第十三話 至近距離は心臓を殺しにかかってきます
「あ、エドガー様だ!」
「エドさまー!」
「あそんであそんで!」
例の詐欺から無事に救われた孤児院を訪問したところ、早速子供達に突進され、見事エドガーは子供の山に潰された。ぐふうっという断末魔と共に見えなくなった主人を放置する側近(候補含む)三人は、笑顔である。子供の味方なのは素晴らしいことである。
「え、エドガー殿下!」
「あなたたち、殿下が死んでしまいます! もっと優しくお遊びなさい!」
「はーい」
シスター達が慌てて駆け寄ると、子供達が仕方なさそうにどけていく。――優しく遊ぶとは何だろうというツッコミは誰もしなかった。
「はあ、みんな元気そうで何よりだ」
「申し訳ありません、殿下っ」
「ようこそいらっしゃいました。……この度は我々を救って下さり、本当にありがとうございました」
確かにエドガーが解決の一端を担っている。そういう認識になっている様だ。誰が漏らしたのだろうとエドガーは首を捻るが、感謝を無下には出来ない。
「いや、本当にここが無くならずに良かったよ。ここは特に子供達がのびのび育っているのが伝わってくるし。みんな、シスター達が大好きだし。ねえ?」
「うん、だいすき!」
「シスター、おこるとこわいけど、すっごくやさしいんだよ!」
「まあまあ。……本当に嬉しいことです。殿下をはじめ、国の皆様にはお世話になりました。我々一同、心より感謝を申し上げます」
丁寧に頭を下げられ、エドガーは胸を撫で下ろす。
ここは、初めてバーバラと出会った大切な場所でもあるのだ。
あの炊き出しを含めた支援活動は、この孤児院も参加するボランティアだ。あの時のバーバラの勇ましさと凛々しさと可愛らしさと美しさと輝かしさに、エドガーは何度思い出しても高鳴る鼓動と共に天へ召されそうだ。
「――あら? エドガー様?」
――ああ、いつもながら耳が幸せになる声。幻聴まで聞こえるなんて、流石はバーバラ。やはり天使なんだな。
くっと、涙を流しながらエドガーが感動で咽び泣いていると。
「エドガー様も今日はこちらにいらしたのですわね」
「ああ、バーバラ。幻でもそんな風に優し気に声をかけてくれるなんて。いつも気づかいに溢れて止まない君らしいな」
「……エドガー様?」
「殿下ー。殿下。ちょっと正気に戻りましょうか」
「何だ、ロミオ。僕は今、幸せと幸福と至福の絶頂で雲の上まで飛び上がっている最中なんだが」
「バーバラ嬢がいらっしゃいました。そろそろきちんとご挨拶しましょう」
「へ? バーバラ?」
確かに先程バーバラの素晴らしく可愛らしくも透明な声が聞こえた。
くるん、と振り返った先には。
――天使……っ!
どアップ。至近距離。目と鼻の先。
そこに映し出された突然の美と愛と天使の女神に、エドガーは固まりながら心の中でばたんと盛大に倒れた。
――ばばばばばばばばばばばバーバラっ! バーバラが! こ、こんな! 唇が触れてしまいそうな距離に……!
そんな「そこまで近くないよ」とロミオ達一同がエドガーの心の声にツッコミを入れているのを、もちろん当人は気付かない。エドガーの頭は今、バーバラで全て埋められていた。いつも埋められているが。
しかし、心臓に悪い。悪すぎる。バーバラの不意打ちに、エドガーは心を立て直すのに五秒かかった。
「ば、ばばばばば、バーバラ? どうして、ここに」
「今日は皿職人の子と打ち合わせをしに来ましたの。今度の炊き出しで使うお皿は、その子のものを使わせていただく予定ですのよ」
「あ、ああ。な、なるほど。……感心だな。だ、ダリオは」
「ええ。ダリオはきっと立派な皿職人になりますわ」
ごほん、と咳払いをしながら明後日の方向を見るエドガーに、バーバラは気にした風もなくにこにこ嬉しそうに笑う。その笑顔は本気で花の様に芳しく可愛らしい。いつ見てもほっこり昇天してしまう。
「あ、あー。ところで、バーバラ。さっきの僕の言葉、聞いてはいないよな?」
「え? さっき、とは」
「その、最初に話しかけてくれた時……、……」
――こ、小首を傾げてきょとんとするバーバラ、幼くてまた愛らしすぎる!
きょとんと大きく瞬きする仕草すら目が離せない。まるで森に迷い込んだ小さな妖精の様にきらきら輝き、庇護欲をそそる。これはもう、エドガーが守るしかない。
しかし、先程のバーバラへの讃歌を万が一にも聞かれていたら一大事だ。
故に、確認してみたのだが。
「……ああ。さっき、ぶつぶつ小声で何かを呟いていらしたことですか? ついにエドガー様の気が触れてしまったのかと心配になりましたわ」
――僕、死んだのかな。
気が触れてしまったのかとあわあわ心配してくれるなんて、優しすぎる。女神。普通は不審者ばりばりであからさまに怪しい人間がいたら、ゴミでも見る様に後ずさりし、関わりたくないとさえ思うだろう。
それなのに、バーバラはあろうことか案じてくれていたのだ。これを女神と言わず、何と言おうか。天使か。聖女か。
「そ、そうか。いや、少し考え事をしていただけだ。大事はない」
「そうですの? 良かったですわ」
「……だ、……ダリオが待っているんだろう。さっさと行ったらどうだ」
「ええ。それでは、エドガー様。お会いできて、……光栄でしたわ」
完璧すぎるバーバラの辞する挨拶に、エドガーは心の中で満足したまま天に旅立った。今なら安らかな気持ちで天寿を全う出来る。
「……いや、いつもながらエドガー様、酷いですね」
「どうして彼女に対してだけ酷くなるんだろうな」
「それこそバーバラの為せる御業さ♪」
「……嫌な御業だな」
「僕は遠慮したいなー」
アレクとミードの心の底からの拒絶は、しかしエドガーの耳には全く届かない。るるん、と鼻歌でも歌いそうなほどに――実際歌いながらスキップをしている。子供達も「あ、またエドガー様がへんになってる」
「ほんとだー」「ぼくもまねしよー」と楽しんでいる。明らかに悪影響になりそうなことは、シスターが笑顔でストップさせていた。流石育ての親である。
「さて、バーバラを堪能したところで」
「堪能したんだな……」
「子供達の笑顔も見られたし、そろそろ――」
ふっと振り返ったところで、エドガーが不自然に固まる。
バーバラ以外で変な動きをするエドガーに、ロミオ達も訝し気に彼の視線を追いかけ――同じく固まった。
エドガーの視線の先。そこは、孤児院の窓を通して見えるバーバラの姿だった。
彼女の隣には、皿職人であるダリオがいる。十三年も経って成長した彼は、いっぱしの青年になっていた。
そんな彼と語らうバーバラは、笑顔だった。
そう。
柔らかく、優しく、楽しそうにはにかんでいた。
今まで一度も見たことがない、エドガーの知らない笑顔だった。
とても自然だ。貴族の令嬢のものではない。年相応の笑みを、バーバラは浮かべていたのだ。
「……殿下」
ロミオが思わず、といった風にエドガーに声をかける。
果たして、エドガーの反応は。
「――バーバラ、可愛すぎじゃない?」
見事に頭が春過ぎる真顔で真剣な感想に、ロミオ達はどう返すべきか数分ほど迷ったのだった。
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