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嘘が正義の世界で、“真実”を叫ぶ明証師  作者: 真野はるえい
第3章:嘘と真実の狭間で
5/5

Case05「それ、真実じゃない」

 今朝、目を覚ました瞬間から胸の奥がざわついていた。

 嫌な予感というやつは、往々にして当たる。


 テレビをつけた途端、画面に映った彼女の名前と顔写真——そして赤いテロップ。

 《ストーカー加害者として逮捕》。

 昨夜まで怯えた声で「助けて」と言っていた彼女が、今は“加害者”として語られている。


 キャスターは淡々と警察発表を読み上げ、スタジオのコメンテーターが頷く。

 そこには、被害者としての彼女の証言も、相談したという事実も、ひと言も触れられない。

 まるで最初から、そんな真実は存在しなかったかのように。


 そして映像の端に、一瞬だけ見覚えのある横顔が映った。

 黒瀬真理亜——フリーの記者。

 柔らかく笑みを浮かべながら、黒瀬さんは“世間が信じたい物語”を作り上げる人間だ。



 事件現場は、報道で何度も見たアパートの前だった。規制線が張られ、出入りするのは警察と取材クルーだけ。俺は歩道の端からその様子を眺めていたが、不意に名前を呼ばれた。


「仁科くん……だったわよね?」


 振り返ると、黒瀬真理亜が立っていた。

 長い髪を後ろで束ね、淡い色のジャケットにパンツスタイル。首からは取材パス、片手には小さな手帳とICレコーダー。声は柔らかいが、視線だけは一切笑っていない。


「彼女のこと、あなたが一番よく知ってるはずよね。少しだけ話を聞かせてもらえる?」


「……何を聞くつもりですか」


「本当のことよ。ただ、世間が納得できる形で、ね」


 何気ない一言のようで、その“形”という言葉が胸に引っかかった。


 黒瀬さんの質問は一見、事実確認のようだった。「彼女はストーカー被害を受けていた?」と聞くから「はい」と答える。

 だが彼女はすぐにペンを走らせながら、「そう“思った”んですね」と言い換える。


「思った、じゃなくて——」


「ええ、気持ちは分かるわ。でも証拠がなければ、それは感想に過ぎないの」


 言葉の芯をすり替えられるたび、胃の奥がじわじわ熱くなる。

 黒瀬さんは俺の返事のうち、都合のいい部分だけを書き留め、都合の悪い部分は「なるほど」と笑って流した。


 そして突然、彼女はスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。そこには記事の下書きが映っていた。

 《被害者装う危険人物、過去にもトラブルか》。

 文中の引用部分は、さっき俺が言った言葉の一部だけだった。


「……これ、俺はそんなこと言ってません」


「言ったわよ。“危険人物”とは言ってないけど、そう受け取られても仕方ない内容だったわ」


「それは事実じゃない」


 黒瀬さんは小さく肩をすくめ、笑みを深めた。


「事実よ。ただ、全部を載せる必要はないの」


「必要がない? それじゃ真実が変わるだろ!」


「変わらないわ。人が信じたい物語に沿ってる限りは」


 その言葉は、冷たい氷水のように頭からかけられた気分だった。俺が何を言っても、この女は“世間が喜ぶ形”に塗り直すのだ。


「じゃあ、続きは放送で見てちょうだい」


 そう言い残し、黒瀬さんはカメラマンと合流し、規制線の向こうへ消えていった。追いかけようと一歩踏み出した俺の前に、制服警官が立ちはだかる。仕方なく足を止めると、胸の奥にまたあの声が響いた。


——信じて、お願い……。


 夕方、彼女から一度だけあった着信の声だ。

 通話はすぐに切れ、その直後から彼女はニュースの中で“加害者”として映り続けている。


 やり場のない怒りを抱えたまま、《トゥルリエ》へ戻る。

 カウンターの中で、名倉マスターが無言でコーヒーを置いてくれた。

 香りだけが、少しだけ気持ちを落ち着かせる。


「……見たな、黒瀬を」


 奥の席で新聞を広げていた告城さんが、視線も上げずに言った。


「はい。あの人……真実を……」


「真実を捻じ曲げるのが仕事みたいなもんだ」


 告城さんは新聞をたたみ、俺をまっすぐに見た。


「事実を掘り起こすのは容易じゃない。だが——やる覚悟はあるか?」


 息を吸い、カップを置く。


「……あります」



 告城さんの問いに答えた途端、店内の空気がわずかに変わった。

 名倉マスターがカウンター越しに、封筒をひとつ差し出す。中には、コピー用紙が数枚。見出しはすべて事件に関する記事だったが、どれも“同じ言葉”で始まっていた。


 《警察発表によると——》


「情報の出どころは一つ。そこを押さえれば、歪みの理由も見えてくる」

 告城さんの声は低く、だが確信に満ちていた。


 その時、スマホが震えた。画面には、非通知。

 迷わず通話ボタンを押すと、息を潜めるようなノイズの奥から、あの声がした。


「……助けて……追いかけられてる……」


 背筋が凍る。

 けれど次の瞬間、通話はぷつりと途切れた。

 耳に残ったのは、雑踏の音と、かすかなブレーキ音。


 胸の奥で、警鐘のように脈打つ。

 これは、時間との戦いになる。

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