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第二話 天使とは、彼女のことである


 エドガーとバーバラは今年十八歳を迎えた。

 フェルミエンド高等学院三年生で、次の春には卒業する。

 中等学院から数えて六年目。二人は婚約者として、毎日ほぼ欠かさず一緒に馬車で登校していた。

 エドガーが馬車で公爵家にまでバーバラを迎えに行き、無言で並んで歩き、無言で馬車に乗る。

 そして無言で馬車に揺られ、無言でエドガーが先に降り、続いて無言でバーバラが誰の手も借りずに降りる。


 最後は、無言で並んで歩いて教室まで移動。


 互いに微笑み合うこともせず。言葉も交わさず。手をつなぐこともせず。腕を絡めることもせず。エスコートもせず。

 ただただひたすらに無言で歩く。

 それが、二人の日課だった。

 はたからすれば「どうしてこいつら一緒にいるの?」と言わんばかりの異様な光景なのだが、バーバラはにこにこと常に笑うだけ。

 そして、エドガーに至っては。



 ――っああああああああ! バーバラ今日も可愛い! 好き好き大好き! 愛してる!



 今日も今日とて充分すぎるほど幸せを堪能たんのうしていた。



 しかし、当然頭が春過ぎてドン引きしそうなエドガーにも悩みは尽きない。

 エドガーとしては、ただただこうして彼女と並んで歩くだけで幸せの絶頂にある。

 彼女の顔は、初めて会った時の様な怯えたものではない。花の様にふんわり笑って隣にいてくれるだけで最高だ。しかも同じ空気を堂々と吸っている。これ以上の幸せがあるだろうか。むしろエドガーより幸せな人はいない。こんなに今も幸せなのに、結婚したらどうなるのだろうか。婚約者という肩書ではなく、正式に妻として世界中に紹介出来る。その時のことを考えたら昇天しそうである。花吹雪で花火を乱発したい。


 だが、エドガーばかりが幸せになっていてもいけないのだ。


 バーバラは、ここまで無言一辺倒な空気の中で退屈はしていないのだろうか。

 友人達と歓談している時はとても可愛らしい声で笑っているし、何より楽しそうだ。政略とはいえ、ここまで婚約者に気を遣わないエドガーにいつ愛想を尽かしてもおかしくはない。元々最初から嫌われているのだ。それが底なし沼よりも深くて抜け出せない嫌悪感を示されたらエドガーはどうすれば良いのだろうか。


「……やはり、何か話すべきだろうか」

「え?」


 ぼそっと心の声が外に零れてしまったのを、不幸にもバーバラに拾い上げられてしまった。

 あるまじき失態にエドガーは心の中では雲を突き抜けんばかりに飛び上がったが、表面上ではどこまでも平静な態度を崩さなかった。――周囲も、「二人が……登校時に会話している」と仰天していたが、当然バーバラでいっぱいいっぱいなエドガーは気付かない。


「いや、……政略とはいえ、君は婚約者だろう」

「そうですわね」

「だから、……こう。無言でばかりいて退屈だろうかと」

「まあ」

「だから、まあ、……義理でも何でも何か話した方が良いのだろうかと。ふと、本当にふとだが。そう思っただけだ」

「まあ」


 驚いた、と言わんばかりに口元に手を当ててバーバラが目を丸くする。その丸くした目が可愛らしくて、エドガーは心の中だけでもだえながら仰け反った。よくぞ外に反応を出さなかったと我ながら感心する。

 もう彼女は小動物の化身なのではないだろうか。いや、小動物でさえかすむ。やはり彼女は彼女で彼女だからこそここまで可愛いのだ。一秒で納得した。



「エドガー様がそんな風に思われているなんて」

「……君は、僕を血も涙もない最低クズ野郎だと思っていないか?」

「いいえ。ちりほども」



 ――天使……っ!



 天使が、ここにいる。エドガーは本気で感動した。

 お世辞とはいえ、ここまで冷たい態度を取るエドガーの人格を否定しないでいてくれる。バーバラに認められただけで、エドガーはもう大満足だ。このまま死んでも悔いはない。

 片手で目頭を押さえたい衝動に駆られながら、エドガーは努めて冷淡に言い放った。


「僕は、……ああ。そうだ。君を愛することはない」

「はい、エドガー様」

「だが、……君という存在を否定するつもりはない。だから、正直に」

「わたくしは」


 言ってくれ、と続けようとしていた矢先に、食い気味にバーバラが割り込んできた。



「エドガー様とこうして歩いているだけで、満足ですわ」



 ――天使っ!



 天使がここにいる。エドガーは今度こそ昇天した。もちろん心の中だけで。

 本物の天使とは、まさしくバーバラのこと。異論は認めない。全世界にこの教義を広めたい。そんな欲望に駆られる。

 だが、そんなことをすれば男嫌いのバーバラにどこまでも生ごみを見る様な目で見られるだろう。故に我慢した。全てはバーバラのためである。


「そうか」

「はい」

「……なら、これからも無言でいることにする」

「はい」


 にこにこと笑うバーバラの様子に、不満は一ミリも見当たらない。本心なのだろう。公爵家の娘だから気持ちを綺麗に隠す術は身に着けているだろうが、そこはエドガーも腐っても王子。他者の悪意を見抜く目はずば抜けている。

 だから、今のところバーバラからはエドガーに対する虫けらに向ける様な感情は無い。それだけは理解していた。幼少期の出会いを考えると奇跡である。

 それに。



 ――いつの頃からか、「殿下」ではなく名前で呼んでくれる様になったし。



 いつからかは覚えていない。その時は恥も外聞もなく倒れてしまったことだけは覚えている。バーバラの前で。ロミオに回収されて別れたのは一生の不覚だ。

 少しは、彼女から信頼を得ることは出来たのだろうか。

 互いに愛は無くても、せめて政略上の信頼だけはあれば良い。

 願いながら、今日もエドガーは何度もバーバラの可愛らしさに昇天しながら教室に向かった。



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