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それから一週間後。
アデルの元に、この国で最も力を持つエナン公爵家から婚姻の申し入れが届いた。
父の書斎へ呼び出されたアデルは、意味が分からず落ち着かない。
笑顔の父の隣には、継母が苦虫を噛み潰したような顔で座っていた。
思いがけない知らせに戸惑っていると、マリエルが勢いよく部屋へ飛び込んできた。
「エナン公爵家から婚約の申し込みがあったんですって!?」
廊下を駆けてきたのか、息を弾ませている。
マリエルは瞳を輝かせ、興奮を抑えきれない様子でまくしたてた。
「やだどうしよう! ドレス何色がいいかな!」
浮かれるマリエルに、父は静かに首を横に振った。
「違うよマリエル。書状にあるのはアデルの名前だ」
「えっ?」
「これは、アデルへの申し出だよマリエル」
「どうして? お姉さまは一度しか社交界に出ていないのよ。そんなはずないわ!」
「公爵家が取り違えるはずがない」
「だっておかしいでしょ!」
父の冷静な言葉に、マリエルは食い下がった。
いつもなら『平民の血がー』と口にするところだが、父の前ではそれを言えないのでもどかしそうだ。
「そうだわ! エナン公爵の長男ってパーティには全然来ないの。きっと、わたしの噂を聞いてお姉さまと間違えてるのよ!」
「話を聞きなさい、マリエル」
「やっぱりドレスを用意しなくちゃ!」
「マリエル!」
父の声を振り切り、マリエルはアデルを睨みつけて廊下へ飛び出していった。
大きく開け放たれた扉を、父は呆然と見つめている。
その傍らで、継母がわずかに顔を歪めた。
「まぁ……マリエルったら」
ぽそりと呟くように言いながら、継母はゆっくりと立ち上がる。
ドレスの裾を整え、何も言わずにマリエルの後を追うように部屋から出ていった。
「はぁ……すまないアデル」
静まり返った書斎に、父の疲れたような声が響く。
「ううん大丈夫。でもどうして私なのかしら? 本当にマリエルと間違えたんじゃ……」
アデルの言葉に、父は小さく首を振った。
その表情はどこか優しい。
「それはないよアデル。エナン公爵夫人は、お前の母『セレスティーヌ』の親しい友人だった人だ」
「お母様の?」
「ああ。お前が生まれた時も一番に駆けつけてくれた。とても喜んで、本当に心から祝福してくれたんだよ」
父は懐かしそうに目を細めた。
アデルはふと、リオンの母も自分の母と親しかったという話を思い出していた。
「悪い話じゃないよ、アデル」
「あの……お父さま。お相手のお名前は?」
「ああ、まだ言ってなかったな。リオネル・エナン様だ」
「リオネル……」
その名前の響きに、アデルの胸が高鳴った。
リオンとよく似ている……。
ありえないとわかっているのに、息苦しいほど心臓が跳ねる。
「大丈夫だアデル。お前はいい子だ。それにエナン公爵夫人の息子なら、きっと立派な青年に違いない」
父はアデルをそっと抱き寄せると、公爵家からの書状を手渡した。
そこに刻まれた「リオネル・エナン」という名前に、アデルはやはりリオンのことを考えずにはいられない。
リオン……。
彼のことは、ただの貴族の青年としか知らない。
剣の稽古の帰りに教会へ立ち寄り、皆から「リオン」と呼ばれる優しい青年。
アデルもまた、教会ではランベール侯爵家の長女ではなく、ただの「アデル」としてそこにいた。
この一週間、心にぽっかり穴が空いたような日々が続いていた。
リオンのことが好きだと、あらためて思い知らされていた。
そんな矢先、公爵家からの縁談。しかも、相手の名が「リオネル」。
都合が良すぎる、自分でもそれはわかっている……。
それでも、心のどこかで願わずにはいられなかった。




