第三話 エドガーの頭は既に手遅れである
――次の日曜日にはデート!
バーバラとの至福の登校を終えたホームルーム前の教室。
エドガーの頭の中は今、そればかりだった。むしろ他は無かった。勉強をしに来ているはずの彼の頭は、もう既に手遅れなのである。
「エドガー様、おはようございます」
「おはよー、エドガー様」
机に座ってるんるん気分なエドガーの下に、二人の学生が寄ってくる。エドガーと比較的仲が良く、ロミオに続く側近候補の者達だ。
「やあ、アレク、ミード。おはよう」
「今日はやたら機嫌が良いですねー」
「確かに。何か良いことでもあったのか?」
「顔が見るだけで酷いことになっていますねー」
「ああ。とてもではないが、紳士淑女には見せられない顔だな」
二人の無礼過ぎる失言に、しかしエドガーは怒らない。頭の中は今や天使バーバラで満たされ、次のデートで如何にして彼女の可愛らしさを目に焼き付けるか。その考えしか無いからである。
そう、エドガーにとってバーバラは天使。
先程の登校の時にも見せてくれたあの優しさ。気遣い。そして何より心を握り締めるほどに可愛らしい微笑み。それを学校だけではなく、休日に、しかも夜に永遠に堪能出来るのだ。もう一分後に日曜日になれば良いと毎秒願っている。
「……本当に酷いですね。エドガー様、大丈夫ですか?」
「はっはっは、大丈夫さ。それはもう見るからに大丈夫さ」
「全く大丈夫そうに見え無さそうですねー。ロミオ、この人どうしたの?」
「……今度の日曜日、バーバラ嬢と劇を見に行く予定ですので」
「ロミオ!」
小声で暴露するロミオに、エドガーが思い切り叫ぶ。何だ何だと注目してくる周囲には、にっこり極上王子スマイルで乗り切った。
「何で言うのかな? 何で言うのかな?」
「殿下、何故二回も聞くのでしょうか。疑問ですね」
「ロミオが! バラすから! バーバラに聞こえたらどうするんだ!」
「ああ、なるほどな」
「それで機嫌が良いんだねー」
にやにやと笑い合うアレクとミードに、ぎっとエドガーが睨みつける。今は教室でも距離がある場所にバーバラがいることが救いだ。
この二人をはじめ、一部を除いてエドガーのバーバラに対する本当の気持ちを打ち明けたことは無い。
だが、二人は傍で見ていて思うところがあったのだろう。どうやら彼らには、エドガーのバーバラに対する愛は見抜かれているらしいのだ。
故に、こうしてバーバラと何か良いことがあれば喜んでくれる。からかい交じりに笑ってくるところだけは解せないが。
「まあ、頑張って下さいね」
「あー、是非見て見たかったですねー。エドガー様があたふたして大失敗して平静装いながら心の中でものすごく頭を抱えて大叫びしている姿」
「……何で僕の心の中が分かるんだ?」
「えー」
本気で言ってるんですか? と顔だけで語る二人に、エドガーは溜息しか出ない。ロミオに続く側近候補は察しが良いのはありがたいが、良すぎるのも困る。エドガーの威厳が保てない。
「そんなに分かりやすいんだろうか……」
「殿下のことをよく見ている人なら分かりやすいのでは」
「それって、大半にはバレてないってことだよな?」
「そうですね」
否定されないのも悔しい。
エドガーは第二王子故に、近付いてくる者も多い。その多くは、王子という肩書しか見ていない。ロミオ達が例外なのだ。
しかし、こうもはっきり言われるとむくれたい。当然王子なのだから表には出さないが。
「むくれてますね」
「むくれてますねー」
「読んで欲しくないところは読まなくて良いからな!」
即座に見破ってくる側近には本当にどこまでも威厳が保てない。優秀過ぎるのも考え物だ。ありがたいが。
「そういえば、エドガー様。この前大雨で被害を受けた村への支援、上手くいったようですよ」
「ああ、聞いている。ロミオが開発してくれた薬が上手く作用してくれたみたいだな。助かったよ。ありがとう」
「恐れ多いことでございます」
アレクが切り出した話に、エドガーは笑顔で答えてロミオに礼を言う。相変わらずにこりともしないロミオだったが、内心で胸を撫で下ろしているのは伝わってきた。微かに目元が和らいでいる。
ロミオは子爵家の人間で、家族全員が研究者だ。
薬に特化した研究をしており、風邪薬やウィルスへの新薬を発表している。更には農薬、水質汚染に対する清浄作用のある薬の開発など、今までに貢献してきた例は数知れず。近く、その功績に報いて爵位が上げられる予定だ。
最近、村で近年稀に見る大雨が発生した。
そのせいで田畑が全て駄目になり、土壌も崩れて家屋も崩れた。
仕事も家も無くなった彼らに支援金と物資を出すだけではなく、田畑の土が早く回復する薬を提供し、税金も一時的に減税した。
甲斐あって土が回復し始めたらしく、そろそろ農作も再開出来ると先日村から報告を受けたところだったのだ。アレクの話はそのことを指している。
「ロミオはもう少し胸を張っても良いんだぞ? 本当に助かったんだからな」
「とんでもない。そもそも、大雨が降ったと聞いて周辺に視察に赴いた殿下の行動あってこそ。逸早く対処出来たのもそのおかげでございます」
「僕は、兄上達ほど頭が良くも視野が広くも無いからね。アグレッシブに行かないと何も見えないのさ」
両手を上げて首を振るエドガーに、ロミオが何故か白い目になる。欠点を堂々と口にするなという無言の圧だろうか。
しかし、事実なのだから仕方がない。王族は見栄を張る必要はあるが、張らなくて良い場所で張るとろくなことにはならないのである。
「……まあ、これがエドガー様の強みですよねー」
「仕方がない。……バーバラ嬢があとは何とかしてくれることを願おう」
「え? バーバラが何だって?」
「いえいえ。ああ、その注目のバーバラ嬢ですが――」
バーバラ、という単語に瞬時に反応したエドガーに、アレクが誤魔化し笑いで矛先を向けようとすると。
「――ですから、今度の日曜日。この私と劇場へ足を運んでくださいませんか?」
「――ああん?」
教室の片隅。
バーバラに近付く不埒な輩の出現に、エドガーは悪党も顔負けのとてもお見せ出来ない顔つきで振り返った。