第九話 天使の家族は神と天使しかいない
そして、バーバラとのデートもとい劇を見に行く当日。
「……バーバラに触れない触れない触れない触れない触れない触れない触れない触れない」
「殿下。どれだけ自分に暗示をかけているんですか。早く行かないとバーバラ嬢が待ちくたびれますよ」
馬車の中で目を閉じ、胸に手を当てて無心で念仏を唱えるエドガーに、従者であるロミオは無表情で言い放った。
エドガーが乗る馬車はもはやバーバラの住む公爵邸の前まで来ている。いつまで経っても降りてこないエドガーに、馬車の前で待ち構えている使用人達は疑問符を浮かべているに違いない。
「わ、分かっている。だが、その、ああ、うん。……バーバラのドレス姿とか……っ。もう死にそうっ! 死んだ! 可愛い!」
「まだ見ていません」
「見なくても分かる! バーバラは! 可愛い! まるで夜空に連れ去られてしまう春の妖精……! 夜空に浮かぶ月さえも普段はあんなに等しく大地を照らしているのに、バーバラの素晴らしき美しさを目の当たりにした途端、『この人しか映したくない。ああ、私は今、この時、彼女に出会うために生まれてきたのだ……っ!』とか言いだしているに違いないよ!」
「殿下。さっさと外に出て下さい。バーバラ嬢が待ちくたびれています」
「ああ、そうだ! バーバラを待たせるのはよく無い! いざバーバラへ!」
時間的には早すぎず遅すぎずな時間に到達したエドガーが、バーバラの美しさ(妄想)に悶えること数分。ようやく平静を取り戻し、努めて冷たい表情に見える様に顔を整えてから扉を開けさせた。
そうして悠然とした足取りで降り、門の前で控えていたバーバラを目の当たりにし。
――やっぱり妖精……っ!
花の様に笑ってカーテシーを披露したバーバラに、無事、エドガーの目と心臓は死んだ。眩し過ぎて目が潰れ、あまりに眩しく光り輝く美の権化に心臓は正しく爆発した。後ろで控えているロミオの目はもはや棒である。
今夜のバーバラの衣装は、パステルブルーを基調とした花の様に裾が広がるドレスだ。ショールを肩から羽衣の様に羽織り、琥珀色の宝石が胸元を飾る。普段はアップにしている桜色の髪も優雅に背に流し、銀の髪飾りがまた彩りにアクセントを添えていた。
まさしく桜の木が空の中で華やかに咲き誇る様にどこまでも広がっている。エドガーは空の中で桜に抱かれた様な尊さに、意識が飛びそうだ。
「殿下。殿下っ。バーバラ嬢にお声がけをっ」
「――はっ!」
背後で刺す様に鋭く注意をしてくるロミオのおかげで、エドガーの意識は無事に空の桜から地上へ戻ってきた。――正直戻るのも口惜しいなどとは、口が裂けても言えない。
「あー、ごほんっ。……バーバラ、……。……うん。僕の隣を歩くのに恥ずかしくはない格好だ」
「お褒め頂き光栄ですわ、エドガー様」
――僕の婚約者、天使過ぎない?
決して着飾った女性に対する言葉ではないエドガーの言い様に、バーバラはにこりとはにかむ。これが天使ではなくて何だというのか。やはり夜空に彼女は渡せない。
心の中で盛大に仰け反り、額に手を当てて天の向こうの神にバーバラを地上に遣わせてくれたことに感謝を捧げていると、彼女の家族が歩み寄ってきた。
「エドガー殿下。今宵は娘を誘っていただきありがとうございます」
「どうか、お二人で良き夜をお迎え頂くことを祈っております」
――この二人も神だな。
全くもって褒められたものではない扱いを娘がされているというのに、にこやかにエドガーに話しかけてくる。貴族の鑑だ。神である両親から生まれたのだから、それはもうバーバラが天使なのは道理である。
おまけに。
「エドガー義兄上」
―― あ に う え 。
何と甘美な響きなのか。
天使の弟は天使。エドガーの心臓はもはや瀕死である。
「本日は姉上をよろしくお願い致します」
「……シリル君。あー、その。……仮にも僕の婚約者だ。もちろん、君の姉君は無事に守り通してこの家に送り届けるよ。一応、婚約者、だからね。義務が、あるから、ね」
「それは疑っておりません。義兄上を信じていますから」
思考が神。
姉を大切にしているかどうかも怪しいエドガーの発言に、迷いなく「信じている」と断言するこの心意気。将来は大物になる。流石は神と天使の家族。両目を片手で覆い、エドガーは天を仰いだ。心の中だけで。
気を抜くと感動でぷるぷる震えそうになる心を奮い立たせ、エドガーは外方を向いて咳払いした。気を抜くと本当に目の前のバーバラの可愛さと美しさと可憐さと優美さと艶やかさに腰が砕けてしまう。
「バーバラ。先に馬車に乗ると良い。僕はその後に乗る」
「はい、エドガー様」
恭しく一礼し、バーバラは華麗に馬車へと姿を消していく。
バーバラに決して触れられないエドガーは、いつも馬車の出入り口のすぐ傍で見守る態勢を取る。万が一、本当に万が一バーバラがバランスを崩して倒れ込んだ時、絶対に受け止められる様に。
その結果、彼女に触れてしまい嫌われてしまっても、彼女が怪我をするよりは万倍も良い。
だが、その心配も杞憂だった。本日も無事に馬車に乗れた。
それを見届けて、エドガー自身も乗り込む。
ぱたんと扉を軽く閉じられる。ロミオは見張りも兼ね、連れてきた馬で並走する。
つまり、今はバーバラと二人きり。
――今、僕は天国という死地にいる。
バーバラのドレス姿など滅多に見られない。パーティには幾度となく参加はしてきているが、バーバラにはなるべく最低限の参加にしてもらっている。彼女に負担をかけさせたくないし、最初の頃はそれこそ男嫌いのリハビリ中で全く参加出来なかったのだ。
現在は時折共に連れ立つこともあるが、それでも王子の婚約者としては圧倒的に少ない方だ。
故に、バーバラのドレス姿もなかなか貴重。
――目に焼き付けよう。バレない様に。
窓の外を見るフリをしながら、エドガーは物凄い執念でバーバラの姿を時折盗み見る。
彼女のささやかな微笑み。流される艶やかな眼差し。ふっくらとした唇。まるで舞う様に輝く桜色の波打つ髪。
何より。
――仕方がないとはいえ、僕のために着飾ってくれているドレスがっ! すうっごい似合ってます! 流石バーバラ! 最高! 可愛い! 綺麗! 褒め称えたい! 骨の髄まで!
今日まで生きていて良かった。
何度も心の中で死にながら、エドガーは生きていることに心の底から真剣に感謝した。
当然、劇場に着くまで無言だったのは、言うまでもないだろう。
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