2009年2月28日 診療録(経過情報)
変更履歴
2011/07/04 誤植修正 大川 → 大山
2011/07/15 小題変更 2月23日 → 2月28日
2011/07/15 記述修正 記載日:2009年2月23日 → 記載日:2009年2月28日
2011/08/23 誤植修正 位 → くらい
2011/12/23 罫線はみ出し修正
2011/12/23 最下行罫線追加
カルテ(精神神経科)22頁目:経過情報
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記載日:2009年2月28日
◆主要症状・経過等:
[Subjective(主訴)]
特になし。
<ドイツ語の走り書き>
Krは今回も退院に向けての進行状況について尋ねて来たので、今日はそれに関する重要な話をすると告げるとKrはすぐに始めて欲しいと言った。
今回も問診は不要と判断してICの実施に入った。
<走り書き終わり>
[Objective(所見)]
退院の為の治療計画のIC実施。
<ドイツ語の走り書き>
今回は一切の精神分析は行わずに、退院時の治療計画案のICに全ての時間を費やした。
それぞれの項目でKrに要求する事やKrがされる事等を解説し、Krは私が渡した計画案の資料を見つめながらそれをずっと静かに聞いていた。
その様子は黙ってはいたものの、今までも辛く感じていた日々の治療を更に上回る内容に、少なからずショックを受けている様に見えた。
各項目毎に私の説明が終わるとKrは幾つかの質問をして来たのだが、私の説明で不足していた詳細な確認を綿密にして来ていた。
その質問は実際にそうなった場合で発生し得る事態にについてばかりであり、極めて現実的な問いばかりだった。
私もKrの細かい質問に完全には回答出来ず、問いのうちの半分はまだ未検討か予測出来ないと答えざるを得なかった。
Krは最後にこの資料の条件は全て必要なのかを確認してきたので、私はここの項目を削ればそれだけ退院の確率は下がると告げた。
ペンディングとした質問に関しては判り次第回答が欲しいと言った後、Krはもう少しだけ考えさせて欲しいと言って同意書にはサインしなかった。
私はペンディングの質問へのフォローをするからKrから私の所へと連絡を入れて欲しいと話して連絡先を伝えておいた。
<走り書き終わり>
[Assessment(分析)]
今回はICのみ実施の為特になし。
<ドイツ語の走り書き>
ICでのKrの態度は予想出来ていたが結果的には承諾せざるを得ないと踏んでいたのもあり、保留にされたのは正直予想外だった。
敗因としてはKrからの質問への対策が不十分でKrの不安を軽減出来なかったのが大きい。
科内会議や全科定例会への対策ばかりを優先して、肝心のKrへのフォローが不足してしまったのはとんだ失態と言わざるを得ない。
しかしどうしても全科定例会までに同意書が欲しいと言うかあれがなければ話にならないので、苦肉の策として当科の診療時間枠以外でKrへと回答出来る工作をしておいた。
こちらからはKrの病室に連絡を入れるのは出来ないが、Krの方からならナースステーションを経由せずにダイレクトに繋がる。
無論これは本来認められていない行為でしばらくすれば通話記録でばれるだろうが、私の始末書数枚とKrのICの同意書ではその価値は比較にならない。
私はKrの問い合わせた内容の回答を様々な臨床実績を漁り想定を行って、出来るだけリアルな回答になる様に纏めて、Krの自由時間はいつ掛かってきても良い様に待機した。
Krは夜の自由時間に毎日掛けて来たので、私はその時までに判明した回答を答えて他の未回答の問いは進行状況と回答予定時期を報告すると言う、科内会議よりもよっぽど緻密な打ち合わせを15歳のKrへと行い続けた。
この対応以外にもプレゼンでの資料纏めも重なってこの週の睡眠時間は平均2時間程度になったが、その甲斐あって全科定例会の前日にKrの専属RNが神経精神科のところにわざわざ不機嫌そうにやって来て、Krから預かったと言って封筒を置いていった。
その中にはサインの書かれた同意書と『よろしくお願いします』と書かれたメモが入っていた。
記憶にある限りこれだけ残業したのは初めてだったが、それが報われて本当に良かった。
これで今週末の全科定例会に退院案を掛けられる。
<走り書き終わり>
[Plan(計画)]
科内会議
Pt退院案の修正案確認及び修正
全科定例会
Pt退院案の提示
<ドイツ語の走り書き>
今回の科内会議はこれまでになく緊迫した時間となった。
何しろこの日のPMに実施される全科定例会に間に合わせるべく、修正箇所の指摘と即時修正に明け暮れたからだ。
会議の最初にKrの同意書を参加しているDr全員に確認させてから、PMの全科定例会に退院案の修正を間に合わせると断言してすぐに作業に入った。
だが片山准教授から提出された各診療科の診療内容の見直しと迅速な緊急搬送システムの修正案が、想像以上にお粗末な出来だった。
一見問題なく出来ている様に見せながら、要所要所の試算値や記載情報の矛盾や曖昧な箇所等が散りばめられていた。
これが大山の助言にあった裏切りのカードの正体だった。
しかし私の方もこれには事前に手を打っていて、片山准教授Tの作成資料を事前に伊集院を唆して前日に入手して添削し、修正箇所を徹夜でピックアップしておいた。
私が添削済みの修正案を新たに配布して全員で修正する様に指示すると、片山准教授はボイコットのつもりらしく無言で席を立ち早足に退室した。
これで全てのDrが片山准教授と同調すればもう全科定例会には間に合わずお手上げだったのだが、同調したDrは半数に留まり伊集院を含む残り半数のDrは私の指示に従って修正を始めた。
どうやら今までの科内会議の状況とKrの容態の変化を見て、私についた方が得策だと考えを切り替えた者達の様だ。
日和見な連中で信用は出来ないが、力さえ誇示し続ければこの手の連中は駒としての利用は出来る。
後はひたすら修正完了した修正案に目を通して確認を行い、更に気づいた点に再修正を指示して精度を上げる作業を延々と繰り返し、それを私が納得するまで時間ギリギリまで続けた。
おかげで昼休みまで掛かってしまったが何とか修正を間に合わせる事が出来た。
修正案の確認完了後すぐに共に参加する長谷川室長を中央ロビーへと迎えに行き、大会議室へはギリギリで間に合う事が出来た。
大会議室の入り口の所で院長秘書に呼び止められて本日の発表の予定について再確認を求められた。
全科定例会では本来は一週間前には提出資料を秘書室へ提出しておかなければならないが、今回はRVSMのプレゼン資料だけしか事前に渡していない。
本来は発表する資料全ても秘書室が検分して時間配分を確認するのが今回はそれが出来ないので、秘書室からはかなり苦言を言われたのだが会議開始後すぐにこちらに振ってくれれば後は纏めるからと言って納得させていた。
この異例の流れに変更はないかの確認だったので、私は院長秘書へと変更は無い事を伝えると、秘書は顔を顰めていたが仕方ないと諦めて判りましたとだけ告げて席へと戻った。
また一人敵を増やしてしまったかも知れない、それにこれはきっと始末書ものの事なのだろうが今はそんなのは知った事ではない。
既に席には片山准教授が座っていて私と長谷川室長はその背後に座った。
こちらを無視している片山准教授へと、質問も抗議も私が対応すると告げたがそれでも彼は子供じみた態度で無視し続けていた。
こうした内部統制の取れないままに初の全科定例会でのプレゼンは始まった。
院長秘書は予定通りに開始早々に神経精神科から議案発表があると言ってこちらへと振って来た。
私が立ち上がって話そうとすると片山准教授も立ち上がったのですかさず机上のマイクを奪うと、片山准教授も私が掴んだマイクを奪い返そうとして来た。
全科定例会の場で前代未聞の幼稚な揉め事を起こすと言う、無様な失態を見て周囲のDr達からは失笑が湧き上がる。
院長秘書が何度か諌めたが片山准教授は抵抗を続けていてマイクの奪い合いは続き、力で及ばない私はマイクを取られそうになった。
その時院長が咳払いをして一同は静まり返り、片山准教授も手の力を抜いた。
この後自分に注目を集まったのを確認した院長は、提出した資料の作成者を確認した後秘書からマイクを受け取ると、この資料の作成者の汐月と言うのは君かと尋ねられた。
実は科内会議で修正した際に作成者欄の記載も全て私の名前に変更しておいたのだ。
私は院長へと私が作成者だと回答すると院長は作成者がプレゼンすべきだろうと言って、もうその愉快な前座は見飽きたので早く始めるようにとつまらなそうに指示し、この言葉を受けて片山准教授はようやく観念してマイクから手を離した。
院長の発言で仕切り直しとなってからは通常通りの雰囲気に戻り、やっとまともにプレゼンを開始する事が出来た。
まず最初に私から今回のプレゼンの概要を説明してから、RVSMのプレゼンを長谷川室長に行って貰いその後退院後の治療計画のプレゼンを私が行った。
やはりRVSMのプレゼンには脳科学統合研究センターのDBTCの事もあり非常に厳しい雰囲気で、かなり鋭い指摘も白聖会側のDrから飛んだが大方想定通りで長谷川室長も奮闘し何とか凌いだ。
ここで私が一つのセールスポイントとして撒いた餌に診断情報の開示があり、RVSMを使えば今まで内科主導の治療の流れをも変えて外科もKrの診療情報を内科に依存せずに確認して、内科と同等の立場での治療への参加や外科的処置への迅速な移行も可能になると語っておいた。
その後の私の治療計画にはやはりKrの同意書の存在を説明した時には赤聖会・白聖会問わず全体からどよめきが起こり、あの冷徹で無関心だった院長すらこれには興味を示していた。
そう、これの価値はそのくらいの力のある物だと、改めて間に合った事を決断してくれたKrと普段は信じない神へと感謝した
説明を終えた後の各勢力の様子は概ね予想通りで赤聖会側は古賀の作成したインプラント手術のプランに興味を示し、更に診断情報の情報開示も合わせれば内科を仲介しない診療体系も実現可能な点にも食いついていて好感触だった。
それに対して白聖会側は非常に難色を示していて、RVSMの臨床実績数の少なさや現行体勢との比較での感染症発症リスクの著しい向上の懸念を突いて来た。
特に感染症発症リスクに対する呼吸器・感染症内科の副部長やDrの反応は尋常ではなく、一瞬錯乱しているのではないかと思う程だった。
それに対抗して私からは、ここ最近のKrの内科での診察結果をまとめた資料を配布して、以前と比較して明らかに体調が改善されているが治療内容に差異はない事を指摘し、この体調改善はKrのモチベーションの変化に因るものだと説明した。
そして蛇足としてICの同意書こそがKrの願望でありこれがモチベーション向上の根源であると断言して締めくくった。
私の言葉の後に院長が口を開き感染症対策の目処について尋ねて来たので、私はここが正念場だと悟り、資料には無いが現在検討中のプランはあり次回までにはその点も必ずクリアすると断言した。
気がつくと時間切れになっていて全科定例会は終了した。
<走り書き終わり>
◆処方・手術・処置等:
Ptの状況を見ていずれかの精神分析を実施する予定。
<ドイツ語の走り書き>
全科定例会終了の後すぐに長谷川室長と打ち合わせを行った。
彼からはプレゼンの成功に感謝の言葉を貰った。
しかし私は手放しで喜んでいる長谷川室長に釘を刺して、来月に採決が取られるのでそれまでに更に有利となる情報を見つけて提供して欲しいと依頼してから別れた。
当科に戻ると先に戻っていた片山准教授が真っ青な顔をして自席で呆然としていた。
あんな愚かな真似をしでかしたのだから、もう絶望しているのも無理はないかと納得して通りすぎた。
しかし問題はそれだけではなく、感染症対策を次回の会議までに確実な対策を打てなければ私も終わる。
院長相手に公然と根拠も無い事を確約したのだから、どう考えても救済の予知は無さそうだ。
私は自分の首を絞めたのかも知れないがあの場ではこれしか道は無かったし、もしあの場でプランは無いなどと言おうものなら院長の興味を削いでしまい、白聖会の優位を与える事になる。
言わばこれは駆け引きであり、その勝負には勝ったのだと自負していたが寿命を確実に縮めているのは間違いない。
後は何としてでも感染症対策案を見出すしかない。
でなければ本当に寿命が縮みかねない。
<走り書き終わり>
◆備考:
特になし
<ドイツ語の走り書き>
独り言……
とりあえず背水の陣を敷いた所で、私の緊張の糸は切れてしまいは早々に切り上げて帰宅した。
翌日は休日だったので一日中眠っているつもりだったのだが、朝から携帯が鳴った。
聖アンナからでもなくミュンヘンからでもないだけは確認したので最初は出るつもりはなかったのだが、ずっと鳴り続けていたので仕方がなく出た。
連絡してきたのはディーラーの営業担当者で、本来ならそろそろカブリオレの納車の筈だったのを思い出した。
営業担当者曰く手違いで納車が遅れるとの事で、本当にすみませんと言う単語を100回くらい繰り返していた気がする。
だが今はそんなのはどうでも良くとにかくまだ眠くて仕方がなくて、別に構わないと適当に答えて電話を切ってからすぐにまた眠ってしまった。
この日は終日ベッドで眠っていた。
やはりもう三十路なので体力的に連日徹夜は耐えられないらしい。
こう言う時にもう若くないのだなと痛感させられる……
<走り書き終わり>
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