第六話 誰よりも光り輝く彼女、それはバーバラ
エドガーがバーバラを知ったのは五歳の時だった。
フェルミエンド王国は他国と違いスラム街というものが存在しない。なるべく民には最低限の生活が出来る様にと法を整備したからだ。
それでも、平民の間にも格差というものはどうしても生まれる。
バーバラの家は、孤児や日々食べていくだけで精一杯の者達への支援をしている筆頭の貴族だった。
定期的に炊き出しを行い、医者を引き連れて巡回、職業の斡旋や孤児院の状況確認など、内容は多岐に渡るものだった。
エドガーも親に連れられて、貧民が多いという地区へお忍びで足を向けた時だった。
医者を引き連れ、炊き出しを行い、右へ左へと忙しなく駆け回っているバーバラ一家とその支援者達が目に入った。
どんな相手に対しても丁寧に対応し、支援が行き届いていないかと目を光らせる。
誰かが隠れて苦しんでいたら、真っ先に駆け寄る。
当然もしもの時のために護衛が常に付き従っていたが、誰も彼もが彼らに触れることを厭わない。
この国は他国よりも貴族の意識は柔軟ではあるが、それでも平民に――特に貧民層に対する偏見は拭えない。穢いと吐き捨てる輩もいるくらいだ。
そんな中で、何の躊躇いもなく駆け寄れる。助け起こす。世話をする。
彼らは本当に心から彼らを救おうと奔走しているのだと知って、エドガーは胸が熱くなった。
そんな時だった。
『ぎぜんしゃっ!』
一人の男の子が、貴族の女の子に向かって叫んでいるのを見たのは。
女の子が持ってきた食事を男の子は拒否していたのだ。
『どうせ、このパフォーマンスだって、みせかけなんだろ! じぶんたちは、まずしいひとたちにだってひとしくやさしいってアピールしたいだけだ!』
更に小さな男の子を抱えて悪態を吐く彼の目には、怯えが微かに混じっていた気がする。
今まで、あまり貴族に良い思いを抱いていなかったのかもしれない。当たりが悪ければ、どこまでも馬鹿にされる。エドガーも一度それを目の当たりにし、親に告げ口をしてその家ごと何とかしてもらったくらいだ。
『じぶんはこんなにいいことしている! わたしってやさしい! そんなふうにほかの人たちにアピールしてるんだろ!』
『……』
『じぶんがほめてもらいたいだけだろ! いいきぶんになりたいだけだろ! ほかのばしょで、なにをいわれているかわかったもんじゃない!』
『そんなやつらのほどこしなんて……』
『――たべなさい』
ぐずぐず罵倒しまくる男の子の口へ。
もごおっ! と、女の子はパンを思い切り突っ込んだ。
もぐうっ! と男の子が噎せ返りそうになるのを、しかし女の子は容赦はしない。噛んでいるのを確認しながら、手を緩めることなく突っ込み続けた。
男の子ももったいないと思ったのか、必死に何とか飲み込んでいる。
あれだけ悪態を吐いていたのに体は正直である。お腹がすいていたのだろう。あのパンは遠目から見たエドガーの目にも美味しそうに映った。
『て、てめ……っ! 何……!』
『たべなさい』
『ぐっほおっ⁉』
男の子が元気よく怒り叫ぼうとした口に、またも女の子はパンを突っ込んだ。
もぐほおっ! と男の子が食べながら悶えているのを見て、傍にいた更に小さな男の子ははらはらと心配そうに見つめていた。
しかし、女の子はそちらにはとてつもなく優しかった。男の子へ向ける冷めた眼差しから一転、天使の微笑みを浮かべ、「これはあなたのぶんよ」と優しく手渡していた。両手を添えて。男の子の手に柔らかく乗せた。
素晴らしい対応である。
当然、その小さな男の子は嬉しそうに感謝をし、推定兄を放置して食べ始めた。美味しい、と感激で笑顔を輝かせるその子に、女の子は更に天使の様に慈愛に満ちた眼差しで微笑んだ。
本当に素晴らしい。何て素晴らしい天使なのか。あれこそ神が地上に遣わし給う純白の天使。エドガーの胸は更に熱くなった。
飲み込んで男の子が口を開けば、女の子がパンを口に突っ込む。その内パンではなくシチューになっていたが、関係なく口に突っ込んでいた。おかげで男の子はごふごふと噎せていた。大人しく食べない故の結果である。
そうして、そんな喜劇を何回か繰り返した後。
『お、おまえ……!』
『おなかはふくれたかしら?』
『は、はあっ⁉』
『さっきよりも声が大きく出ているわよ』
『――』
指摘され、男の子が言葉に詰まった。
女の子は悠々と彼を見下ろしている。ただ立っているだけなのに、まるで腕を組んでいる様な威風さえ放っていた。
とてもカッコ良い。エドガーは見惚れた。
『いいじゃない。ぎぜんしゃ。あくにんになるより、よっぽどいいわ』
『は……』
『それに、ぎぜんしゃだと思うなら、大いにりようすればいいのよ。りようして、おなかをみたして、それをバネにここから立ち上がるエネルギーにすればいい』
『な……』
女の子の堂々とした振る舞いと助言に、男の子はぽかんと目を見開いた。ついでに口も大きく開いた。また食べ物を突っ込まれそうになって、慌てて両手で塞いでいた。
『せっかくおなかをみたせるチャンスなのよ。りようできるものはぜんぶ、りようする。それくらいやって、あがいて、上をめざせばいいの』
『……』
『わたくしがぎぜんしゃでもあくにんでもかんけいない。……たべられるときにたべなければ、弟のこと、まもれなくなるわよ』
『――』
『人をむやみに信じないのはいいことよ。うたがいをもって、みきわめて、あなたにとってのみかたを見つけなさい。……そうしていつか、ぎぜんしゃのわたくしとはちがう本当のぜんにんになればいいのよ』
ふふん、と勝ち誇った様に胸を張る女の子に、男の子はもう何も言わなかった。ただただ眩しそうに目を細めるだけだった。
何てカッコ良いのだろう。
悪口を言われてもそれがどうしたと胸を張れる強さ。
利用できるものは全て、それこそ己さえも踏み台にしろと言ってのけるしたたかさ。
そうして最後に、発破をかけて相手の気力を湧き上がらせる立ち居振る舞い。
――好きだ。
きらきらと、彼女が太陽よりも光り輝いて見えた。
彼女の周りだけが他のどこよりも輝いて見えた。
他はもはや目に入らない。家族が何度も何分も呼びかけていたことにさえ気付かないほど、エドガーは彼女しか見ていなかった。彼女のことしか考えていなかった。彼女の声しか聞いていなかった。
エドガーはこの時、彼女に恋をした。
それが、バーバラ。
後に、愛を伝えられないまま婚約者になった人である。
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