暗黒のカラス 前編
連邦編その1
対立していた西方連邦が、ギルドのような組織を作りたいと打診してきた。聖王国のザルカス陛下は、その任務をマヤたちに依頼する。
マヤたちが聖王国ザルカスのギルド支部で教官になり、すでに半年が過ぎた。主だった冒険者は、ロウランド王国で実施される上級試験をクリアし、支部全体のレベルも上がった。あの怪しい魔道具店は、いつの間にか消えていた。気になるところではあるが、そろそろ出発の時期が近づいている。
いつものように朝の光で目覚めたマヤは、抱きついているビャクヤの頬にキスをする。
「おーい、起きろ、ビャクヤ」
身体を揺すると可愛い弟の目蓋が開いた。
「うーん、おはようございます、姉上」
「さ、着替えて朝食を摂るぞ」
「ふわーい」
まだ寝ぼけ眼のビャクヤは、ノロノロと寝間着を脱ぐ。マヤは既にいつもの黒装束に着替えて、ビャクヤにブカブカの魔導士服を着せる。
部屋を出ると隣からユキマルも顔を出した。
「おはようございます、姫様」
マヤはユキマルの頭に拳骨を落とす。
「姫と呼ぶな!さあ、朝食にしよう」
「はっ!」
三人は連れだって食堂に移動した。
食堂には珍しいことに、国王陛下のザルカスが上座に座っていた。
「陛下、おはようございます」
三人は揃って礼をする。
「うむ、おはよう。さあ、座るが良い」
三人が席に着くと、メイドたちが料理を配膳してゆく。皆が下がったところで、
「さあ、頂こうではないか」
ザルカスの言葉で朝食が始まった。
「それにしても、珍しいですね、陛下がこちらに来られるのは」
「うむ。いや、何。そろそろカリバーが旅に出たがってるのではないかと思ってな」
ザルカスは直球で攻めてきた。
(やれやれ。食えないお方だ)
「ええ、ギルド支部もレベルが上がったことですし、そろそろ旅に出ようかと思っていたところです」
「姉上!それは本当ですか!?」
「ああ、私が西方に来てからこんなに長く滞在したのはアラハタ村以来だな」
「アラハタ村!姉上が剣術を学んだ村ですね?」
「ああ、久しぶりにみんなの顔も見たいからな」
「ふむ。それは結構なことだが、その前に連邦のラシアンに行ってはもらえんか?」
ザルカスが珍しい提案をしたので、マヤは首を傾げた。
「最低限の交易はあるとは言っても、西方連邦とは基本的に対立しているはずでは?」
「うむ。だが主要国のラシアンの国王であるチープ陛下がこちらのギルドのような組織を作りたいらしくてな。小国が多いとどうしても魔物討伐が後手に回ることが多いので、ワシに打診してきたのだ」
「しかし、連邦にはカインの傭兵がいるのでは?」
「うむ。しかし、連中は高額な報酬を要求するし、それでは気軽に依頼出来ない国も出てくる。そこでラシアンと第二国のライナが出資して、ギルドのような組織を作りたいらしい」
西方でも南に位置する西方連邦は小国が集まった連合国だ。大陸の多くがアトラス教を信仰しているのに対し、連邦ではルトアという神を信仰している。
「しかし、私はかつて自分に成り済ました魔族のせいで、カインの傭兵に狙われた過去がありますが?」
「新国王のチープ陛下は穏健派でな。考え方も柔軟だ。大陸の他国とも仲良くやっていきたいという意向らしい」
正直、断っても良かったが、ザルカスには一宿一飯の恩義がある。遠回りにはなるが、ラシアンに行くのも一興だ。
「分かりました。組織作りの基礎さえ伝授すればよろしいのですね?」
「うむ、やってくれるか?」
「はい、正直、連邦の魔物討伐の仕方にも興味があります」
「よし、決まりだな」
こうして、三人は連邦への特使として派遣されることになった。
ザルカスのギルド支部では、教官たちが去ると聞かされ、肩を落とす者、泣き叫ぶ者が続出して、ちょっとした混乱に陥った。
「わあん!ビャクヤ様に会えなくなるのですか!?悲しいです!」
ビャクヤに抱きついて泣き叫んでるのは、ファンクラブの会長とメンバーたちだった。
「残念ですよ、ユキマル様!いつか、あなたを打ち倒してみたいと思っていたのに!」
剣士のサーベが怒ったような顔で不満を述べた。
「出発は明日だ。希望するなら模擬戦といくか?」
ユキマルの提案に多くの剣士たちが拳を突き上げた。
「よし、俺はユキマル様に一太刀でも浴びせてやるぜ!」
みんながゾロゾロと修練場に向かって移動を始めた。
そして、数少ない女剣士はマヤに懇願した。
「カリバー様!わたくしたちにも是非、お手合わせを!」
「良いだろう。ビャクヤ、魔法使いたちも連れてこい」
「分かりました、姉上!」
こうして、夕方までみっちりと模擬戦が行われたのだった。
そして、夜は支部内にある酒場で宴が催された。冒険者のみんなは怪我だらけになりながらも、笑いながら酒を片手に談笑している。
「それにしても、良くみんなここまでレベルが上がったな。教官として鼻が高いぞ」
マヤも今夜ばかりは遠慮無く酒を煽っている。
「それは、何と言っても、カリバー様とユキマル様のお陰ですよ!」
「俺も一時期、低迷してましたが、上級試験に合格しました!ありがとうございました!」
今やザルカス支部のエース的存在になったディーンが涙を滲ませて頭を下げる。
「それは諦めなかったお前の実力だ。もっと誇って良いんだぞ」
「カリバー様・・・」
ディーンは泣き上戸で、手を顔に当てて涙を流している。
「もう、情けないわよ、ディーン」
「そうだぞ、教官たちを笑って送り出そう」
パーティーメンバーのクラリスとザクが、ディーンの肩を抱いて叱咤する。
「ビャクヤ様!せめて思い出にキスをください!」
酔っ払ったアイナが、ビャクヤの身体にすがりついて、顔を近づける。
「ひゃあ!止めてよ、アイナ!キ、キキキ、キスなんて!」
「あ、会長だけ狡いです!私もお願いします!」
「あたしも!」
「わたくしも!」
「わあー!姉上、助けてください!」
ビャクヤの小さな身体は、ファンクラブの連中が覆い被さって見えなくなっている。
「良い機会だ!この際キスに慣れておけ!」
「そ、そんなー!?」
「こんな賑やかさとも、しばらくお別れですな」
ユキマルがワインを片手に隣に立つ。
「ああ。立つ鳥跡を濁さずと言うからな。お前も誰かとキスでもしてきたらどうだ?」
「な、何を仰るのですか、姫様!?」
ユキマルの頭に拳骨が落ちる。
「姫と呼ぶな。知らないだろうが、お前のファンクラブもあるんだぞ」
「は、初耳ですぞ!」
「ああ、秘密にしてくれと頼まれてたからな。さあ、行って来い」
「じょ、冗談ではありません!私はマヤ様一筋ですゆえ!」
その言葉にマヤは一瞬、キョトンとして、あっという間に顔が真っ赤になった。
「な、ななな、何を言ってるんだ、お前は!」
「初めて会った時から、この人以外に仕えるお人はいないと思ってました!」
次の瞬間には、ユキマルは身体中の経絡秘孔を殴られて、床に伸びてしまった。
「一体どうしたのですか、カリバー様!?」
冒険者たちが恐る恐る、お伺いを立てる。
「いや、なんでもない!ユキマルのやつ、口ほどにもないな。あっさり酔い潰れるとは!」
マヤは一気にワインを煽って、お代わりを貰いに場を離れた。
「今のカリバー様の動き、全く見えなかった」
「やはり、カリバー様のほうが腕が立つようだな」
ファンクラブの女性たちがユキマルを介抱してるのを見て、なんとなくイラッとしたマヤは、更に杯を重ねた。
城に戻ると執事のロイドが出迎えた。
「おや、ユキマル様はどうされたのですか?」
「宴で呑みすぎて潰れてしまった。悪いが部屋まで運んでやってくれ」
「かしこまりました」
従者たちがやって来て、手際よくユキマルを運んでゆく。キスの嵐で気を失ったビャクヤは、マヤが抱いて部屋まで運んだ。
(全くユキマルのやつめ!すっかり調子が狂った)
自室に辿り着くと、ビャクヤの服を脱がし、自らも全裸となって風呂に入った。
意識のないビャクヤの身体を洗ってやり、自分も汗を流すと、浴槽には浸からず風呂を出た。ようやく髪をタオルで拭き取るとベッドに入り込み、眠りについたのだった。
翌日、朝食の後、荷造りを済ませて馬車乗り場に向かう。
「うー、姉上。僕はもうお婿に行けません」
意気消沈しているビャクヤ。ユキマルも身体を引きずるようにして歩いている。
「姫様、少しは手加減をしてください」
そんなユキマルの頭に拳骨を落とす。
「姫と呼ぶな!全くお前が下らないことを言うから・・・」
「下らないとは心外です!不肖、このユキマルは!」
「それ以上言うと真剣で食らわすぞ」
マヤの手が刀の柄に置かれているのを見て、ユキマルは慌てて口を閉じた。
馬車乗り場には、ザルカス国王陛下と執事のロイド。聖騎士団長セイブと魔導士のルーアが見送りに来ていた。
「みなさん、長い間お世話になりました!また会う日までお別れです!」
三人はザルカス陛下の前で片膝をついて別れの挨拶をした。
「うむ。また会うこともあろう。それまでの間、さらばだ」
「カリバー殿、次は是非、お手合わせを」
「ビャクヤ様、あなたなら滅多なことにはならないでしょうが、道中、お気をつけて」
「またのお越しをお待ちしております」
国の重鎮たち全員に見送られ、マヤたちは馬車に乗り込んだ。
「それでは、お元気で!」
馬車が走りだし、マヤは手を振って別れを惜しんだ。
王都を出てハルトの街道をひた走る。三人はボードゲームで暇を潰していた。
「連邦までは二日ほどですか」
ユキマルは盤上の駒を動かしながら、何気なく口にする。
「うむ。その後に辺境伯の領地を通らねばならないがな」
「辺境伯って何ですか、姉上?」
「国交を結んでない国との境には、辺境伯という貴族が、万の兵士を常駐させて、不足の事態に備えているんだ」
「連邦はまだ多少の交易があるから、それほどでもありませんが、帝国との国境にいる辺境伯は大変でしょうな」
「帝国って話には聞くけどどんなところなのかな?」
ビャクヤの素朴な疑問に、マヤが答える。
「頂点に立つ皇帝を殿上人と崇めてる、それなりの国力がある国だ。異国とは交わらず、それどころか、侵略行為を起こす危険がある、問題の多い国だ」
「そこは旅が出来ないんですね?」
「ああ、異国人が入ったりしたら、たちまち討伐されるぞ」
「色んな国があるんですね。これからの旅でどんな経験が出来るか、今から楽しみです!」
それから二日後、長く伸びる塀が見えてきた。
「あれがフィート辺境伯が納めている領地だな」
馬車は門の前に乗り付け、衛士に通行証を見せている。程なく門が開き、馬車は領地の中に入った。堅牢な建物がいくつも作られ、戦になっても耐えられる仕様になっている。連邦側の門まで三十分はかかった。中々の規模だ。そして、多くの兵士を連れた身だしなみの整った初老の人物が待っていた。
「よくぞ、来られた。お客人。連邦は野蛮な輩もおるようなので、どうぞお気をつけて」
慇懃な態度ではあるが、その目から、こちらを軽んじている様子が伺える。
「ご忠告、感謝します。この領地に連邦が攻めてきたら、我々が救援しますゆえ」
馬車から降りたマヤとユキマルは、お返しに慇懃無礼な言葉で応える。
フィート辺境伯のこめかみが歪む。そして、兵士の中でも腕の立ちそうな男が前に出た。
「ほう、それは有り難い。だが、異国人のあなた方の手を煩わせる必要などない」
「大した自信ですな。その腕のほど、是非とも拝見したいものですな」
「良いとも」
プレートメイルに身を包んだ兵士は、剣の柄に手を置いた。
「マヤ様が出る必要もありません。私が出ます」
ユキマルは一歩前に出て、兵士と相対した。
「行くぞ!」
兵士は剣を抜くと斬りかかって来た。しかし、ユキマルは既に背後にいた。
「影縫死斬!」
「なっ!?」
ユキマルは相手の剣を弾いて、喉元に剣を突き付けた。
「それまで!もうよろしいかな、フィート殿。我々の腕前に納得して貰えたと思いますが?」
全くユキマルの動きが見えなかった、辺境伯と兵士たちは呆気に取られていた。
「あ、ああ、勿論!門を通ってくだされ」
辺境伯は己れの認識が間違っていたことを悟り、後は丁寧に門から送り出してくれた。
「ふん、ザルカスの貴族や兵士まで侮っていたとは。存外、我々の存在も知られてないようですな」
「まあ、そんなものだ。人間ってやつは、自分の目で確かめないと気が済まないものなんだ」
マヤは幌の窓から外を眺めながら、ため息混じりに馬鹿げた腕比べの感想を述べた。
連邦の主要国、ラシアンの王都まで間近に迫った時、鳥の不吉な鳴き声を聞いた。
(この鳴き声は・・・)
マヤは幌馬車の後ろから空を仰いだ。すると、黒い大きな鳥が建物の上に並んで留まっている。
「カラスか。こんな西方の南にもいるのだな」
「カラスとは不吉ですな。知能が高く悪食で有名です」
「カラスって黒くて使い魔のイメージがありますよね、姉上」
「そうだな。まあ、野生のカラスなら脅威でも何でもないけどな」
ラシアンの城に辿り着き、馬車乗り場で三人は荷物を持って馬車を降りた。すると、護衛を連れた貴族が待っていた。
「ようこそ来られました。私は公爵のアルガです。こちらへどうぞ。国王陛下がお待ちですので」
公爵といえば、王族の次に偉い爵位である。その公爵自ら案内役をするとは、ギルド設立の件はかなり本腰を入れている証明でもある。
流石にロウランド王国や聖王国ザルカスに比べると、慎ましい城であったが、それでも広大ではある。マヤたちは城の隣の迎賓館に案内された。渡り廊下で城と行き来出来るようだ。
「客室は十分にあるのでお好きな部屋を。後程、国王陛下に謁見していただきますので」
アルガ公爵は丁重に礼をして去っていった。
「姉上!天蓋付きのベッドがありますよ!ここにしましょう!ユキマルは隣ね!」
ビャクヤは荷物を放り出すと、早速ベッドにダイブしていた。
「あまり、はしゃぐなよ、ビャクヤ。この後、国王との謁見があるからな」
マヤは荷物を机の上に置き、部屋を見渡した。十分な広さであり、国賓級のもてなしと言えよう。
廊下でユキマルと落ち合い、城に向かって歩いてゆく。廊下にも絨毯が敷き詰められ、非常に歩きやすかった。謁見室にはアルガ公爵が既に控えており、玉座の前まで案内される。
その時、不愉快な視線を感じて振り向くと、帯刀した目付きの悪い男がこちらを睨んでいた。
「カインの傭兵の頭目で、カリウスと言います。魔物退治の専門家なので、今回ご意見番として城に招きました」
公爵が小声で説明してくれる。
(なるほど。他国の冒険者の実力を計ろうという気か)
銅鑼が鳴らされ、国王陛下がゆったりと現れた。玉座に座ると、口角を上げた。
「ようこそ、隣国の友人諸君。余が国王のチープである」
マヤたちは片膝をつき頭を垂れた。
「そなたたちの名を聞かせてもらいたい」
お許しが出たのでマヤが口を開く。
「私は煙幕のカリバーです。隣は弟で魔導士のビャクヤ、最後は剣士のユキマルです」
「おう、そなたが煙幕のカリバーか。大陸中に名を馳せておるとか」
「いえ、大したことではありません。貴国の剣士にも名を馳せてる者はおりましょう」
「その通りだ、煙幕のカリバー」
応えたのは、後ろで片膝もつかず、突っ立ったままの男だった。
「カリウスよ。そなたの発言は認めておらんぞ」
にこやかだった国王陛下が、表情を厳しくして諌めた。
「ですが、陛下。連邦の魔物退治はカインの傭兵がやってます。今さら他国の者に協力を仰ぐ必要などないのでは?」
「お前たちは総勢で二十人にも満たないではないか!それに要求する報酬も高額過ぎる!それでは小国の中で依頼することも出来ない国もあろう!」
「我々は命懸けで魔物と戦ってます!報酬が高くつくのも仕方ないのでは?」
不遜な男は覚めた目をマヤたちに向ける。
「ギルドは報酬の払えない貧しい村をも救うため、相互補助のために組織を運営しております!その財源は国庫から払われますが、それにより魔物の速やかな討伐と、冒険者たちの生活も保証されます!非常に理にかなったシステムなのです!」
マヤは国王に進言しながら、カリウスにもギルドの有用性を主張した。
「ふむ。聞いた限りでは非常に素晴らしいシステムだ。カリバー殿。この連邦にも剣や魔法に優れた者はいる。是非ともギルドの創設のために力を貸して欲しい!」
「御意!」
マヤは改めて頭を垂れる。国王も我慢の限界のようだから、早く退出願いたい。
国王陛下が退出すると、公爵がカリウスを睨んだ。
「どういうつもりだ、カリウス!ギルド創設は陛下のご決定だ!不敬罪で牢に入りたいのか!?」
「公爵。俺たちは自分の既得権益を守りたいだけですよ。ギルドなんざが創設されたら俺たちはおまんまの食い上げだ!」
「お前たちも冒険者になれば良いではないか!」
「セコい稼ぎのために命を張れと?ゴメンだね」
退出しようとするカリウスを、マヤは呼び止めた。
「待てっ!」
足を止めたカリウスは首だけで振り返った。
「何か用かい?お嬢さん」
マヤたちは立ち上がると、カリウスのつり目がかった瞳を捉えた。
「それだけ大言壮語するんだ。一度、そちらの魔物退治を見学させてはもらえぬか?」
「ああん?」
マヤの鋭い視線を真っ向から受け止めたカリウスは、不意に笑いを漏らした。
「こっちの手の内を見ようってのか?良いだろう。ちょうどラビアで魔物退治の依頼を受けてたんだ。明日の昼にラビアとの国境付近に来な!」
吐き捨てるように言うと、カリウスは謁見室から退出した。
「失礼、カリバー殿。不快な思いをさせたようで」
「いえ、異国人であり女である私は、舐められるのには慣れています。明日が楽しみですよ」
公爵はその発言をどう受け止めたのか、ハンカチでしきりに額を拭っていた。
迎賓館の宿舎は豪勢だった。浴場の湯船が広いので、泳いではしゃぐビャクヤを叱りつけるくらいだ。
ようやく大人しくマヤの胸に背中を預けたビャクヤは、不満そうな声を上げた。
「それにしても失礼なやつでしたね、あのカリウスってやつ!」
「うむ。お前から見て魔力量はどうだった?」
「大したことはありませんよ。ザルカス支部のみんなのほうが、よっぽと優れてます!」
「ここは魔王領のセイタンズから最も遠いからな。あまり魔族も現れないのかもしれないな」
「だとしたら、井の中の蛙ですね!鼻っ柱をへし折ってやりましょう!」
この可愛い弟がここまで悪し様に罵るとは、あのカリウスというやつは悪役にピッタリだ。
風呂から上がると、マヤはビャクヤの長い髪をタオルで拭いてやる。ビャクヤもタオルを手に、マヤの髪を丁寧に拭いてゆく。
「さあ、姉上!天蓋付きのベッドで寝ましょう!」
ベッドにダイブしたビャクヤは気持ち良さそうに、枕に顔を擦りつけている。
「よし、寝るか。明日は隣国まで行かねばならないからな」
「そんなの、絨毯ならひとっ飛びですよ!」
「馬車で移動するのが旅の醍醐味なんだぞ。まあ、明日は待ち合わせだから絨毯でも構わないがな」
マヤは抱き付いてくる弟の頭を優しく撫でながら、明日が来るのを待ち遠しく感じた。
(連邦の剣士や魔法使いのレベルはどの程度か、見極めてやろう)
気がつくと、ビャクヤは既に夢の中だった。
「ふふ、おやすみ」
マヤはビャクヤの頬に口付け、ランプを消して枕に頭を預けた。
翌朝、迎賓館の食堂で朝食をいただいた。北に比べると煮込み料理が多い。南なのに冬は豪雪に見舞われる、連邦ならではの食事だった。
朝食を終えた頃、アルガ公爵がやって来てラビアへの入国証を渡してくれた。
「馬車ではどのくらいかかりますか?」
「そうですね。馬車だと四時間ほどかと」
「それだと遅刻するかもしれませんね。では、私たちは空を飛んで行きます」
「飛行魔法ですか?しかし、ビャクヤ殿は魔導士ですが、剣士であるあなたたちは、どうされるのですか?」
「私の弟は優秀な魔導士なのですよ」
首を捻る公爵を伴い、迎賓館の庭まで移動する。そこには北では見られない、珍しい花もあった。
「さて、ビャクヤ、頼む!」
「はい、姉上!フライヤード!」
ビャクヤの詠唱で赤い絨毯が出現する。
「空飛ぶ絨毯ですか!?話に聞いたことはありますが、こちらでは珍しい魔法です!」
公爵は驚いて、興奮したように捲し立てた。
「一度に大人数が乗れるので、重宝する魔法なんです」
弟の魔法だが、マヤは何だか鼻が高くなった。三人が乗り込むと絨毯は緩やかに浮き上がった。
「それでは行ってきます!」
「どうぞ、お気をつけて!」
公爵は手を振って見送ってくれた。絨毯は高度を上げ、一路、東に向けて飛んだ。
異国の街並みを、興味深そうに見ていた三人だったが、いつの間にかカラスたちが並走してることに気付いた。
「カラスは編隊飛行するような鳥だったか?」
「さあ、私も寡聞にして聞いたことがありませぬ」
カラスたちはすぐに離れていったが、何だか不吉の前触れのような気がして、マヤは刀の柄に手を置いた。
二時間ほどの飛行で隣国ラビアの国境まで辿り着いた。地上には三人の荒くれ者たちが、物珍しそうに絨毯を眺めていた。地上に降り立つと、昨日会ったカリウスと、何だか見覚えのある男女が立っていた。
「なんだ、見覚えがあると思ったら、貴殿たちか」
以前、マヤに成り済ました魔族がラシアンの国王を暗殺し、逃亡したのを追って来たのがこの二人組だった。
「へえ。北じゃ移動に絨毯を使うのか?なかなか便利そうじゃねーか」
男のほうはガタイの良い剣士で、名はグラシャ。伝統的なホウキの杖を持つ女が魔法使いのラボラスだ。
「久しぶりだねえ。しかし、なんだい、そのお子様は?」
ラボラスの言葉にビャクヤは憤慨した。
「お子様って言うな!僕は魔導士のビャクヤだ!」
「へえ、北ではこんなお子様でも魔法使いになれるのかい?随分と甘々だねえ」
ラボラスの挑発にビャクヤはいよいよキレそうになるが、
「いい加減にしろ、お前ら!今日は北からの特使様たちに、俺たちの実力を見ていただくんだぜ!」
カリウスはあえて丁重な言葉を使ってるが、一番マヤたちを侮っているのはこの男だろう。
「さて、それでは行こうか。特使の方々」
カリウスが先頭になって、ラビアの国境を越える。連邦に属してる国々は、あまり国境の横断に気を使ってないようで、衛兵のチェックも簡単なものだった。
しばらく歩くと、質素な街の中に入った。建築物を見ても随分古い物ばかりで、貧しい国であることが分かる。そして、カリウスたちは教会らしき建物に入ってゆく。確かこちらではルトアという神を信仰してたはずだ。
「邪魔しますぜ、神父さん」
カリウスは黒い神職の衣装をまとった人物に声をかけた。
「おお、カリウス殿。早くあの悪魔を何とかして欲しい!犠牲者が毎日出て、教会の威信も落ちている!」
「まあ、そう慌てなさんな、神父さん。今日はザルカスからの特使様たちがいるから、俺たちも張りきって魔物退治をしてやるさ」
余裕の表情を崩さないカリウスだったがその時、外から悲鳴が聞こえた。
「きゃあー!」
「ま、また黒い悪魔が現れたぞ!」
「助けてくれー!」
カリウスは首を鳴らして口角を上げた。
「おいでなすったか」
カインの傭兵の三人は余裕たっぷりに教会から出ていった。
「それでは、お手前拝見とするか」
マヤたちも後を追って教会を出たが、空に巨大なカラスが飛んでいた。しかも一羽だけではない。住人を口に咥えた巨大カラスは、群れで現れたようだ。
「ちっ、グラシャ!」
「おうっ!」
何らかのスキルを使っているのだろう。グラシャは空中を駆け上がってカラスに剣を振り下ろす。
「グラゾール!」
ラボラスはホウキの先から光の帯を発射する。巨大カラスたちは目標をカリウスたちに変えて、襲いかかってゆく。
「けっ、この害鳥が!根絶やしにしてやるぜ!」
滑空して襲いかかってくる巨大カラスを、カリウスは一刀両断した。かに思えたが、カラスの身体が大量の普通サイズのカラスに変わった。
「なにっ!?」
集団で襲いかかってくるカラスの群れを、カリウスやグラシャが剣で斬ろうとするが、それをすり抜けてくちばしを突き立てる。
「いててっ、くそったれ!ラボラス!次元断層だ!」
ホウキに股がって宙にいたラボラスは空間をねじ曲げ、次元断層を作り出した。
「さあ、一羽残らず異世界に行きな!」
群れの一部が断層に吸い込まれたが、多くは取り込まれることなく、ラボラス目掛けて飛翔する。
「ええいっ、もう一つ断層を作って・・・がはっ!」
ラボラスの後ろに現れた、黒尽くめの美少年が、片手でラボラスの首を締め上げた。
「な、なんだ、あの野郎は!?」
「頭目!俺に任せてくれ!」
グラシャが宙を走って剣を振り上げる。しかし、そこに数十羽のカラスの群れが巨大な剣のようになり、グラシャの胴に突き刺さった。
「ぐはあっ!」
空から降ってきたグラシャを、ビャクヤの絨毯が受け止めた。
「なっ!?お前ら、何のつもりだ!俺たちの仕事だ!手を出すな!」
カリウスが吠えるがビャクヤは半眼になって呆れている。
「放っておいたら、その剣士は地面に叩きつけられて、死んでたかもしれないよ」
「ちっ、この小僧!利いた風なこと言ってんじゃねえ!」
「千里一刀!」
マヤの飛ばした斬撃が、ラボラスの首を絞めている美少年に向けて飛ぶ。
「むっ?」
美少年はあっさり手を放して斬撃をかわすと、近くの建物の屋根に降り立った。落ちてきたラボラスはユキマルがキャッチする。
「むう、てめえらの手は借りねえ!余計な真似をするな!」
カリウスが激昂して怒鳴るが、マヤはそんな愚か者を半眼で見つめた。
「じゃあ、これからどうする?貴殿一人であの魔族を倒せるのか?」
「魔族!?魔族ってなんだ!」
それを聞いて、マヤの抱いていた違和感の正体が分かった。
「そうか。連邦では今までオーガやゴブリンみたいな魔物しか現れなかったんだな」
「だから、魔族って何だよ!」
カリウスが怒鳴った時、カラスの集合体が、背後から迫っていた。
「話は後だ!」
ユキマルはカリウスを突飛ばし、刀を抜いた。
「百花爆裂!」
ユキマルの一太刀で、数百羽のカラスが羽根を散らして地面に落ちた。
マヤは建物の屋根にいる美少年に呼び掛ける。
「私は煙幕のカリバーだ!お前も名乗るが良い!」
「カリバーだと?ちっ、入り込むのが遅かったか」
美少年は吐き捨て、改めてマヤを見据えた。
「俺は魔王軍の幹部、暗黒のクロウズだ」
クロウズは口角を上げて、そう名乗った。
西方連邦は魔物は出現するが、魔族は過去に一度だけ現れただけだった。魔王領のセイタンズから遠いのがその理由だけど、お陰でカインの傭兵は井の中の蛙と判明しました。マヤたちはクロウズと戦闘も控えているが、果たしてギルドの連邦支部は創設されるのか?次回作をお楽しみに!