17.殿下、それは元カレです
「やっぱりメイだ!久しぶり。6年ぶりぐらい?」
「あ……清水さん」
「苗字呼びなんて他人行儀だな、昔みたいにヨウちゃんって呼んでよ」
「………、」
軽い様子で笑い掛ける男に、言葉が出なかった。
呼べるわけがない。清水洋平は私たちが最後どんな風に別れを選んだのか忘れたのだろうか。一年も付き合っていなかったのに、他に好きな女の子が出来たと別れを切り出したのは彼の方だ。まさか全部、彼の中では綺麗な記憶として処理されている?一緒に買ったグラスを最近割ったと教えてあげたらどんな顔をするだろう。
私は唇を噛み締めながら、この屈辱的な時間にどう対応するべきか考えた。変に慌ててはきっと相手も面白がるだけだし、ここは冷静に返すに限る。
「ごめんなさい。今、人を待っているので」
「え?彼氏?」
「……じゃないですけど」
「だよね、」
だよねって何。相変わらず人を小馬鹿にしたような態度を取るのは変わっていない。まさか嫌味を言うためだけに声を掛けたの?
悶々としつつ黙っていると、ロイが戻って来てしまった。今ここで彼が「シルヴェイユ王国の皇太子」なんて自己紹介したら、この場はカオスな状態になってしまう。
「メイ、この男は知り合いか?」
不思議そうに清水洋平を一瞥した後、ロイは尋ねた。私を振った昔の恋人です、なんて言いたくなくて曖昧に頷く。しかし、かつての恋人はそれでは満足しないようだった。
「へぇ~めっちゃイケメンくんじゃん!」
「……ただの友達です」
「メイって気が強いし、一人で生きて行けそうだと思ってたけど、選ぶとなると面食いだよな」
「………っ」
的外れな面食い云々発言よりも、前半部分が私に大きなダメージを与えた。一人で生きて行けそう、それは今まで男女問わず色々な人から言われてきた言葉。少しの間でも付き合っていた彼までもが同じことを言うのだ。私は本当に、誰から見ても自立したお一人様なのだろう。
それはもう、悲しいほどに。
「お相手さんはどう?日本語分かるのかな?」
「一応理解しているが…」
「メイの友達なんだって?こいつ変に真面目で一人で滑ってるからサポートしてやってよ」
「滑ってる?」
「やんなくて良いことまで気を回して勝手に頑張ってんの。痛々しいし、何でも一人でやって退けるから可愛げもない」
何が面白いのか、ケラケラとひとしきり笑う男に向かって、ロイは「それは違う」と口を開いた。
「メイが頑張り屋であることは認めるが、痛々しいなんて思ったことはない」
「いずれ分かるよ。アンタは彼氏でもないんだろ?」
「それは…お前がメイを甘えさせるだけの余裕が無かっただけではないのか?」
「……はぁ?」
「彼女にも弱さはある。時々弱音を吐く時間を作ってやらないといけない」
至極真面目な顔で淡々と述べるロイを見て、清水洋平はあからさまに気分を害した顔を見せた。
私は初めて、ロイ・グーテンベルクという人間が自分よりしっかりした存在に見えた。こういった明白な悪意に対して私は的確な対応をすることが出来ない。ダメージを受けて帰宅して、あとは家でメソメソ一人で沈むだけ。はっきりと言い返すロイの言葉は、私の気持ちを随分と軽くしてくれた。
「なにマジになってんだよ、しょーもな」
捨て台詞のようなことを口にして、清水洋平は背中を丸めて足早に去って行った。自分から振った女に対して嫌味を吐く彼の方が絶対に「しょーもない」のに。
こうやって頭の中では処理できるくせに、私は実のところ結構なダメージを負っていた。空回る可愛げのない女、という不名誉な烙印を押されて、へっちゃらに笑えるほど私は能天気ではない。
家に帰りたい。
ぜんぶ忘れて布団にくるまりたい。
下を向くと地面に大きな影が差した。目をやるとロイが心配そうな顔で見つめている。せっかく買い物に来たのに、こんな辛気臭い顔をしていては、一緒に居る彼に失礼だと反省した。
「……メイ、帰ろう」
「いえ、ごはん…食べましょうか?」
「そんなの後でも良い」
グッと私の手を引いて歩いて行く。どういうわけか、駅までの道のりをちゃんと習得している賢い王子は、しかしながら反対方向の電車に乗ろうとしたので、慌てて制止した。
「家に行くのはこっちの電車です」
おずおずとロイの手を引いて前を歩く。
本当はもう今すぐにでもトイレに駆け込んで泣きたかった。でも、異世界の王子を連れ回している以上、そうもいかない。その優しさに甘えて、一度家に帰らせてもらうとして、少し休憩したらまた昼を食べに行かなければ。
大丈夫、きっとうまく誤魔化せると思う。
強いフリなら今まで何度もやってきたから。
見慣れた景色に心を落ち着かせながら、何とか家まで辿り着いた。この扉を開けたらあとは洗面所へ急ぐだけ。ロイには部屋で涼んでもらって、私は少しの間一人になれる。
「あー暑かったですね!私、先に手を洗うのでロイさんは台所使ってください」
「メイ、」
「何かあったら呼んでくださいね」
「そうやって、今まで一人でやり過ごして来たのか?」
「………っ、何を言ってるんですか…?」
喉の奥が絞まるような感覚。
ロイの青い瞳が確かめるように私の顔を覗き込む。
「今日の5分は今使う。暫く何も喋るな」
キツい口調のわりに、抱き寄せる大きな手は優しかった。やっぱり、動物なんて安易に飼うべきではない。こんなにも中毒性のある癒しを、手放すなんて私は耐えられない。