからと言う理由だった。

川村のその考え方はKrの身内の人間が持つ感情論にしか聞こえず、まるで客観性がない。

RVSMのデータ確認検証と直接の診察を行なっている古賀と大山は診断結果を踏まえて発言し、二人共に現状のままでの続行はKrにとっても危険ではないかと忠告してきた。

それらに対する私の意見は、リハビリ計画は遅延や延期は許されないものであり計画通りにリハビリを継続すると語った。

その為にもう一度だけ現状で極端に拒絶反応を起こす年齢層について詳細の検証を行なった後に、抗不安薬投与に因る症状緩和を図りつつ継続させると説明した。

このリハビリ計画は必ず成功させなくてはならないとの認識は彼等にも良く判っている筈で、私が本来選ぶ事のない薬物療法を選択した点でも厳しい状況を理解出来るだろう。

これを聞いて古賀と大山は納得して了承したのだが、川村はまだ不満なのか不安なのか判らない様な顔をしていた。

しかし自分の発言には医学的な根拠もないのが判っているからだろうか、それ以上は反論しては来る事無くミーティングは終了した。

チームミーティングの際での川村の態度は、当人の気質を考えれば十分予想出来ていたものだ。

勿論これは想定していた事態であり驚くには当たらないのだが、もう少し先の展開だと思っていたのでそれは意外だった。

川村の提言は極めて理に適ったものであり、私もここは慎重に容態の改善がみられるまではリハビリを止めるだろう、通常の患者相手であれば。

普通の入院患者とは違いKrはこのリハビリ計画に入る前に署名した治療同意書がある。

本来であれば治療に対するKrの意思表示は何よりも尊重されるべきものであるが、今回の場合はKrの精神疾患に対する治療である事と事前にサインした治療同意書は保護者である父親のサインもあるし、何よりも治療期間中に当人の意思が変わってもその治療が身体に致命的な影響を及ぼさない限り継続する事に同意している。

つまりKrは自ら作り上げた枷に未来の自分を繋ぎとめる契約を行なっており、Krはどれだけ今後の治療が辛くともそれを理由としての治療の中止は出来ない様に自らを追い込んでいる。

それほどまでに目標である二学期からの復学を強く望んでいるのは明らかだ。

川村の様に今のKrを心配した感情から来る意見も判るが、我々がKrの為に死守すべきは最終的にKrの望む目標への確実な到達である事を忘れてはならない。

この事はまた別の思惑もあって川村にはまだ語るつもりはない。

直に川村の方から何かしらの動きがあるだろうから、その時にでも川村に求める私の考えを聞かせようと思う。

<走り書き終わり>




◆処方・手術・処置等:


予定通りリハビリ計画を続行。

5/12より症状緩和の投薬開始。

<ドイツ語の走り書き>

先月に院長秘書室へと依頼していたKrの友人に対する調査結果がやっと届いた。

既にKrの要請に因り調査済みの情報を送って来ただけの様だったのだが、それならもっと早く手配出来たのではないかと不満を感じる。

作業の優先順位を下げられたのかそれとも何か別の理由があるのかそこは判らない。

この調査資料を確認するとKrが私に告げていた通り、『三崎 水面』と言う同級生は小学校の三年生の時に同じクラスであった。

そして現在はKrが二学期から復学を目指している高校に在籍しているのも確認出来た。

Krとは違って経済的には裕福とは言えない母子家庭であり、父親は幼い頃に病死している様だ。

この友人の写真も資料にありそれを確認してみると、小学三年当時の姿は長く髪を伸ばしているのが特徴である普通の女子であった。

現在の高校一年時の写真を見てみると髪は纏めているがそれ以外は幼い頃とあまり変わっておらず、小さい頃の面影を強く残している。

生活態度についても特筆する様な素行の悪化や補導暦もなく、至って真面目な高校生の様だ。

母親は中小企業の食品販売の営業職で普段から出張が多くあまり自宅には帰らず、基本的には単身で暮らしている状態だ。

この様な興信所で確認した様な表面的な情報はあったがそれ以上の情報はなく、これではこの友人であった子がKrに対して当時どう思っていたかやKrの事を今は覚えているのかは判らない。

高校生が小学校時代に1年間だけクラスメイトとして付き合った友人の事を、まだ友人として覚えているかどうかは何とも言えないところだ。

Krからすればここまでの半生の中でもとても貴重な時間であり出会いだったと言えるが、健常者の子供からすればそれはクラス替えの度に起こる年中行事とも言えて、深く交遊のあった特別な相手以外は過去の人間として処理されているだろう。

私はここでKrの作った箱庭の作品の事を思い出して、箱庭用の玩具を格納している棚へと向かい、宝箱の玩具を手にした。

Krは箱庭で最終目的の象徴として宝箱を用いる機会が何度かあった。

この玩具の宝箱は小さいながら精巧に出来ていて蓋が開閉可能になっており、更に小さな鍵もついていて蓋を開かなくする事が可能だ。

私が宝箱の蓋を開けようとしてみたが、思った通り鍵が掛けられていて蓋は開かなかった。

この箱庭の道具一式が納品された時には蓋は開く様になっていた筈で、Krは棚に私に背を向けて玩具を選んでいる時にでも鍵を掛けていたのだろう。

宝箱とはそれ自身が財宝ではなくてその中に宝物を格納する封じられた容器でしかなく、未だに一度も開いている宝箱や宝箱の鍵が箱庭に登場した事は無かった。

それはつまりKrは宝箱に象徴されるかつての友人であり逢いたいと望む相手の記憶に、自分の事が残っていないかも知れないと感じていると思われる。

その忘れられているかも知れない恐れと不安が、施錠された開かずの宝箱と言う形で表現されていたのだ。

問題はこの箱の鍵が何処にあるのか或いは誰が持っているのかだが、棚をひと通り探しても見当たらなかった。

Krは我々が鍵を与えてくれるとは考えていないのか、それとも我々には見つけて欲しくないと願っているのか。

洒落ではなく本当に、この宝箱の鍵こそがKrの今後を左右する命運の鍵を握っている。

<走り書き終わり>




◆備考:


特になし


<ドイツ語の走り書き>


独り言……


リハビリ実施のKrのリアクションは幾つかの過去のトラウマが起因して引き起こされた症状であろうと判断し、Krの過去についての更なる詳細な確認を行う事にした。

まずは同級生の調査資料を提供してきた院長秘書室へと、今度はKr自身についての情報提供を求めるのとついでに特定患者管理部の部長の名で特別看護部へと資料提示を求める様にも連絡を入れる。

対応した西園寺は極めて機械的に私からの指示を了解した。

部長たる仁科院長経由になるので少々時間は掛かるがこれで特別看護部がごねる確率は大幅に低下する。

ただあの部署は外見重視の所為なのか結構入れ替わりが激しい様で、現在最も長く在籍しているのが部長の上原なので、10年以上も前のそれもカルテに記載する必要のない情報等は存在しない可能性が高い。

当時担当RNだった人間はもう殆んど退職している筈で、大半は玉の輿に乗っているのだから連絡が着くとも思えないが、まああまり期待せずに結果を待つとしよう。

次はそういったKrの内面に関わる情報を把握していて当然である神経精神科の野津へと連絡すると、野津は不在で代わりに伊集院が電話に出た。

これは雑用の指示なので伊集院でも構わないかと判断して、伊集院にKrのカルテを確認させようと指示すると露骨に嫌そうな声で返答した。

伊集院曰く10年も前のカルテは電子化されていないから見つけるだけでも大変だとか言い訳していたが、そんなのは私の知った事ではないと伝えて急ぐようにと答えて電話を切った。

大変なのは始めから判っているから、神経精神科でやらせようとしているに決まっているではないか。

しかしこっちもどうせ捏造したカルテが出て来るだけだろうから、探させはするがこちらもあまり期待は出来ないだろう。

他に探る先はないかと考えたが後は家族である仁科院長や実在しているのかすら疑われる程に存在感の薄い院長夫人だが、たとえ担当患者の親とは言っても問い合わせが出来る相手ではない。

私が今度はKr自身について特別看護部に探りを入れている事を知って自主的に協力でもしてくれれば別だが、恐らくだが両親すらもKrの事はよく覚えていないと言うより知らないか判らないのではないかと言う気がする。

その理由は私が関わる様になってから一度も面会にすら着た事が無いのもあるが、Krから両親の話を殆んど聞かないのもあった。

ミュンヘン時代では直接Krと関わった訳でもないが、確か向こうでも身内は同行せずKr単身での滞在だった筈だ。

推測ではあるがKrは両親と距離を置いているのではないだろうか。

とりあえずは思いつく限りの問い合わせ先へと仕掛けはした。

この中でどれかひとつでもKrのトラウマに繋がる情報が得られれば良いのだが。


<走り書き終わり>



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