06.殿下、それはテレビ会議です
月火水木金、土日を挟んでまた繰り返す。
大手企業を親組織として持つ現在の会社に転職して、はや三年が経とうとしている。テクノロジーの恩恵を受けて在宅勤務が可能になったのは良いものの、テレビ会議では全員の顔が見えるように映像のスイッチをオンにする、という考え方はどうだろうと思っていた。
いかにも、中堅管理職のおじさんが言い出しそうな提案ではあるけれども。
『それで、ええ~っと、来週から夏季休暇に入るから各自まあ、羽を伸ばしすぎずにね。節度のある行動を…』
小学校における長期休み前の全体集会よろしく、当たり前のことを大真面目な顔で話す上司を見つめた。今年の初めに異動してきたばかりのこの男は、係長という役職に相応しく、いつもソワソワと上位評価者の機嫌を伺っている。
各自が適当な返事を返すのを確認して、画面越しに男は私の名前を呼んだ。
『そうそう、森永さんは実家帰るの?』
「え?」
いきなりのプライベートな質問に驚く。
『篠崎係長~ダメですよぉ、未婚の女性がみんな長期休暇に実家に帰るなんてイメージの押し付けです!』
『あはは、だって毎回いただくお土産が同じだから』
『森永さんだって在宅で働いている間に、素敵な殿方の一人や二人連連れ込んでるかもしれませんよ~!』
ドッと笑い声が聞こえて、私は今すぐこの会議から抜け出したい気持ちになった。未婚の妙齢女性に対するハラスメントなんて、今時やってるのはうちの会社ぐらいではないか。
なんと返せば良いか思いあぐねていたら、後ろから何かが落下する大きな音がした。目だけ動かして音の出処を確認すると、僅かに開いたスライドドアの向こうで、ロイが驚愕した表情を浮かべていた。その足元には、麦茶の水溜まりが広がり、割れたグラスが転がっている。
ジェスチャーだけで声を出すなと伝えると、コクコクとロイは頷いた。
『なに?なんか今すごい音したよ?』
「……あ、大丈夫です。猫がグラスを倒して…」
『猫?森永さん猫ちゃん飼ってるんですか?』
「ええ、まあ最近拾って……」
『ダメだよ~!一人暮らしで動物飼い出したら孤独死まっしぐらだってネット記事にも書かれてーーー』
「あ!すみません、Wi-Fiの調子が…!」
長引きそうな話に迷わず終了ボタンを押した。
ベッドの上から降りて、ロイに向き直る。そもそも私が不安定なベッドの上で仕事をしなければいけないのも、この迷惑な王子のせいなのだけれど、猛暑の中で外に放り出すのも気が引けるし、この世界を知らない彼が何かトラブルに巻き込まれるのも心配だった。
「なに?テレビ見てたんじゃないんですか?」
強い口調で責めると、ロイはバツが悪そうに下を向いたままボソボソと話し出した。
「いや…お前がずっと引きこもって出て来ないから、休憩がてらにお茶でもと思って……」
「お気遣いありがとう。それでなんで落としたの?」
「その箱には悪霊が棲んでるのか…?」
ロイが真剣な顔で指差すのは私のベッドの上に開きっぱなしにしたノートパソコン。予想の斜め上をいく彼の答えに吹き出しながら、パソコンの説明をしてあげた。
既にテレビを使いこなしている彼は、どうやらパソコンも素直に受け入れられたようで「小さいくせにすごい」としきりに感心して褒め出した。
「でも、あれだな、お前の仕事仲間はどうやら結構なクソ揃いみたいだ」
「へ?なんで…?」
「困ってただろう、質問されて」
「………、」
図太く鈍感なくせに、こういう時だけ変に勘付くのはやめてほしい。私は内心彼の洞察力を毒突きながら、割れたグラスの破片を拾いに掛かった。
イルカの模様が入ったこのグラスを買ったのはいつだったか。たぶん前の会社で働いていた時、短い間だけど付き合っていた男の子と、水族館に行った記念に買ったのだ。あの時はまさか自分が三十路を超えてお一人様ライフを満喫しているとは思わなかった。
「……っ!」
考え事をしていたせいか、鋭利な破片が指先を切った。赤い血が滲み出てくる。こんなことなら、もっと早くに捨てておけば良かったと後悔しながら立ち上がると、ロイの手が私の手首を掴んだ。
「メイ、怪我してる」
「見れば分かります。そこを退いて……ちょっと、」
あまりにも自然なモーションでロイは私の指を口に含んだ。チュッと吸われるとゾワゾワと背中の毛が粟立つような感覚を覚える。
それは、長い間忘れていた熱を呼び起こすような。
「何してるんですか!離して…!」
「消毒だよ、血が出てたから」
「貴方は吸血鬼ですか!?」
「いや、俺はシルヴェイユ王国の皇太子だ」
馬鹿真面目に答えるロイを押しやって、洗面所へ逃げた。心臓がバクバクする。異世界から来た、あんな白タイツ変態男にときめくなんて、どうかしている。
そうだ、最近乙女ゲームをプレイしていない。
きっと癒しが足りていないせいだ。