第15話 送り出しの日——また会える距離へ
朝礼。ホワイトボードに黒川センター長が三行で置く。
送り出し式(午前:母娘/午後:一般)
ぽか(月次監理・帰省チェック)
“見せない勇気”の式次第:2分40秒開幕
「母娘は今日、新規保護個体 H-33を正式譲渡。ぽかは江藤さんと月次監理で帰省。“また会える距離”の運用を見せる」
「肩カメラ対策は仕様で。整流と見学ラインは常設」白石ユナ。
「合言葉で街路の足を揃える。走らない/声量2/触る前に待つ」甘粕隊長。
「可燃域外と無点火、“点かない夜”率を数字で」芹沢獣医。
観察窓の向こう、ぽかは匂い布にぐい。鳴き0/無点火の朝。
◇
送り出されるのは——H-33《みぞれ》。
雨だまり蜥蜴の幼体。火は点かない種で、湿りと鈴音に安心が出る。母娘とは二週にわたる仮外泊で**無点火(良)**を安定させてきた。
式の開幕2:40は三枚で揃える。
“見せない勇気”——扉十センチ/手は入れない/鈴は一打だけ
“合言葉”——走らない/声量2/触る前に待つ
“返金=辞退は勇気”——ここからでも戻れる導線
母は肩の匂い布を整え、娘はリュックからキッズ“間カード”を出す。
「がまんはできる。つらい日は戻す」娘が自分に言い聞かせるように言った。
「戻る道が見えるなら、前に行ける」わたしは頷く。
◇
送り出し式(午前)。
ガラス越しにみぞれを示し、鈴音を一打。鳴き0。
扉十センチ。手は入れない。
匂い布の縁を扉口に掛ける。鼻先がちょん。
可燃を持たない種だから温度計は要らない——けれど**“見せない”は同じ**。
「合言葉」
「走らない」「声量2」「触る前に待つ」
箱は軽い。白色音は最弱。
見学ラインの外で拍手はしない。
座って聞く。
二呼吸。
出発。
公開ログ(午前)
・H-33《みぞれ》正式譲渡(母娘)
・鳴き0/無転倒/白色音“弱”
・見送り所要 4分
・辞退導線 説明済/行使 0
母は書類を受け取り、娘は**“手順の歌”カードを胸に当てた。
「“点かない夜”を増やします**」
「困ったら戻す。戻すのは恥じゃない」
娘がにこっと笑い、箱を両手で支える。
また会える距離。扉は閉まり、都市の動脈へ。
◇
午後は一般送り出しと帰省チェックが重なる。
江藤さんがぽかを連れて入館。踊り場の写真——“歌を止める勇気ベンチ”の銘板が二台分に増え、三十歩の足あとが新しく塗られている。
「焦らないで暮らしています」
観察室での月次監理は**“見せない”中心。
扉十センチ/袖口十センチ、手は入れない**。
匂い布へぽふ。
温度 43.1℃/0.7秒。安心相手特異の小さな挨拶。
鳴き0。無点火(良)。
「点かない昼が増えた」芹沢が端末に記す。
「歌は?」
「止めるのが癖になりました」江藤さんは笑い皺で言った。
公開ログ(午後・帰省)
・ぽか(月次):鳴き0/43.1℃・0.7秒/無点火(良)
・避難経路:三十歩確認/掲示更新
・外乱:なし(低周波 −48dB以下)
・所見:“歌を止める”定着/“座面”**(ベンチ)増設
◇
市役所前では、付帯決議に伴う掲示が新しくなった。
『寄付規程(標準):安全手順/選考/見学の不可侵。命名は設備のみ。返金=辞退は勇気』
渋谷レオンのアカウントは、午前から沈黙を保っている。
代わりに、孫くんの動画が街で共有されていく。
《じいちゃんと三十歩。歌を止める勇気ベンチで座って聞く》
ざまぁは、誰かを負かす形ではなく、街路に増えた座面の数で起きる。
◇
里親ネームプレートの刻印を渡す時間になった。
H-33《みぞれ》——“白色音と鈴の家”。
H-27《ぽか》——“歌を止める勇気の家”。
金属の小片に小さな文字。住所ではなく、合言葉。
「名前は武器にも盾にもなる。今日は盾に」白石が目を細める。
◇
夕方。センター前の小さな広場で、送り出しの線を石板に刻む。
足あとが二つ、半歩ずつ。合言葉が三つ、薄く刻まれる。
通りがかった親子が、手順の歌を八拍で口ずさむ。
「半歩・半歩・吸って・吐く・待つ・待つ・見て・えむ」
拍手は起きない。静けさが起きる。
黒川センター長が短くまとめる。
「数字は温度を下げ、手順は角を丸くする。送り出しは終わりではない。“また会える距離”に置く」
「会える理由が監理で、会うやり方が手順」芹沢。
「合言葉で街路をそろえる。配信は2分40秒で」白石。
「半歩で勝つ」甘粕。
◇
夜。観察窓。
ぽかは匂い布にぐい、鳴き0。
送る日は帰る日でもある。家とセンターの距離が線で結ばれて、点かない夜が街に分配されていく。
机に、娘の研究発表のコピーが置かれていた。
《“待つの実験”——手順の歌を三回すると心拍がゆっくりになり、けんかが減りました。“座って聞く”は家族でも使えます**》
最後の行。
《合言葉は武器じゃない。合言葉は仲間。》
——それで、十分だ。
◇
連載ログ(完)
全15話
保護→適応→里親:一連運用成立
正式譲渡 2(H-27《ぽか》/H-33《みぞれ》)
“点かない夜”率:初期 61% → 現在 87%
再入所率 7.3% → 6.1%(試算)
寄付規程 v1.0→市標準案
事故0/重大苦情0
合言葉の普及:学校 12/団地掲示 21/ベンチ 4
討伐ではなく保護の物語。
火ではなく温度、怒号ではなく半歩。
また会える距離に暮らしを置き直して、東京は今日も回り続ける。
(最終話 了)