2009年4月4日 診療録(経過情報)
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2011/12/31 罫線はみ出し修正
2011/12/31 最下行罫線追加
2012/01/16 記述統一 眼鏡 → メガネ
カルテ(精神神経科)27頁目:経過情報
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記載日:2009年4月4日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
気になるところはない。
<ドイツ語の走り書き>
RVSMのインプラント手術から6日が経った。
頭部皮下や体内の各種器官に至る大規模で長時間に及ぶOPであったにも拘わらず、Kr自身はOPに慣れているのもあるのかOP前と変わらない様子だった。
これにはまだ投与を続けている抗不安剤の効果もあると思われる。
この投薬は退院後を目処にKrの状態を考慮しつつ折を見て止めようと考えている。
術後として特に問題はないと判断して今回の診療を終わりにしようとした時に、Krから思わぬ言葉で呼び止められた。
Krは私の事を苗字で呼んだのだ。
実は今まで一度も私はKrから個人を特定する呼称で呼ばれた事はなかった。
Krにとっては自分を診ているDrは全て同じ“医者”としか見ておらず求めに応じて返答するのが基本で、大分時間が掛かってようやくKrの方から話すようになったがその時も苗字はおろか先生とも呼ばれた事すらなかった。
だがそれが今日始めて私を苗字で呼んでから、最初にごめんなさいと謝った後に退院してからもよろしくお願いします、と言って頭を下げていた。
このKrの態度に何の意味があるのかか判らなかったのだが、予想外の展開で呆けている私を見てKrはその改まった挨拶の真意を語り出した。
Krは先月に私から助言を受けて父親へと誕生日のプレゼントを頼んだ。
そこまでは私の想像していた通りでありその結果私の提案は可決された、がその後は更なる大きな思惑に翻弄されて散々な事になった。
それを改めて思い出して思わず苛立つがKrの前では表に出さずに静かに話を聞くと、実はKrはもう一つ去年の分の誕生日プレゼントも頼んだと言い出した。
確かに私は過ぎてしまった誕生祝いの要求はすべきとは伝えたが、今年と去年の二つを頼んでいたとは予想していなかったので少々驚いた。
そしてもう1つの去年のプレゼントと私への謝罪と挨拶の因果関係に気づき、Krの言わんとしている事を理解して思わず私はここで口元を歪めて苦笑してしまった。
私の表情の変化に気づいて伝えようとしていた事が判ったのだと判断した様で、もう一度私へと謝罪した。
私を陥れた黒幕はKrだった。
Krは今までの私のとやり取りで退院後に付き添う担当医を私にして欲しいと去年のプレゼントとして父親に依頼し、それに沿う形で院長は各科との協議を図った。
つまり私は自ら決定打を放つと同時に致命打も放っていた訳だ、Krが黒幕では報復も何もあったものじゃない、それにこれでは自業自得か。
Krは勝手に私を指名した事について謝罪していたが、その後に一枚の便箋を私へと見せた。
その便箋には更に興味深い一文がKrの直筆で書かれていた。
『これはお願いではなくて取引です。
私の望むようにしてくれるなら、あなたの事も私の力で望むようにしてあげます。
だから私と取引して下さい。
取引に応じてくれるなら、私と握手して下さい。』
そう言ってKrは、無言で右手を差し出してきた。
わざわざ紙面に書いて知らせて握手で返答させるのは、RVSMの機能を警戒しての事だろうか。
この時のKrの表情は真剣で便箋を掲げる右手も少し震えているのもあり、これが単なる遊びでやっている行為ではなくKrとしては大きな賭けなのが判った。
これは以前にも見た光景だが両者の立場が逆転しているなと思いつつ、数秒考えてからKrに提示された取引に応じる事に決めた。
私は差し出されたKrの右手を握り握手を交わした後にKrが見せていた便箋を一度受け取ってから、“上記の条件を承諾し契約に応じる。”と下の箇所に追記して更に私のサインをしてからKrに渡した。
これでKrと私は運命共同体となった。
儀式めいた行為とも言えるが、これに応じる事でKrからの信頼が上がるならより強固なラポール構築に役立つし、これがなくても私は既にKrあっての立場となりつつあるのだからこちらに不利益は何もない。
この後にもう一度Krと取引成立の握手をしたが、この時のKrは喜びの笑顔ではなく硬い真面目な表情で、私の手を握るその力は予想以上に力強かった。
Krは私に依存するのではなく対等なパートナーとして見做しているのだと感じた。
それは穿った捉え方をするならKrの心の最深部にあるものには及んでいない証明とも言えるが、それでもそれ以外の誰よりも私が近づいたのは間違いないだろうから、現状はそれで良しとしよう。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
術後経過確認。
RVSM臨床試験の運用開始。
<ドイツ語の走り書き>
Krの容態はSの通りで問題はなく落ち着いていて経過は良好だ。
RVSMの臨床試験も開始されていて計測データは順調に送信されている。
ただやはり入院時の安定していた時と比べると変動は大きく乱れがちで、ごく短時間ながらかなり頻繁に設定されている警告レベルに達しているのが気になる。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
RVSMの採取データ検証。
→臨床データとの不整合が発生。
<ドイツ語の走り書き>
3/31からRVSM臨床試験として各センサーのデータ取得と整合性確認作業が開始されている。
現行の臨床検査部が上げてくる臨床データとセンサーからの計測データを比較検証するのだが、そこで妙な事があったとRVSMの担当者である長谷川室長から報告があった。
長谷川室長の話によると、データ照合作業はRVSMからは常に現状の状態が判るのでこちらは各診療科の検診時間に合せた記録を用意しておき、臨床検査部のまとめた同時間帯の臨床データと比較検証する予定だったが、何故か当日になって突然センサーの計測データ提供を要求された。
その時の臨床検査部の説明では、作業効率の向上の為に比較検証は臨床検査部が一括して行い、センサー側に問題があった場合はこちらから連絡する様に作業方針の変更があったと言われたらしい。
それで現状では前日分のデータをまとめて臨床検査部に引き渡しているのだが、この突然の作業変更に疑問を持って私へと連絡してきたのだ。
勿論そんな話は私は聞いていないし、たとえ事前にそんな申し出があったとしても絶対に認めない。
双方からデータを持ち寄るのはデータの差異があった場合に、診療結果にも計測結果にも誤りが起こり得ると言う前提に則ってのものだ。
それを自分側で全てを判断するのに正当性があるとすれば、それは片側のデータに絶対に謝りがないと言い切れる場合で、臨床検査部はこれを主張しているらしい。
しかし真相はそうではないのだろう、先月からおかしな態度をしていたのもこれが根源なのだろうか。
私は特定患者管理部の名で直属の上司である仁科院長への窓口である院長秘書室宛と、センサーの不備を故意に捏造しようとしていると言う内容で古賀へと情報を流しておいた。
これで院長側と赤聖会が動き出すはずであり、いよいよこの件の黒幕が姿を現しそうだ。
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
科内会議
1.Ptの治療方針についての検討
2.人事異動に関する報告
<ドイツ語の走り書き>
今回の科内会議でも片山准教授は欠席であり、もうこの職場にいないのが普通になり始めている。
いつから姿を見ていないのかも忘れてしまったがどうでも良い事だし、そんな事より調整事項が山積していてそれどころではないので気に掛けてはいない。
科内会議でのKrに関する議題は退院直前と言う事もあり静観する事が決まっただけだ。
それ以外に宮澤教授から3つの人事に関する報告があった。
1つ目は前々から情報は得ていた野津の転属の件であり、今月から当診療科に戻って来た。
この人事異動には私が大きく関与しているのは周知の事実であるが、聖人でもない私の介入に正面から文句を言うDrはもういない。
今やこの科内で私へと面と向かって文句を言って来るのは意図的に空気を読まない伊集院くらいだ。
野津にとっては戻って早々に私が常駐管理チームとして聖アンナから離れる代わりに当科での私の代理役を任せようと考えているのもあり、かなりの逆境になるかも知れないが人手不足の状況ではこれしかやりようがなかった。
この科を完全に空けてしまえばまたどこから外部の息の掛かった人材を投入されるか判ったものではない、だからここは何とか野津に耐えて貰うしかない。
2つ目は私の研究室発足の通達であり、まあこれは単なる報告程度の話ですぐに終わった。
私としてはこの研究室を母体とした新たなグループを作ろうと画策している。
まあ最初は帝都や四都出身の干された俗人しか集まらないだろうが、こちらには特定患者管理部副部長の肩書きとKrの常駐管理チームのTRと言う強みがある。
この武器と聖アンナとしてはKrの治療では大きな貸しのあるミュンヘンの力も引き出して、1つの研究室からもっと大きな組織へと変貌させる。
そして最終的な展望としては聖アンナ医大の学生を引き込んで聖人の手駒も生み出して更に大医局へも食い込んでいく考えがあるのだが、それはまだまだこれからの課題となるだろう。
3つ目はフリードリヒ教授からのメッセージにもあったミュンヘンからの2人の派遣要員についてだった。
1人はミハイル・ナイトハルトと言う男で、今年1年間聖アンナの内部監査部に特別顧問として在籍し内部監査業務の支援を行う。
ここでの彼の肩書きは内部監査部の特別監査員で、本国ではミュンヘン大学病院医療監査委員会の委員でもあるらしい。
もう1人はシャーリーン・レルシュタープと言う女で、医療監査のサポート要員として内部監査部に所属し更に薬剤部内にも席を持つとの事だ。
どちらも名前には聞き覚えがなくミュンヘンでも私とは接点がない人間だろう。
だが人事はこれだけではなく、その2人は私の発足したまだ名ばかりの研究室に所属するらしいのだ。
これはどちらも異国の地である日本での業務遂行に差し支えない様にフォローする役目を、同郷のミュンヘン出身者である私にする様にと指示があったのだとか。
今週末には研究室への出席が予定されているのでその時に私の方がスケジュール調整して置くようにと指示を受けた。
研究室室長のスケジュールを研究員に合わせて調整すると言うのは本末転倒な気がするのだが立場は私よりも内部監査部の方が上と言う訳か。
早速手に入った手駒は予告はされていたが依然として顔すら判らずその力も全く不明のままだ。
そろそろ資料の1つでも入手しておかなければ。
願わくばこれ以上は不安材料が増えない事を強く願う。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
引き続き抗不安剤の投与を継続。
<ドイツ語の走り書き>
今週は常駐管理チームのチームメンバーを集める為に各診療科を奔走していた。
院長秘書室からの通達で、私が徴集する要員はKrの治療に直接関わるメンバーである、SR1名、内科Dr2名、外科Dr2名、Pt専属主任RN1名、Pt専属RN6名の計12名で、その他のメンバーは仁科院長の名の元に院長秘書室で手配する事になった。
だが始めから予想は出来ていたのだが私からの要請に応じて要員を派遣する事に同意したのは、元々私が声を掛けていた人間達だけだった。
常駐管理は言ってしまえば保守部門の様なもので何事もなければ評価されず、問題が起きれば責任を擦りつけられるだけの損しかしない部署だ。
先月の全科定例会では聖人達があれほど纏まっていたのは一重に、このハイリスクな見張り役を自分達に来ない様にする条件だったのだろう。
そんな事は今や百も承知だがだからと言って何もしない訳にも行かず、無駄を承知で直談判に各科を駆けずり回ったのだ。
だがどこの科も要員を出すのは検討させて欲しいの一点張りで全てかわされてしまい、多少は協力的だったのは看護科だけだ。
結局現段階で了解が取れているのは、自ら名乗りを上げた外科の古賀と、要請に応じた内科の大山と、専属主任RNの川村だけ。
RVSMの精度次第では完全常駐の体制でなくとも耐えられるかも知れないが、それはまだ動作試験中で信用には値しない。
これでは主要なメンバーが24時間体勢となり全員連日不眠不休になってしまう。
どうにかしなければ。
<走り書き終わり>
◆備考:
経歴情報:ミハイル・ナイトハルト
経歴
ミュンヘン大学医学部卒
ミュンヘン大学病院医療監査委員会 委員
聖アンナ医科大学附属病院内部監査部 特別監査員
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所
未成年精神保健研究部精神発達研究室 客員研究員
経歴情報:シャーリーン・レルシュタープ
経歴
小・中学時代の9年間日本に滞在
ミュンヘン大学化学・薬学部卒
ベルリン臨床薬理学研究所 主任研究員
ミュンヘン大学精神医学研究所精神薬理学研究室 客員研究員
聖アンナ医科大学附属病院内部監査部 特別監査員
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所
未成年精神保健研究部精神発達研究室 客員研究員
業務実績
聖アンナ医科大学附属病院共同新免疫増強剤研究開発
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
今週の金曜日にスケジュール調整を行って研究室へと行って来た。
場所は聖アンナの研究棟に入っていて診療科からの移動が遠い。
これが特別病棟からだと考えると更に嫌気が差すが致し方ないか。
該当の階は全て精神・神経医療研究センター精神保健研究所の各研究室の支所が連ねる場所になっている。
その中の一室に私が担当する事となった、青年期精神保健研究部の精神発達研究室があった。
研究室自体はそれほど広い部屋ではなく10名程度が入れる小さな会議室くらいだろうか。
そこには事務机と棚が並びPCも各机に設置されていて、そして適当に空いている席に座っている金髪の男と赤毛の女がそこにいた。
2人の経歴書を入手して顔も確認済みだったのですぐにその2人が例の啄木鳥達だと判った。
まず最初に私にはニヤついている様にしか見えない顔で挨拶してきたのはミハイル・ナイトハルトの方だった。
彼はこちらでは監査の仕事に来たと語ってから、それとは別にフリードリヒ教授から私を支援する様にと指示も受けていると語り、私の事も聞いていると言ってから大袈裟な気取った身振りで握手を求めて来た。
外見はストレートで長めの金髪に碧眼と白い肌を持つ典型的な北方人種で、ミハイルと呼んで欲しいとか年は今年で32歳だとか遠い血縁には名門貴族がいるとかフリードリヒ教授とは父親が遠縁に当たるとか今回の来日の為に日本語を勉強しただとか、聞いてもいない事を胡散臭い片言の日本語で話していた。
片言の日本語も後半はその演出に飽きたらしくもう流暢に喋っていて、とにかく良く喋る男であり更にどうやらフェミニスト気取りらしいのも判り辟易したが、それよりも饒舌でヘラヘラしている様に見えて肝心な本心が見えないのが何よりも気に食わない。
それに対してもう一人の女の自己紹介の内容は、名前がシャーリーン・レルシュタープである事だけを流暢な早口の日本語で語っただけで終わり、その後は見下した様な顔をしてこちらを機嫌が悪そうなしかめっ面で睨んでいた。
外見は私よりも少し背は低く痩せていて、目につく赤い癖毛を首の辺りから緩めの三つ編みにして前へと垂らしており、白い肌の顔にはメイクで隠す気がないのかそばかすが見える。
度の強そうなレンズの小さなメガネを掛けていて、その目つきと薄い唇が余計に陰険そうな顔に見せているものの、メイクの薄さや全体的に小柄なのもありかなり幼く見える。
こちらから丁重に挨拶として握手を求めると、それには応じずに私に対してまず名前の呼び方について駄目出しをして来た。
どうやらレルシュタープと言う私の発音が気に食わないらしく、どうせクォーターと言っても日本人でちゃんと発音出来ないのだから名前の方で呼ぶ様にと注意された。
初対面であるのに私にとってはコンプレックスでもあるクォーターと言うのをわざわざ強調して言って来たのがかなり頭に来たが、ミハイルが仲介に入ったのもあり私からは挑発には乗らずに耐えた。
その後に渋々と言った表情で少々自慢げにベルリンの臨床薬理学研究所の主任研究員である事と、Krの新免疫増強剤の開発を成功させたのは自分の力だと語った。
それを聞いて事前に確認していた経歴にもそんな記載があったと思い出し、それを鼻に掛けている態度が気に食わないながらも一応感謝の言葉を伝える。
私からの質問に答えた後に赤毛女は自分の外見を差し置いて私へと、こんな子供みたいな年増のクォーター女がボスなのは不満だとはっきりと言い放った。
この暴言に反応してしまい今度はミハイルが取り成すよりも早く、シャーリーンへと人の事は言えないだろうと反論すると、私はまだ27であんたより若いと勝ち誇った顔をして切り替えして来た。
この赤毛女は私よりも若いにも拘わらず上役になる私へとあんな態度を取っていたのかと、今月の追い詰められた心境も手伝って苛立ちは限界に達していた。
もしここでミハイルがいなければ私はシャーリーンに殴り掛かっていたかも知れないが、再度割って入ったミハイルによって私もシャーリーンも一旦は落ち着いた。
それにしても本能に即した衝動的な怒りを感じたのは実に久し振りな気がする。
ここで爆発しそうになった事によって、少しはここ最近の人事に対するストレスへのガス抜きになったのも多少はあったが、それを上回る苛立ちも湧き上がっている気もする。
陽気だがやたらと饒舌で掴みどころがない胡散臭いアカゲラと不機嫌で反抗期の子供みたいに突っかかって来るヒメアカゲラ、教授が送り込んで来たのだし経歴からしても彼等は有能なのだろうが果たして私に使いこなせるだろうか。
不安材料は少しも減らない……
<走り書き終わり>
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