第四話 僕の婚約者は可愛くて最強
教室の片隅で。エドガーが少しの間愛しのバーバラから目を離した隙に。
その愛しの天使バーバラが、魔の手にかかろうとしている。
エドガーの行動は早かった。光など相手にもならないくらい早かった。
「やあ、クラウリー侯爵令息。愛……僕の婚約者に何か用かな?」
「い、だああああああっ⁉」
がしいっと岩をも砕く勢いでエドガーは件の無礼極まりない男の肩を掴む。いいいだだだだだだだだっ⁉ という絶叫が教室中に穢く鳴り響いているのだが、今のエドガーには聞こえない。バーバラしか見えていないし声も聞こえていないからだ。
「……バーバラ。状況を説明してくれないか」
「はい、エドガー様」
氷も真っ青な絶対零度のエドガーの眼差しに、しかしバーバラはいつも通り穏やかな声で一礼した。
そのちょっとした仕草すらも可愛らしさが満点で、エドガーは一度昇天した。もちろん秒速で戻ってきた。死んだらもうバーバラの可愛さを見守れないからである。――周囲はエドガーのバーバラに対する真っ黒な演技の視線にだらだらと脂汗を掻いているのだが、どうでも良いことである。
「こちらで、いつも仲良くして下さる友人と歓談していたのですが」
「ああ、アメリア嬢とカルミア嬢だね。いつも我が婚約者と仲良くしてくれてありがとう」
「は、はい」
「もったいないお言葉でございます」
バーバラに向ける冷え冷えとした視線から一転。にこりと甘やかな笑顔を向けるエドガーに、アメリアとカルミアと呼ばれた少女は慌てて頭を下げる。バーバラが更ににこにこと笑っているのが可愛すぎて、もう一度昇天したのは内緒だ。
当然、バーバラへは表面上は真っ平らな顔のままエドガーは促す。
「それで?」
「その会話の折に、今度の日曜日にエドガー様と劇場へ行くお話になりまして」
――バーバラがっ! 僕とのデートを! みんなに自慢してくれている!
決して自慢ではない。
エドガーの心の声を聞けば誰もがツッコミそうな叫びは、しかし幸か不幸か誰にも聞こえない。故に、エドガーの心の中で涙を流す喜びの舞は誰も知らないままだった。
「あ、ああ。確かに、そういう約束をしている。婚約者だからね。一応婚約者だからね。たまには婚約者らしいことをしなければと思ってね」
「ええ、エドガー様。楽しみですわね、劇が」
――もう死んでも良い。
楽しみ、と転がされた彼女の声に、エドガーは幸福の赴くまま倒れ込みたかった。天上から光が舞い降り、天使達が祝福のラッパを鳴らしながら迎えに来てしまうほどに何度も死んだ。
当然、「劇が」と最後に付け加えられた単語など聞こえもしない。エドガーの頭は春なのである。
「……うむ。それで?」
「お二人と楽しくそのお話をしていましたら、そこのクラウリー侯爵令息が急に割り込んできまして」
にこにこ顔から一転。
「――あろうことかこのわたくしに、エドガー様との約束を反故にし、自分と来いとぬかしてきやがりましたの」
生ごみを見る方がまだマシなほどの殺意溢れるバーバラの視線に、エドガーの鼓動は強く熱く高鳴った。
――っはああああああっ! バーバラ、最高っ! その蔑む様な眼差しまで可愛すぎっ!
周囲が、あまりに強すぎる真っ黒な殺意の視線に怯え震え上がる中、一人エドガーだけは小躍りしたくなるほどにテンションが上がっていた。最近は久しく見ていなかった、バーバラの男嫌いの視線である。
当然、バーバラにそんな顔をさせたのはエドガーの落ち度だ。バーバラを守ると誓いながら、未だにこうして脳みそが詰まっていない軽っ軽の頭しかない馬鹿ぼんぼんを近づけさせてしまっている。この八年であらかた排除してきたが、どうしてもこういう輩は湧くものだ。
バーバラに、嫌悪を覚える男など近付けさせたくもない。更なる対策を考えなければならないだろう。
だが、それはそれ。これはこれ。
――うちの婚約者、最強じゃない?
ヘドロでも見た様なおぞましさ満載の視線だけで、相手を撃退する。
現に、バーバラに粉をかけようとしたクラウリー侯爵令息は尻餅を付いて震え上がっている。もはや使い物にはならないだろう。
つまり、エドガーのバーバラは、可愛いだけではなく強くて最高なのだ。これで胸が高鳴らなくてどこで高鳴るというのか。
エドガーの頭はどこまでも春だった。
「……だが、感心している場合ではないな」
可愛くて最強だからと言って一人放置するわけにはいかない。
冷たい態度を貫きながら、如何にしてバーバラを守るべきか。エドガーは真剣に考えた。
そして。
「クラウリー侯爵令息」
「ひゃ、ひゃい!」
真っ黒な殺意に怯え震え上がっていた犯人は、冷え切ったエドガーの見下ろす眼差しにも飛び上がった。もはやバーバラを誘った時の勢いが無いのは火を見るよりも明らかだったが、そこはエドガー。叩きのめすことしか頭には無かった。
「彼女は仮にも僕の婚約者だ。学園では身分はある程度目を瞑られるとはいえ、王子である僕の婚約者に手を出そうとは、どれだけ不敬罪なことか分かっているのか?」
「は、ははははははい、し、ししししかし」
「釈明したいのかい?」
「お、おおおおおおそれながら、で、殿下、は、ばばばばばあああばバーバラ嬢をれれれれ冷遇」
「はあっ? ばばあっ⁉ バーバラはまだうら若き少女だが? どこからどう見ても若々しさに満ち溢れている彼女をお年寄り扱いするとは何事だ!」
「ひ、ひいいいっ⁉ ち、ちが……!」
「そもそも大前提として、お年を召された方に向かってばばあなどと蔑むとは言語道断! 我々よりも人生を重ねた知恵ある賢者の如き大先輩に敬意を持つどころか見下す発言! 断じて許すまじ!」
「ち⁉ ちちちちちち違う! ちちちちがいます! ただ、俺……!」
「ロミオ。彼を談話室へ。少々説かなければならないものがあるようだ」
「はっ」
「ちょっ⁉ で、ででででで殿下! 話を!」
「バーバラ。すまないが、先生に僕と彼とロミオは授業を欠席すると伝えてくれ。後で必ず挽回するとも」
「はい、エドガー様」
にっこりにこにこと機嫌が良さそうに請け負うバーバラに、エドガーは当然「天使……」と胸を打たれて仰け反った。もちろん心の中だけで。
幼馴染故にその全てを見透かしているロミオは「この殿下頭大丈夫かな」と、エドガーの冷え切った眼差しよりも冷めた目で見守るのだった。
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