第五話 エドガーは腐ってもエドガー
クロウリー公爵令息を懇々《こんこん》と説教した後。
何故か昼休みに突入する時間になっていたエドガーは、急いでロミオと共に庭へと向かっていた。
昼食はいつもバーバラと共に取ることになっている。まさかの遅刻にエドガーの顔面は蒼白になった。
「はあ……まさかバーバラとの昼食に遅刻するなんて! それどころか授業を三限もサボってしまった! ああ、真面目なバーバラに知られたら、どうすれば良いのか1 バーバラに顔向けできなくなってしまうっ」
「殿下。その真面目なバーバラ嬢とは同じ授業を受けているのですから、とっくに三限サボった王子として知られていますよ」
「はああああああ……っ! もし、もしもだぞ! バーバラに『時間を守れない男なんて、大嫌い』なーんて可愛らしくも軽蔑する様に言われたら! 僕はもう立ち直れない……けれど可愛らしく軽蔑された視線もきっと愛らしくて最高なのだろうな。見てみたい」
「殿下ってマゾですよね」
「いや、そんなことよりも! もし! 『殿下って、授業を蔑ろにする不良生徒だったんですね。……そんな不真面目な人と婚約なんて、とてもではないですが続けていけません。今すぐ破棄です、破棄!』なーんて言われた日には! 僕はもう土に埋もれて桜の栄養になるよ……」
「大丈夫ですよ。バーバラ嬢にとって、殿下は腐っても殿下。防波堤ですから。婚約破棄が利口ではないことくらい理解しています」
「なるほど! つまり婚約は破棄されない! 王子で良かった! 今、神に大いに感謝している! 王子として産んでくれてありがとう! 父上、母上、僕を子供として産んでくれてありがとう!」
「王子の意味をそこに見出す王子は初めて見ました」
淡々と、それでも逐一エドガーに相槌を打つロミオはある意味律儀で付き合いが良い。エドガーの性格を知っている家族は全員がロミオに感謝していたりする。
「そうと決まればもたもたしていられない。早くバーバラのところに行かなければ!」
「やっぱり光の速さで立ち直りますよね」
「僕の唯一の長所さ♪」
「はあ……」
頭が痛い、と無表情で溜息を吐くロミオには気付かず、エドガーはるんるん気分で庭へ続く廊下を歩く。
そうして、もう少しで外に出るというところで。
「聞いて聞いて! 私、この前殿下に荷物を持ってもらっちゃったの」
ぐるん、と回れ右をしてエドガーが柱の陰に隠れる。ロミオも音もなくそれに倣った。
「えー、ちょっと。仮にも王子様に荷物持たせるとかありえないんですけど」
「違うの! 私が歴史学の先生にありえないくらい重たい荷物を運ぶ様にって言われて資料室に運んでいるところを、殿下と偶然会ったの。そしたら、『僕も資料室に用事があったんだ。手伝うよ』だって!」
「あー……言いそう。殿下、言いそう」
「私もこの前、園芸部が大量に鉢植え運んでいるのを一緒に運んでるの、見た」
「ロミオ様も一緒に手伝ってたやつだよな。俺も見たわ。それで何となく俺も手伝ったわ」
「何だか最終的にみんなで手伝って、学校行進みたいになってたよね。周りが驚いたり笑ったりしていたわ」
わいわいと楽しそうに話す学生達に、エドガーは出て行きづらくなった。通り過ぎていきづらくなった。
別に悪口を叩かれているわけではない。むしろ良い話をされている。だからこそ尚更恥ずかしくて出て行きにくくなってしまった。
「今の王族の方々って親しみやすくて良いわよね」
「もちろん両陛下の威厳は凄いんだけど……この前お忍びで陛下が酒場にいたって。しかも、ハローって手を上げて挨拶されたって。父がびっくりしてたわ」
「一応護衛はいるんだよな……?」
「いるいる。毒見もいるいる。でも、今の王族、毒殺効かないってまことしやかに流れているよな」
「しかも両陛下とも超強くて、誰も勝てないって聞いた」
「でも最強は王太子殿下らしいわよ」
「エドガー殿下も強いしねえ。……王太子って、あれ以上なのかあ……」
更には家族にまで話が及んだ。もうエドガーは絶対に今、ここにいると気付かれたくはない。
しかし、話には続きがあった。
「あれだけ性格も良いのにな」
「平民貴族両方のこと考えてくれている政策も打ち出してくれているのにな」
「どうして、バーバラ様にだけはあんなに冷たいのかしら」
「――」
放たれた言葉は、今までエドガーの耳に何度も入ってきたものだ。
ロミオがちらりとエドガーの方を盗み見てくるが、それにはエドガーも首を振る。
「他のみんなにはとても優しいのにな」
「バーバラ嬢にだけは、何だか殿下らしくないよね」
「でも、バーバラ嬢って男嫌いで有名だからなあ。それも関係あるのかも?」
「いっつもにこにこしているのはどうしてかしら」
「うーん。でも、仲が良いっていう噂もあるのよね」
――バーバラが、僕を、……好き⁉ 好き! 好き⁉ 好きいいいいいいっ⁉
かっと目を限界にまで見開いてエドガーは頭を噴火させた。噂でも妄想でも嘘でもバーバラがエドガーを好きだという一言が聞けたのは極上の幸せだ。――当然、好きという単語は一度も使われていないのだが、エドガーは都合良く変換している。
「バーバラ嬢に対する殿下の態度は、正直ひどいと思うけど……」
「ただ、あんまりに噛み合わないから――」
――至福の時間に浸っている場合ではない。
ひどい、という単語で何とかエドガーは現実に舞い戻ってきた。
そのまま、どこまでも続いていきそうな論争から、エドガーはそっと離れる。足音も立てずに場を離れるのには慣れていた。
「……殿下」
「すまないとは思っているんだよ。両親にも兄上にも。僕のせいで、王室の評判を落としているんだからね」
バーバラに冷たい態度を取ると決めた日から覚悟はしていた。
家族もエドガーの思いを尊重してくれている。今もまだ王室の評判が地に落ちていないのは、世界の中でも一番安全な国として統治を成功させているからだ。
今の生徒達の様に、疑問を持ちながらもエドガーを完全なる悪と決めつけない者もいる。だからこそ、辛うじて体面が保てている。
後は。
「やっぱりバーバラの光舞い散る花の如き笑顔のおかげだな。バーバラは天使」
「殿下ってやっぱり頭わいていますよね」
ロミオのツッコミなどスルーである。バーバラの笑顔は正義。それがエドガーの真実である。
大体バーバラがエドガーの冷たい態度をいつもにこにこ笑って流してくれているからこそ、生徒達は矛先を鈍らせてくれるのだ。やはりバーバラの笑顔はエドガーを救う。心だけではなく世間体まで救う。バーバラはいるだけで、エドガーの全てを包み込む。これほど素晴らしい女性はいるだろうか。いや、いない。
「こうしてはいられない! 今日の栄養を補充するために、早くバーバラの下に行かなければ!」
「文字通り栄養を取るんですよね、食べ物から」
「バーバラがいれば、一ヶ月何も食べなくても死ぬはずがないだろう」
「死にますよ」
頭が沸いたエドガーの発言を、ロミオは律儀に否定した。
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