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嘘が正義の世界で、“真実”を叫ぶ明証師  作者: 真野はるえい
第2章:優しい嘘の始まり
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Case02「それは"愛"じゃない」

“娘を救ってください”──

人気料理研究家・西園寺恵美が持ち込んだのは、娘への誹謗中傷に関する依頼だった。

だがその裏には、“家族”という名の仮面が隠されていて……?

            ▽

            ▼

            ▽

あれは、“家族”という名の仮面をめぐる、ある母娘の話だった。

誰を守りたかったのか。誰が傷つけたのか。

……その真実を“明証”するのが、俺たちの役目だ。



ライトが眩しいくらいに焚かれたスタジオの中で、誰よりも光を放っていたのは、被写体の女子高生だった。

カメラマンの声に応えることなく、彼女は完璧な笑顔を作っていた。


西園寺美羽(さいおんじみう)――今もっとも注目されている高校生モデルのひとり。

真っ白な背景に、パステルカラーの衣装が映える。スタイリストが後ろ髪を直し、スタッフが汗を拭いながらモニターを確認する。

張り詰めた空気の中、ひとつの音がスタジオ全体を凍らせた。


「……なんだよ、これ……」


スタッフのひとりが、タブレットを持ったまま絶句している。

その画面に表示されていたのは、匿名SNSへの投稿。


 “アイツの過去、バレたら終わりだろ”

 “裏で何やってるか、知ってる人は知ってるよね?”

 “#西園寺美羽 #裏の顔 #地元じゃ有名”


静寂が、カメラのシャッター音すら奪った。


 

数日後、トゥルリエに届いた封筒。

差出人の名は──西園寺恵美(さいおんじえみ)

依頼内容は、ただ一言。


 『娘を、救ってください』


 

この時、俺たちはまだ知らなかった。

“救うべき娘”が、いちばん誰かを傷つけようとしていたなんて──


……俺たちはまだ、この依頼の“本当の意味”に触れてすらいなかった。



トゥルリエに初めて来る客は、扉の前で少し戸惑う。

看板はなく、表札代わりの“証”という一文字が、古びた扉の脇にぶら下がっているだけだ。

でも、その日やって来た女は──迷う素振りすら見せなかった。


「……西園寺恵美さん、ですね」

マスターが、いつもの低い声で出迎える。

女は颯爽と入ってくると、場の空気を一気に塗り替えた。


「素敵な店ですね。お料理もいただけるのかしら?」

パールのピアスに、ハイブランドのワンピース。

指先は調理人らしく荒れていて、そのアンバランスが妙にリアルだった。

この人が──“あの”西園寺恵美?


俺は、思わず唾を飲んだ。

美羽さんの母であり、今やSNS総フォロワー70万の“美人すぎる料理研究家”。

テレビで観たままの笑顔。けど──実物はもっと濃かった。


「さっそくですけど、本題に入っても?」

とびきりの笑顔。けれど、声には棘がある。

この人、誰かを“料理”するのが得意なんじゃ……と、一瞬よぎる。


「娘が……誹謗中傷を受けているんです。しかも、最近は特に悪質で。裏で何者かが動いている気がして……」

「それなら、専門の弁護士にご相談されたほうが──」

「そういうの、時間もお金もかかるんです。何より──この件は、“明証師”でなければ意味がない」


その瞬間、告城さんの目の奥がわずかに揺れた。

表情は相変わらずだ。

けれど、ほんの一瞬だけ、コーヒーを持つ指が止まった。

……何かに気づいたのかもしれない。


「ふぅん……。じゃあ、念のため訊きますけど──何が“明証”されると、あなたは困ります?」


「ふふ……冗談がお好きなんですね」

女は笑った。たしかに笑っていたけど、目だけが笑っていなかった。


その後、コーヒーを一口飲んだ恵美さんは、ついでのように言った。

「ここって……アルバイトの男の子もいるんですね。ふふ、なんだか可愛い」

──俺のこと、だよな?

え、何この感じ? 急に視線が……妙に濃い。

ドンと肩を叩かれて、俺は一歩よろける。


「あ、ごめんなさい。つい、癖で♡」

その笑顔は、さっきまでの告城さんへのものとは明らかに違っていた。


俺はまだ、この人の“本性”を知らなかった。



依頼を受けた翌日、俺と告城さんは都内の撮影スタジオに向かった。

西園寺美羽、18歳。高校生モデルとして今もっとも“勢いがある”存在だ。


現場では、プロ意識と緊張感が張り詰めていた。

そんな中、美羽さんは完璧なポーズと表情を繰り出し続ける。

なのに──どこか、心ここにあらずだった。


「失礼します。明証師の告城です」

 告城さんがスタッフに軽く頭を下げ、撮影を見守る。


「SNSでの中傷、数ヶ月前からですよね?」


「はい。最初は軽い悪口でしたが……最近は“身内しか知らないような話”まで出てきて」

スタッフの一人が答える。

そして──誰ともなく視線が美羽の母・恵美に向いた。


彼女はスマホで何かをチェックしていた。

SNSか? 娘の評判か?


その夜、トゥルリエに戻ると、マスターから連絡があった。


名取朱音(なとりあかね)……西園寺恵美が出したレシピ本、あれを担当していた編集者だ」


「過去にトラブルで退職したって話ですよね?」


「表向きは“方向性の違い”。でも、本当は──出版前の原稿に問題があったらしい」


俺は名取さんに会いに行った。

彼女は渋い喫茶店で、紅茶を飲みながら俺を見た。


「恵美さんが隠してること? 山ほどあるわよ。

 本来あの人、料理なんて趣味でやってただけ。

 “美人母”って肩書で娘に便乗してメディアに出たのよ」


「でも、彼女自身の人気も……」


「中身が伴ってない人が、世間に評価された時──歪むのよ」

その言葉には、どこか痛みが滲んでいた。


……この違和感の正体が、徐々に“娘自身”へと向かっていくなんて、まだ考えてもいなかった。


俺は告城さんに報告した。

──そして、驚くことを聞かされた。


「匿名アカウント、文体がずっと一貫してる」


「……それって、誰か一人が投稿してるってこと?」


「もっと言うと──“誰か”じゃなく、“本人”かもな」


「まさか……美羽さんが、自分で?」


「それが事実なら──この件、“愛”なんかじゃない。

 彼女は“愛されてない”と感じてる。……ずっとな」


……まだ確信はない。けれど、何かが軋んだ。



「この投稿……何か引っかかるな」


俺は、美羽への誹謗中傷が投稿されたSNSアカウントの画面を眺めていた。

無数の投稿。どれも決定的な侮辱にはならないが、じわじわと心を削る言葉が並ぶ。


──《アイドル気取りで痛い》《料理研究家の娘ってだけ》《どうせ全部ステマ》──


「全部“本人しか知りえないタイミング”で投稿されてる。モデル仲間って線もあるかもなぁ」


「ふーん……“仲間”ねえ」


不意に背後から現れた女の声に、振り返る。

入口には、髪をひとつにまとめたポニーテール姿の女性が立っていた。

「黒瀬真理亜、フリー記者。久しぶりね、明証師さん?」


「また盗聴? 趣味が悪いですなぁ」

告城さんはカウンターに座ったまま、気怠げにグラスを傾ける。


「あなたが動いたってことは、この母娘、ただの芸能ゴシップじゃないってことよね?」

黒瀬さんは告城さんにスマホを見せる。そこには、美羽のスケジュールと誹謗中傷の投稿時間が並べられていた。


「見て。現場入りから投稿までの“間”が10分以内なの。つまり、撮影現場にいた誰か。……もしくは、本人」


「本人が……?」


俺は思わず言葉を飲む。


「でも、母親は“娘を守って”って依頼を──」


「守りたいのは、“母である自分のイメージ”でしょ」

そう言ったのは、もう一人の来訪者だった。


「真柴廉、生活安全課。こっちも勝手に捜査進めないでくれるかな」

現れたのは、スーツ姿の青年。

真面目そうな目元の奥に、どこか冷ややかさが漂っている。


「真柴……今度は警察まで嗅ぎつけてきたか」


「正確には“家庭内トラブルによる誹謗中傷の可能性”で、相談が来てた。おたくらの動きに合わせて確認しただけだよ」


「家族が、娘の足を引っ張る? そんな馬鹿な話──」

俺が言いかけたとき、告城さんが口を開く。


信じたい“絆”ほど、見誤る。

家族という言葉は、ときに最も残酷だ。


「仁科くん、“親子”ってだけで心が通じると思わない方がいい。

……特に、片方が“家族をブランド化”しようとしてる場合はね」


「……!」


「実際、美羽さんは最近──ずいぶん変わってきてる」

思い出したのは、撮影現場で見た美羽の表情だ。

その瞳には、疲れと苛立ち、そして一瞬だけ“怒り”が宿っていた。


さらに、名取さんからの調査報告も届く。

「母親の恵美さん、昔は出版現場でも評判悪かったみたいよ。

気に入ったスタッフにはセクハラ、嫌いな相手にはパワハラ。記事を歪めさせてまで自分の“成功物語”を作ろうとしてたって」


俺の胸に、ざらりとした違和感が広がる。


そして、黒瀬さんが口にする。


「つまり、彼女たちは“加害者”で“被害者”──両方なのよ。

“家族”って名札を使えば、全部が綺麗に見えるとでも思った?」


その言葉に、俺は言葉を失っていた。


告城さんは静かに呟く。


「……さて。そろそろ、本当に守りたかったものを聞きに行きましょうか」



人気料理研究家・西園寺恵美の自宅。

そのキッチンは、テレビの中と同じく、完璧に整えられていた。


「まさか、誹謗中傷の主が……自分の娘だったとはね」

名取さんが、どこか悔しそうにそう呟いた。


……ずっと、心のどこかで叫んでたんだろう。

誰にも届かない、自分だけの言葉で。


「……違う。私は、ただ、ママが間違ってるってことに気づいてほしかっただけで……!」


美羽の声が震える。膝の上で握りしめた指は、白くなるほど力がこもっていた。


「私の努力も、苦しみも……“ママのため”じゃない。誰かの“踏み台”になるために、頑張ってきたわけじゃない……!」


恵美さんは、美羽の目を見られなかった。


「……守りたかったんじゃないですか。娘さんじゃなくて、『料理研究家・西園寺恵美』という自分の“看板”を。」


静かに、しかし確かに言葉を突き刺すのは告城さんだ。


その言葉に、恵美さんの肩が小さく揺れた。


「私……そんなつもりじゃ……」


「“そんなつもりじゃなかった”は、便利な言い訳ですから」


そう言って、恵美さんにハンカチを差し出した。


――沈黙。


その場を見守っていた真柴さんが、眉間にしわを寄せながら呟いた。


「これは……逮捕案件ではないな。動機も、構造も複雑すぎる」


すかさず、後ろからフラッシュがたかれそうになるのを、告城さんが無言で手を伸ばして遮る。


「……撮るなら、もっと綺麗な“愛”の方をどうぞ。これは誰も得しませんよ」


「……チッ。あなた、やっぱりただの正義の味方じゃないわね」


黒瀬さんが舌打ちしながらカメラを下ろす。

あの目は──まだ、続きを追いかけようとしているように見えた。


告城さんはわずかに口角を上げて、グラスの氷をかき混ぜた。

「正義? 俺は、そういうの担当してないんで」

どこまでも軽い口調で、封筒をポンと机に置く。

けれど、その音は妙に重たく感じられた。そこには、美羽の自作自演の証拠と、母のすれ違いの記録が綴られていた。


封筒は、誰の手にも取られず、そこに置かれたままだった。

……俺も、開こうとは思えなかった。



撮影スタジオで初めて見た、美羽さんのあの笑顔。

あれはきっと、“守られている”子どもの顔じゃなかった。

誰にも頼れないまま、ずっとひとりで立ち続けてきた──そんな目をしていた。


守るって、なんなんだろうな。

“正しい”ってなんなんだろうな。


彼女を救ったのは、真実だったのか、それとも──嘘だったのか。


俺には、まだ答えが出せない。



──夜。

トゥルリエのカウンター席で、いつものようにコーヒーを啜る。


「ふぅ……事件は解決したけど、後味って意味じゃ……今回、ダントツで苦いっスね」


「コーヒーの話か、人生の話か、どっちですかな」


「どっちもっスよ。ほんと……」


思わず天井を仰ぐと、店内の灯りが柔らかく揺れていた。

静けさが、心の奥をじわりと満たしていく。


「あの娘の涙、嘘じゃなかったと思いますよ。

あの“本音”が、彼女の救いだったんじゃないですか」


「嘘も真実も、扱う者しだいですな。……どちらも人を救えるし、傷つけもする」


「深いこと言うなあ……あ、俺、いま名言っぽいの出ました?」


「0点ですな」


「くっそ~!」


思わず笑ってしまったその瞬間、扉のベルがカランと鳴った。


 

──静かな足音。

ドアの向こうから現れたのは、一人の小学生だった。


ランドセルを背負い、けれど表情は妙に落ち着いている。


「……あの、明証師さんって……ここにいますか?」


「へえ、今回はずいぶん若い依頼人ですな」


告城さんが口元だけで笑いながら立ち上がる。


俺のコーヒーは、すっかり冷めていた。


 

──次回、Case.03「小さな依頼人」

            ▼

            ▽

            ▼

今回も最後まで読んでくれて、ありがとうございます!

“愛”って言葉、便利だけど、雑に使うと誰かを傷つけることもあるんスね。

……少しだけ、分かった気がします。

ではまた、喫茶トゥルリエで。

仁科

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