表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

第12話 美の女神、陥落。――「完飲という名の救済」

 その時、拠点の屋根を突き抜けるような、神々しい光の柱が降り注いだ。


 ニンニクとアブラの匂いに満ちた部屋に、およそ不釣り合いな、清涼な花の香りが広がる。


「……地上で何やら、私の『美意識』を冒涜するような、恐ろしく下俗で、それでいて抗いがたい匂いがすると思えば」


 光の中から現れたのは、黄金の髪をなびかせた、天界の美を司る女神――アフロディテだった。彼女は優雅に鼻を鳴らし、目の前の「山」を蔑むように見下ろした。


「御子柴とか言いましたか。貴方、その不潔な……脂の浮いた泥水を下げなさい。天界の調和を乱す不敬な匂いですわ。さあ、私への供物として、もっと繊細で美しい料理を出しなさい」


 俺は天地返しをした麺を啜りながら、顔も上げずに答えた。


「……生憎だが、今はこの『ラーメン』しかない。嫌なら帰ってくれ。有給休暇の食事を邪魔されたくないんだ」


「なっ……!? 私を誰だと思っているのですか! 美の女神ですわよ!? そんな、オークの餌のようなものを……っ!」


 言いながらも、彼女の喉が大きく鳴ったのを俺は見逃さなかった。女神の目は、黄金色のスープを纏った極太麺に釘付けだ。


「……ふん。そこまで言うなら、毒見をしてあげてもよくてよ。さあ、それをこちらへ」


「断る。これは俺とガウルの分だ。材料も手間もかかっている。タダで食わせる道理はない」


「なんですって……!? 私の加護を欲しがる人間は星の数ほどいるのですよ!? ……分かったわ、特別に『絶世の美貌』の加護を授けてあげます。それでその……その『ブタ』という肉を寄越しなさい!」


「……いらん。男の俺が美貌を手に入れてどうする。有給の邪魔だ」


 女神の顔が屈辱で赤く染まり、ついに理性が千切れる音がした。


「くっ……! ならば、これならどうです! 固有能力【無限の胃袋】と、【全耐性:胃もたれ無効】! これがあれば、貴方は永遠にこの脂っこいものを食べ続けられるのですよ!?」


「……ほう。それは、食生活を支える仕組みとしては興味深い機能だな。……合格だ。座れ」


 俺が丼を差し出すと、女神はひったくるようにして箸を掴んだ。だが、彼女は高く盛られた「ヤサイ」の山を前に、どう食べていいか分からず戸惑っている。


「……女神、見ていろ。これが『天地返し』だ」


 俺は無言で箸を差し入れ、丼の底に眠る飴色の極太麺を、一気にヤサイの上へと引っ張り出した。スープの熱でヤサイがしんなりとし、麺の旨味が全体に回る。


「なっ……なんという合理的な手法……! いただきますわ!」


 一口。麺を啜った瞬間、彼女の背後の後光が激しく明滅した。


 ワシワシとした極太麺。魚醤のキレ。そして魔導昆布の「白い粉」がもたらす脳への衝撃。


「……っ、何、これ……っ!? 暴力的な塩気と旨味が、脳を直接揺さぶっていくようですわ……! 嫌、嫌ですわ、こんな下品なもの、美味しいなんて認め……んぐ、ふぉ、ふぉいひい(美味しい)……!!」


 女神は、まるで誰かに追い立てられているかのように、無我夢中で麺を啜り、厚切りの「ブタ」を頬張った。数分後。そこには、丼を両手で持ってスープを飲み干す、ニンニク臭い女神の姿があった。


「……完飲。お粗末さまでした」


「……はぁ、はぁ……。負けましたわ。この……理性を焼き尽くすような背徳感。これこそが真の救済ですわ……。でも、御子柴。後半、少しだけ……味の強さに舌が痺れましたわ。これ以上の『極致』は、もう存在しないのかしら?」


 俺は空になった丼を見つめ、静かに告げた。

「……いや。まだ『その先』がある。今回は手に入らなかったが、鳥の卵があれば……別皿で溶き、そこに麺を潜らせて『すき焼き風』に食べる手法がある。さらに、そこに別皿の『追い脂』を加えれば、旨味の迷宮から二度と出られなくなるだろう」

 女神の目が、期待と渇望でカッと見開かれた。


「……卵……すき焼き……。御子柴、次は、次はそれを用意なさい! 特別にもう一つ、【神域の解釈:幸福のゼロカロリー】も授けますわ!」


「……ゼロカロリー? 栄養が取れないのは困るんだが」


「違いますわ! 『幸福を感じるほど旨いものは、その多幸感でカロリーが相殺される』という、天界でもごく一部の美食神ジャンキーにしか認められていない特別なことわりですわ! これでどんなに脂を啜っても、貴方は美しさを保ったまま、健康に次の山へ挑めるのです!」


 もはや「美の女神」としての面影を微塵も残さぬまま、彼女はニンニクの残り香と共に光の中へと去っていった。


「……ガウル。有給休暇をさらに延長だ。……神の理で『旨いものはゼロカロリー』と証明された以上、俺たちの胃袋を止めるものは何もない」


「は、はいっ! どこまでもついていきます、主!」



もし続きが読んでみたい、面白いと思ったら下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、おじさんが喜びます!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ