04.殿下、それは扇風機です
上下を着替えたロイはどこからどう見ても、完全にこの世界に馴染んでいた。彼の目を盗んであのヤバいコスプレ衣装を処分しなければ、と考えながら私は新しい麦茶のパックを探す。
ロイはというと、忙しなく動く私の背後で某猫型ロボットが活躍する映画に真剣に見入っていた。動画のサブスクリプションサービスに登録しているので、これで暫く彼も飽きることはないだろう。
「こいつ……猫のくせに魔法が使えるなんて…」
薄らと涙ぐみながらテレビに語り掛けるロイに少し心配になった。
土日になったら、ゆっくり彼を元の世界に戻す方法を考えるとして、今日はまだ木曜日。明日一日いったいどうすれば良いだろう。幸い在宅勤務を許されている状況なので、家で彼の世話をすることは出来るけれど、私が仕事をしている間は可能な限り静かにしてほしい。子供向けアニメ特集だけで、はたして乗り切れるだろうか。
「そろそろ眠ろうと思うんですが」
「……おう」
「お風呂入りますか?」
「……おう」
テレビから目を離さないその背中に腹が立ったので、リモコンを押して無理矢理猫型ロボットを消し去った。ショックを受けた顔で振り向いたロイを見下ろす。
「場所と使い方を教えるので付いて来て」
「なんだよ、俺はまだあいつの冒険の続きを…」
「ここは私の家ですよね?」
「…………」
渋々立ち上がるロイを風呂場へと押して行った。
今更だけれど1LDKを借りていて大正解だったと思う。一人暮らしだからと間取りを1Kにするべきか悩んだけれど、たまたま手軽な価格で目玉物件として出ていた今の家は、なんとスライドドアで仕切れば1LDKになる優れもの。
家族や友人が泊まりに来ることを見越しての1LDKだったけれど、住み始めて二年経つが初めて迎えた客人が異世界からの変人だなんてかなり虚しい。
「ここがお風呂です」
「せまっ!」
大声で驚くロイを睨み付ける。仮に本当に王子だとしたらその落差に目を見張るのも仕方ないが、彼はあくまでも客人。私の家の風呂を借りる立場なのだから、文句を言う権利はないと思う。
「こっちに捻るとお湯で、こっちはお水です」
「………?」
「出来ます?」
「…まあ、だろうな」
曖昧な返事に疑いを覚えつつ、とりあえず新しい下着とタオルを渡して再びロイを押し込んだ。耳を澄ましていると、すぐにジャーッというシャワーの音が聞こえてきたので、なんとか上手く出来たようだ。
就寝用にエアコンの温度を26度に変更しながら、リビングのソファを倒してソファベッドに変形した。便利だと思って買ったけど、いざ寝てみたらイマイチしっくりこなかったので放置気味だったソファベッド。晴れて日の目を見て、ベッドとして使用できそうだ。
ロイはリビングで寝させて、私は隣の洋室で。
まあ、果物ナイフぐらい枕下に用意すれば大丈夫だろう。
「おい!出たぞ!」
横暴な王子様の声が飛んできたので慌てて洗面所へ引き返した。
「まあまあ、良かった。ところで俺の部屋はどこだ?」
「先ずはその濡れた頭を乾かしてください」
ロイの足元には早くも水溜りが出来つつある。手に持ったタオルをぶん取って、頭をワシャワシャすると大きな犬は大人しくなった。
急に黙りこくるロイを不気味に思いつつ、リビングまで引っ張って行ってソファベッドの上に座らせた。
「今日はここが貴方の寝床です」
「ん?」
「え?」
「お前はどこで寝るんだ?」
「私は隣の部屋です。何かあっても起こさないでください」
「いや、そこは起きろよ」
異論を唱えるロイを放置して、新しい歯ブラシセットを探しに向かった。確か旅行先のホテルで貰ったやつが一つあったような、なかったような。
(………あった!)
詰め替え用のボディーソープなどを収納したストックケースから、袋に入った簡易的な歯ブラシセットを発見した。短期間泊めるだけだし、とりあえずこれで良いだろう。
部屋に戻ると、くるくる回る扇風機の前でロイは真剣な面持ちをしていた。
「どうしました?」
「……これはいったい…」
「ああ、扇風機です。冷たい風が出て来ます」
「風を操る魔法使いか…?」
「え?」
顔を近づけるロイを慌てて静止する。回転する羽根に髪が巻き込まれると恐ろしいことになると注意すると、ロイはハッとしたように表情を変えた。
「冷風で人々を油断させて破壊するパターンか?」
「たぶん違うと思いますけど、」
付き合い切れないので、とりあえず歯ブラシを渡して「寝る前には歯を磨かないと虫歯になる」と伝えた。どうやらそれは彼も既知の事実だったようで、頷きながら受け取ってくれた。
やや心配は残るけれど、明日も仕事なので私もシャワーへ向かう。今日はなんだか色々あってひどく疲れたし、よく眠れそうだ。シルヴェイユ王国の王子が凄まじいイビキを立てないと良いけれど。