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2009年1月3日 診療録(経過情報)

変更履歴

2011/06/26 誤植修正 今だ → 未だ

2011/07/02 記述修正 Kr → Pt

2011/07/04 誤植修正 大川 → 大山

2011/07/13 小題変更 2008年12月29日 → 2009年1月3日

2011/07/13 記述修正 記載日:2008年12月29日 → 記載日:2009年1月3日

2011/07/13 記述修正 全科定例会の影響により → 30日に行われた全科定例会の影響により

2011/07/13 記述修正 先週末に → 今週末に

2011/07/13 記述修正 来月 → 今月

2011/08/05 記述修正 医師 → Dr

2011/09/03 誤植修正 霧島 → 霧嶋

2011/12/12 罫線はみ出し修正


カルテ(精神神経科)14頁目:経過情報

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記載日:2009年1月3日


◆主要症状・経過等:


[Subjective(主訴)]

先週と変わりはない。(睡眠不良と軽度の頭痛と腹痛)

睡眠薬の増量を希望。

<ドイツ語の走り書き>

今回は問診もかなりの上の空で私の様子を見ていたり、何かを告げようとして発するがその後が続かないと言った動作をかなり露骨に繰り返していた。

Krの中での訴えたいと望む心とそれを恐れる心との葛藤が、最初は後者が圧倒的に強かったのが次第に前者が強まって拮抗するまでに到っているのだろう。

だがこちらからアクアリウムの話を振ってきっかけを与えてみても、それにも大した反応を示す事もなく一言で答えただけで会話は続かずにまた元の落ち着かない様子へと戻っていた。

やはりこちらから与えるのではなく自らその境地に到達しなければならないと、強く抑制してしまっているのかも知れないとも思える。

<走り書き終わり>


[Objective(所見)]

5回目の箱庭療法の実施。

<ドイツ語の走り書き>

今回Krは作品は作らずに終始上の空で砂弄りをし続けていた。

こちらからその事を尋ねてみるとそれには答えずに、思いつめた様な表情をするだけですぐに顔を伏せてしまい再び砂箱の砂を見つめていた。

しばらくしてやっと答えたかと思ったらそれは回答ではなく私への質問で、どうしてずっと言う事を聞いていないのに何も言わないのかと尋ねて来た。

この質問に対して私はKrへとKrに義務として与える為にこれらをやっているのではないからと答えると、Krはまだ何かを考えている様な様子であったが何も言葉はなく話は終わった。

どうやら今回の質問は葛藤していた話ではない様だったがそれと全く関係のないものでもないと思われる。

僅かずつではあるが進展しており、Krが抑制との葛藤に打ち勝ち内心を訴えて来る日は近いと感じている。

<走り書き終わり>


[Assessment(分析)]

作品作成にまで到らなかった為分析対象とはせず。

<ドイツ語の走り書き>

Krが8日からSとして訴えている不眠と頭痛と腹痛については、依然として症状が改善していない。

新しい治療法に対する緊張と拒絶から来る心因性のものだと考えていたが、5回目に到っても改善しないので別の可能性についても検討する。

現状で考え得る要因としてはKrの態度にも現れている、私への不完全な意思表現ではないかと思われる。

そちらの状況は徐々にではあるが進展しているので、現状のKrであれば自分の努力で解決出来そうだと判断しあえてこちらからは手を出さずに様子を見る。

もしKrの状態が変化して自力で解決出来そうもなくなった時にこちらから手を差し伸べる方向で対処する。

その場合にはナラティブセラピーによる対話ベースでの治療を検討している。

今回は抑制された感情が心身症として自分の体に症状となって現れている事をKrに自覚させる良い機会と捉え、Krの要望であった睡眠薬の増量については実施しない。

これを期にDrにされるがままの受身の治療ではなく、Krに自分の意思で改善を望み症状悪化を防ぐと言う姿勢や考えを理解し実践して貰いたいと望む。

<走り書き終わり>


[Plan(計画)]

Krの状況をみて箱庭療法からナラティブセラピーへ切り替えを行うと提案。

<ドイツ語の走り書き>

今回の科内会議は今までになく無様なものが見れた。

宇野准教授はこれまでに無い程に憔悴した顔つきであったが、片山准教授に対しては憤怒の表情を露にして怒鳴り散らしていた。

それに対して勝利を確信した片山准教授はそんな宇野准教授へと勝ち誇った様な侮蔑の顔を向けて、大して面白くもない話で大笑いしていた。

その笑い声に呼応する様に一時は距離を置いたりしていたDr達も合わせて笑い、今や宇野准教授から離反した者達も取り込んで勢力を拡大させた様だ。

これはまさに屠殺されようとしている雄牛の首へと止めの剣を突き刺した闘牛士、それを見て喝采する観衆、私にはそんな構図に映った。

この茶番劇の真の黒幕は無論私なのだが、やはりこう言ったものは役者として演じるのではなく舞台裏から監督として指揮するのが性に合っていると実感した。

私の治療方針の提案もスムーズに承認されて科内会議はあっさりと終了した。

この後の全科定例会では、脳神経外科・神経精神科の共同案の廃案が決定したと伊集院が速報を撒き散らしていた。

廃案の主な原因は臨床データ元が非合法な人体実験によって得た物である事と更にそのデータ自体も都合の良い様に改竄されていて、オリジナルの臨床データでは3割にも満たない成功率であった事だとされた。

この中華人民大学の裏情報を白聖会側が掴んでそれを元に、提案者の両准教授及び賛成に転じていた赤聖会側を糾弾したとの話になっていた。

これから全科定例会の結果に追従して院内の人事として致命的な内示が首謀者達に下るのだろう。

細かい内容の噂ではない所為かも知れないが脳科学統合研究センター側の噂は全く無かったのが少し気に掛かった。

研究棟に入っている研究機関とは言え外部組織であるから聖アンナとして然るべき公的措置に出るのかも知れないが、その辺りはもうどうでも良いかと感じている。

正直こちらに害を為さなければ、外部機関が追放されようが潰されようがどうなろうが知った事ではない。

もうこれで私の勝利は確定したのだから。

<走り書き終わり>




◆処方・手術・処置等:


Ptの状況に変化が無い場合はナラティブセラピーへ切り替えを実施。

Ptの状況が改善された場合は引き続き箱庭療法を実施。

<ドイツ語の走り書き>

30日に行われた全科定例会の影響により人事異動の噂が各診療科に回っていた。

脳神経外科は危険な処置を推薦した責任として、首謀者である伊藤准教授が今月より地方の関連施設へと異動を命じられた。

この件に関与していた脳神経外科のDr達も降格や減俸等と言った罰が下されたらしい。

これにより院内における脳神経外科の地位は失墜した。

神経精神科の宇野准教授も伊藤淳教授と同様に、副部長と神経精神科のKrの主担当医としての任を解かれて地方の関連施設へと転任させられるのは確実だ。

その代わりに片山准教授が今月より副部長へと昇格して、宇野准教授の代わりにKrの主担当医を引き継ぐ事になった。

神経精神科としては宇野准教授の失態があったものの、それを覆す情報を齎した片山准教授の功績で相殺し診療科としての立場は現状維持となった。

ただし今回の件は赤聖会側の大きな失態となったのは明らかで、これに因り外科勢力と内科勢力の力のバランスが反転して白聖会が主導を取る事になり、これからは神経精神科も主導の白聖会寄りの立場を取っていく事になるはずだ。

まあ私にはそんな事はどうでも良く、重要なのはこれでやっといくつかの権限を手に入れる事が出来た事だ。

今月からは全科定例会の出席も出来る様になりこれで他の診療科へと仕掛けられるようになるだろう、これはとても大きい。

しかしまだまだこれからで、やっと意見をしなければならない相手へと発言権を得ただけの話だ。

その為の足場固めも本格的に始められるであろうから、そちらも着手しなければいけない。

欠員補充の一人として野津を呼び戻す件については、早急に片山准教授に指示をして出来るだけ早く戻せる様にしなければ。

それから大山にも今回の結果を見た上でと約束した件についても近日中に連絡しておこう。

私の研究室の件もなるべく早くに欲しいので、これも片山准教授へと強く催促して働きかけさせなければいけない。

白聖会優性の現状であればそういった手配もし易いであろうから、この状況がまたひっくり返らない内に固めてしまいたい。

これから色々と忙しくなりそうだ。

<走り書き終わり>




◆備考:


特になし


<ドイツ語の走り書き>


独り言……


今週末に霧嶋から直接電話での連絡があった。

情報は確かに受け取っていたのでこれで不慮の事故でも遭っていれば、証拠隠滅も兼ねて全てが都合よく完了すると思ったがそんなに甘くはなかった。

仕方がないので私は霧嶋へと値段に見合う有益な情報だったと話すと、霧嶋は当然の様に私の商品は全て適正価格で販売しているのだと言ってけらけらと笑っていた。

それは全てを見透かされていていると言う意に聞こえてとても気分が悪いが、ここは文句は言わずにやり過ごしておいた。

その後に霧嶋は残りの代金の振込みは今月中に完了する様にと私へ告げた後、今度支払確認出来たら領収書を渡しに行くと言って電話は切れた。

これは私の人生の中で最も高額な領収書になるのは間違いない。


それにしても霧嶋への成功報酬を振り込むには私の残る資産ではもう厳しいのだが、フリードリヒ教授からは未だ連絡はない。

今回の状況を報告して教授の意向に沿った決着を迎えた事を強く主張し、私に対する成功報酬を要求しなければなるまい。

それが通らなければ片山准教授から予算でも捻出させざるを得ないが、あまり自分の手を汚す事は避けたいので何とか教授にねだってみるしかない。


もし成功報酬が思いのほか多く入ったら、何か気晴らしの出来る物でも買いたいところだ。

ミュンヘンでは私と同い年の黒のサンルーフ付のVWビートルを愛車にしていて、ヨーロッパ各地をドライブしていた。

渡独してすぐにとりあえず足が欲しくて、中古車ディーラーからその時の手持ちで買える一番る安いのを選んだ。

年式が自分の生まれた年と同じで走行距離が妙に少ないと思ったら表示されている距離プラス10万kmと言う事に契約後に気づき、さすがに実用には耐えられないかも知れないととても後悔したのを良く覚えている。

だが高年式の割には意外と良く走りそれほどは故障もしないで使えたのは運が良かった。

最初この車の駆動形式がRRだとは知らず、ボンネットを開けたらエンジンがなくてスペアタイヤしか入っていないのを見た時には、どうしてこの車は走れるのかととても驚いてしまった。

それからは休みの日にはアウトバーンを死ぬ思いで走っていた。

死ぬ思いと言っても速度が速くてではなく、凄まじい振動と騒音で分解するのではないかと怯えながら走っていたのだ。

実際私の車の速度は100km程度しか出なくて、通常の流れからも置いていかれて次々と追い抜かれていた程だ。

修理したいと業者に持って行くとこれは修理じゃなくてレストアだと言われ、購入額の100倍以上の見積もりを見て直すのは諦めた。

それほど遅くてくたびれていたビートルだが、私としてはかなり気に入っていた。

この年老いたビートルは自分の役目を果たし終えたかの様に、私が日本に行く事に決まった途端にエンジンブローしてしまって私がドイツを去るのと時同じくして廃車になった。


と言う訳で、私はVWが気に入っているので次もビートルを手に入れようと思っている。

ただどうせなら今度はもっとドライブが楽しめる様に、明るい色で今度は思い切ってカブリオレでも良いかも知れない。

日本の冬の空は澄んでいて景色も良いだろうし、寒さはミュンヘンの方が10℃は気温が低かったから慣れている。

せっかく日本に帰って来ているのだから観光名所である富士山でも見に行きたいところだ。

最初のドライブの目的地は富士山を見に行こう、そう決めた。

これも全ては教授からそれなりの報酬が貰えればの話ではあるが……

<走り書き終わり>



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